Mission 20「5体結集!グレートゴーバスター」

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 怒濤の合体攻勢ですが、「ゴーバスターズ」らしいビジュアルで決めてくれました。

 一方で、ヒロムの「弱さ」をあぶり出す展開もあり、真面目でぶっきらぼうなヒロムというキャラクターに、ある種の奥行きを与えた格好になっています。

 今回、久々にゴーバスターズを支える多数の人員に関する描写があり、各人のドラマにまでは一切踏み込む事はないものの、組織の規模感、統制のとれた「大人の職場」といった雰囲気、若いパイロット達を陰で支える心強さ、そして、マサトのカリスマエンジニアとしての求心力といったものが存分に描写されていました。

 これらの要素の中で、突出していたのはやはりグレートゴーバスターですね。

 現時点での最強合体を多用しない為の足枷は、亜空間における戦闘に長けるという用途の限定をはじめ、メインパイロットであるレッドバスターに著しい負担がかかるという、ある意味お約束の設定、(今回を見る限りでは)合体の為のオペレーションが実戦時に不可能である事など、色々と用意されました。

 この中で、合体オペレーションに関しては、今後何事もなかったかのように、合体バンクが作られるのではないかと思いますが、私は今回の地味の極みといった具合の「作業」が素晴らしいと思ったので、ドックで多数の作業員を擁して合体させてから現場で運用するという感じにして欲しいですね。

 ただ、今回のこの「地味さ加減」は、戦隊シリーズの持つ荒唐無稽なカッコ良さとは乖離しています。子供が素直にカッコいいと思うのは、こういう地味な描写ではなく、空中あるいはどこだか分からない空間の中で、ダイナミックに変形合体する様子だろうと思いますし、実際、変形ロボ初登場である「デンジマン」からして、黒バックに強烈なオプチカル合成を施した印象的な変形バンクがあって、その傾向は現在もなお(少なくともゴーバスターオーのコンバインオペレーションまでは)継承されているわけです。

 話は少しズレますが、このテの話は既に「ジャッカー」で明らかになっていると思います。

 というのも、「ジャッカー」は変身に際して、わざわざスカイエース内部の強化カプセルブースに集合し、各々の強化カプセルの中に入った後、「強化エネルギーを浴びて無敵のジャッカーにチェンジする」プロセスを経ます。このバンクシーンには派手な合成が施され、明らかに「ゴレンジャー」の変身よりもビジュアルは派手になっていますが、逆に「変身に手間がかかる」という「リアルさ」も追求されています。

 この描写は、「ゴレンジャー」のように、戦闘中にすぐ「ゴー!」で早変わりするスピード感とは真逆を行っています。いわば、「ごっこ遊び」におけるシーンの連続性を断絶してしまうもので、例えれば、生身の戦闘を想定しているシーンの最中に、近くの土管へ寝そべりに行って、変身後の想定で戻ってくるという、何とも回りくどい遊びを要求する描写なわけです。

 私が考えるに、「ジャッカー」の勢いがあまり振るわなかったのは、「ゴレンジャー」の明るいドラマ性からの転換という部分ではなくて、こういった「ごっこ遊び」に際しての不便さに原因があるのではないか。基本的に、当時はなりきりグッズ自体が少なく、「ごっこ遊び」における「変身前」の重要性は、現在よりもはるかに高かったのではないかと思います。ある時点から、変身アイテムが「変身後」にも露出するようになりましたが、これは現在における「ごっこ遊び」で、豊富ななりきりグッズによって「変身後」が重視されるようになった事の証左でしょう。つまり、「変身後」に露出しない変身アイテムは、変身を経てすぐに切り捨てられてしまう為、「変身前」の出番の減少に伴って、「変身後」にも活用してもらうように仕向けられたのではないかと思うのです。

 話が大いに逸れましたが、つまり、子供達にアピールするのは、今も昔も「リアルな手順」よりもスピード感であり、その意味で、今回のようなグレートゴーバスターの合体プロセスが日常的に展開されるとなると、「グレートゴーバスターって強いけど、いちいち基地で組み立てるんだよな」的な、大人になった今ではちょっと考えにくい「シラケ」が発生するのではないかと。

 逆に、マサト周辺の少々胡散臭い超科学なテクノロジーは、スピード至上主義(いわゆる手順省略の美学)に彩られていて、実にスピーディ。「ゴーバスターズ」の、一見戦隊のパターン破りでありながら、戦隊の雰囲気を湛えているバランス感覚は、マサトの登場でより研ぎ澄まされた印象すらあります。

 さて、今回は擬似的に亜空間が作り出された事により、亜空間を「体感」していない面々に、亜空間の内部の状態がどうなっているかが示されました。

 それによると、亜空間内では人間が身体を動かす事が困難となり、呼吸も満足に行えないとの事。恐らく、亜空間内は質量の高い何らかの粒子に満たされた状態なのではないかと思いますが、その辺りは適当でもいいでしょう。

 問題は、ロジカルな設定よりも、むしろドラマにもたらされる要素です。

 亜空間内の人々は、今もずっと苦しんでいる。そういうプレッシャーが、ヒロム達に影響してくるように仕掛けられたわけで、これはなかなか素晴らしいと思いつつも、そこまで過酷にしていいのだろうかという疑問もあったり。

 ただ、マサトを見る限り、確かに亜空間内では人間は生きていく事が困難でありつつも、既に何らかの対処が為されているような印象もあります。対処といっても、非常に限定的であり、亜空間で自由自在に振る舞って生活出来るレベルでない事は容易に想像出来ますが。しかも、亜空間内ではマサト以外の人物は確認されていないので、特にヒロムの両親がどうなっているかは、全く想像が付きません。

 いずれにせよ、亜空間の中に居る事自体が苦行と明示された事により、ヒロム達の戦う意味にも変化が生まれるだろうし、現に、今回スポットが当てられた、ヒロムの「弱さ」を乗り越える、強烈な動機として機能しています。

 そのヒロムの「弱さ」に関しては、むしろ意外性があって、ドラマの良きアクセントになっていたと思います。しかしながら、心のウィークポイントとしてはいささか短絡的で、ヒロムのヒーロー性をややスポイルしてしまうような内容だったような気もします。まぁ、そこを含めて等身大の若者を描く事が、「ゴーバスターズ」のリアリティといった処でしょうか。「ゴーバスターズ」は最初にプロフェッショナルとしての技能と統率を作り上げてしまっていた為に、それを崩す過程に苦しんでいる印象があります。さて、この辺り今後どうなるのか...。