Mission 46「新たな融合と熱暴走!」

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 「メサイアカードがまだ一枚残っている」なんていう説明があったりして、アララ...と脱力してしまいつつも、一応クライマックス編の開始という事で、初回から飛ばしてきました。

 今回は、リュウジ編の体裁をとりつつ、リュウジとヨーコの関係性の決着を描いたものと言えるでしょう。最初にリュウジの熱暴走を目撃して号泣してしまったヨーコが、ここに来て熱暴走に真っ正面から向き合い、何とかそれを自ら止めようと試みるという、ヨーコの自立を描いたものになりました。

 他にもリュウジとヨーコの件では、戦いが終わった後のヨーコの進路を心配するリュウジや、それを煩がるヨーコという描写が盛りこまれ、あらゆる面でヨーコの自立を描いています。

 面白いのは、一見してヨーコの「親離れ」を象徴させるような展開を示して、プライベートでは保護者と被保護者の関係をブレイクさせつつ、仕事の現場ではリュウジのピンチをヨーコが救うという展開を用意して、巧く対比させている処です。リュウジがプライベートでも現場でもヨーコの保護者であった事により、悪く言えば、常にヨーコはリュウジより立場が下になっていたわけですが、ここに来て、遂にリュウジと対等の立場を主張できるようになった...と言うと言い過ぎでしょうか。

 「ゴーバスターズ」は、これまで「大人であるリュウジ」と「子供であるヨーコ」、そして「その間の微妙な位置に存在するヒロム」、「突き抜けた大人の陣」といったポジションで回ってきており、その上下関係がキャラクターの面白さとして昨日する場面も多かったように思います。

 今回、リュウジとヨーコに関しては、年齢的な部分ではその関係性を保留したものの、ヨーコにとってはイニシエーションに似た展開を経由させる事で、彼女を「大人」にしました。クライマックス、イエローバスターが戦闘不能のブルーバスターの目の前で、ライオブラスターをぶっ放す描写は、その最たる象徴として映ります。

 一方で、リュウジがヨーコを「大人」であると認める確たる描写はなく、恐らく「子離れ」を果たしていないのではないか、と思わせるのです。これは、子供が自立する際に必ず生じる齟齬であり、ある意味非常にリアルな心理描写ではないでしょうか。劇中では描写されないと思いますが、きっと、リュウジはずっとヨーコに対して保護者的な立場でやきもきし続けるのではないでしょうか(笑)。

 一方、リュウジは今回災難でした。というより、リュウジはいつも割を食うキャラクターなんですけど、今回は特に大変でしたね。

 災難の全ては、熱暴走をエスケイプの快楽に利用されたという事に尽きます。ちょっと笑えるのは、熱暴走が水に飛び込んだだけで終了するという事と、水から上がった直後に熱を持つ物体を少しでも接触させられたら、また熱暴走がぶり返すという描写。熱暴走って、そんなものだったっけ? と思わずツッコミたくなるシーンでした。まぁ、熱する事と冷やす事が影響するという端的な描写という事で許容できますけどね。

 ちなみに、ヨーコの訴えがリュウジには届かず、あくまで冷やすしか方法がない辺り、熱暴走のリアリティをしっかり確保していましたね。暴走状態がメンタルで解決するのは、既に食傷気味ですから(笑)。

 ブルーバスター VS エスケイプのバトルは、それはもう物凄い事になってましたね。

 息もつかせぬとは正にこの事で、特に吊り橋の上でのアクロバティックな動きは、あらゆる面でテレビのクォリティを遙かに凌駕していたと思います。昔から、東映ヒーローでは吊り橋の上で戦うシチュエーションが好んで多用されて来ましたが、今回のそれは特に素晴らしいものでした。吊り橋と言えば、宮内洋さんや大葉健二さん、渡洋史さんといったアクション派の方々は、よく吊り橋にぶら下がってましたよね。宇宙刑事では、それに加えてロープ渡りという凄いカットが用意され、「シャイダー」では森永奈緒美さんが挑戦して話題になりました。最近では、このロープ渡り、あまり見かけませんねぇ。

 さて、そのリュウジと対戦したエスケイプですが、「何回死ねば気が済むんだ」と言わせない為の工夫が巧い処。

 今回、遂にエンターはメタロイドを有機生命体と融合させる術を会得しており、終盤でいきなりハイブリッド型が実現した事になります。エスケイプは、その技術を利用して量産された、もはやアバターよりもメタロイドに近い存在になってしまっていたわけです。つまり、エンターはエスケイプを何らか特別に意識していたわけではなく(という事は、以前のはフェイク?)、単なる戦術の駒としてしか意識していなかった事になります。蘇る(再生産される)度に、エスケイプ登場当初の状態になる空恐ろしさ(そして無垢な感じが実に可愛い・笑)は、抜群の雰囲気でした。

 ハイブリッド型メタロイドは、こんなタイミングではなく、メサイアカード編で出しておくべきだったのではないかと思うのですが(ショッカー → デストロンの流れに沿うので、パワーアップが如実に分かる)、まぁエスケイプをこのような形で登場させるエクスキューズとしては、良い感じなのではないでしょうか。

 で、エスケイプですが、より「いいもの」に執着しているというか、もう「いいもの」しか行動原理として持たない幼児性を発揮する、キケンなキャラに変貌しています。

 興味深いのは、エンターを「パパエンター」と呼ばせている処で、この辺りは既に幼児向け特撮テレビドラマのドグマを軽く飛び越えています。そう、例えて言うならば「ウルトラマンA」のガランの話。キーパーソンである久里虫太郎(清水紘治さん!)の妄執のようなムズムズした感じ。

 何しろ、エンターとは兄弟とも言える存在のエスケイプが、エンターを「パパ」と呼ぶわけで、そこに近親相姦的なニュアンスが強く出ている上、雑草の花を象徴させる辺り、そこに愛のない利用というニュアンスのインモラルな匂いを感じさせるのです。そして、男女の徹底的な主従関係を導入し、さらに従者となる女性は幼児である...。もうヤバくてキケンな匂いが漂いまくっていますよね。

 従って、リュウジとヨーコの健全な保護者・被保護者の関係性が、より清廉なものとして映ってきます。ここまで狙ったのかどうかは分かりませんが、ともすればドロドロしがちなヒーロー同士の関係性を爽やかなイニシエーション譚に仕立てられたのは、エンターとエスケイプの倒錯しまくった関係性と、良いコントラストがあったからではないかと思うのです。

 ところで、今回はメガゾードが登場しないので、巨大戦はおあずけとなったのですが、代わりにライオーによるリュウジの捜索、RH-03によるリュウジ捜索と作戦サポートといった、メカ描写が盛り込まれていました。終盤に来て、巨大戦がロボ一辺倒にならない辺り、メカ描写重視の方針に沿った配慮がよく行き届いていると思います。この辺りはさすがですね。ライオーはCG故の描写に留まっていましたが、RH-03による空からの捜索シーンは、コクピット内の描写と相俟って非常にリアル。やはりメカ描写にはワクワクしますよね。

 そんな感じで始まったクライマックス編ですが、正直、市井にあまり危機が訪れていない(戦隊の常套手段として、最終編辺りでいきなり都市部の破壊が激しくなったりする)ので、クライマックス感には乏しいです。しかし、人間ドラマとしては、着実な成果が上がっているように感じるので、最終回まで色々と驚かせて欲しいですね。