全体的に気楽に飛ばしていくムードを持っていた「ニンニンジャー」でしたが、この最終回もそのムードを象徴するような構成で、テンポがすこぶる速く、実に爽快。一方で、色々な事象に決着を付けていく生真面目さも散見され、非常に満足度の高い最終話となりました。
十六夜九衛門の周辺に気を回し過ぎたのか、ラスボスたる牙鬼幻月の扱いに軽さが感じられはしましたが、元々牙鬼幻月は「恐れの収集」を理由付ける為のマクガフィンのような存在だったので、このような結末でも文句はないでしょう。
とにかく、語り尽くすだけ語り尽くそうという気概が画面に横溢しており、片時も目を離せない怒濤の最終回となった事は間違いないですからね。
]]> 忍タリティ!ここしばらく「忍タリティ」というタームに重きが置かれなくなっていたのですが、今回は前面的にフィーチュアされる格好となりました。そして忍タリティ自体がかなり抽象的な概念であった事も、今回はっきりと示されたと言えるでしょう。
4クール目では、忍タリティに言及される機会が非常に少なくなっていました。それはストーリーを展開する上で出来るだけ語るべき要素を減らしておく手法による影響だったものと思われますが、劇中での扱いを解釈するならば、既に天晴達は忍タリティを語らずとも常に意識出来る状態にあったのではないかという事です。牙鬼軍団との戦いは勿論、仲間達との関わりや、世代間の考え方の相違などを経て、忍タリティという言葉を発する事なくそれを高められる環境(境地)にあったわけですね。
前回の最後、終わりの手裏剣の効果で忍者としての力を奪われた天晴達でしたが、もう彼等の中で「忍シュリケンに依存している」という意識はさらさらなく、自己の中で滅する事のない忍タリティを武器に、牙鬼軍団に立ち向かっていきます。その流れも熱いのですが、更に6人が集合する事で「不可能を可能にする」くだりが更なる熱さを生み、素面名乗りを経た大盛り上がりの変身シーンへ繋がっていきました。
ここでは、一人のラストニンジャが手にする「至高の忍タリティ」ではなく、仲間が一緒だからこそ手にできた「究極の忍タリティ」と言うべきものが示され、ちゃんと戦隊らしいテーゼが表出したのは喜ばしい処ですね。いわゆる「レッド偏重」が廃されたのはちょっとした驚きでもありました。
前述の通り、不可能な筈の変身を可能にした忍タリティ。その高まりを象徴するが如く、究極の素面名乗りを配して場を最高潮に導いています。
素面名乗りの嚆矢たる「ダイレンジャー」のように変身不可能なまま名乗りをするパターンよりも、最近では変身しながら名乗るというパターンの方が多いと思いますが、今回も後者のパターンを踏襲しました。代わりに以前の回で前者のパターンの名乗りをやっているので、最終話としては大正解の選択だったと言えるでしょう。
それにしても、全員がバク宙を決めるという高難度のカット、どうやって撮影しているのか全く分かりませんでした。画面を見る限り、本人達がやっているようにしか見えません。公式サイトで練習風景とか出ているかな...と思いましたが、それもなく。八雲はその前に素面アクションにて宙返りを披露しているので、本人がやっててもおかしくないですが...。
これ、もしトランポリンとかマットを介したとしても、かなり練習しないと難しいですからね。ワイヤーアクションだったとしても、あんなに綺麗に回るのは難しい。本当によくやったと思います。正に有終の美ですよね。
この名乗りの前では、各々の素面アクションが展開。こちらも集大成の趣がありました。凪と風花はロボのコクピットの中だったので、もしかしてアクションなし!? と心配しましたが、ちゃんと6人が合流する際に披露してくれて嬉しい限り。キレキレなアクションは見応え充分で、相当なトレーニングの結果だろうと思います。各々の表情も実に素晴らしかったですね。
牙鬼久右衛門新月、その名は彼に似つかわしくない。今回は、伊賀崎好天の弟子・十六夜九衛門という名こそが真の名...そんな結末でした。
牙鬼幻月の息子という設定は当初の予定になかったという事でしたが、この結末を見る限り、確かにそれは必ずしも必要ではなかったかも知れません。ただ、「宿命」というタームを掲げる際、牙鬼幻月の息子である事によってその鮮烈さをより高めているのも事実なわけで、後付け要素が巧く機能した例として高く評価されるべき結末となりました。
好天は旋風と十六夜九衛門を弟子として同列に扱っていた(十六夜九衛門専用の忍シュリケンを最期に渡そうとしていた=弟子と認めていた)というのが真実であり、血脈で優劣を付けられていたという十六夜九衛門の誤解(ただし、この件は土壇場で判明したもの)が、今回解ける事になります。表層的には、その氷解による「憑物落ち」を、好天が迎えに来るというシーンを交えて感動的に描いていましたが、「宿命」という文字の働きにより、重要なテーマはそこから外れた処に置かれました。
それは、牙鬼幻月の息子という宿命から逃れられないという十六夜九衛門の諦念と、ラストニンジャが世に一人しか存在し得ないという宿命からのブレイクスルーを果たした天晴達の対比です。両者の決定的な違いは「宿命のとらえ方」そのものでした。その意味で、十六夜九衛門が最後の最後で宿命から逃れ、牙鬼幻月の体内でその力となる事を拒み、勝機をニンニンジャーに与えたのは実にシンボリックな出来事です。
結果的に、罪を重ねた者は滅び行く運命にあるわけですが、その最期、憧れ続けていたラストニンジャ=伊賀崎好天の弟子に返り咲くという帰結が描かれる事によって、その魂は救われました。
制作側に、十六夜九衛門のキャラクターはスーツ担当の蜂須賀さんと声を担当した潘めぐみさんに引っ張られたというコメントがありましたが、この救いのある結末は正にその結果と言えそうですよね。
冒頭で述べたとおり、マクガフィン的な存在だった牙鬼幻月。ニンニンジャーに倒されるという役目に加え、十六夜九衛門の宿命を象徴する存在でした。
結局は「それだけ」なので、すぐに巨大化してすぐに倒されてしまいます。この展開を呆気ないと言ってしまえばそれまでですが、好天が命を賭して封印した程の強敵に、少しも臆する事なく立ち向かい早々に倒してしまった(勿論、十六夜九衛門の裏切りもあっての事ですが)のですから、現役忍者達の力強さを描き切ったという面で納得出来る展開だったのではないでしょうか。ラストニンジャとは異なる道へと進むきっかけとなったゲキアツダイオーでの決着というのも象徴的ですよね。
一方で、麦人さんの声の迫力は相当なもので、言ってしまえば存在感の薄いラスボスでありながら、その存在感を存分にアピール出来たのは、この方の声あっての事だろうと思いますね。
言うまでもないですが、家族を道具にする牙鬼幻月と、家族を得たかった十六夜九衛門、家族そして仲間と高めあって境地に到達したニンニンジャーの三者で、「家族」や「仲間」というタームを巡るそれぞれのスタンスを表現しており、それぞれの行く末が対比されて描かれるラストは重厚かつ爽快でした。登場話数はごく少なかったですが、その対比を印象付ける程の存在感はちゃんと確保していて見事でした。
ラストニンジャという存在を決定付ける終わりの手裏剣は、天晴の提案によって消滅する事になりました。いわば、彼等の代でラストニンジャは自ずと終わりを告げる事となったわけです。
しかし、天晴達はそれぞれの道で己を鍛錬し、新しいステージに向かう事を約束して物語の幕を下ろします。示される「その後」はそれぞれのキャラクターに相応しいもので、任務を終えて市井に還っていくという戦隊のパターンを一歩推し進めたものになっていました。
霞や凪、キンジのように、元の生活へ戻りつつも次なるステージを模索する者があれば、天晴と八雲は導く側へ立ち、風花は違う生活へと身を投じていきます。それぞれコミカルかつ爽やかなシーンを配して幕切れとしていましたが、確実に一年間の積み重ねを感じさせる辺り、実に巧いですよね。読後感も清涼で素晴らしいです。
「手裏剣戦隊ニンニンジャー」は、ビジュアルこそ当初は奇をてらったように見受けられましたが、実の処物凄くオーソドックスな「戦隊」だったのではないでしょうか。
終わってみれば、驚くほどレッド偏重を排除(勿論、一方で番組の顔として立てる事は忘れていません)していましたし、楽しい作風、仲間意識、後見人キャラクターや敵側のドラマ(特に有明の方と十六夜九衛門)の充実度といった要素を並べてみると、かなりシリーズ初期の戦隊を彷彿とさせるものがありました。毎年、どこかしらノれない時期があったりするのですが、私個人としてはあっという間に終わったという感が強く、それだけ今シーズンに活気と勢いがあったのだと思いますし、初期戦隊の作風(=原点回帰)を意識的に踏襲して来たのも、私にとって大きかったと思います。
設定や流れにツッコミ処が多く存在しており、それは硬派な特撮ファンにとっては今一つな感を残すものだったかも知れませんが、戦隊ってこうだよね! とはっきり言える部分がそれを凌駕しており、結果的に高い満足度を引き出したと見て間違いないです。「ゴレンジャー」に倣った日本語混じりのネーミングなんかは、それを象徴しているようで面白い処ですね。
そして、「ニンニンジャー」は例年通りVシネマやVSシリーズで復活する事になりそうです!
Vシネマの方は、今回登場した緑の忍シュリケンを驚きの手法で活かすようで。これは本当に驚きです。そして、天晴と風花の母親役は中山忍さん。絶対「忍」から当てたキャスティングですよね(笑)。お姉様の中山美穂さんは「セーラー服反逆同盟」で「スケバン刑事III」ではないので、残念ながら忍者とは関係なく...(←どうでもいい)。
ということで、お後が宜しいようで。
一年間ありがとうございました。引き続き「動物戦隊ジュウオウジャーを見たか?」の方もよろしくお願い致します。
]]>近年はあまり見られなくなった、最終回での各人紹介。それを物凄く丁寧にやって見せたという印象でした。基本的には、牙鬼軍団総攻撃を阻止すべく、全員がそれぞれの戦いを繰り広げるバトル編なのですが、全体的に寂寥感が漂いスタティックな雰囲気に包まれた不思議な前哨戦となりました。恐らくは、精神的支柱でもあった好天との別れが色濃く影を落としているのでしょう。
その一方で、現代のニンニンジャーが好天とは違うラストニンジャへの道を歩み始めたのは、実は「支柱」が好天ではなく天晴だったからというテーゼも見え、その筋運びの巧さが光ります。
]]> 牙鬼幻月 VS 伊賀崎流前回ラストで揃い踏みを果たした伊賀崎流忍軍。今回冒頭では、その活躍が存分に見られます。コンビネーションの見せ方の巧さは、正に「ニンニンジャー」の集大成といった感が漂っていました。
意外なのは旋風の戦闘力の高さで、ブランクをものともしない様子は、さすが天才忍者と呼ばれただけの事はあります。一方で、少しドジな仕草を見せたりといった細かい芝居も入っていて、ちゃんと「らしさ」を表現している辺り見事ですね。アカニンジャーが三人も存在していながら、ちゃんとそれぞれに個性が反映されていて見応えがあります。
私はこの時点で決着がつき、後を牙鬼久右衛門新月が引き継いでしまうものと思っていましたが、意外にも牙鬼幻月は余裕綽々としており、ちゃんとラスボスたる風格を体現していました。伊賀崎揃い踏みのカタルシスはややスポイルされた格好になったものの、現世代の戦いに収斂していくには必要なプロセスでしたし、何より敵の矮小化を招かなかった事は歓迎出来ると思います。
結果的には、概ね私の予想通りでした。曰く、好天は既に故人であったという事。
結構分かり易いヒントは、劇中に何度か登場していました。シリーズ当初は故人扱いされていた事、終わりの手裏剣を直接手渡すシーンがない事、忍術を超えた超常能力を発揮する点、終盤において姿が消えかかる描写。ただ、意外な展開というのはままあるものなので、今回を迎えるまでは半信半疑といった処でした。
私の本当の予想では、好天は終わりの手裏剣そのものの化身ではないかというものでしたが、それよりはもう少し理解しやすい仕掛けでしたね。それ故に、牙鬼久右衛門新月が好天を貫いて終わりの手裏剣を奪うシーンが成立し、それがより衝撃度を伴うものとなりました。消滅シーン自体は、終わりの手裏剣による奇跡のおかげで、いわゆる「死」を意識させないシーンになっています。光の粒子が散っていくという、割と定番化したファンタジー色の強い画ではありますが、その去り際に何も語らない処が実に素晴らしく、後の「遺言」が存分に活きてきます。
前回、旋風が狸の置物の中から見付けたのは、好天のメッセージが仕掛けられた「空の箱」でした。空っぽの箱が出て来た時は、その意味を霞か誰かが解釈するのかな...と思いましたが(ルパン三世が手に入れる「お宝」にもこんなのがありましたね)、ちゃんと好天が出て来てちょっと笑ってしまいました。
好天らしいユーモラスな語り口を交えつつ、天晴達のその後の道を諭す「映像」は、笹野さんの存在感の大きさを雄弁に物語っていたように思います。劇中の設定としては、ニンニンジャーの精神的支柱が天晴(常に先頭を走り、他の面々がその背中を目指し追い抜く事を旨としている)になっていますが、制作的な視点では正に笹野さんが中心にあったのだと、如実に示されたわけですね。
この「遺言」は、好天が自分のタイムリミットを自覚し始めた辺りで用意されたものと思われますが、飄々として突き放す態度が常だった好天の「本音」が見られるという点で、天晴達の喪失感を見事に払拭するものだったと思います。このメッセージを受けて、天晴達は何をすべきかに気付き、再度牙鬼軍団に立ち向かっていく事になるわけですが、この「気付き」は、少なくとも最終四部作の前後で既に天晴達の自覚する処だったと思います。好天を失った喪失感により一時的に目を逸らしてしまっている状態から、立ち直るプロセスだったと捉えるのが自然でしょう。
一方、好天らしさに溢れるポイントとして、天晴達の目の前では、彼等一人一人に対するメッセージを開示しなかった事が挙げられます。シリーズ中、天晴達を手放しで評価する事はほぼありませんでしたから、それを最後まで守った事になります(笑)。「言い忘れておった」と言いつつ、多分旋風が一人になった時に流れるように仕掛けをしていたのだろうと、容易に想像出来る辺りが微笑ましい限り。
孫、そして弟子それぞれに贈る言葉は、各人のキャラクター性を非常に的確に表現する簡潔なもの。なおかつ、彼等の往くべき道をも予見する言葉が添えられ、最終決戦を前にしての総括ととれる素晴らしい語り口でした。それらが各人のアクションとシンクロしてその個性をより際立たせているという、シーン設計の巧みさが光ります。言葉で直接伝えてないけれども、個々にはもう伝わっているというくだりが見事!
そして、最後に息子である旋風に贈った言葉の素晴らしさよ。ある意味、ラストニンジャの「因習」に取り憑かれていた好天が、突き放してしまった息子=旋風。しかしながら、旋風がラストニンジャに不要とされた「優しさ」の体現者だったからこそ、孫達が新しい道を見付けられた事は疑いようもなく、好天も全てを悟って息子に後を託したわけです。このシーンでは、良い意味でもう孫と弟子は置いてけぼりで、中高年の重厚な芝居を物凄く丁寧に見せており、親世代を泣かせる為に用意されたとしか思えないですね(笑)。
今回のクライマックスバトルは、六人一丸となるスタイルではなく、天晴が本丸を目指し、八雲が蛾眉雷蔵と対峙、凪と風花は巨大戦担当、霞とキンジで有明の方を迎え撃つという、同時進行の目まぐるしいものとなりました。目まぐるしくも、前述の好天による「総括」とセットになっているので、シーンが巧みに整理されていて状況が非常に把握しやすいのは凄い処。
まず、八雲が単独で蛾眉雷蔵を打ち破るくだりでは、かつて天晴が下した相手を改めて、しかも易々と破る事で、その実力の程を見せつけるという、天晴最大のライバルとしての存在感を発揮。蛾眉雷蔵の、最終決戦における存在価値はかなり「再生怪人」に近いものになってしまいましたが、そうしてでも表現したかったものが見えてきました。
凪と風花は、巨大戦を担当。「アカイキュウビ」なるカラクリキュウビの後継機が登場し、多分キュベレイMk-IIを意識してるんだろうなあ...と、この期に及んでのネタ投入に苦笑しつつも、年少コンビの息の合った、しかもテンションの高い戦い振りは実に頼もしく、「新世代」の象徴であると改めて認識させられます。
霞とキンジは、珍しい組み合わせ。異論はあると思いますが、キンジも割と理論派(頭でっかちな行動で色々失敗してきた)なので、このコンビも戦術重視でなかなかのハマりっぷりです。有明の方の牙鬼萬月への執着振りが物悲しく、後のない出陣な上にほぼ瞬殺に近い倒され方で、しかも最終的に牙鬼幻月に吸収されてしまうという最期を迎える事となりました。正室である筈の有明の方があのような扱いを受け、牙鬼幻月は血も涙もない人物である事が強調されました。
天晴は、正にイケイケドンドンな猛進。彼らしい無類の強さを表現するアクションが爽快で、チャンバラの要素をも感じさせるテンションの高いシーンが続出でした。
牙鬼久右衛門新月は終わりの手裏剣を入手し、未曾有の危機をもたらす事になります。
ここで、天晴達は一斉に変身解除! ということは、つまりそういう事です。「戦隊版卒業式」と言わんばかりに素面アクション=一年間の成果が存分に披露される機会が、今年も訪れたという事ですね。
これまでも折に触れて生身アクションは盛り込まれてきましたが、その集大成を見せてくれるものと期待しています。
いよいよ、次回は最終回。年々、一年の経過が速くなっている気がして困ります(笑)。どのような結末を見せてくれるのか、楽しみですね。
]]>好天の思惑を超え、遂に新たなラストニンジャへの道を見極めた六人。そして、遂に忍タリティを取り戻した旋風。牙鬼幻月との一騎討ちに挑む好天を加え、サブタイトル通り「親子三世代」のニンニンジャーが姿を現します。三人のアカニンジャーを擁する八人戦隊は壮観! このような展開を想像していなかっただけに、今回のラストにちょっとだけ登場したにも関わらず、衝撃度は凄まじいものでした。
一方で、牙鬼久右衛門新月は精彩を欠くこととなり、やや足早な展開に少々苦笑する処もありましたが、クライマックスに向けての段取りは概ね好調と言えるでしょう。
]]> 蛾眉雷蔵、出陣牙鬼幻月により復活した蛾眉雷蔵。初期編に於いて気まぐれな振る舞いをしつつもニンニンジャーを苦しめ、天晴にギリギリで敗れはしたものの、その実力はニンニンジャー個々人を凌駕する印象の強敵でしたが、さすがに現在においてはその実力も見劣りするというもの。
オボログルマ・マークIIを駆って巨大戦を挑むも、尺の関係もあってかすぐに敗走し、牙鬼久右衛門新月への助太刀に来たのかと思いきや、退散を進言しただけといったように、著しく良い処に恵まれません。幹部というよりは、一怪人に近い扱いですね。ただし、今回で退場とはならず、まだ続投のようなので、残る二話で印象が変わるかも知れません。
今回はある意味、伊賀崎流の抜け忍である十六夜九衛門の敗北を描く一編でした。今回の根底に流れるテーマとしての「覚悟」というターム、その捉え方の違いが雌雄を決するというのは巧い流れでしたね。
牙鬼久右衛門新月は、ラストニンジャである好天を殺す事に関して躊躇が全くなかったわけで、その点では好天の教えをシンプルに継承し得る人物だった事が分かります。しかし、その実、旋風から忍タリティを奪い、妖力で好天を超えようとする等、「ニンジャ」であるか否かと問われれば外道と応えざるを得ないわけで、キンジに言う処の「強さを渇望する弱さ」がここに現れています。これは「覚悟」というには少々はばかられるように思います。
一方で、後述しますが、天晴達は好天の定義するラストニンジャから外れた道を見つけ、それを極める事を「覚悟」と称しました。そこに気付かせたのがキンジだったのは、個人的には意外でしたね。ただ意外とは言え、キンジこそが最も十六夜九衛門との接触を持った人物ですので、大いに納得もしました。もう少しこの辺りの掘り下げが欲しかった気もしますが、まとめに入っているという事もあって、テンポの方が重視されていたようですね。
今回の「道を分かつ」という感覚、スター・ウォーズのジェダイとシスに近いものがありますね。というより、古今東西のスピリチュアルな基底を持つフィクション上の武芸は、概念が似通ってくるのかも知れません。十六夜九衛門に、力を求めるが故の心の弱さがあるという話は、スター・ウォーズのアナキンの「堕ち様」にそのまま通じていますし、天晴達が伝統にとらわれない道を選択するというのは、アナキンの息子であるルークが通る道と同質です。ルークに関しては異論もあるでしょうけど、ジェダイの掟をことごとく破った末に、シスではなく父としての、アナキン=ダース・ベイダーの心を信じたという点において、ジェダイではなく自らの信念に基づいて行動したと言えると思います。
天晴達が「掟をことごとく破った」わけではありませんが、自分達で新しい概念を獲得していますから、強ち的外れではないと思います。
今回の白眉!
ラストニンジャ=伊賀崎好天と、遂に復活した宿敵・牙鬼幻月の対決です。
好天役の笹野さん、かなり激しいアクションがサマになっていて、実に素晴らしい。牙鬼幻月の重量級スーツをものともしない動きも見事で、両者の卓抜した力の激突が存分に表現されていました。それに加え、ど派手で絢爛豪華な合成を駆使した映像により、忍術と妖術の頂上決戦とも言うべきシーンを作り出していて、思わず唖然とするような迫力に満ちていました。これは本当に凄い。
これは「バトルフィーバー」の倉間鉄山将軍 VS ヘッダー指揮官という戦隊史上最も鮮烈な「武術頂上決戦」の、正に現代版と言える仕上がり。惜しむらくは、牙鬼幻月が素面役者ではなくスーツだという事くらいでしょう。しかしながら今回の場合、牙鬼幻月がスーツであろうとも問答無用の迫力を醸し出していた(麦人さんの声も抜群!)ので、単に私の趣味の問題に過ぎませんね(笑)。
好天の今回の戦い振りを見るに、やはり前回天晴と対峙した際は、確実に手を抜いていたものと分かります。勿論、天晴とて易々と後れを取る筈もありませんが、好天の本気が炸裂したら、ただでは済まなかっただろう事が容易に想像出来ます。手を抜いていたという事は、いち早くラストニンジャの忍タリティを譲りたかったという線が濃厚ではないかと思っているのですが...。最早それはどうでも良い事となりました。
新しい道を切り開く事にこそ覚悟が要る...これは納得出来る設定ですね。これはフィクションの中だけでなく、実社会においてもそのような場面に出くわす事が往々にしてあります。
天晴達が「外れた道を往く」事は、文字通り「外道」であるとも言えますが、そこは伊賀崎流を極め、伊賀崎流に新たな風を吹かせるという点で、「必要な破壊と創造」だと好天が認める事になりました。現状、伊賀崎唯一の究道者たるラストニンジャ=好天に認められれば、それは正道ですからね。
そして、いよいよ十六夜九衛門から忍タリティを取り戻したかつての天才忍者・旋風が復活。伊賀崎流の世界にとらわれていた十六夜九衛門を、伊賀崎流からのブレイクスルーを果たした天晴達が討ち果たし(まだ死んでませんが)、旋風に力が戻ってくるという爽快さ。しかもここでアカニンジャーに変身してしまうという怒濤の展開。いわば旋風は「好天の秘める冷酷さを否定した実子」ですから、彼の子供達の世代が旋風の導きを得て殻(因習と言い換えても良いでしょう)を打ち破ったという図式が鮮やかに示された事になります(そしてこれは、わざわざ「夢」に関する旋風の「格言」として回想の形で再提示されます)。
さらに、忍者一番刀も、忍シュリケンさえも必要とせずアカニンジャーに変身する好天を加え、三人の三世代アカニンジャーが並び立つ絵面の異様さは、他の面々を加えて総勢八人のニンニンジャーとして壮観なビジュアルを提供します。好天の「果てなき日輪」、旋風の「切り裂く旋風」という見栄も格好良すぎて目眩がしました。好天アカニンジャーの「爺」の文字にはちょっと笑ってしまいましたが...。
今回は八人のニンニンジャーが並び立った処でエンディングとなりましたので、好天や旋風のアカニンジャーの活躍はお預け。次回がすこぶる楽しみな幕引きでした。旋風がタヌキの置物から何を見付けたのか、その辺りも次回で明らかになるものと思われます。残すところ後二話!
]]>今の処、ブログも「動物戦隊」へ継続していく所存でございます。
さて、最終決戦開始という事で、いよいよクライマックス感も漂って来ました。最終決戦の醍醐味の一つとして、ボスが本格的に動き出す事により、幹部連中が次々と散っていくというパターンが挙げられますが、正にその王道を踏襲した一編となりました。ただし、構成的には色々とヒネリが効いていて興味深い展開を見せています。
]]> 牙鬼幻月ピカード艦長こと麦人さんの、素晴らしいCVが禍々しく素敵な牙鬼幻月。もしかすると「ギャバン THE MOVIE」のドンホラーのように、最後まで正式には復活しないのではないか...と私は思っていたのですが、見事に復活しましたね。
ボスらしい豪奢なデザインが存在感を高めていて、割と装飾が多めな幹部連中と並んでも、全く埋没しない辺りが見事ですね。いわゆる舞台装置系のボスではなく、スーツ系であるにも関わらず、です。スーツである事により、彼の出自が「戦国武将」であるという設定に説得力をもたらす一方、復活前に長く実体を持たないまま意志を示していた事で、その妖力の権化たる存在感との両立を成功させています。
また、復活後、直ちに最前線に赴いて強大な力を見せつけ、一気呵成に危機編へと突入という安直なパターンを採用せず、敢えて牙鬼久右衛門新月に指揮を任せた上、更には晦正影のみが第一陣として出張るという流れも上々。私はこういうややスタティックな導入が好きですね。パワーバランスが一瞬にして崩れ去るパターンにも醍醐味はありますが、今回のようにそれまで紡いできたものを否定しない語り口の方が断然好きです。
昨年末における衝撃の正体告白を得て、今回は正式に「本名」まで明かす事となりました。公式サイトによれば、彼を牙鬼幻月の息子とする予定はなかったとの事で、シリーズが「生き物」である事を感じさせるエピソードです。
ただ、伊賀崎の抜け忍という設定と、牙鬼幻月の息子という設定が重なる事により、それぞれの衝撃度が薄まってしまったような気はします。旋風の忍タリティを奪ったという過去には、骨肉の争いを生む凄味すら漂いますが、それが牙鬼幻月の息子であったが故の行動だとされると、動機付けとしては「利己」や「傲慢」よりも「血脈」が勝ってしまう。その結果、牙鬼久右衛門新月のポリシーが、伊賀崎のニンジャとしての成り立ちに隣接してしまうんですよね。今回提示された「ラストニンジャになる為の条件」を考え合わせると、それが余計にちらついてきます。
残り少ない話数で、彼がどのように二つの要素を昇華するのか、あるいは止揚するのか、楽しみではあります。私としては、牙鬼幻月を倒すという「親殺し」をして欲しい処ですね。天晴は「好天を殺さない」という回答を既に出しているので、善悪両者のポリシーの対比を見たい処です。
ところで、今回最も私の背筋を寒からしめたシーンがありました。それは、牙鬼幻月による「牙鬼久右衛門新月=牙鬼幻月の側室に生ませた子」という告白です。その告白を聞いた際の有明の方の狼狽振り。牙鬼萬月に対して無邪気な母性愛を振りまいてコミカルに立ち回っていた彼女の、恐ろしく暗い面を垣間見ました。側室の子という設定は私の予想通りだったわけですが、ここに戦国絵巻における「妻達」の暗部を持ち込むとは露程にも思っておりませんでしたから、結構な衝撃を受けてしまったわけです。何しろ、正室の子は捨て駒で、側室の子が予言された者(状況を見越し、わざわざ牙鬼幻月によって仕込まれた者)だったのですから、有明の方の立場は「敵を欺くには...云々」のレトリックも通用しない程に揺らいでいます。この辺はやはり空恐ろしいです。
天晴の「最終試験」も含め、全体的に暗いトーンに支配されている一編の中、この第一陣を引き受けた晦正影の周辺だけは、「ニンニンジャー」の作風に則したコミカルな味付けを徹底していました。
老獪な策士という雰囲気をずっと保ってきた晦正影。今回も「頼りにしている人に関する記憶」を改ざんして自分に従わせるという、実に手の込んだ巧妙な作戦を展開します。市井の人間に自分を守らせる事で手出し無用となるパターンは、古くから多用されてきた危機描写の定石ですが、見方を変えれば一般的な怪人の作戦に過ぎないとも言え、幹部の最後の作戦としては些かスケールの小さいものだったと言わざるを得ません。
ただ、幹部の最後の行動がこれだった事で、敵側のドラマに偏重していく事を阻止したようにも見えます。今回は天晴の試練と晦正影との戦いを並行して見せているので、それぞれがなるべくシンプルに展開しなければならないのは明白でした。そして、それをちゃんと成立させていましたね。
また、記憶の改ざん自体が重苦しい描写ではなく、晦正影が「偽の記憶をコミカルに演じている」事で笑いが入り込む隙間を作ったのは、賞賛に値するトピックです。中尾隆聖さんの芝居がこれまた見事にハマっていて本当に素晴らしい。しかも、風花と八雲の持つ天晴の記憶の多くに、ヘッポコなものがまじっているという「解決」が採用されるに至って更に笑いが増幅されるのですから、手腕の見事さに拍手ですね。
そして、ダメ押し的に晦正影の「正体」を開示する辺りもニクい。ミクロ化して人間大のカラクリを操っていたというビジュアルショックが楽しく、その恐ろしさよりもユーモアを強調してきた処が実に良いですね。なお、「ハリケンジャー」のサーガインがこのパターンの「先輩」に当たります。
正体を易々と見破り、反撃の隙すら与えないまま巨大戦まで一気に畳みかけていくニンニンジャーの成長振りが、今回のトピックの一つです。しかも、天晴を欠いた状態ですから、その成長振りを存分にアピール出来ていたと思います。
飄々とした好天の暗部が遂に語られました。ラストニンジャは先代から忍タリティを奪う事で継承されるものであり、かつて若き好天(笹野さんの実の息子さんである、ささの翔太さんの出演!!)は先代を斬ってラストニンジャを継承した...と回想されました。
つまり、ラストニンジャは本当に「現時点でラスト」なのであり、その命脈は「師殺し」でしか保てないという、およそ子供番組のヒーロー側に置くべき設定とは思えないものでした。好天は、天晴(あるいは八雲達)に殺される事でラストニンジャを継承しようとしていたわけで、親子三代で割とほのぼのニンジャをやってきた(ように描写された)伊賀崎一門には似つかわしくない。まあ次回予告を見る限り、恐らくはこの伝統を打ち破る事で何かが突破される事になるのでしょうけど...。
一方、「好天のタイムリミット」のような感覚は更に高まっており、もしかすると天晴の言う「調子の悪さ」は、ある程度手加減する事で、無理矢理天晴にラストニンジャを継承したかったという事なのかも知れませんね。それだと八雲達の立場がないものの、天晴のように悩みから無縁な人間こそが「師殺し」を達成出来ると踏んでいた可能性もあります。しかし、天晴はそれを固辞しました。ラストニンジャという肩書よりも祖父と孫の関係を選択したわけですね。繰り返し家族論を描いてきた「ニンニンジャー」ですから、ここがキーになると見て間違いなさそうです。好天が達成した「封印」を凌駕する結果を、天晴達のポリシーがもたらすことになるのか...楽しみですね。
「マジレンジャー」の家族戦隊を彷彿させる勢揃い変身が見られそうですね。ただし、今回はアカニンジャーが三人居るという、前代未聞のビジュアルになるようですが!
復活した蛾眉雷蔵も気になる処ですし、最終話までテンションを維持してくれそうで、実に楽しみです。
]]>ただし、年明けから開始される最終編への布石がしっかりと打たれていて、その段取りの良さには感心する処。総集編自体もだれる事なく、驚異のビジュアルも登場するなど、「総集編=予算削減」、「総集編=スケジュール調整」というイメージを払拭するに足る楽しい一編となりました。
勿論、驚きのゲスト登場も一大トピック。「彼」については生死不明という事になっているので、今回の登場は別の意味でも驚きとなりました。
]]> フダガエシオリジンの「札返し」は、お札を無効化するよう働きかける幽霊の一種ですが、その語感を拝借してカルタの札を返す...という妖怪に換骨奪胎。なんとスーツ造形物がないという、前代未聞の怪人となりました。
造形物がない事で、逆に器物妖怪としての印象が強くなり、「ニンニンジャー」における妖怪の、最もプリミティヴな部分に迫っていくものとなっています。
一つ気になる点は、このフダガエシの「表」にあった妖怪の存在。それは「輪入道」です。天晴の言にもありましたが、本編未登場の妖怪なのです。デザインは輪入道のトータルイメージに近い面構えで何とも格好良い。今回カルタの札になる為だけに造形物が用意され...とまあ冗談はこのくらいにして、ワニュウドウは来年公開の「ニンニンジャー VS トッキュウジャー」に登場する妖怪で、予告的なチラ見せだったわけですね。
ところで、このフダガエシとの決戦シーンは、ミクロ化して戦うという、最近の特撮ではあまり見られなくなったビジュアルで展開されました。このシーンの作り込み具合が物凄く、これだけでも劇場版規模。総集編で浮いたコストを全部つぎ込んだのではないかと思わせるくらいの素晴らしいシーンでした。とにかく、操演、合成、撮影のシンクロ具合が完璧で驚かされました。
「忍者の名誉を守る委員会」から、ニンニンジャーの冬期講習を担当する為に派遣されてきたという設定で登場したシュリケンジャー。言わずと知れた「ハリケンジャー」の謎めいた追加戦士です。
シュリケンジャーの特徴は、「千の顔を持つ」と呼ばれるだけあって、いわゆる「変身前」が複数存在するというもの。その「変身前」は主に90年代の歴代戦隊ヒーローがつとめ、その顔ぶれの豪華さが当時のファンを歓喜させました。最後に登場した「変身前」は大葉健二さんで、この出演が後の「ゲキレンジャー」への重要なゲスト出演や、近年のギャバン復活に繋がったのではないかと思う次第です。
さて、シュリケンジャーは「ハリケンジャー」本編ではほぼ死亡した事になっていましたが、後からその生存がほのめかされたり、別の人物が「襲名」していたりと、その実体は謎のままです。今回の登場に際しては、恐らく細かい設定については考慮されていません。そもそもサスケと鷹介が顔見知りだったり、山地闘破が戦隊の世界に違和感なく溶け込んでいるような雰囲気ですから、単に最強のレジェンド忍者の一人という捉え方だけしておけば良いでしょう。総集編を持ち込む為の「超越者」に相応しいキャラクターとして登場したと考えて、ほぼ差し支えないと思います。
それでも、ファイヤーモードへの変化、必殺技の千本ノックの披露など、シュリケンジャーならではの特徴を配したアクションシーンが登場し、往年のファンを満足させたのではないでしょうか。少なくとも私は満足しました。
欲を言えば、大葉健二さんに「烈堂」として出演して欲しかったですねー(笑)。
カルタを使ってこれまでの戦いを振り返るという趣向は、楽しいアイディアであり、しかも正しく総集編になっていましたが、ちゃんと各エピソードのメインとなったキャラクターに札を取らせ、フィーチュアしていたのは良かったですね。特に八雲やキンジは、黒歴史にしておきたい過去を蒸し返されたようなバツの悪さがインパクト大(笑)。
更には、ダメ押し的に復活怪人編まで兼ねてしまったのが新しい。巧くメインキャラクターを配して対戦させる構成の巧みさも光っていましたね。
ちなみに、戦隊で最初に総集編が登場したのは「バトルフィーバー」だと認識しています。「デンジマン」でも同趣向のエピソードがありながら、その後は長らく途絶えていますね。「ゴレンジャー」なんかは二年もやっているので総集編もありそうな感じですが、意外な事にありません。ただし、放映スケジュールに幾度かの再放送が含まれていました。
よく分かっていないので申し訳ないのですが、私が認識している特撮史上最古の総集編は「ウルトラマンタロウ」のタイラントの話。何と初代ウルトラマンからのシリーズ全てを俯瞰してしまう凄い回です。それでいて主人公と近所の少年の交流と、タロウの戦いが「試練」というテーマで繋がって描かれていく...。戦闘と日常描写が乖離しているという批判に長らく晒されてきた、典型エピソードとして語られる事も多い回ですが、私は正味20分強の尺の中にこれだけの物量をぶち込める手腕の高さに戦慄すら覚えますね。
話が逸れましたが、今回も物量という面では負けていませんよね。シュリケンジャー、総集編、再生怪人といった要素に加え、年明けからの展開に際しての重要な要素を紹介してしまうのですから、構成力の高さに唸らざるを得ません。
牙鬼萬月の死を十六夜九衛門から聞かされた有明の方が、空前の恐れを発し、遂に牙鬼幻月も復活する事に。十六夜九衛門の暗躍振りは素晴らしいのですが、如何せん有明の方が発したのが「恐れ」だったかどうかは正直疑問でした。子を失った母に去来するのは「哀しみ」ではないのかという疑問。そこが大きくてノれなかったんですよね。
三石さんのコミカルな演技とその後の絶叫が素晴らしいコントラストだったので、ここはやや不徹底だったのではないでしょうか。
二週分空いて、最終編に突入です。遂に次の戦隊の予告も公開され、いよいよ終幕が近付いてきた感がありますね。
というわけで、来年も何卒よろしくお願い申し上げます。皆様良いお年を。
]]>ネコマタの再登場という事で、ギャグ満載かと思いきや、意外にもちゃんとした危機からの逆転劇。きっちり決着まで付けてしまいました。
牙鬼萬月をここで退場させる事については賛否あるかと思いますが、年末までに一旦区切りを付けるという意味では良い選択だったと思います。
]]> メガネコマタやはり制作陣にとって、ネコマタは使いやすいらしい(笑)。
ただし今回のネコマタは、八雲の魔法で旋風が姿を変えたものでした。シュテンドウジを騙し、囚われたシュリケンジンに潜入し、取り戻すという作戦です。
何と言っても、矢柴さんのアテが巧い。スーツでも存分に表現されていた慌てっぷりも、矢柴さんの声が入る事で焦りが倍増していて、可笑しいシーンなのにハラハラさせられるという素晴らしい仕上がりになっていました。
その後、このテの話らしく順当にバレるのですが、バレた時の旋風の潔さが格好良かったですね。バッと早変わりするカットには、卓抜した天才忍者の片鱗が見えました。
今回は牙鬼萬月が主体なので、シュテンドウジは完全に脇役でした。前後編で登場を引っ張った割には強敵振りが完全にスポイルされていて、却ってコミカルさを煽っていたのは面白い処。秋元羊介さんの芸達者振りを堪能出来る振り幅だったと思います。
一方で、このシュテンドウジが等身大戦、巨大戦とアクションの要所をちゃんと押さえて流れを作っているのもミソで、牙鬼萬月が追い詰められていく様子をあくまで通常の流れで見せていくという手際の良さが光ります。
都合1ヶ月の出番となった牙鬼萬月。私はもう少し引っ張るものと思っていましたので、ここでの退場はかなり意外に映りました。
感心したのは、ありがちな弱体化が殆ど見られなかった事。最後の最後まで天晴達は追い詰められており、ニンニンジャー+獅子王+旋風+好天という布陣によって、やっと撃破出来たという流れが秀逸でした。天晴達がその布陣を「家族」と呼ぶ一方で、有明の方すら防御に利用する牙鬼萬月の利己主義が鮮烈なコントラストを生んでおり、あまり重くならない程度にテーマ性を盛り込んでいたのが良かったですね。
その最期は、巨大戦で敗れてなおも生きている処を、十六夜九衛門に嘲笑され朽ちていくというものでした。強者でありながら最終的には徹底して「クズ描写」に振った事により、その最期も似つかわしく映るという流れが巧く、十六夜九衛門が正体を明かす衝撃のシーンを存分に盛り上げていました。
十六夜九衛門の言う処には、彼の正体は牙鬼幻月の息子、つまり牙鬼萬月の兄。
ここまで詭弁を弄して生き残ってきた十六夜九衛門ですから、これ自体も詭弁なのかも知れませんが、死に瀕した牙鬼萬月にわざわざ開帳した言であり、しかもさすがに土壇場に近い時期になので、これが嘘だとは言えそうにありません。また、今回牙鬼萬月が敗れてしまいましたので、晦正影の言う「予言」を成就させる人物として、十六夜九衛門が適任である事は論を待たないでしょう。
しかし謎はまだまだあり、有明の方が実の母親なのか、別の正室や側室が存在するのか、妖怪に身をやつさなかった人間の母親が存在するというパターンで来るのか...と、こと出自に関しては想像の余地がかなり残されていると思います。
ところで、十六夜九衛門には旋風と一緒に修行していた「人間体」の回想シーンが存在するので、彼が牙鬼幻月の息子であるという「設定」がより衝撃を持って迫ってきますよね。この辺りの折り合いをどうやって付けてくるのか、個人的に物凄く楽しみになっています。
今回は、近年の例に漏れずアクションが最終編のようなノリで展開されます。
次々に変身が解けてしまう大ピンチのシーンは、「ニンニンジャー」ではあまり連発されていなかったが故にインパクト大。80年代~90年代の戦隊は頻繁に変身解除がありましたが、比較してみるといかに今回が明快なアクション活劇を目指していたかが分かりますよね。
旋風の潜入作戦をサポートする為に奮闘する天晴達の姿には、時間制限モノのスリルも感じられ、スピーディで目まぐるしくも危機感の高さまでちゃんと感じさせる素晴らしい構成に。基本的にずっと劣勢なのも最終編っぽい感じです。
ここで好天が動く事で大逆転開始。この一気呵成の逆転劇には大きなカタルシスがあります。前段に獅子王が好天へ皮肉めいた言を向ける、スタティックなシーンが挿入されているので、静から動へと移る様がよりそのインパクトを高めています。
好天の気が向いた時にしか出現しない「終わりの手裏剣」の威力は正に絶大ですが、好天自身が使うものではないという点は一貫していて、まだ一人前ではない天晴達が使わなければならないという事を考えると、好天ですら既に一人前ではない(斜陽である)という語り口が見えてきます。そこには「家族」の団結というテーマが巧く作用しているように思うわけです。十六夜九衛門にも父子の関係性を持ち込んできましたから、「ニンニンジャー」の根底に血脈の論がある事は間違いないでしょう。
なお、今回も素面名乗りに近いシーンが挿入されました。前々回よりも更に難度を増したポージングが決戦感覚を高めてくれます。
巨大戦では、やはりクリスマスを意識してか全ロボ登場という豪華な絵面に。オトモ忍総登場、ロボ同士のバトルと来て、今回は総登場。形態を変えつつ、ちゃんと全合体前の状態も「出演」させている処に気合いを感じました。
と書きつつ思ったのですが、「ニンニンジャー」の巨大ロボってどれも結構似た印象があって、区別が付きにくいですよね。良く言えば統一感があり、悪く言えば没個性という感じでしょうか。今回もどのロボがどう合体したのか、一瞬分からなかったり(笑)。年齢の所為か...。
今回で一旦区切りが付いたので、次回はお祭り編といった処でしょうか。ここに来てまさかのゲスト登場とあって、かなり驚きました。
]]>このパターンがあまりに連発されるので、新鮮味という点ではかなり薄いのですが、今回はそれよりも「まとめに入ってきた」という感が強く、そちらの方面で興味深いエピソードとなりました。
一方で「ニンニンジャー」では珍しく、圧倒的な危機のまま次回に引っ張るという結びがなかなかに衝撃的。年末までに一区切り付けるという構成は、近年の戦隊では定番ですね。
]]> 牙鬼萬月、当主継承御披露目式牙鬼萬月って物凄い強敵の筈なんですけど、今回に至っても何となく印象がイマイチなんですよね。
恐らくは、「ヒーロー側が頭脳と体力を駆使しても先手を取られる」というシチュエーションがなく、今回のように罠と知って飛び込んでも、全力で遊びに付き合っている画の方が印象に残るからでしょう。今回のロボ乗っ取りも、牙鬼萬月の狡猾な作戦が図に当たったという流れ自体は見事でしたが、どうも一怪人が乗っ取り作戦を展開して失敗するのとスケール感が変わらないんですよね。「デンジマン」のアラジンラーの話みたいな...。
ついでに言うと、矢文で御披露目式に招待する辺りなんかは、正に「デンジマン」の頃のノリですね。「仮面ライダー」では、よく立花藤兵衛の店に日本語手書きの脅迫状とかが届いていましたが、あの雰囲気です(笑)。現代に至っては、既に緊張感を壊すシチュエーションになってしまいました。ただし、私はこういうの大好きです。
今回は先に触れた通り、この御披露目式が既に罠だと分かっているのに加え、霞の何かに気付いているかのような意味深長な表情が見られたり、シュテンドウジの吐息攻撃をものともしない獅子王など、ニンニンジャー側が常に先手を取っているように思わせている点は良いですね。特に霞に怪しいと思わせておきながら、彼女にも見抜けない作戦を展開する辺りは、霞のキャラクター性を巧く利用した逆転劇の妙味を感じます。唐突なラスボス感満載の牙鬼萬月自体に魅力は乏しい(逆に有明の方の弾けっぷりの方が魅力的)ですが、筋運びの巧さは特筆モノでした。
超上級妖怪として登場したシュテンドウジ。勿論、酒呑童子がオリジナル。鬼の頭領という言い伝えが、超上級妖怪の肩書にピッタリです。
今回はその「酒好き」という性質がクローズアップされ、遊び好き、酒臭い、酔拳の使い手といった要素で魅せています。しかし、超上級妖怪にしてはやっぱり小物っぽくてイマイチ(笑)。勿論、自ら巨大化出来たり、牙鬼萬月の作戦を成功に導く等、それなりの強者としての描写はあるのですが、五番勝負では割と姑息な手段でしか点数を稼げなかったりしているので、小物感が滲み出てしまいました。勿論、相手を油断させる意図はあったかも知れませんが、綱引きや腕相撲では、割と本気で負けているようにしか見えませんでしたので。
それでも次回まで引っ張っているので、どう扱われるか楽しみではありますね。
ニンニンジャーとシュテンドウジが「余興」として繰り広げる五番勝負。ニンニンジャーのデータを分析した牙鬼萬月が、真の牙を剥く前に余裕を誇示すべく用意したもの...という事でしょうか。実際、最後の勝負である腕相撲以外は本当に余興でしたからね。
五番勝負の一番目は、けんか凧。八雲が挑み、魔法を使って(ある意味姑息ですが・笑)勝利。
二番目は流鏑馬。霞は弓矢の腕に自信があるようで、最後の的を敵に操作されなければ百発百中でしたが、シュテンドウジが反則勝ちに。
三番目はダンス対決。風花とキンジのキレッキレなダンスを堪能出来る、今回の注目シーンです。本来の白眉が霞んでしまうハイライトシーンになっていて、公式サイトによれば、お二人が振り付けにアレンジを加えたのだとか。ただし、牙鬼側にはアクロバティックなダンサーが居て、残念ながら風花とキンジは勝利ならず。
四番目は天晴とシュテンドウジの綱引き勝負。ここで超絶化を選ばずに勝利した天晴は、「一人前」という言葉をかなり意識している事を垣間見せます。
五番目は腕相撲。シュテンドウジの酒臭い吐息に耐えられない天晴達は、為す術無し。ここで獅子王が登場します。
やっぱりインパクトが違いますよね、獅子王。山形ユキオさんそのもので(笑)。
「一人前とは他人に傾聴出来る大人の事」だという獅子王の論には、これまたインパクトがありましたね。戦隊のような、パワーをビジュアル化して説得力を得るコンテンツで、このようなテーマを語らせるとは思いませんでした。事前に旋風により、一人前になる道程として「守破離」の概念が丁寧に示されていたので、二柱のテーマが重層的に立つ様には重厚感すら感じられました。
酒臭さなら負けないとばかりのビジュアル勝負! からの余裕の腕相撲で勝利。ダンスに続いて今回のハイライト第二弾でしたね。
この時、シュテンドウジの息吹を吸い込んでしまったが為に獅子王は意志喪失状態となってしまい、「ニンニンジャー」空前のロボ乗っ取りに繋がるのですから、単なる豪華ゲストに留まらせない仕掛けの巧さが光ります。
今回はロボ乗っ取りというシチュエーションを得て、より自然に各メカが登場出来ていました。冒頭にもライオンハオーの単独での活躍が置かれていたりと、余年のなさが凄い。
ロボ同士を戦わせるという派手な画作りを得て、いつも以上にアピール出来ていたように思います。
私は、シリーズ当初に「好天は故人と勘違いされていた」というのがずっと引っ掛かっていて、今回その答えに繋がるヒントが示されたのではないかと思います。好天自身が終わりの手裏剣なのではないかと予想をしているのですが、果たして...?
またまたネコマタ登場。よほど気に入られたのか、使いやすいのか(笑)。何となく今回の決着編になりそうなので、すっきりと年末を迎えたい処ですね。
]]>さて、クリスマス編、天晴の身体を張ったシーン、霞の珍発明。要素だけ並べると完全にギャグ編ですが、描かれるテーマは意外と真面目なもので、天晴の強さの源流にも触れるものでした。
もつれた糸が次々と解けていくようなテンポの良さは爽快で、霞の真の解決編のみならず、キンジについてもその苦悩の謎が解かれるとあって、年末に際しての団結編といった趣がありました。
]]> ビンボウガミ貧乏神は、福の神と対を為す存在で、居着いた家に貧しさをもたらす「神様」として有名です。
昔話で有名なのは、たとえ貧乏神といえども追い出すのではなく、もてなす心意気を以て接すれば、その家には幸せがやってくるというお話ですが、大抵モチーフに選択された時には、その「貧乏化」の特殊能力にスポットが当てられる事となります。無論今回も例外ではありません。
先達である「カクレンジャー」にも登場した貧乏神。その登場編は今回の描写とは一線を画す徹底的なギャグ回となり、変身後までみすぼらしくなるというビジュアルショックをもたらし、当時のファンの度肝を抜きました。
今回は完全なギャグ回ではないので、その能力の被害者は一般市民と素面の天晴のみ(戦闘では天晴の忍術が矮小化され、巨大戦ではオトモ忍が分離させられますが、見た目の変化はなし)となり、能力描写はそれほど徹底されていたわけではありません。ただ、この寒い時期に裸に近い状態で撮影している事を考えると、その過酷さこそが恐怖だったと言えそう(笑)。
ところで、ビンボウガミのモチーフはクリスマスグッズとなっており、いわば「幸せの伝道師」が「不幸の伝道師」と化す皮肉になっています。人をみすぼらしい格好に変える指輪を地道に配り、巧みな言葉で口止めするという作戦が、姿を見られることなくプレゼントを置いていくサンタクロースのイメージとは真逆の貧乏臭さで、思わず笑ってしまいます。
今回は、前回牙鬼萬月の作戦に騙された(=敗北した)事の悔しさを笑顔で隠し、発明に没頭する霞の姿が見られます。ただし、その空回りした様子は八雲達に気を遣わせる事となり、天晴にもバレバレ。嘘をつけない事が強調された天晴のみならず、実は霞も隠し事が出来ていない...という処に面白さがあります。霞は決してポーカーフェイスが得意なのではなく、常に先に自信があって冷静かつ余裕の表情を浮かべていたというわけですね。
分身してまで発明に没頭し、それぞれがあまり役に立たないというギャグは、ちょっと気の毒に映りましたが、そこがちゃんとドラマの仕掛けとして機能していたのは見事。特に「ウソ発見器」は今回の主役ガジェットで、八雲達が霞に気を遣っている事をビジュアルで示す役割を果たしたり、八雲の魔法を得てビンボウガミの被害者に真相を白状させたり、後に牙鬼萬月に奪われて十六夜九衛門の正体を白状させる一歩手前まで見せたりと、大活躍でした。
さて、霞のスランプは、正直者の天晴によって霞の感情が暴かれ、それによって霞の気持ちがスッキリした事で幾分解消される事になります。牙鬼萬月登場シーンではこれまでになく悔しさを爆発させていたり、エンディングにて晴れ晴れとした表情を見せたり、「天晴に負けない」とはっきり発言したりと、ここに来て霞に新しい魅力を付加する事になりました。恐らくは、また冷静で余裕綽々の霞に戻ると思いますが、時々弾ける機会が与えられたという点で、新しい魅力となるでしょう。残り話数も少ないので、是非そういった描写は増やしていただきたい処でございやしょう(笑)。
最近は個人編が続いてきたので、天晴の性質にフォーカスするシーン自体が少なかったのですが、今回は天晴が「ニンニンジャー」のアイコンたるを見せる重要な回になったのではないでしょうか。
「忍ぶどころか暴れるぜ」という口上を、スタンスで示したのが今回の天晴です。隠し事なんかしないで(出来ないので)進もうぜといった感覚が、行動の全てになっています。
結果的に、霞の感情の抑制と、それに対する各人の遠慮を解き放ち、それを見たキンジも自分の隠し事を吐露してしまう等、ニンニンジャー再団結に向けての段取りが一気に進んでいきます。このスピード感は凄いですし、悪く言えば節操がないです。「キンジの引っかかりをもう解決しちゃったよ」という驚きがありました。
そして、今回メンバー唯一貧乏神の被害者となった天晴...要するに西川さんは、寒空の元で上半身裸になり、それも数シーンに留まらず変身前まで継続するという根性を見せます。しかも変則名乗りまでやってしまうのですから、さぞ大変だったのではないかと察します。
天晴が霞に全く気を遣わない事に対し、かなり腹を立てている様子の風花。いきなりスケバン口調になる辺りが超絶に可笑しい。これまでも天晴の態度に強い口調で迫る事はありましたが、あくまで育ちの良い女の子の範疇を出ていなかったので、これには驚きました。まあ、ギャグのつもりだったのでしょうけど...。
近年の戦隊は、素面名乗りをあまり出し惜しみしなくなったようですね。
今回は素面で変身しながら名乗るという変則的なシーンで披露していましたが、これがキマリ具合も合成の巧さも最上級。こういった工夫があると、やはり嬉しくなってしまいますね。
キンジの曇った表情が、数回前の引っかかりになっており、まだ苦悩から解放されないのか...と若干可哀想になっていました。
今回で、実は十六夜九衛門と密かに通じていた事が後ろめたさとなり、天晴達に完全に心を開けない状態だった事が明らかになりました。そして、十六夜九衛門を単独で討ち、旋風の忍タリティを取り戻す事で、天晴達へのやや一方的な罪の意識を払拭出来ると考えていたようです。
ある意味自分勝手な行動だったわけですが、そこも含めて天晴達に許容される事により、やっと伊賀崎の一員になれるかも...という処まで来ました。
まだまだキンジに苦悩を持たせ、最終クールを盛り上げる為に利用するのかと思っていましたので、少々拍子抜けではありましたが、ネガティブなメンタル描写で盛り上げないのは「ニンニンジャー」としては正解なので、良かったと思います。
なお、十六夜九衛門に関しては、予想を超えた正体がありそうなので、楽しみですね。
今回は巨大戦でオトモ忍を沢山登場させ、豪華な画作りで盛り上げていました。最近出てきてなかったガジェットとかが大挙して出て来ると、ああ年末だなあ...と思ってしまいます(笑)。
予告では完全にギャグ編。ですが、ここ数話では見事にミスリードされてしまってますので、油断は出来ません。
]]>八雲と同様に、「成長途上」というよりは信念を持って常に突き進んできた感のある霞ですから、前回と似たような話の構造(前回は八雲のイメージを揺るがす来客の登場、今回は霞の自信を揺るがす敵の登場)になっていましたね。
ただ、牙鬼萬月はいわば「最後の幹部キャラクター」になると予想される大物ですから、その分、霞編の方が美味しいという事が言えるかと思います。
]]> 牙鬼萬月牙鬼萬月は、牙鬼幻月と有明の方の息子という、衝撃の設定で登場しました。敵側にして「出産」というフィジカルな能力の描写は、近年の特撮TVドラマではかなりのインパクトだと思います。この出産の為に若さを渇望していたという有明の方の言も、やはり相応のインパクトを持っていました。
今回は、この牙鬼萬月がニンニンジャーに恐れを味わわせるべく採った作戦が縦糸。狡猾で残忍な描写が奮っていて、置鮎龍太郎さんの声がそれをさらに増幅していました。
ところで、「ニンニンジャー」の特徴でもあるのですが、この牙鬼萬月の「変遷」が実に駆け足なのです。まずはバカ殿を装い、油断した処で真の実力を見せ、相手の思わぬ反撃で巨大戦に持ち込まれ、巨大戦では善戦するもとりあえず退散という流れですが、これを一話でやってしまったわけです。勿体ないと言えば勿体ないのですが、その実、霞の物語としては淀みがなく、霞側の描写がすべてだったとも言えるわけですね。
しかしながら、一話でこれだけの「顔」が見られるのは贅沢の極みであり、却って牙鬼萬月の恐ろしさが際立ったようにも思います。
ちなみに、「敵を欺くにはまず味方から」というパターンは、戦隊でもよく見られるものですが、殆どのパターンは主人公側に適用されるもので、敵側がこのパターンを用いるのは珍しいですね。今回は、バカ殿を演じていた際に、有明の方、晦正影の両者もその芝居に気付いていませんでした。「仮面ライダー」の地獄大使の最期、はたまた「ゴーグルファイブ」の劇場版のように、上から下まで総出で芝居を打っているパターンはよく見ますが、今回のように個人が完全に周囲を騙しているのは、やはりあまり見かけません。
今回の描写で面白いと感じた部分があります。それは、時間描写です。
前半では、霞の立てた作戦どおりに、途中まで事が進んでいく様子が描かれ、後半では、皆で知恵を出し合って立てた作戦を遂行していく様子が描かれます。その際、作戦会議と実際の行動が交互に目まぐるしく描かれていました。シーン毎にフィルタをかけて、それが作戦会議なのか今起こっている出来事なのかを分別し、きちんと時間の流れを区分していますが、やや分かり難い面もあったかと思います。私としては、作戦の説明と同時進行で展開されるシーンが、海外ドラマのようにスピーディな展開を思わせて格好良いと思いましたが、メインターゲットの幼児には少々難しかったのではないかと。
ただ、こういった描写は「色」として挑戦し続けて欲しいですね。「宇宙刑事」で小林義明監督が難解な画作りをして新鮮な衝撃を与え、それが結果的に長期に亘って支持される事になったのですから、期待したい処です。
完全無欠の才女として、当初から「最強の参謀」として君臨して来た霞。
最終クールに至るまで、全くと言って良い程「失敗」が描かれないキャラクターであり、それがちゃんと魅力として映ってきたという、奇跡のようなキャラクターですが、その「失敗のなさ」の着地点が今回一気に描かれる事になろうとは、誰が予想したでしょうか。
さて、牙鬼萬月のバカ殿芝居にまんまと騙されるというのが、今回の事件の発端になりますが、実は通常の霞であれば、この策を簡単に見破れたかも知れないと思わせる処が、まずは巧い処。牙鬼萬月が晦正影や有明の方までも騙しており、天晴の一太刀をまともに受けてみせる等その芝居の巧さがあったとしても、これまでの霞はやや強引なまでに「気付き」を発揮して、敵の作戦の先回りをして来ました。今回の場合ならば、例えば天晴の一太刀を受ける際に、斬られつつもちゃんとダメージを回避していた...とか、そういうエクスキューズですね。ところが、今回は好天に「まだ甘い」と言わしめる程の詰めの甘さを露呈していました。
これは即ち「油断」に他ならないわけです。忍者たる者、侮るべからずと戒められていますが、正にそれを描かん為のギミックこそが、今回の霞の油断でした。
こうした油断を描いて主人公の成長を促すストーリーは、もう定番中の定番であり、戦隊では「バトルフィーバー」で総集編を兼ねた話をやっていますし、前述の「宇宙刑事」でも「シャイダー」が同様の話を展開しています。ウルトラなんかは、これを序盤でやってしまう処に特徴ありですね。そして逆に、最近ではあまり見かけなくなったパターンのようにも思います。恐らくは、昔の方が明確な(悪く言えばステレオタイプな)ヒーローを描いていた事の証左ではないでしょうか。成長物語を描く為にギミック的な感覚で挿入される話という事でしょう。
つまり、霞がこのパターンを踏襲したという事自体、霞が完全無欠のヒーロー(敢えてヒロインという言葉は使いません)に近い存在だと宣言したようなものです。
故に、涙まで流して(美しい...)後悔する霞にググッと来てしまうわけです。
この霞の「落ちっぷり」が今回の白眉であり、弱気な霞の魅力が異様なまでに際立っています。いつも霞を恐れている(笑)凪から励まされるというシーンでは、その信頼関係の強さが伺えて、これまたグッと来ます。
また、この落ちっぷりが山谷さんの芝居の巧さも含めて物凄いので、後で逆転劇を演じる際の華麗な、物凄く頑張っている高難度アクションがこれまた際立つんですよね。これには鳥肌を禁じ得ませんでした。
結果的に、霞は「油断」を克服する事となり、それを受けて牙鬼萬月も一時的に敗退せざるを得なくなりました。ただ、自ら巨大化して善戦するというシチュエーションを利用してその強さを補完し、有明の方の言う事には反抗しつつもとりあえず聞くという、ある種の「くすぐったさ」を伴った退場によって、牙鬼萬月のキャラクター性をちゃんと保っていた処は巧いと思います。
そして、やはり頭脳が物を言う霞らしく、今回の件でスッキリ終わりとしていないエピローグ(霞の表情が素晴らしい)が用意されていて、ここまで来て次回に引っ張るのか! という驚きまで残すのですから、かなりキレのある話だったと思います。
クリスマス編のようですね。天晴の身体を張ったシーンにも注目(笑)。そして、霞の動向も気になりますね。
]]>ただし、八雲編の傾向は濃厚に踏襲された為、やはりギャグテイスト満載。今回はアオニンジャー超絶の初登場という重要回でもあったのですが、さすがは八雲編、超絶化はテーマ性よりもノリが重視されたものとなりました。
]]> エレナ今回の主役と言うべき重要ゲスト。ポジションとしては、天晴に対するキキョウと同じもの。ただし、キキョウは明確に天晴と同年代でカップルを形成しうる関係だったのに対し、今回のエレナは明確に子供なので、関係性はかなり異なります。
エレナは八雲が通っていた魔法学校校長の娘で、しかも八雲は彼女と親しいという設定からして、八雲が優秀な生徒であった事は疑いようもありません。それにしても、今回迎えに来たサプライズゲストの先生といい、このエレナといい、八雲も含めて妙に日本人(っぽい人)の多い魔法学校だことで...(笑)。
ところで、このエレナは典型的なコメディの体現者でした。いわゆる「結婚の約束」がそれで、ませた女の子に青年がタジタジになるというパターン(古くは「バトルフィーバー」にも見られ、その際のターゲットは「フランス紳士」)です。今回はそれを受け、「英国紳士として」自身のイメージを守る為に奮闘する八雲の姿に笑いを求めているわけですが、エピローグにダメ押しで「フラれる」というオチまで用意されていて、実に小気味良いギャグになっていました。
それでも、エレナに小悪魔的なものが垣間見られるかというとそうでもなく、極めて普通の感覚を有した子供っぽい女の子という印象でまとめられているのが良いですね。恐らくは、既に名声を手にしている小林星蘭さんの芝居力も大きく影響しているものと思われます。今回はレギュラー陣のベテラン俳優が旋風のみでしたから、その芝居力がさらに強調されていました。本当に感心します。この年代は子役当たり年といわんばかりに芸達者達が活躍してますよね。
今回の妖怪は「網切」をオリジンとするアミキリで、十徳ナイフがモチーフ。意外性よりも親和性を重んじたモチーフ選択が清々しく、何でも切断するという能力も実に分かり易いものとなっていました。
妖怪的な不気味さよりは、機能美を求めたデザインが秀逸で、何となく「仮面ライダースーパー1」のジンドグマ怪人に通ずる雰囲気。従って、今回のコミカルな本編の雰囲気にも合致しています。
恐れを集める事を第一優先とした為に、「大事な物を切断する」という生命に影響しない蛮行から始まりましたが、クライマックス前ではエレナを「八雲の大事な物」として切断しようとする等、急激にバイオレンス寄りへ。この時点で一気に悪役度を増す辺り、なかなかの凄味を感じさせました。ここで晦正影も含めた卑怯者としての地位が確立した事で、八雲が放った偽装作戦もある意味正当化される事となり、一気呵成に決着へと突き進む爽快感が約束されます。
これまた常套句。遠方の知己との手紙のやり取りで、相手を喜ばせる為につい嘘を書いてしまうという、お約束のパターンです。
私がこのパターンで最も記憶に残っているのは、「ドラえもん」でのスネ夫の弟・スネツグの話です。ニューヨークの叔父に養子に出されているスネツグは、スネ夫と定期的に手紙のやり取りをしていて、スネツグの抱く「素晴らしい兄」のイメージを裏切りたくないスネ夫が、嘘を並べ立てているというストーリー。スネ夫の生来の見栄っ張りな性格と相俟って魅力に溢れ、ちょっとホロリとさせる傑作です。
八雲は見栄っ張りではありませんが、英国紳士を気取っているという点で気障なのは周知の通り。厳密にはエレナに対する見栄ではなく、エレナの期待する魔法使いであろうとする優しさから、「日本で魔法戦隊のリーダーをやっている」という嘘をついているわけですが、「魔法戦隊のリーダー」という時点でかなりの見栄が入っているような気がしますね。
エレナ突如の来日に焦る八雲が、苦し紛れに天晴達を巻き込んで「偽装」する様子は、終始ドタバタ劇の様相を呈していて可笑しい限り。その最たるものが、この「マジマジジャー」でした。黒いマントを羽織っただけですが、雰囲気は一気に魔法戦隊化。やはりマントは偉大です。
これを含めた数々の偽装の間、霞が意外とピリピリしていて可笑しさを誘います。逆に風花は同情的。二人の態度の対比が出て来るシーンは珍しいので新鮮味がありました。
こう書くと凄い事のように思えますが、ダブルの内の片方は完全にギャグ...。
まず、エレナを人質に忍シュリケンを要求する晦正影に、それが罠であると確信していた八雲が、「一人で赴く」振りをして各人の変化したアイテムを纏って現れる奇策で対抗。エレナを危険に陥れる晦正影に対する怒りで突進する八雲の熱さに、獅子王が応えるという形でアオニンジャー超絶が誕生します。こちらは単純に格好良いシチュエーションで展開され、普段はクールに振る舞う八雲が熱くテンションを上げていく様子は、かなりの盛り上がりを見せます。
巨大戦でも八雲のテンションは上がる一方。違和感を覚えるくらいのテンションでワクワク(一方でハラハラ)してしまいました。
エピローグでは、「忍者成人式」の衣装をどうするか...という話で盛り上がったところで、まさかの八雲生身超絶。風花に続いて二人目の快挙で、変身前後で超絶化したのは初となりました。いやはや、何が起こるか分かりませんねぇ。
忍者系の先輩ゲストはストーリーにガッツリと関わってきましたが、今回は魔法系だった為か、本当にサービスといった感じの登場でした。
マジイエロー=小津翼はマジレンジャー兄妹の中では二番目に若く、ちょっと不良っぽい雰囲気が特異なキャラクターでした。演者の松本寛也さんは、後に「ゴーバスターズ」で物語の重要な鍵を握る追加戦士・ビートバスター=陣マサトとしても出演。ちょっと風変わりながらもすっかり大人になった雰囲気でストーリーを盛り上げました。
翼はエレナを迎えに来ただけですから、八雲に魔法の手ほどきをしたりといったシーンは、残念ながらありませんでした。しかし、今シーズンはやはり忍者のお話なので、これで良かったのだと思います。「魔法」というキーワードに反応して、出てくれたら面白いなぁ...と漠然とした思いを持っていたので、むしろ、よくぞ実現してくれたと言いたい処です。
次回はまさかの牙鬼幻月の息子登場。「最強の敵」という雰囲気ではなさそうですが...戦隊にはこういう第一印象を裏切る例が散見されますからねぇ。油断は出来ません。
]]>メインを張る凪は、常に他の面々にリードされる展開の中にあって、思慮を巡らせる暇を与えられたわけですが、それだけに彼らしくちゃんと答えを見付けていく流れが自然でしたね。割と好き勝手にキャラクターが動き回る中、一人でテーマを追い続ける凪の姿に「ニンニンジャー」の良心を感じ取る事が出来ます。
]]> モクモクレン目目連をオリジナルとする妖怪。格子状の物体に無数の目が浮かび上がるという、人の恐怖心の権化のような妖怪ですが、今回はPCのキーボードでそれを再現している辺り、センスが抜群です。また、キーボードがモチーフとなっている事で、ゲームを主たる舞台としたストーリーとの親和性も高く、巧いキャラクター配置にもなっていると思います。
ゲーム空間(?)の中であらゆる事象を操る事が出来るという能力を最大の特徴とします。また、ゲームに熱中する子供達をゲーム内に閉じ込めてしまうという能力もあり、こちらは順当な誘拐モノを再現しています。この誘拐モノとしての側面がある事で、今回が単なるナンセンスギャグにならない、地に足の着いた展開になっていると思う次第。「終わりの手裏剣」が目的ではなく、子供達を救うという大義が提示される事で、ニンニンジャーがヒーローの立場たるを確保しているからです。
ちなみにこのモクモクレン、ゲーム外でも意外と強く、巨大戦ではSPACEキーの押下によって瞬間移動するという、結構な技能を発揮します。ただし、SPACEつながりでUFOマルを呼び出すという凪の機転により、瞬殺されてしまいましたが...。
今回のメインビジュアルは、勿論「ラストニンジャへの道」と題されたゲーム。好天が作ったと思しきRPGスタイルのゲームですが、PCで動いていて、しかも一昔前のドット絵で構成されているという事は、「一昔前のツクール系」の可能性も(笑)。ただし、好天製だけに忍術が前面的に採用されていて、モクモクレンの能力に等しい動作(即ち、凪達がゲーム内に取り込まれる)をし、実際に「体験」出来るという凄いものです。何でもありですな...。
バトルに参加出来るのは4人までという縛り、3つの鍵を集めて終わりの手裏剣を入手するというストーリーは、初期ドラクエ(特に1~4)のエッセンスを選択したもの。RPGの定番を踏襲した、勇者タカハル、魔法使いヤクモ、妖精フウカ、僧侶カスミ、戦士キンジという「職業」は各々のキャラクター性をよく捉えたチョイスになっています。凪だけは忍者なので扮装が変わらないというのも可笑しい処。
戦闘は粗いドットのテロップが流れるという、こちらもドラクエを彷彿させるビジュアル。この辺りの「再現性」はなかなか高く、見ていて楽しい気分になりますし、笑い処だとはっきり分かります。
しかし、このビジュアルを見ると、「ニンニンジャー」のパロディが届くターゲットってどの辺りなんだろうか...という疑問が。多分「ケロロ」とか「銀魂」といったコンテンツが向いている層なんでしょうね。大きなお友達はそのまま楽しめますし、子供達は親が笑っている処を見て疑問を持つという流れですかね(笑)。
ところで、巧いなと感心したのは、3つの鍵が揃わないうちに終わりの手裏剣が現れるというくだりです。ゲーム内では「リセット」の役割を果たすアイテム(現実世界でも同様の能力を持つとの言及)となっていて、凪はそれを使うか否かを「試される」という、一種の試練として扱われます。普通ならば、かなりの危難を経て3つの鍵が揃うという筋で順当である処に、しっかりと好天の主張を盛り込んでくる巧さ。そして実は日頃から一番ラストニンジャについて悩んでいる凪が、その試練にちゃんと応えるという流れも爽快です。
終わりの手裏剣を使うか否か逡巡するも、リセットによって子供達を救えなくなる事を由としない凪は、終わりの手裏剣を使う事なく、一人でモクモクレンに立ち向かう事を選択します。
基本的に、「一人だけ動ける人物が仲間を救う」という定番の展開を踏襲しているわけですが、今回は救う対象が仲間ではなく子供達であり、しかも終わりの手裏剣というチートアイテムの誘惑も存在するとあって、その切迫感たるや定番の比ではないわけです。
この、結構な切迫状況において、一人で何とかする事を選択する凪の強さは、前回のキンジの行動(一人で抱え込む)とは対極にあって実に興味深い処。終わりの手裏剣を好天に一時的に「託された」としても何の違和感もなく、むしろ好天が、最年少の凪を最も伸びしろのある候補者と見做している可能性すら垣間見えてきます。
この流れを見ると、視聴者に「ラストニンジャレース」を最も実感させるキャラクターこそが凪であり、彼が感情移入を担っている事が分かります。シリーズ当初はポジションが曖昧で、自ら空気キャラと自虐するような回まで用意されていたのに、ここまで重要なキャラクターになるとは。なかなか感慨深いものがありますね。
終わりの手裏剣は、ちょっと派手な忍シュリケンに変化し、一時的とは言え凪に凄まじい戦力をもたらす事になりましたが、やはり本来の能力が何なのかはまだ謎のままとされました。最終クールに至って謎を徐々に解き明かす段取りになっているものと思われます。
一応、今回は、終わりの手裏剣を手に取る資格として、強さ、優しさ、そして覚悟が必要と説かれましたが、最後の「覚悟」こそが最大の鍵ではないかと思います。何だか悲壮な物語の予感がして来ますが、「ニンニンジャー」の揺るがし難い雰囲気とどう折り合いを付けていくのか気になりますね。
前回の一件で色々な壁を乗り越えた筈のキンジが、また怪しい行動をとっています。何となく思い詰めたような表情をし、天晴達の輪に入れない様子が描かれました。
もしかすると、前述の「折り合い」をキンジが担う事になるのかも知れませんが、正直な処、「またか」と思ったのも事実。もうキンジを解放してやって欲しいと思うのが半分、キンジ以外に悩みそうなキャラがいない(凪も今回でほぼ決着した)から仕方ないと思うのが半分です。
「追加戦士の美味しさ」を追求している面も否定出来ませんが、不遇振りを見る限り、あんまり美味しくないよね...と思ってしまうのです。
最終クールという事で各人の主役回が回っています。次回は八雲。敢えて驚愕のゲストには触れません!
]]>浦鮫がどうなるかと思いきや、何とスターニンジャーの新たな武器になるという爽快感溢れる展開を見せます。更にはそれに伴い、スターニンジャーのみのパワーアップ形態が登場するというサービス振り。ゲキアツダイオーの登場時点で、ガジェットとしては出尽くしたと思っていましたので、これは意外でした。
]]> 未だ弱さを抱えていたキンジキンジが悩みや恐れを克服する話は、一連の流れに句読点を打つが如く折に触れて描かれて来ましたが、それぞれでキンジは一旦そういった弱い心を克服して成長を見せるものの、次の段では未だ克服途上にあるといった描写が繰り返されました。
前話を含めた今回でも、またそれは繰り返されたわけですが、どちらかと言えば、これまでよりもキンジの内面に深く踏み込んだ描写になっていると思います。それは、病的なまでに徹底された自問自答のイメージシーンにも現れています。
そのイメージシーン、十六夜九衛門を想起させるメイクを施した多和田さん自身が、これまでの妖怪のスーツに合成される悪夢のような絵面が続くという、なかなか凝った、しかも悪趣味なもので、特にキンジの「恐れ」を強調するのに存分な効果を発揮していました。こういったシーンは割と想定から外れてコミカルに映ってしまうきらいがありますけど、今回はその皮膚感の悪さが奏功し、端的にキンジの闇を映し出していて笑う暇も与えられませんでしたね。感心しました。
浦鮫はやはり十六夜九衛門の罠であり、妖力を吸いこそすれ、持つ者を自我のない修羅に変えてしまうという恐ろしいものでした。そんなものが、どこかのオフィスビルにゴルフクラブと一緒に無造作に置いてあるもんですかね(笑)。
まあそれは良いとして、持つ者を修羅に変える刀という設定は、オカルティックな時代劇で散見されるもの。大抵は最初に斬られた者の怨念が憑いているとか、そういった出自が多いと思います。この浦鮫に関しては、単に伊賀崎の文書に伝わっていたというだけで、その成り立ちがどうだったかという面は一切描かれず、またすぐに忍者激熱刀に変わってしまった為、益々正体不明になってしまいました。特性は存分に描かれていましたし、殆ど本筋には関係ない部分ではあるのですが、結局正体不明のままなのはちょっと不満でしたね。
彼がキンジに執着していたのは、キンジが孤独を経験しているから...と言う事でした。それはつまり、十六夜九衛門自身も孤独であるとの告白に他ならないと思います。ラストニンジャには見限られ、牙鬼軍団の中では野心ある新参者として疎まれているわけですから。それらは彼自身に原因のあるものですが、その辺りを棚上げして他者に執着してしまっている処に、彼の「性根の悪さ」のようなものが感じられると思います。
面白いのは、オオカミオトコがキンジに傷を負わせた事と、十六夜九衛門がキンジに妖力を注いだ事が発端となって、キンジの身に異変が生じるという仕掛けによって、今回の話が成り立っている事でしょう。つまり、この件がなければキンジは自分の弱い部分を克服しきったと勘違いしていたかも知れず、ある意味、十六夜九衛門によってキンジの深層に残っていた弱さが炙り出されたと言って良いと思います。自らスーパースターニンジャーを誕生させるきっかけを作ってしまったわけですな...。さらには、好天にキンジと「終わりの手裏剣」の取引を持ちかけるという失態を犯し、好天にキンジを救わせるという流れを作ってしまいました。
今回ラスト、普段はクールな十六夜九衛門が、激昂して地団駄を踏む(スーツ、声共に演技が可愛らしい)シーンがありましたが、やはり自分の狙いが裏目に出過ぎてどうにもならなかったのでしょう。彼の人間的な一面が見られて興味深いシーンとなりました。
十六夜九衛門との直接対決で謎の能力を披露してから、好天のキャラクター性は少し変わったように思います。ファンキー爺さんはすっかりなりを潜め、随所で超越者に近い立ち振る舞いを見せています。
今回は、キンジが弱さを克服しようと葛藤を続ける中、その心中に激励の声を響かせるという、神秘的な描写が登場。後からキンジにその行為について問いかけを受けるも、とぼけて見せる処は好天らしいと言えるでしょうが、人智を超えた能力であるが故に、そんなとぼけた様子を見せた...とも取れるシーンになっていて、益々謎が深まります。
キンジは妖力を得た事で、自分に残っていた弱さを自覚する事になりました。そして、それまではひた隠しにして来た、あるいは自ら否定して逃げてきたその弱さを受け入れる事で、キンジは弱さに付け込もうとする妖力すら、自らの力とし得ました。そこでは、常に支えてくれる天晴達の姿と、前述の好天の激励が大きく作用したというのも重要なポイントとなります。
「仲間との絆が力を生む」という展開は、近年急激に陳腐化してしまったように思われますが、今回のように理屈と説得力のある映像を丁寧に積み重ねて表現されると、ちゃんと感動を生むのですから、このテーマってやはり「取り扱い注意」なんでしょうね。
スーパースターニンジャーは、スターニンジャーをより西部劇風の出で立ちにしたデザイン。スターニンジャーは超絶フォームも一度披露していますから、単独パワーアップは意外でしたね。より西部劇風の姿にパワーアップしながらも、刀を振るいまくるという不条理感は、和洋折衷の次なるものを標榜しているのかも知れません。ここでのパワーアップアクションは、スターニンジャーが押しまくる爽快感を重視しつつ、そのパワーアップを後押しした他のメンバーとのコンビネーションがちゃんと描かれていて見事だったと思います。
最後に、今回の上級妖怪について。矢尾一樹さんの声を得て超重量級でありながら何となく間抜けな味を出していた、ローラーがモチーフの妖怪です。オリジナルの朧車は、牛車に巨大な顔が現れるという、絶対に出会いたくない妖怪ですが、その不気味な恐ろしさはちゃんとデザインに取り入れられていました。いきなり巨大戦で登場した為、巨大戦に特化しているのかと思いきや、等身大戦で天晴達を苦しめまくるという、意外な活躍振りを見せてくれました。その強敵振りによって、スーパースターニンジャーの初陣が輝いて見えたわけですね。
クライマックスの巨大戦では、晦正影が内部に搭乗するという、これまた意外な展開を見せました。何となく、晦正影が危うい雰囲気になっていたので、ここで退場か!? と思わせておいて、やっぱりまんまと脱出する辺りが、また憎らしい処。
パワーアップに関わるシリアス編の後は、順当にコメディあるいはパロディ色の強いエピソードになるということで。
各人の扮装が非常に目立っていて気になる処ですね。
]]>十六夜九衛門に注入されかけた妖力と、オオカミオトコに負わされた傷。それらが忘れられた頃にキンジに影響を及ぼすという展開。加えてオオカミオトコ撃破の理由までも語られるロジカルな部分が、最近の挿話群の中では異彩を放っていました。
そして、キンジの危機を縦糸としつつも、メインアクターは凪。ここぞという時に格好良く成長振りをアピールする凪は、やはり良いですね。
]]> オオムカデ電源タップがモチーフの上級妖怪。電撃攻撃は電源タップというモチーフ由来で分かり易く、見た目の恐ろしさも手伝って、上級妖怪としての地位が納得出来るキャラクターでした。
オリジンたる大百足自体は、とにかく巨大なムカデという以外はさしたる特徴が聞こえてこない妖怪なので、今回は電源タップに関する能力描写に終始していたようです。前述の電撃とは別に、今回のテーマへ誘導する為の能力として「コンセントを利用して迷路を支配する」という設定がありましたが、この辺り劇中からはやや分かり難い設定でした。単に迷路を作り出すという能力がクローズアップされたので、電源タップ含めてコード類はよくもつれるという解釈の方がしっくり来てしまうのではないかと思います(笑)。
この迷路、心に迷いがあると分岐が増えるという特徴があり、キャラクターの心の迷いを端的に示す描写としては「発明」レベルの分かり易さだったと思います。わざわざモノローグで語らせたりする必要もなく、迷いが吹っ切れた際のカタルシスがよりダイレクトに見られる見事な仕掛けでした。
ちなみに、ムカデの怪人といえば個人的に「仮面ライダーX」のムカデヨウキヒを推したいですね(笑)。ギャグと紙一重(失礼!)のGOD悪人軍団の中にあって、このムカデヨウキヒはタイガーネロと並ぶ、ビジュアルの格好良さと恐ろしさを兼ね備えた怪人だと思います。話もスパイものでスリリングでしたしね。
やはり、と言うか当然の如く十六夜九衛門は生きていました。しかし、意外にも面に傷を負い、その回復も万全ではない様子での登場。自身の死を偽装して暗躍する程のタフネスを有している印象すらあったのですが、そうではなかった事で予想を良い意味で裏切られました。
牙鬼のお庭番だった忍者団を勝手に使役し、無断でカラクリを製作したわけですから、牙鬼軍団の中での立場もすっかり危うくなり、彼自身はクールを装いつつも内心焦っている様がさり気なく出ていました。キンジを利用して危うい立場からの逆転を狙おうとする彼の行動は、ごく自然な流れの中にあると言えるでしょう。
そんな十六夜九衛門がご執心のキンジは、「迷い」という面では既に克服していると考えて良いでしょう。しかしながら今回、「妖怪に変わってしまうかも知れない」という「恐れ」が生じた事により、一気に忍者から遠ざかってしまうわけです。十六夜九衛門がご執心なのは、やはりキンジが伊賀崎の血縁ではない「よそ者」だからでしょう。キンジ自身が「よそ者が弟子にしてもらっている」という意識を持っているかどうかで言えば、それは否でしょうが、今回のように誰にも相談できないという立場に簡単に追い込まれてしまう辺り、彼がまだ伊賀崎の一員に成り切れていない事が分かるというものです。
十六夜九衛門にとって、そんなキンジは揺さぶり甲斐のある人物。結果的にはその目論見が図に当たり、今回ラストにおいてキンジはオオカミオトコになってしまいました。
妖刀と呼ばれる刀はいくつか伝承があり、この浦鮫の元になったのは恐らく「村正」でしょうね。ただ、「南総里見八犬伝」には「村雨」なる刀が登場し、こちらも有名なので、語感からするとこちらがモチーフなのかも知れません。
この浦鮫、妖力を食って切れ味に変換する「機能」があり、妖力を吸わせればキンジの妖怪化を食い止められるとする十六夜九衛門の教唆に、まんまと乗せられるキンジの姿が描かれるわけです。それにしても、オフィスビルの一室にゴルフクラブと一緒に無造作に置いてあるというのはいかがなものかと...(笑)。完全に錆び付いていたのでゴミ扱いだったのかも知れませんが、それでも銃刀法ではマズいような...(切れない事が分かれば登録不要でしたっけ?)。
ちなみに浦鮫自体の造形物は、特に派手な装飾でアピールする事もなく、普通の日本刀っぽくて好感触でした。こういった面でのリアリティが担保されていると、「伝説」の説得力が増しますね。
凪の「周囲に気配り出来る性格」は、シリーズ後半を迎えて益々クローズアップの機会が増えており、今回はとうとう超絶への道を拓く事につながりました。キンジの異変に気付きつつ、それでもキンジの内面をよく承知している凪は、キンジの妙な行動に先にあるもの自体が予想出来なくとも、彼を信じるに値すると判断しており、凪の人間観察力と、自身のそれに信念を持っている事が明確に示された事になります。勿論、天晴も凪の長所を良く分かっており、凪を手放しで信頼する等爽快な筋運びを見せてくれます。
一方で、好奇心やマニュアル好きの面もちゃんと忘れられる事なく描写されており、変化球的な技の開発にも余念が無かったり、忍術書を読んで勉強したりといった描写がちゃんと盛り込まれていて満足度を上げていました。キンジの指摘として、「変化球より直球の方が良いのでは」という言がありましたが、結局は変化球から生まれた技によってオオムカデを撃破しているので、凪の勉強好きな体質が生きたものと見なせるでしょう。ここでの「直球」は、やはり迷路を打ち破る信念の強さの方にスポットを当てたものであり、戦力に関するものではない、という印象ですね。
超絶に関しては、例外的な風花超絶を除けば三人目の栄誉。凪の持ち味として紹介されている素早さが存分にアピールされ、アカニンジャー超絶とは異なる超絶アクションを見せてくれました。高速バトルは画面の派手さとうるささが紙一重となりますが、今回は実に巧くまとまっていたと思います。素直に格好良いです。
私としては、キャラクターの問題を一話で片付けてしまうスピード感と軽快さが、善し悪しは別として「ニンニンジャー」の特徴だと思っていましたので、今回のようにキンジの問題を引っ張るとは思っていませんでした。しかしながら、次回でほぼ解決してしまいそうなので、やはり苦悩といった語句とはおよそ無縁なのかも知れません。
一週休止を挟むので、引きとしては余計に強くなっている辺り、シリーズ構成の巧さを感じる処でもあります。なかなかあざといです(笑)。勿論、楽しみですけどね!
]]>というだけで興奮必至...なのですが、最初にお断りしなければなりません。
実は、私「世界忍者戦ジライヤ」を殆ど観た事がありません!
従いまして、映像にて表現されたオリジナルへのオマージュが、殆ど分からないという、ファンとしては情けない状態で視聴致しました。今回は「ジライヤ」を知らなくても、充分面白い筋運びだったので問題はないのですが、凄~く損した気分になりましたよ(笑)。
]]> 世界忍者戦ジライヤメタルヒーローシリーズとしては、「スピルバン」までの宇宙刑事路線からガラリと趣を変えた「メタルダー」の、後番組という位置づけ。
私はその時期、丁度特撮を離れていて、ちゃんと観ていたのは「仮面ライダーBLACK」だけでしたから (厳密には「特撮から離れていない」笑)、残念ながら「ジライヤ」に関しては殆ど観ていません。ただ、新番組への興味で1話辺りは観たような記憶があり、後年、YouTubeだったかGyaoだったか忘れましたが、クモ御前が出てくる話だけを重点的に観たような気がします(笑)。
というわけで、「ジライヤ」に関しては知識不足も甚だしい。どうかご容赦の程を...。
ただ、今観ると物凄く面白そうなんですよね。今となっては「仮面ライダー」だとか「戦隊」だとか、果ては「ガンダム」でさえも、枠組みを容易に打ち破るコンテンツが登場して当たり前になっているので、いわば「違和感に対する敷居が下がった」状態に我々は置かれています。その意味で、メタルヒーローシリーズの枠から大きく逸脱した感(デザインとか、市井密着型の設定とかの面で)のある「ジライヤ」に関しても、当時の若いくせにガチガチな頭で観るより、今観た方が遙かに面白いんだろうな...と思うわけです。とにかく観たい! 「ニンニンジャー」繋がりを言い訳にしたとしても、本当に観たいです。
色々な書籍やWeb上に散らばる情報を見聞きしても、戸隠流宗家の初見良昭氏(いわゆる「本物の忍者」)をアドバイザー(そして主人公の養父役としてレギュラー出演)に招いての本格アクションは贅沢の極みですし、当時はメタルヒーローの範疇を逸脱して違和感を感じていたジライヤスーツにしても、今ならば忍者ヒーローの頂点を示す格好良さが分かります。面から演者の目が覗き(第一形態)、指が露出しているというデザインも今だからこそ痺れるものだと思います。後年、「ブルースワット」でも「衣服」に近いスーツが登場し、その挑戦的な意匠が話題になった記憶がありますが、「ジライヤ」がその嚆矢ですよね。今回も再現されていましたが、自らジライヤスーツを「着る」シーンなんか、もう格好良過ぎます。
それから、今回「ジライヤ」のBGMが多数採用されていましたが、若草恵先生の手による音楽の素晴らしさよ! そんなわけでサントラも欲しくなる始末でして...(笑)。
説明不要ですが、磁雷矢こと山地闘破が、今回のレジェンド忍者。闘破役・筒井巧さんご本人の出演とあって、お祭り感も半端ではありません。戦隊に「特撮の先輩」的なキャストが出演して盛り上がる事は多々ありますが、やはり「当時の役そのまま」として登場する際の盛り上がりは異様です。そして容姿も当時のままスリムで格好良いという。文句なしのゲスト出演ですよ。しかも、戦隊ではなくメタルヒーロー枠からの客演なので、「ニンニンジャー」の何でもありな感覚を体現する存在としても、その出演の意義は大きい。
昭和末期のヒーローという事もあって、既に闘破は壮年となっていますが、未だに「世界忍者」の代表的な存在として世界を駆け回り、現場で忍者として働くのを無上の喜びとしているという、近年のギャバン=一条寺烈を思わせる設定が嬉しい処。烈はその後の扱いがぞんざいになってしまい、残念ながら溜飲を下げる活躍が未だ観られませんが、今回の闘破の「その後」は非常に自然かつ見事に描かれたと言っても過言ではないでしょう。
今回、磁雷矢は登場するなり、天晴達を十六夜流忍者と勘違いする失態を披露。「ジライヤ」当時の闘破がイケイケドンドンだったかどうか、私には分かりかねて申し訳ない処なのですが、大先輩にして早とちりをしてしまうシーンには好感が持て、先輩ゲストモノによくある「イタい説教臭さ」が皆無でした。勿論、当時と変わらない筒井さんの爽やかな魅力がそれを後押ししているのは間違いありません。
中盤では、天晴と共に敵の術中にはまる事で事件の中心に置かれます。先輩風を吹かすような状況ではなく、とにかく似た者同士の天晴と文字通り一体となって事態を打開していく様子は、正に先輩ゲストのお手本! ライダーでのV3=風見志郎が、説教を伴わないけどやけに威張っている体育会系先輩像を構築したが如く、今回の闘破は「気持ちは10代のオッサン」という新しい先輩像を構築したわけです。いや、表現に問題がありましたね(笑)。「若者目線のベテラン」と言った方が良いですね。とにかく、気持ちが良い事この上ない男として描写されていました。
ストーリーの縦糸として、闘破が「忍者の名誉を守る委員会」の会長をやりたがらないでいるという設定が動いており、これが実にさり気ないスパイスになっています。天晴におぶさったまま、自由に動けない闘破が、自分の感覚を駆使して天晴に指示を出すという行動を経て、天晴に「人の上から指示するのが巧い」と言われて会長になる決意をするという、ギャグを織り交ぜた爽やかな語り口が非常に素晴らしい。
エピローグでは、若い忍者に現場を任せるといった結びが描かれますが、多分、闘破はこれからもこっそり会長室を抜け出しては、現場であれこれ世話を焼き続けるんじゃないかと思います。
なお、クライマックスでのアクションは、磁雷矢をリスペクトした仕様で組み立てられており、筒井さん自らスーツを装着するカットが挿入され、磁光真空剣(これが日本刀そのもので格好良すぎるんですよね)もちゃんと登場。主題歌もかかるなど抜け目は全くなしで、ジライヤファンには堪らないものだったのではないでしょうか。ちなみにオープニングもジライヤリスペクト仕様でした。
巨大戦では、ジライヤ忍シュリケンの発動によって、磁雷神がゲキアツダイオーとダブる演出も加えられ(磁雷矢の「おお、磁雷神...」の呟きが可笑しい)、隅々まで配慮されていて感心します。
忍者が形成している社会についても何でもありな「ニンニンジャー」だけあって、このような委員会があっても違和感はありません。それにしても、委員役で日下秀昭さんがいい味出してましたよね。大ベテランスーツアクターさんで顔出しも多いのは周知の通りですが、今回のようなコミカルな役は割と珍しいような気がします。そしてやっぱりデカい!
久々に妖怪が登場。しかも上級妖怪で有名妖怪。キンジがこれまた久々に嬉々として撮影してました。デザインは鉄アレイがモチーフで、相手に負ぶさって圧死させるという子泣き爺の特徴と合致しています。
声が二又一成さんなので、老獪さとコミカルな味が同居していますね。年齢が下の者に上の者が強制的におぶさるという能力自体は、結果こそコミカルですが、コナキジジイ自身は至って冷徹な恐ろしさを発揮しているので、正に適役といった処でしょう。何だか、高齢化社会を揶揄しているようで結構エグいなぁ...と思いつつ観ていました。
ちなみに、霞が風花に負ぶさり、風花が「重い」と言った事で、霞が事態そっちのけでショックを受けるシーンは、霞の意外な一面が見られて良い感じでした。
「忍者キャプター」、「変身忍者 嵐」といった作品群は勿論の事、ダイナブラックやイエローマスクといった「戦隊メンバーの一人が忍者」というパターンもあるので、まだまだ「祭」を開催しようと思えば出来るわけでして。まあ、あまり連発しても有難みがないかも知れませんが...期待してしまいます。
オオカミオトコに受けた傷が、かなり期間を空けてようやく生きてきます。こちらも殆ど忘れていましたが(笑)。
十六夜九衛門も休養(?)を経て再登場となり、どのように3クール目の区切を付けてくるのか、楽しみですね。
]]>しかし、中身は意外とシリアスな部分もあって、絶妙なバランスの上に成り立っている不思議なエピソードとなりました。
何より興味深いのは、八雲のポリシーですね。時代は正に移り変わったわけです。
]]> スズメバチ今回、重要な事をサラッと...本当にサラッと言ってましたが、実は十六夜流忍者として登場したハヤブサ、イッカクサイ、クロアリ、ムジナ、そして今回のスズメバチは、牙鬼の「御庭番五人衆」で、「牙鬼流忍者」だったそうです。
「御庭番」という言葉からすぐさま連想されるのは「暴れん坊将軍」。吉宗を秘密裏に警護している男女ペアの忍者(史実とは異なる)ですが、実は男性の御庭番に関しては、東映ヒーローOBが続々と登板した事で一部のファンには有名。初代の宮内洋御大を始め、ストロンガー、ビビューンの荒木しげるさん、(東映ではないですが)エスパー、白獅子仮面の三ツ木清隆さん、バルイーグルの五代高之さん、結城凱こと若松俊秀さん、仮面ライダーナイトの松田悟志さん...と一目瞭然の豪華メンバーです。
ハヤブサ達は、殆ど十六夜九衛門に使い捨てにされてしまいましたが、牙鬼幻月を護る本来の御庭番としての姿も見たかったですね。
さて、このスズメバチ、前回と前々回のムジナもそうでしたが、なかなかの手練として描かれました。声は人気声優の沖佳苗さんが担当し、スーツアクターは女形の大ベテラン蜂須賀祐一さんが担当。これで魅力的なキャラクターにならないわけがない...というわけで、やはり魅力ある敵役となりました。
結果的にはコメディエンヌとしての役回りとなり、劇中の事情としては悲劇のヒロインの資格をも備えるキャラクターに。ただし、悲劇的な面はほぼスルーされていて、それが今回の雰囲気に大きく作用しています。
こういった展開を擁する話の定番は、八雲への愛(あるいは恋心)がスズメバチに裏切りを促し、最後は処刑されてしまうか、あるいはロボットにされて倒されるか、といったものでした。今回のように徹頭徹尾、愛憎をボカしたまま倒されるというのは、ある意味新鮮でしたね。
何と、珍しく最初に天晴がスズメバチの毒矢に晒され、続いて霞、キンジが被害を受けるという展開になりました。ニンニンジャーの強力な斬り込み隊長が倒れた事で霞が主導権を握り、「捜査モノ」としての側面が強くなる序盤。そしてその霞が倒れ、さらには八雲とややキャラが被るキンジが倒れ、今度は八雲と年少組で構成される「青春モノ」で後半戦を押してきます。
「青春モノ」と書きましたが、いわゆる学芸会作戦に至る流れを説明するのに適当な言葉を選んだ結果であり、そのものズバリの「青春モノ」ではありません。ただ、八雲がスズメバチの想いに対して鈍感過ぎたり、傍から見ていた凪が気付いて八雲にそれを教えたりといったやり取りに、学園譚のような雰囲気が宿っており、あながち的外れなわけでもありません。
で、学芸会作戦の題材としてロミオとジュリエットが選ばれましたが、このセンスはなかなかのもの。BGMまで劇作のような雰囲気を盛り上げるものが使用され、舞台装置の設えに余念がないですね。素晴らしいです。
この作戦、八雲がスズメバチの感情を利用して罠を仕掛けるものなので、敵とはいえども女性を騙す事に変わりはなく、八雲には忸怩たる思いが残ったのではないかと推察されますが、巨大戦では既にそんな事はどうでも良くなっており、エピローグでも普通に大団円してました。この辺が、昔の特撮ドラマとはかなり異なる部分ですね。
70〜80年代だと、「八雲の罪」にスポットが当たり、大小はあれど「この先、十字架を背負って戦い抜いていく」という感覚でラストを迎える話に仕上げられるのではないかと思います。ヒーローの暗部が哀しく美しく描かれるのはこの時代の特徴でした。80年代は特に改心パターンが多く、また敵の行動自体が芝居だったというパターンもあり、後者は今回とは真逆になります。90年代は悲恋がクローズアップされるパターンも多かったですね。要は、今回のようなギャグ編っぽい処理では済まされなかったという事です。
今回、八雲は「忍びに情けは無用」といった、至極ストイックで格好良いポリシーを以てこの作戦に臨んでいます。ただ、先にスズメバチがこのポリシーに言及しているので、やや居心地が悪いのも確か。つまりここで、忍びには善悪を超越した対立構造が成立すると宣言してしまったように見えるのです。牙鬼軍団の看板がある事に加え、獅子王の件で人々の守護者としての伊賀崎流が標榜されているので、辛うじて善悪の構図は保たれていますが、今回はそれを取っ払った流派の対決にまで踏み込んでいるように思えるのです。
そこに感情が介在しないが故に、八雲とスズメバチが完全に一対一の対決で勝敗を決する素晴らしいアクションがカタルシスを持ち、巨大戦はコミカルに仕立てられ、エピローグは単なるハッピーエンドであったわけですね。全体的にはコミカルでありながら、「一度は愛したが所詮は敵同士」という凄味が何故か香ってくる...。そんな異色のエピソードになったのではないかと思います。
戸隠流忍者が登場!
カクレンジャー、ハリケンジャーとの共演にも驚きましたが、まさかそれを超える驚きが用意されていたとは...。これには期待せざるを得ませんね。
]]>