第45駅「君が去ったホーム」

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 最終4部作の第二弾。前回がググッと状況を変えてクライマックスへと招待するダイナミックな内容だったのに対し、今回は叙情性に訴える内容に。

 様々な面でキャスト陣の集大成となっていて、特に芝居の面で大変見所のある内容になっています。

 今回は何と、トッキュウ6号と黒いトッキュウ1号以外、変身後が一切出ないという徹底振りで、恐らくは、次回あるいは最終話に一大バトルを温存しておく構成なのだと思います。この思い切った構成を採った事で、ドラマの散開を防止しており、今回をあくまでライトの行動と決意、悲壮感が全てであるという線で徹底させています。

 似たようなクライマックスの構成を持つ戦隊として、「ジャッカー電撃隊」が挙げられます。この頃は一話完結が主流だった為、最終編と呼べる二話分の直前はトンデモ風ギャグ編だったりするのですが、最終二話の前編はビッグワン以外誰も変身しないという、当時としては非常に異質な展開。基地に潜入するエースとカレン、二人のドラマに(やや唐突に)スポットが当たります。やがて、この潜入行動中に負傷したカレンを救命するドラマへと変転し、ビッグワンの前任・ジョーカーが満を持して帰ってくるという、燃える展開を呈するわけです。

 これは推測に過ぎませんが、「ジャッカー」は放映打ち切りの憂き目にあったシリーズなので、最終編くらい、やりたいようにやっちゃったというのが真相なのではないかと思います。初期の暗く重いドラマ性を最終編で突如復活させたのも、そういう開き直りが根底にあるのではないかと、勝手に想像しています(笑)。

 やがて、戦隊シリーズもバブル期に花開いたドラマ性の導入によってパターン破りも常態化。「トッキュウジャー」ではごく自然に「レッドすら登場しない」話を平然と繰り出す事が出来るようになりました。最終編では既に新戦隊がスタンバイしている状態なので、言い方は悪いですが、「ジャッカー」の前例とは状況こそ異なるものの、この時点でマーチャンダイジングの広告コンテンツとしては価値を失いつつあるという事にもなりますね。ということは、逆説的に純粋なドラマとしての価値が相対的に上昇しているという事にもなるわけで、今回のようにガッツリとドラマに入り込むようなエピソードが制作可能なんですよね。その恩恵は多大だと思います。

 もう一つ、同様の構成を持つヒーローとして、「宇宙刑事ギャバン」の最終編があります。最終編は三部作ですが、怒濤の伏線回収編に続いて、父親との再会話があり、そして決戦編となります。二話目の「再会」が今回のテイストにかなり近く、叙情性に訴える極上のドラマでした。設定が荒唐無稽であっても、感情に訴えるドラマを作る事が出来るという好例を示していると思います。

 今回も、それらの例に漏れずとにかく各キャラクターの感情が発露しまくっています。

 トカッチ、ミオ、ヒカリ、カグラの四人は、昴ヶ浜の復活に心を躍らせつつも、闇を纏ってしまったライトへの心配、そして何より自分達は子供には戻れないという事実の前に、完全には喜びを弾けさせる事が出来ずに居ます。状況自体はハッピーであるにも関わらず、この寂寥感。ライト不在を強調するかのように、殆ど常に同フレームに四人を配置し、何となく突き放したようなカメラワークを多く採用した演出の凄味、ライティングを駆使して昴ヶ浜を夢見心地な印象に落とし込む感覚も凄いです。

 やがて、彼等四人はライトの「自分勝手」によって子供に戻る事が出来るわけですが、トッキュウジャーとしての記憶がなくなっていくにつれて、次第に昴ヶ浜がリアリティを持ってくる辺り、神懸かっています。折に触れて描かれた「日常」が、肉親の存在を通して四人を迎えてくれるシーンには、少々の違和感(日常なのに自分がここに居ていいのかと感じているような表情が抜群!)を織り込んであって、その違和感が次回の展開に繋がってくる事は間違いありません。

 当然、この時点で彼等四人はトッキュウジャーの記憶をなくしている筈なので、前述のような違和感は、設定上からはやや飛躍した演出であると言えるかも知れません。しかし、本当に記憶は失われたのか!? というフックとしては実に見事なものですし、こういう細かい部分が後に収斂していくとすれば、その快感は、こういったシリーズものならではの醍醐味でしょう。例えばライトの行為によって記憶が戻ったりというような、外的要因で話が動いていくのではなく、あくまで人物主体でドラマを動かしていくというのが、「トッキュウジャー」の選んだストラクチャなんだと強く思います。

 さて、ライトはゼットと表裏一体の存在となっていた事が語られましたが...。

 昴ヶ浜が闇に飲まれた際、ライトは「勝手に」ゼットの方に向かって行き、ゼットの闇が纏わり付いたまま大人になってしまったというのが真相でした。初回でライトがクライナーに乗っていたのはそれが原因との事。さらには、ライト達が「子供」から離れていくに従って(=成長して)、闇も一緒に成長してしまったという設定まで付いてきます。

 これは恐らく物語の落とし処として当初より予定されていた事だと思いますが、些か弱い設定であるという印象も。闇自体はビジュアルで示されるものの非常に観念的で曖昧な為、あまりインパクトがないんですよね。黒いトッキュウ1号のビジュアルインパクトからすると、そのベースにある設定としてはやや弱い気がしました。あくまでライトは「ゼットの影響を受けた」という域を出ないので、ライト=ゼットという衝撃発言があっても実感が伴わないんですよね。ゼットに「抗し難い体内のキラキラ」のようなものがあれば、互いに対等なシチュエーションになるんですけど、ゼットにとってはそれが「渇望しても手に入らないもの」になってしまいました。ライトが光と闇の止揚あるいは仲介者となっている描写もないので、ゼットとライトは同じ土俵で戦っているという印象が薄いんです。

 ただし、闇を抱えた者としてのライトは、トカッチ達と袂を分かつ理由をあれこれ説明する必要のない存在となり、それが今回の「別離」の悲壮感を盛り上げています。ここでのライト、そして子役の芝居合戦はこの上ない程素晴らしい。どちらかというと苦悩する姿が似合わないライトが、闇という属性を得た事で苦悩を許容されるキャラクターへと変化し、哀しい涙を流している姿には、「勝手な」レッドの「末路」とも形容出来るような寂寥感と悲壮感が滲み出ています。あの時、手を離さなければ...。勝手な行動から一直線に繋がって、今の自分を創り出しているという後悔の念と、勝手な自分にこれ以上トカッチ達を(後から明さえも)付き合わせないという「勝手な優しさ」がグッと迫って来ますね。正に落涙必至のシーンです。

 一方、ゼットは、開き直って地上を闇の王国にしようと行動を開始します。ラスボスとしては完璧な段取りだと思いますが、グリッタを手に掛けたのか否かが今一つ不明瞭なので、もう一つ何かあるのではないかという想像を許します。ここまで消極的に大侵略を開始するボスも珍しいので(笑)、やはり色々と期待してしまいますねぇ。ここの処、実に待遇の悪いネロにも、何か期待してしまいます...。

 この後どうなってしまうのか、待ちきれなくなってしまいますね。正直、ここまで暗い話になっていいのかと思う処もあるので、初期のぶっ飛んだ雰囲気での解決を期待しています。