epic18 「地球を浄める宿命の騎士」

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 ゴセイナイトを全面的にフィーチュアしつつ、ゴセイジャーも動かして見せるという、職人芸的な力を感じる事の出来るエピソード。

 1エピソードに盛り込むべき要素を不足なくまとめあげる手腕は、さすが荒川さんといった処です。

 ゴセイナイトは、地球という存在のみを守護するというエキセントリックな使命感を持ったキャラクターに設定されており、これは「ウルトラマンガイア」における初期のウルトラマンアグルによく似たポリシーです。アグルは、大胆かつ深淵でカッコいいアンチヒーローの魅力を醸し出していましたが、さて、ゴセイナイトはどうでしょう。

 ゴセイナイトのキャラクターとしての魅力は、現在のところ、そのメタルヒーロー的な外観と共に、小西克幸さんの声や言い回しに依る部分が大きく、まだ醸し出される魅力といった部分は現れていないように思います。前述のアグルと敢えて比較してみると、アグルは人間であり、ゴセイナイトは…。

 実は、これが手放しで賞賛出来ない最大の問題点なのです。発想は非常に面白いんですけどね。

 では、その辺りも含めて言及してみましょうか。



 今回、膜インと筋グゴンが差し向ける幽魔獣は、ミイラのゼイ腐。ゼイ腐は「ゼイブ」と読みます。

 ゼイ腐のネーミングソースは、恐らく「ゼイリブ」。一応、この映画ではミイラに近い雰囲気の骸骨エイリアンが登場しているので、まぁモチーフの選択としては良いのではないでしょうか。放送ジャックのシーンが存在することも共通してますし。ただ、ミイラがUMAかというと、「そりゃちょっと違うでしょう」ですね。要するに、幽魔獣でのUMAとは、怪物映画とかに出てくる有名なモンスターも含むということです。ごく私的な感想では、「ちょっとなぁ」なのですが。

 声は待ってましたの若本規夫さん。ただし、現在放映中の「トランスフォーマー アニメイテッド」における悪ノリ怪演と比較すると、ごく大人しめなのがちょっと残念。「ゼイ腐の部屋」とか、シチュエーション・ギャグは暴走気味だったのに対し、若本さんはちょっと遠慮気味だったように思います。

 このゼイ腐最大の能力は、包帯で人間を汚染源に変えること。しかも、その包帯はTVの電波で自在に増殖させることが出来るというスグレモノなのです。また、包帯によって人間をミイラ化(ここでいう「ミイラ化」は、遺体の乾燥保存という実際の意味ではなく、あくまでミイラモンスター化させるということに注意)し、自在に操ることが出来ます。その光景は、ゾンビ映画へのオマージュの部分とTV局のスタジオをモチーフとしたコメディの部分に大別出来ます。

 ゼイ腐自身がゾンビ映画風の登場を果たしているのもあって、後者の能力の方が鮮烈なビジュアルになっている為、人間を汚染源に変えるという能力は、かなり印象が弱く、ゴセイナイトがゼイ腐を汚染源と認識するくだりの説得力は、少々弱いと言わざるを得ません。

 そのゼイ腐、TV局をジャックし自らの包帯を電波に乗せてより多くの人間を汚染源にしようと企むのですが、ここに視聴率へのこだわりを見せるゼイ腐を描いて見せることで、一種のエスプリとしているようです。ゴセイジャーはTV局内に侵入し、ゼイ腐を最小限の被害で倒すスタンス、一方のゴセイナイトは、TV局ごと破壊して一気にカタをつけるスタンスで、これに挑むわけです。

 更に、巨大戦となると、既にゼイ腐の汚染源としての能力が失われている事から、ゴセイナイトは一切手出しをしない。

 こんな感じで、両者のスタンスの食い違いから起こる三つ巴の攻防戦に突入していく辺りは、なかなか緊張感も高く、今シリーズ最高の構成ではなかろうか、と思います。

 正義同士で戦いをさせるには、イデオロギーやポリシーの違いを明確にしなければならず、子供向け番組では限界がある(前述の「ウルトラマンガイア」にしても、その辺りの描写がかなり難解かつ執拗)のですが、ゴセイナイトのポリシーが非常に明確かつ単純な上、最終的には最大の汚染源である幽魔獣にその銃口が向けられる事には変わりないので、構成しやすい。これはなかなかの「発明」だと思うのです。しかも、使命が崇高であるが故に、ゴセイジャーの面々が敵意を抱きにくいのも有効。ゴセイジャー側のポリシーは、1クールを通じて描かれている為、既に視聴者側は承知していますし(ただし、キャラクター描写にブレがあった面も否定できないので、そもそもそのポリシーがヒーローの典型だという点も考慮すべきでしょう)。

 というわけで、これが面白くならないわけがないのですが、今一つな部分がある為に、ノリ切れない。それが冒頭で提起した「問題」の正体です。

 単刀直入に言ってしまうと、ゴセイナイトがヘッダーの進化系だということが問題。

 アイディアとしては抜群であり、ゾロゾロと出てくるヘッダーの中で異彩を放つ、人型への変形機構を持つヘッダーというのは、ガジェットとしてのアピール度も高いのです。が、これまでのヘッダーの描き方が今一つなので、それに足を掬われている感があります。

 ヘッダーは、一応意思のある存在ということになっており、何もゴセイナイトだけが意思を持つまでに進化したわけではない。しかしながら、幾多のヘッダーは合体ロボや銃の先っぽにくっ付けるガジェットの域を全く超えるものではなく、意思の存在が非常に希薄。従って、ヘッダー達はキャラクターとして扱うには非常に弱い為、ゴセイナイトの本体であるグランディオンヘッダーにもその弱さが波及。逆に「よくぞそこまで進化したね」といった感想を抱かせてしまうわけです。本来ならば、ゴセイナイトの魅力はヘッダーの多様性の魅力に引っ張られる筈だったのが、凡庸なヘッダー群の一部でしかないという、ネガティヴな方向を見るに至ってしまったと。

 しかも、ヘッダーは「降って来てゴセイジャーに使われる存在」という描き方が頻繁に登場した為、ゴセイジャーよりも下のポジションにあり、その影響がゴセイナイトにも及び、ゴセイジャーよりも強い存在でありながら、所詮はヘッダーなんていうイヤな印象をも抱かせるのです。勿論、劇中の人物はそんな事は全く考えていないのですが、新キャラへの印象という点で視聴者と劇中人物の捉え方が違う事自体は問題ですよね。

 まぁ、これがマニアックな視点である事は重々承知しています。実際、子供の反応はなかなか良く、今回のような怪奇色とアクションの見せ場満載の制作姿勢は、現在の嗜好に合致している事が分かります。そう、ウォースター編よりも、です。

 武レドランの動かし方も巧く、もしかしたら、本当にもしかするかも…。とにかくゴセイナイトの登場と敵組織交替は良い方向に働いていますよ。

 この回は、スーパー戦隊シリーズ 天装戦隊ゴセイジャー VOL.5【DVD】に収録。