尺の殆どは、ゴーカイジャーの逆転劇とザンギャック皇帝・アクドス・ギルの打倒に割かれ、エピローグは少なめ。その時間配分は大正解で、「ここで来たか!」というフリージョーカー(文字通り切り札!)での突入、そして「スーパー戦隊シリーズ集大成」と呼ぶに相応しい、もうどうやって撮影したか想像もつかないラストバトルの凄まじさに、テンションは上がりっぱなしでした。
あまりに凄まじいので、巧くまとめられませんが、一年を通じて見てきた感想等も交え...。
宇宙海賊の面は、アクドス・ギルとの地上戦を挟んだ前後で出現します。ナビィ含めた宇宙海賊の逆転劇は、フリージョーカーの奪取から、ギガントホースへの特攻、マーベラス&鎧の皇帝襲撃、ギガントホースによる大艦隊の一掃、ギガントホース破壊に至るまで、実にダーティでハードな戦いっぷり。海賊と認められた鎧も迫力ある言動で皇帝を翻弄しており、ここでの戦いは正に宇宙海賊のものでしょう。
マーベラスが鎧を連れて行くというくだりでは、「スーパー戦隊」の名を口にしていますが、ここではマーベラス自身がスーパー戦隊であるという意味は薄く、むしろ鎧の中にあるスーパー戦隊のスピリットを燃え上がらせる口上としての側面が強いように思います。他のメンバーとの関係性も、海賊としてのゴーカイジャーならではですし。
一方で、アクドス・ギルとの地上戦での、マーベラスの「地球を守る」宣言は、正にスーパー戦隊のスピリットそのもの。「地球に来たのが間違いだ」といった趣旨の発言は、スーパー戦隊が守り継いできた地球というイメージを喚起させてやまない、名台詞として心に残りますね。
バトル自体も、海賊戦隊ゴーカイジャーならではの戦い方は薄められており、目まぐるしい豪快チェンジによって、過去の戦隊アクションが再現されるといった趣向になっています。その組み合わせ、セレクションの妙味は、目まぐるしい中にもこだわりが感じられ、その裏に厳然としてある職人芸を感じさせます。
忘れてならないのは、名乗りが慣例通り、素面のキャスト陣によるものとなっていた事。どのような理由付けでマスクオフにするのか、興味津々でしたが、まさか変身途中に名乗りを入れる事で解決するとは! 意外な処理で驚いたと同時に、感心しましたね。ポーズ自体はアクロバティックな要素がなくて簡単なものなんですけど、雰囲気を合わせるという面は、スーツアクター陣と綿密なすり合わせがないと、実現しないのではないかと思います。簡単であるが故に、非常に難しい名乗りだと思います。
アクドス・ギル打倒後は、正義のヒーローという肩書きを返上するかのようなエピローグが印象的。地球に訪れて一番最初に寄った「スナック・サファリ」の新店舗で再度カレーを注文し、シリーズの初めと終わりを綺麗に繋げてくれたのを始め、スーパー戦隊としてのサインを子供達に請われても断り、レンジャーキーを先輩達に返していく...。これは35番目のスーパー戦隊となった彼らが、地球という場所の特殊性を象徴する「スーパー戦隊」からの脱却をする事で、海賊としての次なる旅を始める...といった意味合いにとれます。
ここから読み取れるのは、スーパー戦隊が地球でしか成立しないという事。かつて、「ウルトラマンガイア」で「地球はウルトラマンの星」という最終宣言が為され、視聴者に驚きを与えたわけですが、「ゴーカイジャー」では、「地球はスーパー戦隊の星」という最終宣言が為されたと考えて、差し支えないと思います。つまり、マーベラス一味(あえてこのような呼び方をします)は、今度何らかの理由で地球に訪れれば、スーパー戦隊であるけれども、ひとたび地球を離れれば、宇宙最強の宇宙海賊として名を馳せる。そういう事です。
しかし、ここで完全にスーパー戦隊を脱却しているわけではない、スーパー戦隊の担保が存在します。それが鎧です。
気づけば、マーベラスと共にギガントホースに乗り込んだのも鎧ですし、地上戦でアクドス・ギルに対してゴーカイガレオンバスターを突き刺し、単独でぶっ放そうとしたのも鎧です。この鎧の全面フィーチュア振りは、これまでの流れから行けば、やや唐突にも映る処理です。
ところが、これら鎧の活躍ぶりが、一つの縦糸として生きてきます。それは、鎧が地球人であり、地球を守ったスーパー戦隊の正統なる後継者として扱われているという縦糸。鎧がスーパー戦隊によって守られた地球人の代表として、次なるスーパー戦隊になる事を運命付けられた男である以上、宇宙からの侵略者に対する「落とし前」は、鎧が率先して付ける必要があった...と言えば言い過ぎでしょうが、それに近い演出意図が感じられるのは確かです。
鎧は、シリーズ全編を通じて、マーベラス達をスーパー戦隊側に引き寄せる役割を果たしており、逆にエピローグにて、地球人代表として宇宙に旅立った(つまり、海賊に引き寄せられた)わけですが、鎧の加入によって、地球という場の影響を受けない宇宙でも、マーベラス達がスーパー戦隊である事を担保しているように思えるのです。
ここで、アクドス・ギルに関して言及。アクドス・ギルは、ギガントホース内部では座ったままマーベラスと鎧を翻弄するなど、その実力の高さを見せつけました。しかし、皇帝という地位がスポイルする知略の不足か、大艦隊を瞬時にして失い、地上戦でも数多くのスーパー戦隊の力を身に付けたゴーカイジャーの前に、その実力を発揮する暇もなく、倒されました。
いわゆるラスボスとしての強さは、どうだったのかといった話もありますけど、当たり前のように繰り返されてきた巨大戦による決着がないという掟破りに加え、皇帝自ら地球という惑星に乗り込んでくる程、宇宙海賊の存在を疎ましく思っていた事を感じさせるその行動を見ると、「強さ」という面自体は丁度いい塩梅であったと思います。というより、大艦隊の画作りは充分ラスボスを前にしての絶望感を煽っていましたし、そのウィークポイントとして皇帝自身が存在すると考えれば、そのウィークポイント自体があれだけの戦いを見せるのですから、それはそれで順当な強さだったのではないでしょうか。
そして、「シャイダー」における「大帝王クビライの死=フーマ崩壊」の図式に代表される駆け足な印象(止め絵で銀河系各所での銀河連邦警察勝利が描かれる)とは異なり、徐々にザンギャック崩壊が始まりつつあるという言及に留め、マーベラスが「宇宙で二番目のお宝」を、ザンギャック本星に求めるという今後の展開が用意されるなど、すぐには壊滅しない「帝国」のリアリティが描かれた点は特筆出来ます。勿論、今後の展開を可能とする為の、一種の担保でもあるでしょうけど。
そんなわけで、アクドス・ギル、いいじゃない。そういった結論を私はとります。
さて、今回の豪快チェンジ、まとめるの大変ですね。とりあえず、順番に列挙してみます。
(ここより追記。完全に忘れていました。ご指摘に感謝)
最初に、ダイランドー戦。
まず、ジョーがデカマスター、ハカセがズバーンにチェンジ。剣術つながりという事でしょうか。驚きは、ハカセのズバーンが「いててて!」と言いながら、剣モードにチェンジしてしまった事。「仮面ライダーディケイド」のファイナルフォームライドを思わせる、楽しいシーンでした。
女性陣は、ルカが姫シンケンレッド、アイムがマジマザーに。それぞれ効果的な戦術を見せ、ダイランドーを翻弄していました。最後に、素面でのゴーカイガレオンバスター発射が見られたのも大収穫でしたね。
次に、ギガントホースからの脱出手段として、マーベラスがゴセイレッド、鎧がゴーオンウイングスにチェンジ。ゴセイレッドはスカイック族であり、天装術で飛翔が可能。ゴーオンウイングスはロケットダガーにより、飛行が可能という事で、巧く使われています。
続いて、アクドス・ギル戦。
(ここまで追記)
まず、鎧がゴセイナイトに。アカレンジャーとダイヤジャックによるヤリビュート&ダイヤソードの同時攻撃、バトルケニアとバルパンサーのアニマルアタック、デンジピンクのデンジパンチと続きます。
続いて、ボウケンレッドとテンマレンジャーのロッド攻撃、ダイナブラック&イエローマスクの分身攻撃、忍者繋がりでシュリケンジャー、ニンジャホワイトも登場。
次に、ゴーグルピンク&ファイブイエローのリボン攻撃、レッドレーサー、ゴーオンブルー、ブラックターボの高速アタックが炸裂。
そして、プテラレンジャーとアバレイエローの翼竜ペア、ギンガレッド&黒騎士による炎の兄弟共演、ブルースリー、チェンジグリフォンの空中殺法と続きます。
空中殺法はさらに続き、レッドホーク、ピンクフラッシュ、ガオイエローの「空飛ぶ戦士」で攻撃。続けざまにメガブラックとゴーブルーがブレスレットを使ったパンチ攻撃を加えます。
イエローライオン、タイムピンクのペアによるバズーカ発射に続き、キングレンジャー&オーレッドの超力戦隊ペアによる斬撃が決まります。
最後は、「スーパーレンジャー」と称し、ハイパーシンケンレッド、スーパーゴセイブルー、スーパーゲキイエロー、デカグリーン・スワットモード、レジェンドマジピンク、ゴーカイシルバー・ゴールドモードが揃い踏み。パワーアップ形態の揃い踏みは正に圧巻。
いやはや、実に壮観でしたね〜。
そして、エピローグに登場した先輩ゲスト達に言及しないわけにはいきません! こちらも登場順で。
まずは、バルイーグル=飛羽高之。現実空間での登場が実に嬉しい限り。敬礼が当時を彷彿とさせます。次に、テンマレンジャー=天重星・将児とキリンレンジャー=天時星・知。このお二人、当時と全然変わってません! もう、嬉しすぎて興奮しまくりました(笑)。
ファイブイエロー=星川レミ。こちらも音楽室という現実空間での登場が嬉しいですね。そして、ゴーグリーン=巽ショウ。この方も当時と変わりません。仮面ライダーデルタ役も印象的でしたね。マジピンク=小津芳香も登場。ファミリー劇場でその特異なキャラの魅力を振りまいていた彼女、やっぱり素敵です。
ゴーオンシルバー=須塔美羽。お嬢様という設定を生かした、ゴージャスな出で立ちでの登場でしたが、ホント、可愛いし綺麗ですよね〜。そして、前回重要な役回りで登場したマンモスレンジャー=ゴウシも登場しました。変わり種として、ドギーとシグナルマンが並び立つというカットも。
最後を締めくくるのは、やはりこの人。アカレンジャー=海城剛! あの誠直也ボイスが響き渡り、アカレンジャーへの転換も見せてくれる大サービスには、感涙必至でした。もう、何も言う事はありません。
というわけで、「ゴーカイジャー」を一年間見てきたわけですが、同様の初志に立脚する「ウルトラマンメビウス」や「仮面ライダーディケイド」といった作品群を、あらゆる面で上回る完成度だったと思います。よく、ここまで巨大な存在となったスーパー戦隊を、クロスオーバー作品として一つの作品にまとめあげたものだと感心します。
当初は、「過去のスーパー戦隊に変身して戦う戦隊」という面が尋常でなくクローズアップされ、「過去の遺産に頼る」戦隊というイメージが先行していたように思います。
ところが、先輩ゲストの登場が判明してからは、俄然、スーパー戦隊シリーズ視聴者のあらゆる世代との一体感が醸し出されるようになり、逆に先輩ゲストの登場のないエピソードの完成度がグングン上がっていくという、正に「成長するシリーズ」となりました。ザンギャック自体の扱いの軽さは、如何ともし難い面が否めませんでしたが、こうして最終回まで通して見ると、それなりに巧いバランスで成立していたのが素晴らしい処です。
長年の戦隊ファンからすれば、OBの「その後」が見られる貴重なシリーズとして映り、そして、毎年更新されるタイトルの妙味・新味に対する欲求も満たしてくれる素晴らしいシリーズだったと思います。キャラクターの立ち具合が特に素晴らしく、これだけ先輩ゲストの登場が鮮烈である中、「空気」と揶揄されるキャラクターが皆無な戦隊を成立させるのは、並大抵の努力ではなかった筈です。
ごく個人的には、某所で書いたエイプリルフールのネタが、話の内容は違えど(当たり前)、ほぼ実現してしまった(「ゴーカイ VS ギャバン」)という、奇跡のような煌きを目の当たりにしたシリーズでもありました。こんな事は、もう二度と起こらないのではないでしょうか。すみません、実は都合がつかなくて、当の映画は鑑賞できていないんですが...。
スーパー戦隊シリーズ自体は、この「ゴーカイジャー」で肥大化した世界観に一区切りつけて、次作の「ゴーバスターズ」でリセットを図るようです。
実はこういったリセットの試みは結構失敗していて、「スカイライダー」や「仮面ライダーBLACK」は結局昭和ライダーのサーガに飲み込まれましたし、「ウルトラマン80」は過去作との関係性を曖昧にする事で脱却を図りましたが、結果的に、過去作との関連性が希薄である故に踏み込めなかった部分を残して、シリーズ断絶となってしまいました。「ウルトラマンメビウス」の後のリセット作は未だに生まれていない事も、集大成の後の難しさを物語っています。
これだけの完成度を誇る「ゴーカイジャー」を作り上げた後ですから、「ゴーバスターズ」に対する心配は微塵もない筈ですが、何となく心配してしまうのは、年長ファンの性なのかも知れませんね(笑)。
というわけで、一年間ありがとうございました。
そして、次回から「特命戦隊ゴーバスターズを見たか?」の方に舞台を移しますので、よろしくお願い致します!
大艦隊相手の、巨大戦における「大いなる力」オンパレードに続き、ダイランドーとの等身大戦への持ち込み方等、流れも自然で無理がなく、最初から最後まで一気に見せてくれました。
都合により、あまり長い文章は書けませんが、個人的に気付いた点を中心にツラツラと続きに書いて参ります。
しかしこの展開、実は結構リアリティがあるのではと私は思います。
アクドス・ギルが夜明けまで殺戮を保留したのは、よくある「悪の組織の余裕」というヤツで、これこそ王道中の王道なんですが(笑)、夜明けと共に少数編成のダイランドーを遣わしたのは、ゴーカイジャーなき、ひいてはスーパー戦隊なき世界の制圧に、大艦隊の総攻撃などという膨大なコストをかけるまでもない...という打算が働いたからにほかなりません。むしろ、地球に存在する軍事組織等が動いた場合、いつでも大艦隊をけしかける用意があるという意味で、ゴーカイジャー相手の大空中戦は、良いデモンストレーションとなったのではないでしょうか。
また、地球の建造物等の「資源」を根絶やしにするような真似は、掠奪という観点からすると大いに無駄であるとも言えるでしょう。いずれにせよ、単にスケール感の問題だけ取り上げて、今回の筋運びに予定調和という瑕を見出す事はナンセンスでしょう。
さて、冒頭から繰り広げられた大空中戦は、TV版では初となるゴレンゴーカイオーの登場というスペシャル感溢れる展開に始まり、豪獣神にメガウインガーが合体した「ウイング豪獣神」も登場するサービス振り。他の大いなる力由来の「強化パーツ群」も全て登場し、更にはダイナマンのスーパーダイナマイトの巨大戦バージョンや、ジェットマン由来のジェットフェニックスも登場し、とにかく凄い事になっています。
尺自体は結構短いのですが、この尺でここまで出し尽くすカット割りの妙味が素晴らしく、この充実振りが、却って大艦隊に敗れた際の無力感を際立たせています。最終戦としての迫力と、最終戦直前のドン底とも言える試練が、同時に実現されているわけですね。
この戦いでガレオンも豪獣ドリルも沈み、ゴーカイジャーは散り散りになってしまうわけですが、ここからが今回の白眉とも言えるくだりとなります。
それは、かつて面々が出会ったゲストとの再会、そしてスーパー戦隊関係者との邂逅。
まず、鎧はスーパー戦隊関係者どころではない、「先輩ゲスト」そのものズバリである、マンモスレンジャー・ゴウシと出会います。この土壇場で、正に奇跡の登場(劇場版含め、34戦隊で「ジュウレンジャー」のみが未出演でした)。そしてこの土壇場で、「先輩ゲスト編」としてのダメ押しとも言える「スーパー戦隊の覚悟」を鎧に説くという、燃える展開には感涙必至です。
それにしても、ゴウシ役の右門青寿さん、当時と変わらない男っぷりですね。当然、渋みをグンと増しているのですが、重い瓦礫を持ち上げる姿は、当時のゴウシのパワフルさそのものでしたし、「知恵の戦士」としての知性派の面にも磨きがかかっていて、最終回直前のゲストとして申し分ないセレクトだったと思います。「ジュウレンジャー」自体の思い出語りをし始めると、ソガマチ女王の思い出語りになってしまい、際限がなくなってしまうので、今回はちょっと控えます(笑)。
いや、やっぱり「ジュウレンジャー」関連のみ、ちょっとだけ語っておきましょう。以前、曽我町子さんのお店にお邪魔した際の話になりますが、ちょっとした有名譚である「ジュウレンジャー」でのバンドーラ降板騒動は、ご本人の口からお聞きしたので本当です。
降板決意の決め手となった「コスムガワノシトイ(反対から読むと「いとしの我が息子」)」という「下らない呪文の強要」ですが、これがシリーズ開始半年くらいの出来事だったそうで、この段のシリーズ構成で、既にバンドーラの息子・カイの存在が予定されていた事に驚きました。
ただし、この降板騒動、スタッフ間ではそれほど有名ではないようで、もしかすると、曽我さんのリップサービスが含まれていたのかも知れません。それよりも、「パワーレンジャー」における契約やマネジメントの問題、そして、吹き替え現場での他のキャストとの思い入れの違いから来る温度差(そりゃ、ご自身が思い入れたっぷりに演じたキャラクターに声をアテるんですから・笑)が、かなり曽我さんを苦悩させたらしく、曽我さんにとって、バンドーラ=リタ・レパルサというキャラクターは、愛憎半ば、否、愛も憎も極まるキャラクターだったようです。それ故に、このような降板騒動をエモーショナルな口伝として、ファンに聞かせて下さったのかも知れません。
さてさて、ゴウシ以外にも、意外なゲスト陣が花を添えてくれました。
一人は、「ゴセイジャー」のレギュラーだった、天知博士。「ゴセイジャー」のテーマの一つであった、「諦めない強い心」を説くセリフにグッときます。「ゴセイジャー」自体は、シリーズ構成やキャラクター描写の面で、やや不徹底さが目立つ作品ではありましたが、そのシリーズ全体に感じられる包容力が印象的でした。天知博士自体、不徹底の発露とも言うべきキャラクターでしたが、最後の最後でゴセイジャー達の師であるマスターヘッドと一体化する事により、包容力の象徴となり、キャラクターを完成させました。「ゴセイジャー」の視聴者ならば、天知博士が懸命に人々を救出する姿に、護星天使の使命感と近しいものを感じ取れたのではないでしょうか。
そして、驚くべきゲストとして、「マジレンジャー」の山崎さんこと、山崎由佳が登場。マジレッドのぬいぐるみを手渡すシーンには、感涙必至です。演ずる平田薫さん、凄く大人っぽくなって綺麗でしたねぇ。感慨深いものがあります。「勇気と云う名の魔法」というセリフが素晴らしすぎました。
ゴウシ、天知博士、山崎さんという、スーパー戦隊縁のゲストを見渡すと、全て「ファンタジー戦隊」である事が分かります。極端に言えば、ファンタジー戦隊の美点は、メンタル面を強調しても厭味にならない事でしょう。何しろ、メンタリティがそのままスピリチュアルなパワーへと転化される構造になっている場合が多いからです。スーパー戦隊の精神性を説くには、うってつけのセレクトだったのではないでしょうか。
そして、「ジュウレンジャー」こそがファンタジー戦隊のパイオニアであり、「マジレンジャー」こそがファンタジー戦隊の極北「魔法の戦隊」であり、「ゴセイジャー」こそがファンタジー戦隊の究極形「メンバーが天使」である事に気付きます。これは、「ゴーカイジャー」がファンタジー戦隊の色濃い影響下にあるという事の、一つの根拠になると言っても過言ではないでしょう。
一方で、「ゴーカイジャー」へのゲストの再登場。
まずは、ゴーゴーファイブ編に登場した親子。身を呈して母親と妹を守る少女・ミクが印象的。ゴーピンク・巽マツリとの出会いにより、恐怖を乗り越えて命を守るゴーゴーファイブのスピリットが、確実に幼い少女に継承されていたというくだりになっています。これは巧い。
そして、もう一人は、レンジャーキーで変身した最初の一般人である少年。彼はマーベラスに「この星の価値」を示唆した重要な人物でしたが、ここに来て、マーベラスがその価値を認めてみせるという、驚きの展開を見せます。スーパー戦隊になれない少年と、スーパー戦隊の力を手に入れた男。この二人のやり取りは、「ゴーカイジャー」のテーマを浮き彫りにしました。マーベラスが見出した「この星の価値」、それはスーパー戦隊の存在が、地球人に勇気と力を与えているという事実。ザンギャックの蹂躙にも絶望する事のない、宇宙でたった一つの貴重な惑星。「宇宙最大のお宝」を凌駕する価値が、この地球にはある...そう、マーベラスが感じた事は想像に難くありません。
故に、スーパー戦隊の権化たる鎧と、反対の答えを導き出したマーベラス達五人の対比が、実に鮮やかでした。スーパー戦隊の覚悟を、平和の為に役立てようとする鎧は、正にこれまでのスーパー戦隊の精神そのものでしょう(=失われる事で生み出されるValue。しかもこの考え方はバスコと同じ!)。一方で、マーベラス達宇宙海賊は、スーパー戦隊の存在そのもの、そしてスーパー戦隊に支えられた地球に価値があると考えます(=存続する事自体のValue)。この価値観の相違によって生み出されるドラマにより、「地球を守る義理のない宇宙海賊」という、「ゴーカイジャー」の矛盾(勿論、この矛盾は意図的なものですが)を鮮やかに止揚してしまった。それが、今回の凄さです。
このくだりで、鎧は、宇宙最大のお宝を破壊(!)し、マーベラスに海賊の一員と認められます。一方で、宇宙海賊は、35番目のスーパー戦隊として、地球人に認められます。ここでも、止揚が見られるわけです。
名実ともにスーパー戦隊となったゴーカイジャーのラストバトルでは、今回の先輩ゲストであるゴウシにあやかって、ジュウレンジャーとなりました。鎧がドラゴンレンジャーにチェンジ。ドラゴンアーマーをマーベラスのチェンジしたティラノレンジャーに渡す事で、アームドティラノレンジャーが登場するという、「ジュウレンジャー」の体験者ならば鳥肌モノのシチュエーションでした。これは素晴らしい。「ジュウレンジャー」の主題歌インストとまではいきませんでしたが、それでも、アームドティラノレンジャーの登場だけで満足でしたね。
というわけで、気づけば、結構長い文章になってしまいました。いよいよ次回は最終回ですね!
今回の骨子は、ズバリ「宇宙最大のお宝」が何であるかという事、そして、インサーンの最期。そこに、「大いなる力」の本当の継承が織り交ぜられ、さながら「ゴーカイジャー」のテーマ性の総括ともいうべき内容に仕上げられていました。
あと二回を残すのみとなった本シリーズですから、総括に近い内容が今回に与えられるのも、当然の成り行きでしょう。しかし、そういったシリーズ構成の足枷を一切感じさせる事なく、むしろ「やっと宇宙最大のお宝に辿り着いた」という感覚を強く前面に出す事が出来ているのは、そのシリーズ構成自体が綿密だったという事でしょう。
ところが、主人公周辺の事情が綿密である事に反して、本来の敵であるザンギャックの扱いがあまりにも軽いのは周知の通り。今回も、インサーンというキャラクターが特に掘り下げられる事もなく、「ワルズ・ギルを守れなかったダメな幹部の一人」という背景のみで始末されてしまいました。ザンギャックの軽視ともいうべき事態は、本シリーズの暗部ではありますが、曲がりなりにも最終決戦をザンギャックとの総力戦に持ち込んでいく構成に関しては、レジェンド大戦に始まった物語を綺麗に完結させるものとして、評価出来るのではないでしょうか。
続いては、細部について。
]]> 今回は、ゴーカイジャーの面々が見た幻空間の中に限定された登場ではありましたが、先輩ゲストが大挙五人も登場しました。バスコが、サンバルカン、チェンジマン、フラッシュマン、マスクマン、ファイブマンの大いなる力を奪った時点で、この5つの戦隊に関するエピソードがオミットされる事は予想され、特に私が好きな「サンバルカン」に関するエピソードを期待出来ない状況は、非常に残念でした。今回の登場が、その渇望を満たすものであったかと言えば、それは否と答えざるを得ないものの、それでも劇場版を含めれば、33大戦隊からそれぞれ少なくとも一人はゲスト出演を果たした事になり(唯一現時点で「ジュウレンジャー」が未登場。次回にゴウシが出演)、あらゆる困難障壁を乗り越えて、この一大お祭り戦隊を彩る先輩ゲストを揃えた事に、素直な賞賛を送りたい所存です。
今回登場したのは、まず、「サンバルカン」より(二代目)バルイーグルこと飛羽高之。当時の地球平和守備隊の空軍将校という設定を生かして、空軍高官を思わせる制服に身を包み、五人の代表格として、ゴーカイジャーに力を託す役割を演じました。飛羽役の五代高之さんは、「カクレンジャー」にも鶴姫の父という重要な役回りで登場されてますが、「サンバルカン」時代から変わらない、正に太陽戦隊を地で行く笑顔が印象的です。
続いて、「チェンジマン」からは、チェンジグリフォンこと疾風翔。チェンジマン随一の優男の雰囲気は、現在もそのまま。和興さんは「メタルダー」や「ジャンパーソン」への出演も印象的で、特に「ジャンパーソン」での敵キャラの熱演は、疾風翔や「メタルダー」の北八荒のイメージを覆すに充分でした。今回、優男の柔和な笑顔の裏に、鋭さを兼ね備えた貫禄を感じる辺り、さすがと言うべきでしょう。
「フラッシュマン」からは、グリーンフラッシュ・ダイが登場。「フラッシュマン」と言えば、反フラッシュ現象と呼ばれる症状によって地球を離れる事を余儀なくされるラストが、切ない余韻を残すシリーズですが、「ゴーカイジャー」の世界では、レジェンド大戦への参加が物語るように、地球とフラッシュ星系を行き来可能な状況にある事が推測出来、少しばかり救われた気分になるのがいい処。今回登場したダイこと植村喜八郎さんは、「フラッシュマン」当時を彷彿させる衣装とアクセサリーを身に着けていて、嬉しい配慮です。植村さんは、「ファイブマン」で敵キャラであるシュバリエを演じており、ダイの野性味溢れるパワフルさとは異なる、独特の美意識を持ったキャラクターとして成立しており、一説にはシュバリエの登場によって、「ファイブマン」の視聴層が拡大されたとも言われています。
「マスクマン」からは、ブルーマスクことアキラが登場しました。この人選は、かなり意外でした。「マスクマン」の五人を演じたキャストは、全員が芸能界を引退されてはいるものの、レッドマスク=タケル役の海津亮介さんの芸歴が最も長く、出演されるとしたら海津さんだと思っていたからです。アキラ役の廣田一成さんの「マスクマン」当時の人気は物凄く、その人気がきっかけとなってアキラの主役回が増やされたという逸話もある程。現在も、その少年のような雰囲気は変わらず。中国拳法の達人だけあって、道着姿も堂に入っていました。
「ファイブマン」からは、ファイブイエローこと星川レミが。メンバー最年少で、男女の双子で、音楽の先生で、カンフーの達人という、今考えてみれば相当にてんこ盛りの設定を持つヒロインでしたが、それ程、当時アクションが出来る女優を制作側が推していたという事でしょう。そのレミを演じたのが、成嶋涼さん。当時は肉体派でありながらコケティッシュな笑顔を振りまく少女といった趣でしたが、「カクレンジャー」での花のくノ一組・サクラ役で、妖艶さも兼ね備えた魅力を放ちました。今回は、「ファイブマン」から21年の時を経ての同役での出演でしたが、当時より美しさに磨きがかかっており、「音楽の先生」の雰囲気が拡大されたような印象でした。素晴らしい。
ともあれ、五人それぞれ、極力オリジナルのイメージを尊重した出で立ちになっているのは特筆すべきでしょう。「ゴーカイジャー」における戦隊愛の炸裂振りを見られましたね。
この先輩ゲスト登場のくだりの発端には、バスコが無理矢理奪った大いなる力を、「正規の手順」を踏まずに使って良いものか...という鎧の疑問があったわけですが、マーベラスやルカも、その疑問に同調したのが興味深い処です。つまり、マーベラスやルカも、遂に明確にスーパー戦隊の精神に共感するまでになったという事なんですよね。
そして、遂に登場した「宇宙最大の宝」。
アカレッドがマーベラスに教えたかった「地球の正義」や「人々の絆」こそがお宝の正体といった、肩透かしなものもアリだとは思っていましたが、まさか、これほど究極の実益を伴う「宝」だったとは。良い意味で裏切られました。しかも、「宇宙を作り替える」程のパワーを発揮するものでありつつ、そこに「34のスーパー戦隊の力」という代償を提示するとは! ギリギリまで選択の苦悩を迫る構成が実に見事です。ザンギャックとの決着が必須とはいえ、めでたしめでたしで終わらない「引っ掛かり」が用意された事に、見応えを感じます。
ちなみに、ナビィが本当に「扉」に変化したシーンは、「比喩でない扉」という点で、意外性と分かりやすさを両立させており、楽しいシーンになっていました。
さて、ザンギャック軽視も甚だしいバスコ編でしたが、しばらくザンギャック不在とも言うべき状況だった事に対し、それなりの理由が付けられていたのは、評価出来るのではないでしょうか。劇中では、インサーンの「科学者としてのプライドを賭けた戦い」が時間稼ぎと称されていましたが、実は、バスコの一件自体も「嵐の前の静けさ」であり、レジェンド大戦を超える大艦隊集結の為の準備だった可能性が示唆されているわけです。
戦隊、特に近年のシリーズは、年間の盛り上がりポイントが幾つも用意されている為、クライマックスを最高潮とする事に、それなりの苦慮が見える場合もあります。昭和の第一期ライダーのように、最終ボスを「無力で得体の知れないもの」とする事で、敵組織のヒエラルキーの異様さを演出する方法論が継承されたり(代表格は「サンバルカン」)、最終ボスが最強の存在であったり(これには多くのシリーズが該当)、クライマックスを主人公や敵のドラマで盛り上げ、「決戦」に重きを置かなかったり、色々なパターンが見られます。
「ゴーカイジャー」の場合、あらゆる面で、最強の敵がバスコだった事に異論はないと思いますが、その後に、「大艦隊」という要素を持って来る事で、これまでのパターンの「いいとこ取り」をしようとしている節があります。これは画期的な事で、戦隊総決算という意味合いの強い本作ならではと言えるのではないでしょうか。いずれにせよ、最終回まで高いテンションを持続出来るのは、喜ばしい事です。
この辺で、今回の豪快チェンジについて。
まずはマジレンジャーにチェンジ。防御の為にマジカルカーテンを発動していますが、マジレンジャーは記念すべき「最初の先輩ゲスト編」だったわけで、実際にそのような意図があって登場させた可能性があります。
クライマックス戦では、今回の先輩ゲスト由来の豪快チェンジを披露。しかも、それぞれがオリジナルの変身シークェンスを再現し(特にグリーンフラッシュの「シャット・ゴーグル」は、一瞬アイムの素面が見える処まで再現されていて感涙モノ)、各メンバーのチェンジに合わせた主題歌インストが流れるという、これ以上のサービスがあるかという素晴らしさ。トリが「サンバルカン」という事で、宙明サウンドに乗って戦う戦隊の勇姿を見られるという、「VSギャバン」との絶妙な共時性に興奮必至でしたね。
まず、マーベラスはバルイーグルにチェンジ。バルカンスティックを日本刀に変化させ、「飛羽返し」を披露するなど、サービス満点でした。ジョーはブルーマスクに。オリジナルは、随一の小柄な戦士でしたが、今回は長身のブルーマスクという意外性が良いです。ルカはファイブイエローにチェンジ。メロディータクトで優雅に戦う姿がオリジナルを彷彿させました。ハカセはチェンジグリフォンに。チェンジソードをちゃんと登場させてくれたのが嬉しいポイントでした。当時、剣と盾を合体させると銃になるという、そのカッコ良さに痺れ上がった記憶があります。アイムは前述の通り、グリーンフラッシュにチェンジ。プリズムカイザーで殴りまくるという、アイムの戦闘スタイルとしては意外な活躍が良い感じでした。
今回は、巨大戦でもチェンジマンとマスクマン由来の「大いなる力」が使用され、その徹底振りに驚かされました。
チェンジマンは「パワーバズーカ」由来という順当な描写。パワーバズーカは、「ジャッカー」のビッグボンバーを、よりメカニカルかつスタイリッシュに発展させた、「合体バズーカ」のパイオニアですが、その魅力は現在に至っても色褪せていません。
マスクマンは2号ロボであるギャラクシーロボの、「鉄拳オーラギャラクシー」から。座禅を組んだり、純粋な格闘型ロボであったりと、その特殊性は、現在におけるロボットの個性分けの端緒と言えるのではないでしょうか。
というわけで、大充実の前哨戦でした。「ゴーカイジャー」、最後の最後までやってくれそうです。
]]>手放しで評価したい名編でした。やっぱり、戦隊という群像劇における「1対1の対決」は特別な雰囲気があって、大いに盛り上がれますね。
評価すべき点は色々有り過ぎて、枚挙に暇がないのですが、とにかく「王道」を大切にしていた処が賞賛に値するのではないでしょうか。それは、怪我を押して出てくるマーベラスであったり、一進一退...もっと言えば同じ動きで拮抗したり、決まり手が周囲から目視出来なかったり、両者倒れた後、ライバルの方が先に立ち上がったり。
こうした「対決の美意識」とも言うべき画面作りは、東映が良質なチャンバラ映画を沢山制作する過程で確立してきたものであり、他の追随を許さない「お家芸」であると断言出来ます。まぁ、あらゆる人材が流出と流入を繰り返してきた映像制作各社ですから、現在に至っては、何も東映だけの専売特許というわけではないのですが、戦隊黎明期は、明らかに「東映のカラー」を反映しており、それを継承してきたスーパー戦隊シリーズが、その色濃い影響下にある事は確かでしょう。
やはり、言葉を尽くしても今回の素晴らしさを語れないのですが、私なりに気付いた点をまとめてみようと思います。
なお、チェンジしたのはマーベラスを除く五人で、ジョーがデンジレッド、ルカがギンガレッド、ハカセがゴセイレッド、アイムがマジレッド、鎧がデカレッドに。それぞれ、得意技や特徴的なアクションを披露しており、存在感をアピールしていました。
もう少し掘り下げると、今回の豪快チェンジは、前述のとおりオールレッドとなっており、マーベラス不在というシチュエーションに乗って、盛り上げまくる為の粋な演出になっています。また、バスコがゴーカイジャーのキーを使ってナビィを追い詰めるという底意地の悪さ。それは、バスコを悪役の極致に堕とす為に必要な要素であったのは勿論、この流れによって、スーツのゴーカイジャー対素面のゴーカイジャーという、ドリームマッチが実現。さらに、それがガレオン奪回の端緒へと繋がっていくカタルシス。様々な面で、設定面を使い倒していく姿勢が見事です。
この時の素面アクションはかなり充実していて、更に安定感まで感じさせていましたね。さすがに成長のあとが如実に伺えます。
更には、バスコの言によれば、「ナビィは永久機関で動いていて、宇宙最大のお宝を得る為の重要な存在」という事が判明。どういう秘密が隠されているのかは、次回以降への持ち越しとなるようですが、なかなか面白い仕掛けだと思います。
もう一つ、大いなる力に関してですが、ここではあくまで「海賊が集めた宝」として認識されており(そもそも、そう認識していないのは鎧だけかも知れませんが)、更には、それを通じて辿り着くであろう「宇宙最大のお宝」自体の存在をバスコによって危うくされかかるのです。
というのも、アカレッドは元々地球人であり、「宇宙最大のお宝」を餌に、マーベラスとバスコに大いなる力を集めさせ、集めた大いなる力を地球人に与える事で地球を守ろうとした...というのが、バスコの弁。これは、マーベラスの戦意喪失を狙ったバスコの狡猾な言という意味を含んでいる為、アカレッドの名誉を貶めるとまでは行かないのではありますが、それなりに衝撃的です。
しかし、例えそれが真実であろうとも、「宇宙最大のお宝」はマーベラス自身の夢であり、アカレッドを敵に回してでも手にするつもりであるとマーベラスが表明した事により、アカレッドその人が、マーベラスの夢を阻む要素には成り得ないとされました。つまり、マーベラスはアカレッドを多かれ少なかれ尊敬する人物と位置付けていたものの、ある時点で自分を「赤き海賊団の生き残り」ではなく、「(現編成の)海賊戦隊ゴーカイジャーのキャプテン」という立場に昇華させたという言明になっているわけです。
これにより、マーベラスはアカレッドの呪縛から遂に逃れたとも言え、バスコをアカレッドの仇として見るのではなく、夢を掴む為に倒さなければならない敵として見る事となり、両者の対決がアカレッドの眼下で繰り広げられる事を脱却出来たのではないでしょうか。この段取りの素晴らしさが、今回の対決をより盛り上げた事は間違いないでしょう。
このように、大いなる力は、マーベラスの到達したポジションを明確化する為のキーワードとして使用されました。
さて、マーベラスとバスコの対決のあまりの迫力により、他のメンバーがやや霞んでいますが、実際にはそんな事はなく(ザンギャックは完全除外・笑)、皆、マーベラスの為に力を尽くし、そして強大なバスコの前に敗れるのです。だからと言って、各メンバーがマーベラスより弱いというわけではなく、バスコの出方(あるいは性格)を熟知しているか否かで、勝敗のラインが決するという雰囲気が見事。要するに、ジョー達はあくまでも正攻法でしたが、マーベラスは「肉を切らせて骨を断つ」という、バスコの裏をかく戦法を展開したわけです。それに、今回は回想シーンが度々挿入されましたが、それはセンチメンタルな感情を喚起するのではなく、バスコの「人となり」を冷静に分析するかのごとくクールなものであり、その事が、前述の雰囲気の根拠となっています。
また、バスコ自体が結果的に弱体化しなかったのも素晴らしい点で、あくまでも戦力的にマーベラスより上に居て、マーベラスの勝利は、前述の「肉を切らせて骨を断つ」=「自身も多大なダメージを負った上での戦法」と、「サリーとの束の間の絆」によるものであるという「解答」でした。
特に、サリーとの束の間の絆については、完全にお涙頂戴な展開でありつつも、ここではジャストフィットで全く厭味もないし、むしろ殺伐とした戦いの合間に挿入された、ある種の清涼剤のような効果すらも。爆弾を体内にしまう事で、マーベラスのダメージを軽減する回想シーンは、マーベラスが何故あの爆発から生き残ったかという事を的確に説明すると共に、サリーも信頼出来る人物が見つかったのだという、何とも感動的なものになっていました。
心を通わせた者の形見が胸にあり、それが銃弾を防ぐというシチュエーション自体は、それこそ何度も何度も使用されてきた定番中の定番ですが、定番だからこそ、使いようによっては素晴らしいシーンに仕上がるという見本でしたね。このシチュエーション、「ああ、やっぱり」と思うより先に、「そうあって欲しい」と思わせる事が重要だと思います。今回は見事にそれを達成していたのではないでしょうか。
状況を単純化すると、サリーに与えた爆弾が、翻ってバスコに牙を剥くという展開であったわけですが、それを知った時のバスコの反応があまりにも素晴らしいんですよね。「ああ、自分は他人との関わり方を誤っていたのか」とでも言いたげな、諦念と悟りに満ちた穏やかな笑み。緑色の血液が禍々しさを湛えつつも、そこにあったのは、一人の人間としてのバスコでした。
そして、果てる際に人間態であった事が、重要な示唆を与えてくれます。それは、作劇上、細貝さんの演技力に頼るといった面もあったかも知れませんが、それ以上に、「バスコが人間態で果てた」という事実が重要です。つまり、バスコのあの赤い怪人態は、バスコが「変身したもの」であり、あれは「正体」ではなく、何らかの能力による「変身」だという事。となると、赤き海賊団で楽しくやっていた当初は、バスコも人間的だったのではないかという推測も成立するのです。マーベラスとの回想シーンで頻繁に登場する、本当に楽しそうな二人のやり取りは、バスコの「芝居」ではなく、自然な姿だったのではないか...とも思えるわけで、生粋の悪役として散ったバスコの内面にある、少しばかりの悲劇性が露見した瞬間、二人の対決は清々しい結末にはならず、やや寂寥感を伴った重厚な雰囲気となりました。
なお、定番と言えば、話は前後しますが、マーベラスとバスコの相打ちと、バスコが先に動き始めるというシチュエーションも定番中の定番でしたね。これに関しても、「ああ、やっぱり」と思うより先に、「そうあって欲しい」と思わせる事が出来ていました。色々な面で、この二人の対決は戦隊史上に残る名シーンとなり得ました。
ちなみに、スーパー戦隊シリーズにおける他の「対決」を独断と偏見で挙げてみると、最近では「シンケンジャー」の丈瑠VS十臓、中期では「ダイレンジャー」の亮VSジン、初期では「チェンジマン」のチェンジドラゴンVSブーバの夕陽の対決、黎明期では「バトルフィーバー」の鉄山将軍VSヘッダー指揮官。最後の鉄山VSヘッダーは、敵味方の幹部同士が(ヒーローを差し置いて!)雌雄を決するべく対決を繰り広げるという、空前絶後の魅力があります。鉄山は東千代之介さん、ヘッダーは石橋雅史さんであり、東千代之介さんは東映時代劇映画の大スター、石橋雅史さんは東映空手映画の大御所(しかも本当に空手の達人!)。この「二人」の対決を描きたいと制作陣が欲したのも当然でしょう。
そんなわけで、手放しで褒めまくったわけですが、それほど充実していました。しかし、哀しいかな年季の入った戦隊ファンは、レジェンド大挙出演の次回予告にノックアウトされてしまったわけで...(笑)。明らかに短い尺の出演だという事が分かるのですが、楽しみで仕方なくなってしまう哀しいサガ。はい。次回、大いに楽しみです!
ストーリーの骨子は、バスコの卑怯極まりない知略により、捨て駒とされたサリーが見た恐怖=「裏切りの果て」と、マーベラスが「裏切りの果て」に辿り着いた「裏切られた者」への同情心に似た感情が出会い、そこをバスコにつけ込まれて大危機に陥るといったもの。極論すれば、それ「だけ」であり、バスコの裏切り、奸計、奸智といった空寒い要素をじっくり描く事に終始しています。
というわけで、本編大充実、その代わり文章で伝わる部分が少ないので、あんまり書く事も無いのですが、とりあえず何とか膨らませてみました...(笑)。
過去の記事と重複しますが、バスコについて振り返ってみましょう。
まず、バスコの特徴的な一面としてあげられるのは、演者である細貝圭さんの適格な演技で紡ぎだされる「軽さ」があります。この部分は大変評価に値する面で、どっしり構えたキャプテンであるマーベラスとのコントラストがよく出ています。
当初は、この「軽さ」こそがバスコの真骨頂であり、軽さの裏に優れた奸智を秘めているといった雰囲気が、不気味な印象を与える事に成功していたのではないかと思います。つまりは、「力で劣るが奸智に長ける」という要素自体がバスコの魅力だったわけです。
ところが、途中でバスコの、ザンギャックの行動隊長や幹部のような「人間の姿ではない怪人」である正体が明かされると、今度は一転してバスコの「純粋な戦力の高さ」がクローズアップされるわけです。私はこの事態にやや落胆を覚えたわけですが、ダマラスの一件や、今回のような盛り上がりにとっては不可欠な要素であり、悩ましい処です。
この時点で、バスコは「力も強いし奸智にも長ける」ので、あらゆる周辺の者達を軽蔑しており、それが彼の「軽さ」の正体であるとされるわけです。それは、今回も含めて度々見られた、バスコの「自分以外信頼しない」というポリシーにも繋がっている事となり、一応、この辺りの一貫性はあったと言えるでしょう。
実は、最もバスコの「変貌(と私が勝手に呼んでいる)」が影響を及ぼしたのは、バスコ自身よりもサリーとの関係性です。
話は戻りますが、当初のバスコは「力で劣るが奸智に長ける」という印象であり、その「力」の部分を担っていたのが、このサリーでした。腹から「○○ロイド(今頃気付いたが、いわば「レインボーマンの大いなる力」)」を出して巨大戦を展開したり、自身の素早さ、そして強力なパワーは、バスコに代わってゴーカイジャーを苦しめました。他にも、レンジャーキーの奪取等に活躍したりと、正にバスコの手足となってゴーカイジャーに立ちはだかったわけです。
サリーが当初、いかにバスコにとって「大切に見えた」かは、サリーが攻撃を受けた際、かなり心配した様子を見せた事から感じられます。ここでのバスコの態度は、サリーを手懐けるというより、サリーを失いたくないといった感情が出ていたように見受けられるので、今回の行動にはやや違和感を覚えてしまいます。
ただ、これはある意味仕方のない事ではあるでしょう。というのも、キャスト陣には先々の展開が伏せられている事が往々にしてあり、当初の演技プランに、「利用する為だけにサリーを手懐けている」という要素はなかったであろう事は、想像に難くありません。
バスコが本来の強さを露呈した時点から、サリーの扱いを徐々に軽薄にしていくという手法もあったのではないかと思いますが、如何せん「ゴーカイジャー」というシリーズの性格上、徹底して各キャラクターを描き切るという事は、尺的に不可能に近い。ザンギャックが流れのメインにあまりフィーチュアされないのと同様、バスコについてもメインキャラ扱いながら、割を食った形になってしまったのではないでしょうか。
逆に、今回のバスコの行動が、「意外性」を持って受け止められる前提であれば、これ程効果的な「悪役化」への段取りはないと言えるでしょう。
哀れ、今回サリーは爆発四散して果ててしまうわけですが、ここまで躊躇なく「相棒」を撃ったり爆破したりといったバスコの行動は、それまでのサリーの可愛がりようを見るにつけ、衝撃以外の何物でもありません。そういう意味で、「仲間」という存在を重んじる男であるマーベラスとの対極化は、完遂されたと看做して良いでしょう。対決にあたり、対極にある者同士が戦う方が盛り上がるのは必至。ここに来て、遂にレジェンド戦隊という枠から自由になり、「ゴーカイジャー」そのものの物語が始まり、そして終わろうとしていると言ったら、それは言い過ぎでしょうか。
さて、今回は、少しピリッと効いたセリフがあったので書き留めておこうと思います。それは、ジョーのセリフ。サリーを保護したマーベラスに対する、皮肉と賞賛を込めたセリフです。ジョーは、マーベラスが引き入れてきた「仲間」について、的確に表現をするのですが、まず自分の事を「元ザンギャック」、ルカを「女盗賊」、ハカセを「ろくに戦えそうもない技術者」、アイムを「お姫様」、そして鎧を「通りすがりの地球人」と称しました。これ程的を射た表現はないでしょう。しかも、それぞれが仲間になった際のシーンが、それぞれのカラーをフィーチュアしたローコントラスト調で描かれており、非常に凝った画面作りになっています。これらの者達を仲間にしたマーベラスの「お人好し振り」を皮肉り、そして「よく仲間にしてくれた」と賞賛しているわけで、ジョーならではだと思います。
ここで豪快チェンジについて。今回は、ストーリーが単純な分、結構盛り沢山でした。なお、どれもマーベラスが倒れた後なので、レッド抜きです。
まずはダイレンジャー。それぞれの特徴的な技が、比較的オリジナルに忠実に描かれました。特にシシレンジャーの幻新幹線は、総武線や山手線のレベルアップバージョンとして見る事が出来ます。また、キバレンジャーの吼新星・乱れやまびこは、以前「ゴーカイジャー」で披露された拡大解釈バージョンではなく、オリジナルのイメージに忠実でした。テンマレンジャーの足技も華麗だったし、キリンレンジャーの時間返し、ホウオウレンジャーの一文字竜巻も嬉しい選択でしたね。
続いてハリケンジャー。ハリケンレッドを除く編成が新鮮。影の舞は描写が便利なのか、「ゴーカイジャー」でもかなり使用されているので、大変こなれています。
最後はギンガマン。「銀河の戦光」を使用しましたが、黒騎士を含むバージョンはオリジナルになく、この辺りは「ゴーカイジャー」ならではの趣向だと言えます。
というわけで、かつてない程の危機的状態で次回へ引っ張りました。ガレオンを奪取して船長の椅子に座るバスコの禍々しさも際立ち、いよいよクライマックスといった趣ですね。
先輩ゲスト編もここまで来ると、もう「先輩から教えられる事」はなくなり、何と、ニンジャマンが逆に「気付きを与えられる」側になっています。しかも、ニンジャマン自体が「カクレンジャーの大いなる力」というオチが付き、相変わらず直情的で人懐っこく、しかも思慮に浅い愛すべきキャラクターとして立ち振舞っていました。この点については満足でしたね。ゴーカイジャーの「戦隊としての」成長振りを感じさせるに充分でした。
物足りなかったのは、ニンジャマンがこれだけ「青二才」振りを発揮していたにも関わらず、サムライマンにチェンジしなかった事。大いなる力が単なる巨大化では、「カクレンジャー」本編を見ていた層から100%の賛辞を得られないのでは。まぁ、ニンジャマンが等身大キャラである一方、サムライマンはいわゆるロボット系の造形物ですから、スーツ自体の現存率は低いのかも知れません。とりあえず、ニンジャマンが「青二才」と呼ばれていた頃に比べて、少しは成長を遂げたんだと、納得しておきましょう。
続きの方、ちょっと時間がないので、簡単な感想になってしまいます。
今回は、ニンジャマンがゲストという要素を兼ねていますから、この「変心」自体の面白さに関しては、あまり掘り下げられません。むしろ、普段は基本的に温和なハカセと鎧が、チンピラ風の言動に変化し、互いが殺伐とした喧嘩を始めるというシチュエーションによって、苦味を伴う感覚を作り出す事にスポットが当てられており、後でアイムの行動をきっかけに、ハカセと鎧自ら「変心」を克服するシーンが、より爽やかになるよう配慮されているようです。
しかし、面白くないというわけではなく、例えばハカセと鎧の喧嘩ですが、勿体無いくらいに充実したアクションで可笑しい限り。鎧のアクション性の高さは折り紙つきですが、ハカセがアクロバティックなバック宙を披露する等、驚きを織り込んだ組み立てが素晴らしいの一言です。
そして、我に返るシーンの爽やかさを際立たせているのが、アイムの膝枕(!)。視聴者男性諸氏を羨望のるつぼに叩き込んだであろうこのシーン(笑)。これまで敢えて秘匿されていたアイムの「母性」が露見し炸裂したシーンとして、記憶に残ることでしょう。
何故これまで母性が秘匿されてきたかという事については、もはや周知ではないかと思いますが、アイムはファミーユ星の難民であり、悲劇的な背景を持つ「悲劇のお姫様」であり、「ゴーカイジャーのお母さん」ではなく、あくまで「ルカの妹的存在」としてスタートしています。それが、ルカの妹というポジションからの脱却を発端に、遂にはファミーユ星の仇を討つまでに成長し、ゴーカイジャーきってのムードメーカーである事を強く認識されるに至ったわけです。その過程で「母性」を描写される事は、アイムの可憐さをスポイルしかねません。アイム個人のストーリーが一区切りついた今、やっとその辺りの描写が許される事になったわけですね。
さて、大抵「変心」を実行する敵役は、卑怯者ならではの戦闘力の弱さを露呈するのですが、今回のジュジュ(声が〜多分スーツアクターも〜日下秀昭さん!)は戦闘力自体も強力で驚きました。次回よりバスコとの決戦に入っていくのではないかと思われますが、その前に愉快犯的でありながら戦力自体強力な敵を出しておくことで、ザンギャック自体の強力化を匂わせている辺り、なかなか段取りが良いのではないでしょうか。
ホントに短い文章でしたが、ここらで豪快チェンジについて。
まずはサンバルカン。ハカセ、アイム、鎧を除く三人のカラーが、丁度サンバルカンの編成になっていて、段取りの良さが光ります。太陽ジャンプの再現が今回の目玉でした。サンバルカンと言えば、大いなる力をバスコに奪われていますが、豪快チェンジは大いなる力を初披露する回の前振りとなるパターンが多いので、何かを匂わせているのかも知れません。
そして、真打ちはカクレンジャー。鎧がゴールドモードとなって単独で戦いを挑むという、これまた巧い段取りの後、ニンジャマン本人を含めた完全編成でのチェンジとなりました。
ニンジャホワイトの繰りだす折鶴の舞はオリジナルより派手に。実はそれ以外のメンバーは、変わり身の術以外あまり印象的な技を繰り出しておらず、カクレンジャーならではの「密教的な忍術」と「アメコミ風書き文字」といった特徴が、意外に出しにくいものである事を感じました。それだけ、「カクレンジャー」におけるアクション演出が特殊だったという事ですね。
それにしてもニンジャマンは、カクレンジャーのキーで呼び出せばいつでも現れるようになったんでしょうか。まぁ、その辺りはこだわらないんでしょうね(笑)。風雷丸やマッハルコンのように、「喋る大いなる力」と同様の扱いとなって、残り少ない話数ですが、少し出てくれると面白いのではないかと思いますが...。
次の戦隊「ゴーバスターズ」も発表され、今回予告編も放映されました。この時期になると、興味は俄然新戦隊の方に移ってしまい、モチベーションの維持も大変なのですが、肩の力を抜いて「ゴーカイジャー」を見届けていく所存でございます。
さて、新年第一回目のエピソードは、「最後の砦」である「カクレンジャー」に関するお話。変則的な先輩ゲスト編という事になりますが、実際は戦隊シリーズ恒例の「総集編」を兼ねています。
戦隊シリーズがはっきりと総集編の体裁を導入したのは、「バトルフィーバー」のゴースト怪人の回だったと記憶してますが、誤っていたら申し訳ございません。「バトルフィーバー」でのそれは、あまり使われなかった数々の挿入歌をバックに、各メンバーの代表的な活躍回が振り返られるという構成でした。その後も半数くらいのシリーズで総集編となるエピソードが作られましたが、共通しているのは、何か事態が進行する中でこれまでの足跡が振り返られるという構成。ただし近年は、商品展開とのリンクが濃密なのを受けて、ほぼ全ての武装や巨大ロボ等のアイテムを網羅する構成が強くなっています。
今回のトピックは3つ。ニンジャマン、総集編、そして鶴姫。それぞれについて、軽く言及してみます。
そのニンジャマン、声はオリジナル通り矢尾一樹さんで、キャラクター性は当時のまま。基本的に経年による外見の変化がない「スーツのキャラクター」なので、当時のままのキャラクターが出てくるというのは、この種のキャラクターの醍醐味です。
また、様々な方面で上がっていた、「何故、追加戦士に近いニンジャマンはレジェンド大戦に参戦していなかったのか?」といった疑問が、土壇場になって解決されるなど、トピック的にも注目すべきものがありました。その理由を説明する際、「カクレンジャー」前半で見られた講談風の紙芝居を用いる等、趣向が凝らされていて良い感じでした。
今ひとつ不徹底だと感じたのは、壷を割る際にアイムがその金槌を手に取った事。元来、鶴姫の血脈にある者のみが封印を解く事を許されており、その設定を遵守するならば、アイムに封印を解くのは不可能です。まぁ、この辺りは「海賊版」と割り切ってもいいのですが、他のエピソードでの(思い入れたっぷりの)徹底振りを見るにつけ、何かしらの理由が欲しかった処ですね。今回、鶴姫もゲスト出演しているので、彼女が忍術で何らかの手助けをしたのかも知れませんが...。
それにしてもニンジャマン、ハカセと鎧、そしてジョー渾身の(笑)茶菓子を、どうやって食べるつもりだったのか。是非食べるシーンが見たかったですね〜。
なお、ニンジャマンが「カクレンジャーの大いなる力」を渡すという事になりそうですが、この事は、ニンジャマンが「6人目のカクレンジャー」だとされている有効な証左となるのではないでしょうか。それだけに、レジェンド大戦不在という状況が、どれだけ特殊で尚且つ「狙っていた」かが分かります。
続いては、総集編。
この総集編を見れば、「ゴーカイジャー」のこれまでの流れが俯瞰出来ると言えるくらい、良く出来ていました。実質15分くらいの総集編なのに、ここまでテンポ良く流れをまとめ、しかも全戦隊への豪快チェンジを見せ、全ての先輩ゲストを網羅してみせた手腕には、大拍手です。また、大いなる力についても、映像と補足説明のセリフで巧くまとめており、カクレンジャーが誰にも入手されていない最後の大いなる力である事を端的に示しています。
この総集編を見ると、豪快チェンジにおける演出が、毎回オリジナルの戦隊の特徴を生かしつつ、様々な工夫が凝らされていたのだと再認識させられましたね。そして、先輩ゲストの網羅は、やはり感涙モノでした。惜しむらくは、海城剛を始めとする劇場版の面々が登場しなかった事ですが、これはテレビ版限定という意味で仕方ないのではないかと思います。
面白いのは、この総集編が「ゴーカイジャー」という作品の構造を見事に縮図として反映している事でした。何を言いたいかというと、ザンギャックが殆どフィーチュアされていないんですよ(笑)。殆どゴーカイジャー VS バスコという構図で動いているかのようで。これには苦笑してしまいました。
そして、鶴姫。
広瀬仁美さんといえば、「ゴセイジャー」に、突如ニンジャレッド&ヒュウガこと小川輝晃さんと共にゲスト出演され、ファンを驚かせたのが記憶に新しい処。今回、満を持して鶴姫としての登場となり、正に「ゴーカイジャー」ならではの幸福を堪能出来たわけです。衣装も当時の忍者装束のまま。当時14歳の最年少ヒロインとして鮮烈な登場を果たした鶴姫が、こうして15年以上の時を経て帰ってきたわけですが、ホント、変わってない事に驚き。勿論、年齢相応の大人な雰囲気といったものも感じられますが、それはむしろ鶴姫というキャラクターにとってプラスに働いており、エピローグのみの出演が勿体無いと思わされました。
広瀬さんご自身の都合(実質、俳優業は引退されている)を考えると、グリーンバックのあるスタジオでの数時間の撮影が限度であろう事は容易に想像出来ますから、この短いシーンでの出演であっても、諸手を上げて喜ばなければなりません。
先輩ゲスト編恒例の、豪快チェンジによるアクションシーンに、オリジナル戦隊の主題歌インストが流れるといった趣向は、この鶴姫のシーンに転用されました。カクレンジャー編が次回に引っ張られる為に、カクレンジャーにチェンジしてのアクションがなかったのも理由の一つですが、この処理は非常に巧かったですね。
私にとっての「カクレンジャー」といえば、泥臭い「ダイレンジャー」の異様に高いテンションの後の、「(ネガティヴな意味での)オシャレな戦隊」というイメージがあり、司令官(マスコット的後見人含む)不在のロードムービー、ネコマル、妖怪の人間態の新劇色の強さ等が、少し受け入れ辛い印象でした。一方で、最年少ヒロインがリーダーだというパターン破壊、5大ロボットの合体、5大ロボットの軽装バージョンの登場、ポップな忍術等、あまりに新鮮な魅力も多く、今日まで根強いファンが居るのも頷けます。後半からややシリアスな大河構成になりますが、それでも当初のポップな魅力は失われず、逆に「ダイレンジャー」で好評だった要素を取り入れたような感覚になった為、ドラマの完成度も飛躍的に高まり、見応えのあるシリーズとなりました。
俳優陣も非常に個性的で、特にニンジャブラック・ジライヤにケイン・コスギさんがキャスティングされる等、野心に溢れる制作姿勢でした。広瀬さんにしても、前年は「シュシュトリアン」で主演の一人だったわけで、マニアックな「シュシュトリアン」人気をも取り込もうとする貪欲さが素晴らしかったです(劇中で「シュシュトリアン」三人娘が一同に介すというサービスエピソードあり!)。
また、バブル景気の象徴である「ジュリアナ東京」のパロディなんかもあり、時代性も色濃く反映されていましたね。丁度、バブル景気末期の花火が上がっていた時期なので、番組の中身もそれに合わせて推移したかのように見える側面もありました。
バブルといえば、「巨大戦バブル」とも形容すべき凄まじさが、この「カクレンジャー」と次作の「オーレンジャー」にはあります。「カクレンジャー」には、人型の巨大メカが実に変形前後で述べ15体以上も登場しており、次作の「オーレンジャー」にもその傾向が受け継がれます。現在は、巨大戦に限っては、いわゆるゾロメカを増やしていく方向で、マーチャンダイジングの流れを作っていく手法がとられていますが、「カクレンジャー」の頃は、ロボット至上主義とも言うべき商品構成になっていたわけですね。しかしながら、これだけ多くの「ロボット」が登場したにも関わらず、それぞれが個性的なキャラクター性を維持していたのは、特筆すべき点でしょう。
最後に今回の豪快チェンジについて。今回は、ニンジャマンの機嫌を取る為に披露したものです。
まずはオールブルー。マーベラスはゴセイブルー、ジョーはシンケンブルー、ルカはブルードルフィン、ハカセはタイムブルー、アイムはマジブルー、そして鎧はアオレンジャーにチェンジ。どうやら、アオレンジャー以外のスーツアクター諸氏が、それぞれ自らオリジナルにて演じていたキャラクターで揃えられているらしく、裏側のマニアック振りが際立っております。
続いてモチーフクイズという趣向でチェンジ。答えはライオンで、マーベラスはガオレッド、ジョーはゴーオンブルー、ルカはイエローライオン、ハカセはシシレンジャー、アイムはギンガレッド、そして鎧はゴセイナイトにチェンジしました。これはなかなかトリッキーでしたね。
さて、ニンジャマンがどうマーベラス達と関わりを持つのか、そしてニンジャマンのレンジャーキーは存在するのか。色々と気になる次回ですね。
ストーリー構成としては、ルカ編になっていて、ゴーカイジャーきっての「悪い子」であるルカが、「いい子」である事を確認する...といったテーマになっています。
勿論、ルカは「悪い子」でもなんでもなく、「ちょっとヒネた信念の人」なのは、ご覧のとおりなのですが、一番「賊」っぽいのも確かな処。バトルケニアこと曙四郎が、ルカを本気で「悪い子」だと思っていないのは当然ですが、ある意味ルカに、クリスマスというイベントにおける「優しさ」の確認をさせようという意図があったようにも解釈できます。
全体的ににぎやかで、鎧に対するジョーの「何でもアリだな」という感想に象徴されるように、ホントに何でもアリな状態なのですが、それぞれに説得力があっていい感じ。
言うまでもありませんが、この小夜の豪快チェンジに関する一連のシーンは、非常に良く出来ています。
まず、ダブルトラップになっていて、ルカのサバイバル術の片鱗が見える事。ルカの人形で欺き、それが見破られる事を見越した上で、小夜のチェンジしたゴーカイイエローを登場させて敵の隙を突く。この作戦、実はルカ自ら敵の手に掛かるという事に加え、小夜にかなりの危難を負わせる作戦なのですが、鎧を助けたい、弟を助けたいというメンタル要素に支えられており、ギリギリに近い賭けになっている辺りがいいですね。そして、いつも賭けに勝算のあるルカらしい作戦だと思います。
そして、小夜のゴーカイイエローが、いかにも戦いの素人っぽい動きを見せる事。さすがです。アクションがドラマを見せるという、いいお手本です。こういうメリハリが、確実な痛快さを実現していますよね。
さて、今回の豪快チェンジは、前回の「オールグリーン」に続くイエロー祭りでした。マーベラスはガオイエロー、ジョーはタイガーレンジャー、ルカはボウケンイエロー、ハカセはハリケンイエロー、アイムはゴセイイエロー、鎧はキリンレンジャーに。それぞれの得意技がちゃんと描写されていて、満足度はかなり高めでした。
他にも、カクレンジャー(これは次回への引きでしょう)や、バトルフィーバーにもチェンジ。特にバトルフィーバーは、今回先輩ゲストが曙四郎という事もあって、充実度たっぷり。ペンタフォースのバズーカバージョンが、TVシリーズで初披露されたのも嬉しい処ですね。それにしても、バトルフィーバーにはやはり突出した魅力があります。明らかに雰囲気が戦隊よりも「ビビューン」寄りですからね。それもその筈で、制作陣が明らかに「ゴレンジャー風味」を意識したのは、その次の「デンジマン」からなのです。
「バトルフィーバー」についての話は後にまわすとして、鎧はレッドとグリーンのハイブリッドであるゴーカイクリスマスにチェンジ。ここでジョーが「何でもアリだな」発言をしており、笑わせてくれます。これって商品化されるんですかね(笑)。
ラストでは、ルカがマジマザーに。氷のエレメントを使うマジマザーならではの能力で、ホワイトクリスマスを演出するという、粋な使われ方をしました。こういうちょっとしたアイディアが光っているんですよね。
というわけで、本編に関する言及は終了。ここからはバトルフィーバーワールドにご招待。
私の一番好きな戦隊は、「バトルフィーバーJ」です。どれくらい好きかというと、LD買って、DVD買い直すくらい好きです。小学生の頃、隣の県の放送局で再放送があったのですが、辛うじてそれが映る高台の友達の家に、毎日お邪魔して見た程に好きです(笑)。
「バトルフィーバー」の魅力は、他の戦隊にない有機的で派手なマスクのデザイン、スーツ配色の統一感の乏しさ、鉄山将軍とバトルフィーバーロボに見られる和のテイスト、プライベートと仕事にケジメがついている大人の戦隊、敵エゴスのカルトっぽさ、怪人の地位が幹部より上という組織構成、エゴス怪人の正に「何でもアリ」状態。その他、枚挙に暇がありませんが、上記の部分だけでもいかに特殊かが分かります。
現在の目で見ると、相当急場作りのシリーズだった処が見え隠れしており、途中でヒーローの秘密主義が瓦解する前で既に面が割れていたり、必殺技が何の脈絡もなく変わったりと、「やれる事は突然でもやっておこう」的な気合が溢れています。それは、緻密なシリーズ構成を美点としていた「ゴレンジャー」と「ジャッカー」からは、やや後退している感もあるのですが、高久進、上原正三両先生の打ち立てた「人情刑事モノ」のテイストが最も色濃いのが「バトルフィーバー」であり、その意味で、オムニバス的なバラエティさが横溢するシリーズであったと断言出来ます。
人員が二度も交代しているのも特徴。どちらも制作面では急場しのぎが否めなかったようですが、投入されたキャラクターに明らかな差異を付ける辺り、刑事モノのノウハウが遺憾なく発揮されていたのではないでしょうか。
極端に言えば、「月光仮面」から続く「大人であるヒーロー」は、この「バトルフィーバー」までだと言えるかも知れません。それは、「キーハンター」に象徴されるような、大人向けドラマと子供向けドラマが未分化だった時代が、この「バトルフィーバー」で終わったとも換言出来ます。次の「デンジマン」は、ヒーローの年齢こそ高めですが、ヒーローの存在意義は「子供を守ってくれるおじさん」というより、「頼りになるお兄さん」に接近していますし、全体的に刑事モノのテイストは薄れています。「デンジマン」と同時期の「スカイライダー」も、途中で賑やかなテイストへと大きく路線変更しており、80年代初頭こそ、現在の特撮ヒーロードラマの萌芽なのです。
だからこそ、70年代最後の「バトルフィーバー」は、時代を読む上で非常に貴重なドキュメントだと言えます。私が抗しがたい魅力を感じるのも、その辺りに原因がありそうです。
そして、今回ゲストで登場したバトルケニアこと曙四郎を演じたのが、大葉健二さん。
大葉さんは本名の「高橋健二」として、アカレンジャーの後期スーツアクターを務められていたのは有名ですが、「大葉健二」としてのデビューが、正にこのバトルケニアでした。顔出しもスーツアクターも出来るという、オールマイティなアクション俳優として、その存在感は抜群。本編ではコミカルな演技も評価され、次作のデンジブルー役にも続投。そして、その1年後、「ギャバン」に抜擢されるわけです。
数多いJACスターの中でも、真田広之さんや春田純一さんと並んで、大葉さんの人気は突出していますが、やはりそれはヒーロー番組での個性溢れる演技と、50歳を超えた現在でも現役アクションマンとして活躍する等、「大葉健二ならでは」が多数挙げられるからだと思います。
そんな大葉さん、遂に「ゴーカイジャー VS ギャバン」に出演され、ギャバン、バトルケニア、デンジブルーの三役を演じられるとの事。あまりにも凄いのでクラクラしてしまいますが、これは絶対に見に行かなくては!
今年のこのブログはこの辺りでお開き。来年もよろしくお願いいたします。
大方の予想通りというか、まぁ展開自体はどうという事もないのですが、「出来る事を一生懸命やれば良い」という理念の再確認は、なかなか熱かったですね。ついでに、ハカセが「純粋な戦力」としては、やっぱりあんまり有効ではないと言う事も再確認されました(笑)。直截的な言い方をするならば、ハカセがメンバーに居る「利点」は、その「家」を守る能力と、巧くはないがトリッキーな戦術にあり、メンタリティの話で行くならば、ハカセはアイムと並ぶムードメーカーだという事です。
ずっと引っ張ってきたハカセの過去が、それ程魅力的ではなく、むしろハカセは現在進行しているキャラクター性の完成度が高い為、あまり深みのあるエピソードであるとは言えませんでしたが、年末商戦に向けてのアピール度はバッチリでしたね。
というわけで、全体的にハカセをフィーチュアしつつも、ハカセ成分よりむしろ、細かい部分で今後の展開に関わるトピックが散りばめられている方が印象に残ります。それは主に敵側なんですけどね。
良かったと思うのが半分、悪かったと思うのが半分。そして、両方が合わさっても、決して中途半端ではなく、喝采と切なさの間で揺れる感覚。
「悪かった方」は、インサーン以外のザンギャック・レギュラーが、これで全滅状態になった事。そして、本来ワルズ・ギルの弔いの意味を掲げていたにも関わらず、物凄く希薄になってしまった事。この二点です。
ちょっとした味付けに過ぎない事だったかも知れませんが、一度はワルズ・ギルを死に追いやった張本人と誤解されて投獄されているわけですよ、ダマラスは。牢から「自力で」出て、仇討ちに燃えるという、文字通り「燃える」展開を期待させたのに、前回の早い段階からフェードアウト。引き合いに出すのは変かも知れませんが、「ダイナマン」最終編での、カー将軍の「忠義」の重さに比べると、妙に薄っぺらに感じられてしまいます。最終的には、「宇宙最強の男」のプライドを懸けて散ったように見えましたもんねぇ。結局エゴイストだったのかよと...。
実際、ダマラスは、キャラクターとしては殆ど空気扱いだったにも関わらず、そのデザインの秀逸さ、スーツアクターさんの的確な動作、石井康嗣さんの素晴らしい演技により、存在感は充分にあったわけで、逆に空気扱いな分だけミステリアスだったとも言えます。それが、「宇宙最強の男」という、ある意味チープな肩書きを突如与えられ、慢心からバスコに隙を突かれ、年末商戦ボンバーにメッタ打ちにされて堕ちるという、何とも哀れな結末を迎えてしまいました。私としては、ワルズ・ギルに父親のような思いを抱く、「ザンギャックの人格者」として目立って欲しかったなぁ...と思うわけです。
逆に「良かった方」は、主にゴーカイジャーとの対比の部分においてです。
ここでゴーカイジャーはダマラスに勝利したわけですが、その勝利は偶然の上に成立したものに近い。つまり、ダマラスを倒すには、ある程度運が必要だったという事。その意味で、「宇宙最強の男」の面目は保たれた事になります。「宇宙最強の男」をも易々と倒す程、ゴーカイジャーの戦力はアップしているという展開でもいいのですが、それだと単なるチート合戦に陥ってしまうので、常にギリギリの線で拮抗している方が面白いのは間違いないです。
そういった面で、バスコの奸計と不意討ち、ハカセの攻撃を避けないダマラスの慢心といった、高度な展開をさりげなく散りばめつつ、ダマラスとゴーカイジャー双方の絶妙な戦力のバランスを描いたのは、素晴らしかったと思います。新必殺技を編み出すのではなく、正面から攻撃し続けて倒すという展開も良い感じでした(巨大戦の場合は、ある意味新必殺技になってましたが)。
この「良かった方」はバスコの謎めいた行動を引き立てるという面でも、好影響を及ぼしていると思います。戦力的には「ダマラス未満」とされたバスコですが、それでもゴーカイジャーを軽く手玉に取れるくらいの強さは保っています。ゴーカイジャーには「バスコを超える」という命題が突き付けられたままなわけですが、バスコは、大いなる力をコンプリートする為に、どうしてもマーベラスを生かしておく必要があるらしく、簡単にゴーカイジャーとバスコを戦わせない為のクサビが打ち込まれました。これで、バスコは純粋に第三勢力として行動出来るようになり、新体制ザンギャックを交えての、緊迫の三つ巴戦が期待出来るわけです。
ちなみにバスコと言えば、今回サンバルカンとファイブマンの大いなる力を手に入れたと言っておりましたが、これって、やはり「先輩ゲストを望めない戦隊」という事なんですかねぇ?
さて、ハカセ編ですから、ハカセについて言及しておきませんと。
放送当初から、その独特のキャラクター性がクローズアップされ、当然の如く、その過去が興味の的となったハカセ。ある時期はザンギャックのスパイじゃないかと噂されたり、実はアカレッドその人なのではないかと言われたり、話題は尽きませんでしたが、実際にはそんなサプライズじみた展開は用意されず、ハカセはハカセでした。そして、前回より引っ張られた「伝説の勇者」は、ハカセの嘘だったわけです。
この「ハカセの正体」については、拍子抜けしたという感じ方と、それで良かったという感じ方、それぞれがあると思いますが、私は後者の方が強かったです。今回再確認されるまでもなく、ハカセが自分に出来る事を精一杯やってきたのは、シリーズ当初から実感として感じとれるものであり、ここでハカセの素性について大どんでん返しがあったとした場合、到底納得出来るものではないと思います。かつて、「ウルトラマンネクサス」で防衛チーム内に最終ボスが紛れ込んでいたという展開が用意されましたが、各隊員の描写が割と丁寧なシリーズだった為、唐突過ぎて納得するのに時間がかかりました(放映期間短縮のデメリットが表出したという見方も出来ますが)。今回決着を付けられたと言って良いハカセの設定は、これで大正解だと思います。
そして、今回のハカセの活躍は、明確になったハカセのキャラクター設定を受けて、さらに深化しているのではないでしょうか。
アクション面では、素面でもトリッキーなアクションに挑戦していて、素晴らしい出来栄え。細かいながらも身体全体の動きが必要なアクションであり、かなり難易度が高く、並外れた努力の跡が伺えます。勿論、変身後は通常の二倍増しくらいの充実度で、ハカセ主役回を彩ってくれました。
ザンギャックからあまり注目されていない事を逆手に取った、見せかけ正面突破作戦に加え、まさかの「7番目のゴーカイジャー」=ナビィの活躍など、展開自体もトリッキーで、ハカセならではの見せ方が常に意識されていたように思います。バスコまでトリック使ってましたからねー(笑)。
マーベラスの発言、アイムや鎧の発言含め、徹頭徹尾ハカセが「必要な人材」とされる作劇も爽やかで、エピローグにて、「単なる食事担当」に貶められている処さえも爽やか! 二話分使ってじっくりと描写されただけの事はありますね。
ところで、今回の豪快チェンジは、かなり変則的。
まずはハカセ単独でのマーベラス救出シーンで、ギンガグリーンとマジグリーンにチェンジ。特にマジグリーンへのチェンジでは、魔法でゴーミンの足止めを行うなど、効果的な描写が光っていました。
六人勢揃いでのチェンジは、「オールグリーン」という非常に珍しいものに。「オールグリーン」には、Goサインの意味もあり、巧いダブルミーニングが冴えています。マーベラスはデンジグリーンに。アイムのグリーンフラッシュと共に、デンジパンチ&プリズムカイザーのパンチを叩き込むという演出が冴えます。ジョーはシンケングリーンに。鎧のシュリケンジャーと共に、冴える剣技を炸裂させます。このシュリケンジャー、モードチェンジまでしており、追加戦士に多く見られるモードチェンジが、豪快チェンジでも実現可能である事を示しました。ルカはシシレンジャー、ハカセはミドレンジャーにチェンジ。大輪剣とミドメランの飛び道具攻撃を見せてくれます。それぞれの戦術を生かしたタッグ攻撃は新鮮でしたね。よく選抜したものです。
そういえば、名乗りシーンが新撮でしたね。ダイナマンのようなバックの爆発がフィーチュアされていました。一気に「スーパー戦隊」の雰囲気になりますよね。
そして、エンディングの映像が「VS ギャバン」に! 録画を見た際、思わず3回繰り返して見てしまいました(笑)。バトルケニアが飛び掛ってくるアクションに、地味に感動してしまいましたねぇ...。
来週は何となくほのぼのした感じなのでしょうか。パンダの隣に立っているサンタクロースが気になって仕方ありませんね(笑)。
明らかに「伝説の勇者」でないと匂わせる演出が分かりやすくも、どこかで「信じてあげたくなる」引っ掛かりが絶妙。ダマラスを引っ張り出してきてのストーリーはやや強引ですが、強引な中にも繊細な作りが垣間見られるあたりは、ゴーカイクォリティといった処ではないでしょうか。
とりあえず、次回に引っ張るので、あれこれ詮索せず軽〜く。
まず、ダマラスに関しては、いつの間にか「宇宙最強の男」という肩書きがついており、ビックリ。ちなみに、今回のサブタイトルは見事なミスリードになっていて、ハカセの事を指す言葉かと思いきや、実はダマラスの事を示していた...というもの(いや、まだハカセが「伝説の勇者」である可能性は残っていますけど・笑)。
この「最強の」ダマラスですが、あまりにも唐突でご都合主義な感を受けます。ワルズ・ギル存命中は、ザンギャック地球侵略部隊自体が一種のギャグ集団と化しており、ワルズ・ギル退場と共にダマラスが更迭されるくだりで、辛うじて「悪の組織」の雰囲気を回復したものの、今回、自らの力でいとも簡単に牢を打ち破って出陣する等、また道化になってしまいました...。このシーン、凄まじいパワーをこれまで隠匿していたという意図だったものと思われますが、唐突過ぎて逆に笑えてしまうのが残念です。
好意的に解釈するならば、ワルズ・ギル存命中は、でしゃばらないように控えめな態度をとっていたのではないか。また、ワルズ・ギルの死亡に関しては、自分の非が多少なりともあると自認しており、その為、敢えて更迭を甘んじて受けたのではないか。そんな論も充分成り立ちます。
しかしながら、それについては何ら説明が無い為、やはり雰囲気重視。これは「ゴーカイジャーが乗り越えるべき壁」を既存のキャラであるダマラスに負わせる為の、予定調和としての流れであり、違和感を内包しつつも強行突破したのではないかと思います。
バスコについては、現時点最強のキャラクターとしての地位を確立しておきながら、ダマラスには実力が及ばないという、何とも微妙なポジションに。クライマックスに突入するこの時期、敵側もチート化していく必要があるとはいえ、残念ながら「意外とお気楽」なゴーカイジャーの戦いが保っていた絶妙なバランスが、ここに来てある種の弱点として露呈してきた...そんな印象があります。
その「意外とお気楽」な雰囲気を担っているのが、ハカセその人。今回、そして次回が、この「お気楽」を解消する契機となるのか、それとも、「お気楽」をある程度継続する為のエクスキューズを提供するのか、その辺りはまだ不明ですが、いずれにせよ、本エピソードが、このお気楽な雰囲気に問題提起する作品である事は確かです。
今回は、ハカセのバトルスタイルが意外な効果をもたらすといった、楽しい演出が織り込まれており、彼の「戦力」に関する言及がそれとなく示されます。しかし、重要なのはハカセの海賊加入譚。
とある惑星で、いわゆる「何でも屋」を営んでいたハカセが、故障(?)したガレオンと出会うというくだりでしたが、ハカセが加わるまでのガレオンでの生活の荒みっぷりが凄まじく、彼の頭脳よりむしろ「生活面」での有益さを買われたというのが顛末。この回想シーンが異様なまでに丁寧な作りであり、今回はそれ以外がほぼ全編バトルに彩られていたので、メインはやはり、ハカセの加入譚だったと言えるでしょう。マーベラスのハカセに対する適当さも可笑しく、やはりハカセは他のメンバーとは一線を画す特殊なキャラクターだという事が分かりますね。
それにしても、ハカセにガレオン修理を依頼しに来た「ぶりっ子ルカ」が、これまた異様なまでに可愛かったですね〜。色々な情報を総合すると、普段の市道真央さんは、あんな感じのフワッとした雰囲気なのではないかと想像されますが...。
さて、豪快チェンジは、冒頭の「お気楽バトル」にて披露。
まずはゲキレンジャー。初期メンバー三人+臨獣殿二人の変則(逆にある意味正統)編成で。ただし、ゲキレンジャーの特徴的なアクションに特化したという印象は薄目でした。あんまりカッコ良くない理央&エレガントなメレという組み合わせは面白かったですね。
もう一つはファイブマン。個人武器もチラリと登場。そして、必殺技は当時より格段にエフェクトの迫力が増したスーパーファイブボール。これは嬉しいシーンでしたね。
次回、この話にどう決着を付けるのか...楽しみです。
アイムはファミーユ星の王女であり、ザンギャックによって故郷を滅ぼされたという過去を持ちます。これは物語当初から何度か言及されてきたので、特に付加する要素といったものは存在しないのですが、今回は、主に海賊に加わった契機にスポットを当てる事により、たった一つ抜けていた「マーベラス達との出会い」のピースが嵌めこまれた格好です。
これで、ハカセ以外はマーベラスとの出会いが描かれたわけで、「ゴーカイジャー」最大の謎(笑)であるハカセの正体を残すのみとなりました。次回に明らかになる?
今回は、あまりコミカルな面はなく、徹頭徹尾アイムの心情と、それに真正面から向き合うマーベラス達の盤石の気概が描かれ、見る者の胸を熱くさせます。ある意味「意外」な海賊への加入理由、加入当初のダメっぷりの可愛さ、号泣シーン、各メンバーとのペアになっての豪快チェンジ等、見所も沢山。改めてアイムの魅力を再確認出来るエピソードでした。
ダマラスが更迭されるというショッキングなシーンは、ユルいボスであるワルズ・ギルによって、陰口が聴こえつつも不和となるまでには至らず、ある意味アットホームにまとめられていたザンギャック地球侵略部隊が、完全なる武闘派に変貌する事を如実に表現していました。
これは、コミカルな味付けによって「黒十字軍」的だった敵組織が、一気に「ゲルショッカー」的な雰囲気に変貌する事を意味します。クライマックスに向け、「何となく倒しづらい敵」から「何としても倒さなければならない敵」にシフトさせる事で、物語を加速させる意図が感じられるわけです。
これは、今回のストーリーにも良い作用をもたらしました。
何しろ、今回はアイム・ド・ファミーユという亡国の忘れ形見による「復讐譚」なのです。「何としても倒さなければならない敵」でなければ、「復讐譚」は成立しないからです。
ある意味、東映特撮TVドラマというものは、「復讐に燃える異端児」が「復讐からは何も生まれない」というポリシーに目覚め、正義のヒーローへと変化していくドラマを連綿と紡ぎ出して来て、現在では「当初よりヒーローである」か、「何となくヒーローをやらざるを得ない」か、「ごく周囲の幸せを守りたいヒーローである」かに類型化されていると思います。
「仮面ライダー」最初期のエピソードにおいては、本郷猛自身によるショッカーへの復讐心が、戦いの原動力であったのですが、FBIという「世界正義の担い手」のメンバーである滝和也が現れてからは、それが「正義のヒーロー」へと変わります。「V3」の第一話で、再び「復讐」の二文字が強調されるも、正義のヒーローである1号・2号の意志(ここでは遺志)を継承する事で、復讐からの脱却を見ます。しかし、途中でライダーマンが「復讐」に固執するヒーローとして出現し...といった風に、70年代の仮面ライダーシリーズは、復讐とその脱却の繰り返しによって成立していると言っても過言ではありません。
放送枠的に「アマゾン」の後を受け継いだ「ゴレンジャー」は、その辺り完全に脱却前提の話となっています。メンバーは、それぞれの支部の隊員を皆殺しにされた生き残りであり、復讐譚としても充分成り立つ辺り、石ノ森作品独特の作劇手法が見られるわけですが、彼らは仲間の復讐よりも、先にイーグル隊員としての職務を優先させるプロ集団として描かれています。「復讐譚」によるキャラクターの厚みを取り払った分、複数ヒーローならではの強烈な個性を一人一人に与える事により、独特の雰囲気を作品に反映させられたと言えるでしょう。
というわけで、スーパー戦隊シリーズは、この「ゴレンジャー」を始祖とし、当初から「復讐譚」を放棄していると言っても良いシリーズです。なので、たまに復讐譚を含むエピソードが挿入されると、非常に迫力がある!
私が好きなのは、「バトルフィーバー」の二代目バトルコサック・神誠が、弟の復讐に燃えて単独行動を取るエピソード。着任直後に、新キャラを印象付けるという意味でも秀逸なエピソードでしたが、その後の神誠のキャラクター性を決定付けてしまう程のパワーを有しており、「復讐譚」が、使い処を慎重に選ぶべき題材である事も、また示しているのです(神誠の場合は成功例)。
スーパー戦隊シリーズが、青春路線に入ってくると、もう「復讐」という題材は殆ど使われなくなり、主に敵側の行動のきっかけとして使用されるに留まるようになります。近年で言えば、「シンケンジャー」があれだけ愛憎劇を展開したにも関わらず、「復讐譚」が殆ど用いられなかったのは、特筆すべき事でしょう。「仇討ち」が常套の「時代劇」をモチーフにしているにも関わらず、です。
今回、アイムという、およそ復讐譚からは遠い存在に思えるキャラクターに、こうした復讐劇への登板を許したのは、「ゴーカイジャー」がスーパー戦隊としても特殊な存在だからではないでしょうか。可憐なお姫様が仇討ちに燃えるという構図は、鎧を除くメンバー全員が「地球人ではない」という異端児だからこそ。しかも、ゴーカイジャー自体のポリシーが地球防衛ではないからこそです。
とはいえ、アイムが元から仇討ちを旨とするの為だけのキャラクターだと、もはやそれは「戦隊」ではないわけで、この辺りの匙加減や薄め具合が、舌を巻くほど実に巧い。
まず、アイムの海賊加入の理由が、「生き延びたファミーユ星の人々の目に、自らの手配書が触れる機会を作る為」というものである事。アイムはファミーユ星のシンボルとしての自覚を持ち、「生きている事」が即ち人々の希望になるという、非常に崇高な精神の持ち主なのです。この「自覚」が、復讐という行為自体を矮小化し、多面的なアイムの一面に過ぎない事をアピールしています。
次に、アイム加入当初の描写が、銃も剣も、果ては家事すら、まともにこなせないというものだった事。この描写により、復讐が第一義でない事を明らかにしている気がするのです。というのも、それらの「修行中」の描写が、どことなく楽しそうに演出されていたから。涙を流し、歯を食いしばって剣術や射撃をマスターしようとするという雰囲気がないので、あくまで「海賊に加わる為」の通過儀礼的な匂いがあります。
そして、ザツリグを目前にした時の、我を忘れるアイム。これは、ザツリグの姿を見て、突如自らの悲しい過去を思い出し、急激に復讐心を燃え上がらせたように見せる、効果的な演出でした。勿論、いつかはザツリグを倒して敵討ちをしたいという、静かな意志を胸中に秘めていたのは間違いないのですが、海賊としての旅の第一義がそれではないのも明らかなわけで。故に、復讐が第一義となったアイムはマーベラス達の元を去ろうとしたのだし、マーベラスを前にした号泣の意味が、個人的復讐心とマーベラス達への信頼の葛藤の産物であるわけです。
付け加えて、ザツリグが強力なパワーを持った文字通り「殺戮者」であるという事。いわば、勧善懲悪を旨とする時代劇等における「殺しても殺し足りないヤツ」としての資質を持ったキャラクターであり、復讐の牙を向けるに相応しいわけです。いわば、復讐が正義に転化されるわけですね。
こんな感じで、アイムはそのキャラクター性を失う事なく、「復讐」という一区切りを迎える事が出来ました。小池唯さんの名演もあってドラマ性自体も高く、充実していましたね。
ここらで豪快チェンジをまとめておきますが、今回は、豪快チェンジをビジュアル的な面白さと共に、ドラマのメンタル面を補完するアクションに昇華しており、非常に完成度が高いです。これまでで最高の使用法ではないでしょうか。
まず、アイムと鎧の組み合わせでゴーオンウイングスに。鎧はアイムの兄としての存在たる程成熟した人間ではありませんが、少なくとも兄妹もかくやと言える程、強い絆を持った仲間であるという暗喩でしょう。普段は鎧が単独であしゅら男爵状態になるだけに、余計にアイムの鎧に対する信頼感が感じられます。
続いて、ハカセとゴウライジャーに。個人武器&合体武器も登場。共に当初は「低い戦力」と見られていた二人でしたが、ゴウライジャーを演じるほどに強くなったという事を表しているようにも見えます。
次に、ルカとゴセイヒロインに。癒し系とアクティヴ系だったゴセイジャーの二人を、そのままトレスするかのような二人の関係性を、豪快チェンジで顕在化しているのは見事です。
そして、ジョーと共にデカマスター&デカスワンにチェンジ。この二人は、「デカレンジャー」の「良き大人」の代表であり、アイムがジョーに信頼を寄せると共に、ジョーもまた、アイムの精神の成長を認めたかのようなシチュエーションでした。
最後は、マーベラスと共にダブルシンケンレッド! これはオリジナルでも見られなかったペアであり、レア度MAX。「運命を共にする」という文句が相応しい組み合わせで、まともに剣を持つ事も出来なかったアイムが、マーベラスと共に烈火大斬刀を振り回す様は、彼女自身の成長とマーベラスとのポリシーの合致を意味しているようで、胸が熱くなります。
というわけで、アイム編は大充実でした。それを考えると、ジョーのシド先輩絡みが惜しくてしょうがない(笑)。
果たして、ハカセ編はどうなるのか?!
私は「ゴセイジャーVSシンケンジャー」を未見なのですが、何故かゴーカイジャーが出てきて「海賊版ってやつ」と言い、骨のシタリをやっつけるという展開は知っていました。骨のシタリは「シンケンジャー」における「外道衆の深み」の一端を担うキャラクターだったので、この扱いは酷いよな...などと思っていたのですが、今回の「再放送」で、その酷さを確認いたしました(笑)。
私は、前述の劇場版にゴーカイジャーが出てきて豪快チェンジする展開を、「顔見せ」を目的とした「例外的措置」だと思っていて、レジェンド大戦との整合性といったものは無視出来るものと考えていたのですが、まさか整合性を確保する話が出て来るとは、思いもよりませんでしたね。何ともマニアックな。
マニアックと言えば、「タイムレンジャー」は非常に人気の高いスーパー戦隊でありながら、万人受けしている印象に乏しいのは、その少々マニアックな作風にあると思います。今回が「置いてけぼり感」を強めているのは、正にそのマニアックさを継承しているからであって...。
続きではその辺りについてツラツラと。
ただ、あまりにアバンギャルドなプログレ風主題歌(私はプログレファンなので、今でも聞く度に鳥肌が立つほど好きですが)は、作品をマニアックな印象に彩り、基本的に私利私欲の為に動く追加戦士・タイムファイヤーは、元々「タイムレンジャー」が持っていた爽やかさを、ややスポイルする結果となりました。また、タイムロボやタイムシャドウの、ハードSFを意識したデザインは、当時のニーズを微妙に外していたようにも見受けられます。
未来から来た戦隊という設定は、終盤に近づくにつれてやや難解となり、一話たりとも見逃せない構成へと加速して行きますが、この辺りの盛り上がりとマニアックな印象のエスカレートは比例していたように思います。エピローグは去る者と残される者の悲哀が、子供向け番組を逸脱しており、大人にとっては非常に見応えあるものに仕上がっていましたが、メインターゲットである子供達にとっては、やや最終回としてのカタルシスに欠く感は否めなかったのではないでしょうか。
実は、今回のお話は、そういった要素が見事に当てはまってしまうのです。
まず、全体的な雰囲気は、「ゴセイジャーVSシンケンジャー」の豪華な絵面をフィーチュアしているだけあって、派手で爽快。マーベラス達五人の活躍と、鎧の話が分離しているのも、ヘンに「ゴセイジャーVSシンケンジャー」にゴーカイシルバーが登場していない事の言い訳を埋め込むより、潔くて分かりやすいです。地球人の子供(実はドモンの息子)との交流も、鎧ならではでしたし。
この点は、「タイムレンジャー」全体のビジュアルの豪華さ(大ヒット映画「マトリックス」シリーズを踏襲)に通ずる処、大です。
問題は、「ゴセイジャーVSシンケンジャー」未見の視聴者に向けての、あるいは「ゴセイジャー」の構造を知らない視聴者に向けての、ひいては「タイムレンジャー」を知らない視聴者にむけての、説明を要する部分が殆ど抜け落ちてしまっている事。
この辺りは、一話たりとも見逃せない「タイムレンジャー」本編に通じているような気がします。こういった幼児向けコンテンツは、話を分かりやすくすべく、何度か(というより執拗に)回想シーンを交えたりするものですが、「タイムレンジャー」はあまりそういった意識がなく、怒涛のように突っ走っていく印象すらありました。その疾走感は、今回のエピソードにも感じられる処でしょう。
「ゴセイジャーVSシンケンジャー」未見の視聴者にとっては、骨のシタリやナナシ連中といった外道衆相手に、何故ゴセイジャーとシンケンジャーが手を取り合って戦っているのかが、ちょっと理解不能だと思います。
あ、今気付いたんですが、「ゴーカイジャー」の世界の時系列では、この「VSシリーズ」が「正史」扱いなんですね。サラッと流されてますが、テレビ版の一つのエピソードに複数の戦隊が登場するのは、今回が初なんですよ。第1話のレジェンド大戦は例外として。
で、「ゴセイジャー」未見の視聴者にとっては、メタルAが何者かさっぱり分からない。シリーズとしては直近の戦隊なので、特に説明する必要もなかろうとの判断だとは思いますが、絶対にこの先「ゴーカイジャー」のストーリー構成に関わるキャラクターではない上、データ収集するという思わせ振りな行動は、何らかの伏線に勘違いされてしまうのではないでしょうか(笑)。
そして、「タイムレンジャー」未見の視聴者にとっては、森山ホナミとその息子の登場に感慨を得る事もなく、突如のドモンの涙に戸惑いを覚えたのではないでしょうか。和泉さんの的確な演技に深みがあり、あの涙とセリフで状況を何となく飲み込めるように組み立てられてはいるのですが、「匂わせる」という方向性には勝ち過ぎているし、「分からせる」という方向性には不足しています。制作陣もギリギリまで迷ったそうですが...。
もう一つ、ドモンが何故あの神社の焼失を防ぎたかったのかが、よく分かりません。思わせ振りな壷がクローズアップされましたが、伏線を張るにしては印象が薄過ぎるので、「投げっぱなし」な印象が否めない処です。まぁ、何らかの前振りである事は間違いなさそうですが。
こんな感じで、単体のエピソードとしては、あまりにも「不親切」。「タイムレンジャー」や「ゴセイジャー」を知っていて、思わず感動してしまった私ですら、どこか「アレっ?」と思ってしまったくらいですから。
しかしながら、知っていれば終始「オオっ!」と唸らざるを得ないのも本エピソードの特徴。ファン(それもマニア寄り)向けだと割り切っている作風だと理解すれば、これ程面白いエピソードもないわけです。骨のシタリやメタルAといった「二番手」を連続で登場させるマニアックさには、思わずクスっと笑ってしまう事でしょう。そして、去る者にならざるを得なかったドモンと、残された者にならざるを得なかったホナミが、偶然性という糸を、時空を超えて結び合ったという事実が、胸を熱くしてくれます。ドモンの人選は、正に正解だったわけです。
なお、全国のあちこちを転々としたという、鎧の生い立ちも判明し、「ゴーカイジャー」の物語としても、少しだけ前進しているのは、良いことですね。
さて、豪快チェンジは、結構目まぐるしいです。
鎧はシンケンゴールドで「防」のモヂカラを駆使。サカナマル連続斬り等、オリジナルを継承・発展させたスタイルが良い感じでした。キングレンジャーにもチェンジし、パワーファイトを繰り広げてシンケンゴールドとのコントラストを作ってくれました。
マーベラス達五人は、レッド揃い踏みで。ゴーオンレッド、デカレッド、マジレッド、ゲキレッド、ボウケンレッドというセレクトにより、骨のシタリを撃破します。このシーンは、「ゴセイジャーVSシンケンジャー」のシーンの流用と思われるのですが、違和感がありませんでしたね。
トリは当然の如くタイムレンジャーで。タイムファイヤー入れての六人編成は目新しい感じです。「マトリックス」を意識しまくった変身シーンが再現されており、BGMも例のプログレ主題歌のインストとあっては、興奮必至。ダブルベクターを使用しての様々な技も多数繰り出され、タイムレンジャーの戦闘シーンとしても高い完成度を誇っていました。
巨大戦では、黒騎士ヒュウガの大いなる力が初登場。ギンガマン編から随分と経っているので、すっかり忘れてました(笑)。
次回は、いよいよ皇帝が登場。「風雲急を告げる」となりそうですねー。
一応、現時点で最強の敵であるバスコも登場しますが、以前の対バスコ戦における戦い方に比べ、ややゴーカイジャー側にも成長が見られるといった描写もあり、必ずしも負けっぱなしではないという辺りは、なかなか良かったのではないでしょうか。
というのも、一話完結という形式上、バスコに毎度何らかの退場契機を与えなければならないからです。既に、大いなる力の略奪行為が必ずマーベラス陣営と偶然重なってしまうという、登場上の不自然さを内包している上で、退場においても偶然性を導入しなければならないとあっては、バスコの使い方がどんどん難しくなってしまいます。
さて、今回はメガレンジャー編でした。ゲストはメガレッド=伊達健太こと大柴隼人さん。「メガレンジャー」は「ターボレンジャー」以来の高校生戦隊でしたが、レッドに「落ちこぼれ」を設定するという設定のシフトにより、より爽やかな学園ドラマとなりました。
当然ながら「メガレンジャー」当時と比べ、格段に「大人の男」となった大柴さんですが、「諸星学園高校」の教師になっているという設定にも完璧に雰囲気がマッチしており、もはや「落ちこぼれ」ではなく、「生徒と等身大で付き合える先生」となっていました。実はこの「等身大」という言葉こそが、「メガレンジャー」のテーマ。
続きの方では、その「等身大」にスポットを当ててみます。
体裁は「先輩ゲスト編」ですが、それなりに困難な試練や重いテーマを背負う事を課してきた他の先輩達に比べ、さすがは健太、海賊達に学校生活をさせて、学校が楽しくて大事な場所だという事を理解させるという、他のスーパー戦隊には殆ど通用しない試練(?)を課します。
「ゴーカイジャー」は、シリアスとコメディの振り幅が広く、それぞれの「場」でそれぞれ水準を超える魅力を発揮するという、稀有なシリーズだと思いますが、今回はその中間にあって、スーパー戦隊のある種の独特のユルさを強調し、その場での魅力を確認するような作風だったように思います。その中心を担うのが伊達健太。しかし、「メガレンジャー」は特にユルいシリーズというわけでもなく、むしろ後半戦に向かってハードな作風になっていく印象のシリーズでした。では何故、健太がユルさを許容するキャラクターなのか。そこを追求すると、自ずと「メガレンジャー」の魅力なりテーマ性が見えてくると思います。
ここで見えてくるのが、「等身大」。ここでいう「等身大」は、巨大戦がないがしろにされているという意味ではなく、ドラマのテーマが「等身大」だという意味です。
繰り返しになりますが、「メガレンジャー」は「高校生戦隊」。しかも、同じ「高校生戦隊」の「ターボレンジャー」よりも、徹底して「高校生」です。
伊達健太がメガレンジャーにスカウトされたのは、通学途中に寄り道出来るようなゲームセンター。メガレンジャーのメンバーは、諸星学園高校の「デジタル研究会」の部員。先生に正体を隠して戦うメガレンジャー。文化祭や修学旅行といったイベントも描かれ、メンバーは、学業や遊びと戦いの両立に悩んだり、励まし合ったりします。究極は、メガレンジャーである事がバレた後、危険視されて学校から追い出されるという展開。その後、「友達」や「先生」といった、メガレンジャーの面々が「等身大」で付き合ってきた人々により、卒業を祝福されるという、非常に感動的で爽やかな幕引きを迎える事となります。
また、「メガレンジャー」には「良き大人」が登場するのも特徴。久保田博士、大岩先生、そしてメガシルバー=早川裕作。それぞれが、個性的で一筋縄で行かないキャラクター性を持ちつつも、健太達にとっては頼れる背中を見せてくれる存在でした。学園モノには、「悪しき大人」と「良き大人」が不可欠ですが、悪い大人の部分を敵組織であるネジレジアが担っていたので、主人公サイドには「良き大人」が付いていたという事。納得のいく人物構成だったと思います。
というわけで、「メガレンジャー」には、主人公同士の「等身大」の付き合い(健太以外のメンバーが両方カップルだったという、空前絶後の設定も)に加え、主人公と他の生徒との「等身大」の付き合いがあり、そして良き大人達との「等身大」の付き合いがあったのです。そのお陰で、「メガレンジャー」の出来事は、どこか地に足の着いた印象があり、そして、我々の日常の延長上にあるような雰囲気があったのだと言えるでしょう。
そして今回、伊達健太がその「良き大人」になって帰ってきたわけです。
その「良き大人」っぷりは、生徒達が気軽に声をかけてくれる教師という像で、存分に描かれていました。そして何より「メガレンジャー」のファンにとって嬉しいのは、健太が「デジタル研究会」の顧問になっていて、メガレンジャーの上部組織であるI.N.E.T.とも、依然関係が継続していると思しき描写がある事です。これにより、健太がメガレンジャーであった高校時代から、全く変わらないスピリットを根底に維持しつつ、大人としての知識や観点を身につけており、生徒達と等身大で付き合える教師になっている事が伺えます。
素晴らしい事に、健太は自分が「等身大の付き合い」で支えられた経験を活かすべく、教師という道を選んでいるんですよね。当時「メガレンジャー」を視聴して楽しんだ者としては、大変嬉しい事です。
その「等身大の付き合い」が、「メガレンジャー」のテーマであれば、それをゴーカイジャーに伝えるのが健太の役目。しかし、健太は単に「学校生活を送れ」とマーベラス達に指示し、後は物陰から見守っているだけでした。
マーベラスがその身体能力をフルに生かして、バスケのチームと意気投合している間に、ジョーとアイムは生徒同士の恋模様を目撃、ルカとハカセは件のデジタル研究会にて、部員との交流を果たします。これらのシーンは、学生姿のメンバーの爽やかな出で立ちと相まって、それぞれシリーズの名シーンとして挙げられるべきものに仕上がっていると思います。大抵、学園コスプレモノはコメディ一辺倒に終わってしまうのですが、今回のように、ちょっとコミカルながらも学校生活に馴染んでいる様子が「微笑ましい」のは、マーベラス達の深みのあるキャラクター故でしょう。これは見事でしたね。
それを見守る健太の眼差しは、正に「良き大人」のもの。大柴さんの自然な芝居がとてもいい感じでした。一方で、バスコと対峙した際の鋭い表情は、当時の厳しい戦いに際してのものに通じ、学校に仕掛けられた爆弾を憂う表情は、当時の仲間を心配するそれに通じていました。
その爆弾回収では、ゴーカイジャーの活躍一辺倒ではなく、生徒達がそのネットワークを駆使して発見に協力するというプロセスが実に秀逸。「健太の教え子」という感覚を混ぜ込む事で、諸星学園高校にメガレンジャーのスピリットが生きているという雰囲気にまで昇華させており、単なる学園パロディモノから脱却していた事に、感心しきりでした。ユルさの中に、確固たるテーマ性があったわけです。
さて、今回の豪快チェンジは、的を射た活用法になっており、ストーリーの流れに沿ったものとなっていました。
鎧は、マジシャイン、ゴセイナイト、メガシルバーにチェンジ。この中で、特にゴセイナイトはバスコの略奪を阻止すべく天装術を使うという、実に理にかなった利用法が印象的でした。
マーベラス達五人は、タイムレンジャーにチェンジして、集めた爆弾を圧縮冷凍するという活躍を見せます。爆弾の処理方法としては、最良の選択である事に加え、次回がタイムレンジャー編である事を見越した使用が、緻密な構成力を感じさせます。
トリは当然のごとくメガレンジャー。前述の鎧のメガシルバーも加えた六人編成で登場。主題歌インストも流れて雰囲気充分な上、個人武器もふんだんに使用してアクションを盛り上げてくれました。メガブルーによる立体映像や、サイバースライダー&オートスライダーの描写は、さすが現在の技術というわけで、当時のそれを超える完成度を誇っていました。変身シーンも再現されてましたね。
大いなる力は、ラストシーンにて、「卒業証書」として健太から手渡されるという展開になり、結局大いなる力が何なのかは分からないままとなりましたが、今回の構成上、特に不明なままでも満足度は高く、わざわざ盛りこんでバランスを欠くより良かったのではないでしょうか。
次回はタイムレンジャー編。さすがに永井大さんは出演しないようですが、まさかのドモン=和泉宗兵さんが登場。これまた楽しみですね〜。
そうそう、巨大戦で渡辺宙明先生&水木一郎アニキの挿入歌が聴こえてきましたね。宙明節、健在!!
ラストのマーベラスのセリフにもあるように、「ゴーカイジャーが真に(スーパー戦隊としての)ゴーカイジャーとなった」転機となるエピソードであり、カンゼンゴーカイオーの登場にも象徴されるように、ラストスパートに向けての「整理」がなされたという感があります。
今回の整理は3点。
ジョーとバリゾーグの決着、ワルズ・ギル退場、海賊戦隊(特にマーベラス)のポリシーの最終確認です。前回が、その前段階として舞台装置の段取りを付けたとすれば、前回の中途半端な構成も納得出来るというもの。
でもねぇ...。3点を一気に「整理」するには尺が短すぎるというか。やっぱり駆け足になってしまい、掘り下げられるべき部分がかなりサラッと流されてしまった感じがしてしまいました。
では、続きの方で1点ずつ。
この点は、やや分かり難い処がありますね。マーベラスはアカレッドのように、「仲間を守る」行動をしたわけですが、夢の中に現れたアカレッドの言葉によって、マーベラスは「本当に守るべきは、仲間との絆」であると気付くという展開。しかし、これまでの展開でそういったポリシーが重視された事はなく、海賊戦隊のカッコ良さは、意識せずとも仲間との絆が強固であるという点にあったのですが。
今回のこれは、スーパー戦隊シリーズの醍醐味である「チームで一丸となって戦う」という点を、ゴーカイジャーに適用するにはどうすれば良いかという考察から、逆算した展開っぽいんですよね。動機付けとして、前回のマーベラスの自己犠牲的行動があったのは良いですが、肝心の「再確認」が、アカレッドとの対面における延々たる会話のみでの描写というのは、少々弱い気がします。
一歩進んで、ようやくマーベラスがアカレッドの呪縛から解かれ、真に赤き海賊団の頭領としての資格を得たという雰囲気が欲しかった処ですね。ただ、マーベラス率いる一団は、「赤き海賊団」ではなく、あくまで「ゴーカイジャー」だというロジック自体は、良かったと思います。
続いて、ジョーとバリゾーグの決着。
こちらも、敵味方の因縁話としては、最もドラマ的に掘り下げられるポテンシャルがあり、一度は先輩ゲストにアドバイスを受ける程の扱いだったわけですが、その先輩ゲスト編を最後に、大したドラマも展開されず、大いに消化不良。
回数自体はごく少ないながらも、ジョーとバリゾーグの対決は、剣術アクションとしては最高水準の殺陣を展開して、毎回楽しませてくれました。それ故に、「剣と剣で語り合う」という部分では説得力もあったと言えるでしょう。バリゾーグの中に存在する筈のシドが、ほぼ完全に失われているという設定にした為に、バリゾーグの葛藤が一切期待出来ないのを逆手に取り、ジョーを葛藤させる事で盛り上げたのは、良い選択でした。しかし、ジョーが葛藤したのは、前述の大原丈のゲスト編まで。しかも、「足掻いてみる」と言った割には、バリゾーグという存在を消滅させる事でシドの魂を開放するという結論に、かなり早く到達してしまったのは、少々興醒めな感も。
とりあえず、何らかの奇跡が起こり、シド先輩が元の姿に戻ってメデタシメデタシにならなかったのは良かったですね(笑)。私がこの対決で最も感心したのは、互いの剣を打ち付ける衝撃で、ゴーカイブルーのスーツが粒子状に砕け、ジョーが露わになるというシーン。大ダメージを受けて変身解除されるという黄金パターンでなく、対決のテンションを完全に持続しつつ、ジョーが素顔で決着を付けるという、燃える展開に繋いでいるのが凄いです。ここでの芝居のテンションは正に最高潮。何だかジョーの物語がここで終わってしまったかのような、凄味がありましたね。
3点目は、ワルズ・ギル退場。
私が思うに、これぞ最も中途半端なポイント。シリーズ随一の「バカボス」が、いきなり最強兵器を手に入れて、バカにしてきた奴等の鼻を明かすと意気が上がり、そして大したドラマも生み出さずに散っていく...。哀れ。いと哀れ。
前回、私がちょっとだけ予想した、ダマラスの「親心」的なものが垣間見られたのは、かなり嬉しいポイントではありますが、それにしても哀れ。もっと哀れなのは、前回で見せたグレートワルズの圧倒的な強さが、今回殆ど描かれなかった事。カンゼンゴーカイオーに敗北するのは展開上良いとしても、それに至るまでに善戦が殆ど見られないのは痛い処です。前回は、派手にピカピカ光りまくって、完膚無きまでに...といった趣でしたが、今回はいつもの行動隊長の攻撃並みという...。やはり尺不足の感は否めませんねぇ。
「整理」がついた処で、これからどのような展開になるのか、まだ予想は付きませんが、より「地球を守る戦い」にシフトしていく可能性は、あまりないのではないかと思います。「仲間との絆を守る」という事が、地球人である鎧との絆を内包している事は自明なのですが、それを一歩進めて、鎧がこれまで故郷を守ってこれなかったメンバーの二の舞にならないよう、地球を守るという論理的展開は、感じられません。むしろ、そういう展開に行き着く事で、魅力が半減してしまう恐れがあり、これからは、かなり慎重な展開が試みられるのではないでしょうか。次回に、軽めのキャラクターである伊達健太を登場させる先輩ゲスト編を持って来る辺り、その辺のバランスを考慮しているように思います。
今回は、豪快チェンジが登場しませんでした。徹頭徹尾、ゴーカイジャーの物語だったと言えるわけですが、中盤までに見られた、「通常編の神憑った完成度」がやや低迷しているのが気になりますねぇ。相変わらず、ビジュアル面には一切の妥協がなく、特撮と芝居の融和度も非常に高くなっていて素晴らしいのですが。やはり3クール目は「起承転結」の転に当たる部分であり、制作の難しさも相当なものなのかも知れません。
次回はメガレンジャー編。「メガレンジャー」、エンディングが超名曲でしたよね。青春と友情、最近ではやや照れを含むキーワードですが、エンディングに象徴されるように、それらのキーワードに真っ向から挑んだシリーズでした。健太の「その後」が楽しみです。
そういえば、巨大戦で宙明節が聴こえてきたような...。何だか興奮してきましたぞ!!
]]>残念ながら、色々と設定に無理がある感じもする上、ジョーとバリゾーグの結線も唐突に始まったようでもあり、結構チグハグなんですけど、ビジュアル面では、これでもかというくらいに気合が入りまくっており、最終回並のテンションになっています。
マーベラスの「(地球を)守ってないし、守れてもいない」というセリフは、「ゴーカイジャー」の在り方を鋭く示唆していて、良かったですね。実の処、ゴーカイジャーの面々は地球に来るまで連戦連敗していたも同然だったという壮絶さ。それが深みとなっている感はありますね。
ビジュアル面の凄さは、とりあえず実際に画面を見ていただくのが一番なので、チグハグな部分についてのあれこれを。なお、個人的事情により短めとなります...。
敵に「ボスの馬鹿息子」が出るケースは、アニメ等を含めれば散見されますが、特撮では結構少ない。私が思いつく限りでは、今話題の「ギャバン」くらいしかありません。
「ギャバン」には、マクーの首領ドン・ホラーの息子、サン・ドルバが登場します。このサン・ドルバ、結構な実力者ではあるのですが、実際の処、銀河で傍若無人振りを発揮出来たのは、ドン・ホラーの息子という肩書きがあったからという設定。その上、母親である魔女キバの妖術の後ろ盾がある事で、数々の勝負に勝ってきたという、何ともヘタレな設定もオマケに付いており、特撮界では史上最強の「バカ息子」だと思います。
もう一人、「ボスの息子」ではないですけど、「レインボーマン」のエルバンダが忘れがたい名悪役。ピンチに陥ると、母である魔女イグアナに「ママー!」と泣きつくという、マザコン丸出しの超個性派でした。インパクトは絶大でしたね。
ただ、この二人は、サン・ドルバを名優・西田健さんが、一方のエルバンダを、名ピアニスト・フジコ・ヘミングの実弟である怪優・大月ウルフさんが演じており、演者の卓抜した演技による説得力がありました。故に、単なる「バカ息子」を超えた、たぎるプライドのようなものを感じさせたり、狂気を感じさせたりと、一筋縄ではいかない雰囲気を醸し出していたわけです。故に、語り継がれる名キャラクターとして成立したと言えるでしょう。
対して、ワルズ・ギルはどうか。
私が思うに、スーツアクターさんの演技も、声の野島裕史さんの演技力も申し分なく、むしろ近年の悪役キャラの中では出色とも言える出来だと思います。宇宙最強の軍事力を誇り、数々の星々を滅ぼしてきた軍団であるザンギャックの中にあって、道化芝居にも等しい立ち振る舞いで、我々を和ませてくれるのですから(笑)。
しかしながら、このワルズ・ギル最大の弱点は、いわゆるスーツだという事。近年の悪役は、残念ながら素面の役者が演じる事が極端に少なくなってしまい、それが悪役の魅力をスポイルしているように思えてならないのです。最近は、口を動かす事の出来るマスクが素晴らしく、完全に無表情というわけではありませんが、やはりベテラン俳優陣、あるいは妖艶な女優陣による鬼気迫るようなオーラ溢れる演技には敵わないでしょう。
かなり独断に満ちた見解ではありますが、ワルズ・ギルの「素面でない」事が、彼の説得力を半減させているものと、私は考えています。故に、今回明かされた「馬鹿息子呼ばわりは承知の上」という話は、かなり唐突に見えてしまいました。例えば素面ならば、ちょっとした舌打ちの表情等から、鬱屈した精神を垣間見る事が出来たりするんですが...。
まぁ、その辺りは望むべからざる事なので、この辺で置いておく事とします。
もう一つ、ザンギャックの人間(?)関係が、今となっては不徹底。しかし、これは好意的に解釈するか否かで随分と変わってきます。
好意的でない見方をすれば、インサーンは、ワルズ・ギルを馬鹿にしている割には、自分も特に戦果らしい戦果を上げておらず、単なる巨大化要員。バリゾーグはいいとして、ダマラスは、ワルズ・ギルを皇帝の放蕩息子だと思っている一方で、皇帝の子息であるという事実の手前、彼に従う事を選択せざるを得ない...という程の深みがなく、行動に一貫性を欠いています。「ゴーカイジャー」という作品の性質上、敵はあまり重視されないのは仕方のない事であり、それ故の扱いの軽さはしょうがないにしろ...ね。
一方で、好意的な見方をすれば、インサーンは、反逆の徒、あるいは翻ってワルズ・ギルの侠気に触れるという展開を秘めているが故に、現在は巨大化要員に甘んじているという見方も。そして、ダマラスは、ワルズ・ギルに対して保護者のような感情を秘めており、ワルズ・ギルに何かあった場合、皇帝に背いてまでワルズ・ギルを護る為に戦うといった展開も考え得ると思います。
あ、ないかな(笑)。
というわけで、ワルズ・ギルがグレートワルズを得て立ち上がり、ゴーカイジャーに挑戦するのは、やや唐突な感じがしたわけでして。また、ジョーとバリゾーグの決戦も、一話丸々盛り上がれる題材にも関わらず、ここに配置してしまったのは、やや頂けない感じがするわけですよ。更には、互いの必殺技(同じ技ですが)を繰り出し、一番盛り上がった処で、巨大戦を描く為に流れをぶった切るという、構成のイマイチ感が。色々と残念なんですよね。
グレートワルズは、ワルズ・ギルのデザインを巧く落とし込んでいて、素晴らしい。自分の姿を模したロボットに乗るという展開は、「トライダーG7」のザクロンを想起させますねー。
最後に、豪快チェンジについて。今回は、変則パターンが光りました。ジョーを除く五人で、それぞれがイレギュラーな部類の追加戦士にチェンジして、暴れてくれました。
マーベラスはウルザードファイヤーに。特徴的な武装や技をバッチリ披露してくれました。ルカはズバーンに。「ズン、ズン」があまりにも可愛くて、オリジナルのズバーンを完全に忘却させてくれました(笑)。ノリ的には、さとう珠緒さんの大いなる力といった処でしょうか。ハカセはシグナルマンに。コミカルでありながら、決めるときは決める姿勢が、ピッタリのチェンジでしたね。武器等もしっかり描写されていました。そして、アイムはデカスワンに。唯一の女性型で、アイムにピッタリ。このチェンジのセレクト、何気に職人技だと思います。
後編は、最終形態登場編となりますが、どう料理してくれるのか...やや不安ですが楽しみです。