タグ「ストーリー」が付けられているもの

最終幕「侍戦隊永遠」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 はい。総数86枚のキャプ画でお送りする最終幕解説。

 怒濤のバトルと静かなエピローグのコントラストを、なるべくプレーンなままお伝えする事を、心がけました。


 丈瑠の父親については謎のまま終わってしまいましたが、いわゆる「読後感」の中では、それが謎のままでも良かろうと。そんな素晴らしい最終回でした。

 血祭ドウコクとのパワーバランスも、最後の最後まで素晴らしく、矛盾ない完璧な構成だったと思います。


 では、どうぞ!

第四十八幕「最後大決戦」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 遂に、最終回の1話前となりました。


 薄皮太夫の最期、薫による封印の文字の使用、十九代目当主誕生...。とにかく怒濤の展開ですが、悲壮感はあまりなく、ユーモラスな要素も交えつつ、爽やかにまとめられているのが凄いところ。


 とにかく、早いとこ本編の方に移ります。詳しくは、全て本編紹介の中で!

第四十七幕「絆」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 丈瑠と十臓の決着、丈瑠と「仲間」の絆の確認、源太による薫の評価などなど。

 静かに色々な物事が推移していく雰囲気なのですが、血祭ドウコクとの最終決戦に向けて、一気に物語の糸をまとめ、それぞれを見応えある決着としています。


 今回のメインとして描かれるのは、勿論丈瑠と十臓の決着。以前繰り広げられた一騎打ちでも、十臓は丈瑠に敗れており、丈瑠の実力が十臓の実力を上回っているのは確たるものとされました。しかし、以前の一騎打ちの結果が、裏正を折られるという象徴的な描写になっていたのに対し、今回は、復活したその裏正に、正に「足元をとられる」という結果を提示しており、必ずしも丈瑠の実力だけの勝利でないところが素晴らしいのです。

 もし、裏正が十臓を止めなかったら、もし、茉子達の叫びが丈瑠に届かなかったら、丈瑠は十臓の思惑通りに外道に堕ち、十臓の欲望に引き摺られるまま、「なかなか死ねない身体」になって永劫の斬り合いに巻かれていったかも知れません。

 丈瑠の「勝利」は、人の絆を信じる人々によってもたらされた...というのが、今回のテーマだったように思います。


 また、十臓も「実は嘘をついていた」ように見えます。心の奥底まで外道に染まっていた十臓にとって、十臓を止めようとするも、裏正に化身させられた妻こそが、嘘のほころびだったのでは。厭世感にとらわれた十臓は、外道に身をやつすことで人斬りの快楽を正当化していたわけですが、そもそも厭世感こそが人である証左。そこを隠蔽して身も心も外道になった十臓もまた、「嘘から出た真」に知らぬ間に支配されていたのでしょう。


 丈瑠の嘘の上に積み重ねられた絆が真実となった一方、十臓の嘘の上に積み重ねられた外道としての所業もまた、真実たり得ました。しかし、丈瑠は人としての真実を構築したのに対し、十臓は外道としての真実を構築したのです。そして、かつて人であった十臓は、契りを結んだ(つまり絆を紡いだ)妻によって、嘘=土台を崩され、人として死んでいったのです。これは、根底にある嘘が暴かれても、人の絆で繋ぎとめられていた丈瑠の真実とは、対照的だと言えます。


 このくだりは、十臓というキャラクターの着地点として見ても、一級の完成度でした。


 一方、朔太郎というキャラクターを再登場させ、流ノ介に「侍のなんたるか」を再確認させるのも見事です。朔太郎は流ノ介としか関わりのないキャラクターでしたから、流ノ介と絡ませるにはうってつけです。また、黒子に戻ったことを流ノ介が知らないという点も重要で、この時点で登場するインパクトは非常に強いものがあります。朔太郎が黒子に戻ったきっかけは、かつて流ノ介が与えました。今度は逆に、丈瑠に命を預けた侍としての自分を、流ノ介を再認識させたのです。ここにもまた、絆があったわけです。


 逆に、「絆」を完全に否定したのは薄皮太夫。いや、求めたのは血祭ドウコクとの「絆」だったのかも...?

 絆という言葉は似つかわしくないですが、とりあえず人の世と外道の間を、三味線=新左が繋いでいたわけで、その三味線を捨てることにより、薄皮太夫は真の外道となりました。


 では、見所たっぷりの本編に移ります。キャプも大盤振る舞いで。

第四十六幕「激突大勝負」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 サブタイトルからすると、丈瑠 VS 十臓だけでなく、他の面々にもそういった局面が訪れるように感じられますが、今回は丈瑠と十臓の対決がメインであり、そこに彦馬の思いを絡めて描いています。

 むしろ、この彦馬こそメインだと思わせる部分が多々あり、幼い丈瑠を預かってから、薫が現れるまでの彦馬の決意や覚悟、事の推移といったことが、一通り判明することとなります。そこには、丈瑠と同様に「嘘をついていた」事に対する葛藤と共に、「嘘から出た真」とも言うべき丈瑠の殿としての成長に、喜びを感じる様子が盛り込まれ、複雑な感情を鮮やかに浮き彫りにして見せます。


 勿論、動的な面では丈瑠と十臓の対決が大充実で描かれます。これまで以上に斬り合いは激しさを増し、不意打ち的な体術も織り交ぜられて、戦いに夢中になる二人の危険な匂いが漂ってくるかのようです。最終的には、馬に騎乗してのアクションまで登場。戦隊シリーズで馬のアクションが初登場したのは、「バトルフィーバーJ」だったと記憶してますが、「仮面ライダー」でも乗馬アクションの披露がありましたから、割と歴史のあるアクション手法です。最近では、世界観との兼ね合いもあって珍しくなりましたが。


 流ノ介達家臣は、侍としての道義や使命感から、薫と共に戦うことになります。凄いのは、薫に一切不満を抱く要素がないこと。「不満」の部分は完全に歳三が担っており、薫を無視して丈瑠の元に走ることが出来ない流ノ介達の葛藤は、感動を呼びます。

 侍とは一線を画している源太の行動にも注目。侍としての道義や使命感に疎い源太は、薫と共に戦っている流ノ介達の行動が理解出来ません。源太にとっては、丈瑠こそが侍のシンボルであり、この辺りが流ノ介達と決定的にズレているわけです。勿論、流ノ介達の感覚と重なっている部分も多々ありますが、重なっているからこその葛藤もまた、見応えがあります。


 今回のシリーズにおけるポジションとしては、はっきり言えば、最終決戦を延期する為の挿話なのですが、精神面の細かい要素や、伏線の回収等が丁寧に行われている為、非常に見応えがあります。

 その辺りを、通常の倍のキャプ画を交えて(笑)、確認してみようと思います。

第四十五幕「影武者」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 志葉家の殿の存在が、あまりにも侍達の間で周知されていなかったこと。

 「嘘つき」と指摘された際の動揺振りが、異様だったこと。

 十臓に「いびつさ」を指摘されたこと。

 命を預け、預けられる関係に、なかなか踏み込むことが出来なかったこと。

 テンゲン寺で、志葉家の墓だとされる場所で複雑な表情をしていたこと。

 志葉家十八代目当主として、全てを飲み込む覚悟を諭されたこと。

 丈瑠の父が、あくまで「丈瑠の父」であり、「先代シンケンレッド」とクレジットされていなかったこと。

 そして、血祭ドウコクを封印する為の文字を、いつまで経っても習得しようとしなかったこと。


 ああ、何と言う伏線。このどんでん返し(スタッフの皆さんの間では「がんどう返し」)は、周到に用意されたものだったわけです。見事にやられました。

 私はサラリと見てしまっていたのか、これらの伏線を「引っ掛かり」だと感じることなく、丈瑠が抱える、侍の時代性と現代性に横たわるギャップ故の苦悩だと思っていました。特に「嘘つき」なんかはそうです。制作側としては、深淵で影武者であることの苦悩を踏まえつつ、前述の現代性とのギャップにミスリードすることにより、伏線とどんでん返しの整合性を保つと共に、より深い驚きを提供する狙いがあったのではないでしょうか。私は見事にやられたクチです。

 中には賢明な方もおられるようで、「嘘つき」あたりから、はたまた冒頭からこの展開を予想していた方も。私なんか、深読みだと笑い飛ばしていたようなヤツですから、ここに来て感服しきりです。


 丈瑠をはじめとするレギュラー陣の表情がとにかく素晴らしい今回。勿論、薫姫も素晴らしいですよ。

 それでは、本編の驚きをプレイバック。

第四十四幕「志葉家十八代目当主」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 新年、明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。


 さて、前代未聞、驚天動地。思わず四字熟語を並べたくなる、驚愕の展開。


 新年初エピソードは、クライマックスシリーズの第一弾となりました。戦隊シリーズ初の女性レッド、戦隊シリーズ最年少レッド、戦隊シリーズ初の数話限定レッドという、初物尽しによって、視聴者を混乱と期待の坩堝に落としていきます。

 折に触れて描かれてきた丈瑠の苦悩やその伏線が、クライマックスでようやく解明されると予想され、シリーズ全体で非常に洗練された高い構成力を垣間見ることが出来ます。丈瑠の苦悩に関する本当の処は、まだ触れられていないので詳しくは述べられませんが、今回の内容と予告編を合わせると、大体の予想が付くでしょう。ほぉ...そういうことだったのか、と。


 ということで、丈瑠に関するミスリード、ミスディレクションについては次回以降に譲ります。まずは、怒涛の序章を堪能!

第四十三幕「最後一太刀」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 筋柄アクマロ最終編。源太メイン編として、そして十臓メイン編としても機能しており、重層的な構造によって見応えを増しています。


 筋柄アクマロは予想通り年内退場となり、年明けからはラストに向けて突っ走るようです。ここで筋柄アクマロを退場させることによって、当初からの対決構造、つまり志葉家対血祭ドウコクを再び強固なものとする為の段取りが垣間見えます。が、それでも筋柄アクマロがただ退場させられるのではなく、シリーズに色々と重要な要素を残して行きました。

 源太には、改めて生粋の侍でないが故の苦悩と克服を、十臓には、はぐれ外道という名前に相応しくない、徹底した外道振りを。これらの要素は、シリーズのクライマックスに向かって、軸がブレないよう考えられた配慮ではないでしょうか。予告編では、丈瑠に衝撃的な展開が待っていることを予感させているので、他のキャラクターのポジションをしっかり固めておいて、丈瑠の物語に干渉しないようにしているものと思われます。


 源太と十臓に関しては、本編の方で詳しく触れてみようと思います。

 では、十臓を中心にキャプ画が通常の三割増しになった本編の方をご覧下さい。

第四十二幕「二百年野望」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 遂に筋殻アクマロの目的が明らかに。

 スキマセンサーの示す「番号」や、事件が起こる「場所」は、非常に記号的なものなので、全部が全部周到な伏線になっていたとは言えませんが、筋殻アクマロの目的が、直線に並ぶ地図上のポイントやイマジネーション溢れるビジュアルによって、ベールを素早く剥がして行くように明らかになってくる様子は、非常に見応えがあります。中でも、十臓のポジションが絶妙であり、裏正のそもそもに込められたおぞましさもあって、筋殻アクマロの執念・執着の深さが不気味なトーンで伝わってきます。


 「裏見がんどう返し」と呼ばれる、この世をひっくり返して地獄を露出させるという術こそが、筋殻アクマロの最終目的だったのですが、今回既にその初端を見せていることや、血祭ドウコクを完全に動けない状態にしていることにより、筋殻アクマロ関連のお話を年内の放送で完結させてしまおうという意図が垣間見られます。放映スケジュール的に年末と年明けのクリフハンガーにはし難いものと思われるので、年末商戦用のビジュアルと併せて、カタストロフィ感覚に富んだストーリーを展開するには、うってつけのタイミングだったのかも知れません。

 本州を関東・中北部あたりで真っ二つにするという、強烈かつ迫力あるビジュアルは、劇場版もかくやと思わせる出来栄えでしたが、何となく筋柄アクマロの目的が見えてからの弱体化感は否めないところで、血祭ドウコク程の強大さを設定されたわけではない筋殻アクマロの、キャラクターの弱さがやや露呈した感はあるでしょう。ただ、源太達を用意に撥ね付ける実力の高さや、土壇場で「裏見がんどう返し」の影響によって全員が吹っ飛ばされるというくだりが用意されたことにより、一定の緊迫感を保つことが出来ています。


 十臓の裏正の秘密も明かされましたが、これにはもう少し伏線が欲しかったところ。今回のくだりはやや唐突な後付設定に見えてしまいました。もしかすると、当初よりきちんと用意されていた設定で、なおかつ今回のインパクトを確保する為に、あえて出さなかったのかも知れませんが、何か匂わせる感じがあれば、よりインパクトは強かったかも知れません。


 また、年末商戦用の侍武装連発も、よくぞここまでやったという感はあるものの、ややあざといような気がします。あれだけの尺の中に、よく収めたなぁと感心しきりではありましたが...。


 ただ、それらはかなりマニアックなアラ探しの結果であって、それらを指摘したところで、今回の迫力とインパクト、そして面白さは何ら損なわれないだろうというのも、私の見解です。丈瑠と血祭ドウコクの決戦が年明けのメインとなるならば、こちらは源太も含めて中途参戦組による一件の落着になると思われます。そしてそれが、シリーズのクライマックスに勝るとも劣らない迫力とテンションで繰り広げられるのは、想像に難くありません。


 では、見所をまとめてみましたのでご覧下さい。

第四十一幕「贈言葉」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 正真正銘、ことはがメインのエピソード。最年少という設定であることはメインのエピソードは、千明のそれと同様に作り易いのか、傑作になり易い印象がありますが、今回も例に漏れず傑作エピソードでした。


 今回のメインテーマは、ことはが姉の代わりにシンケンイエローになったという設定の、決着にあります。実のところ、この設定自体が本編にあまり生かされることはなく、ことは自体は最年少でありつつも、実力は高く描写されていましたし、多少ドジな面があるにしろ、それは純粋性の描写の為の手段といった感覚でした。つまりは、ことは自身が姉の代替であるという印象自体、視聴者の間では認識されていなかったわけです。

 今回はそれを逆手にとり、ことはが姉からの手紙によって消沈してしまう様子を見せ、決してそうではないという感情を視聴者と共有するという構成が採られており、そこに丈瑠周辺の事情を絡ませることによって、丈瑠メインの回を設けることなく丈瑠の問題をも解決するという、なかなか大胆な方法が試みられています。さらには、ことはの意識的な成長も織り交ぜられ、満足度はすこぶる高いです。

 そこには、少々配慮を欠いた言い方をするならば、ことはが策を弄する等といった「頭脳労働」を経ずとも、ことはの真っ直ぐな姿勢自体が丈瑠に影響を与える様子が盛り込まれていて、シンケンジャー6人誰もが不可欠であり、逆にことはの姉・みつばにことはの代わりは出来ないということを結論として見せています。この重層的なテーマの訴求は、実に巧みで興味深いです。


 丈瑠の苦悩があっさり解消されたことについては、少々物足りないと感じる向きもあるかもしれませんが、丈瑠のことを人一倍心配していることはが苦悩する姿は、丈瑠に「全てを飲み込む」覚悟を決めさせるに充分でした。丈瑠の強さへの希求は、いわばかなり自分勝手に近いものであり、それをズルズルと引き摺っていくよりは、何らかのきっかけであっさりと解決した方が、当然ヒーローらしくなります。しかも、そのきっかけがことはだったなんて、実に爽やかでいいじゃないですか。


 というわけで、ことはの魅力全開の今回の見所は、当然ことは中心になりました。

第四十幕「御大将出陣」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 前回で再び苦悩を抱え込んでしまった丈瑠。彼の心情に何らかの決着を付けるのかと思いきや、何と、血祭ドウコクと薄皮太夫の因縁をメインに据えて、外道衆の内乱描写を行うという、思い切った構成になりました。

 実際、丈瑠をあのような状態に追い込んだ事で、今回のようなストーリーを展開出来ることになったとも言え、逆に言えば、このストーリーを展開する為に丈瑠を沈黙させたとも言えるわけで、ややマニアックではありますが、敵側の描写を深めた意義は大きいものがあります。ちなみに、私は「デンジマン」あたりから繰り返された、「敵側内紛描写」が大好物です(笑)。


 薄皮太夫の、外道に堕ちる前の姿である「薄雪」も回想の中で再登場。朴さん自らの出演により、回想シーンの説得力を高めています。この薄雪が実に妖艶であり、特徴的な三味線の旋律が薄雪時代から変わっていないことと相俟って、現世における話でありながら非常に幻想的です。スキマから漏れ聞こえるその音色を、血祭ドウコクが聞いていたという「因縁」は至極単純過ぎるものではありますが、それだけに分かり易く、それだけに血祭ドウコクの奥底に眠る情念を感じさせ、単なる粗暴な御大将というイメージから脱却しています。その血祭ドウコクに付き従い心配する骨のシタリの姿には、丈瑠を心配する彦馬の姿が重なり、最終クール突入に際して、外道衆側のドラマやキャラクター性を強化しておく意図も垣間見られます。


 一方で、筋殻アクマロの本性も明確に。十臓そのものと、薄皮太夫の三味線こそが筋殻アクマロの欲するものであり、薄皮太夫自身には一切興味がないという、かなりの悪党振りが鮮烈です。しかも、血祭ドウコクの現世へと出現理由は、この筋殻アクマロに求められ、シンケンジャー達はおよそおまけ扱いという凄さ。まだまだ血祭ドウコクの実力には、シンケンジャーは肉薄すらしていないという、凄絶な扱いにシビれます。当初より露出しているボスキャラで、これほど強力なキャラクターは珍しいのではないでしょうか。


 シンケンジャー側の描写は控えめながら、丈瑠の心情を彦馬が把握し諭すといったシーンや、茉子のみならず、ことはも丈瑠の異変に気付くなど、要点を押さえた描写が盛り込まれ、外道衆偏重にならないようバランスをとっています。源太のゴールド寿司が情報誌に掲載されたというくだりも、源太の今後に関わってきそうで、気になります。

 丈瑠に関しては、一応6人での戦いに違和感なく入って行きはするものの、終始寡黙であり、心情の解決には至っていないことが匂わされます。また、クライマックスでことはのシンケンマルを取り上げ、一人で血祭ドウコクに向かっていく様子は、当初の「仲間を必要としない丈瑠」を想起させ、丈瑠に危険な匂いを感じさせることに。


 というわけで、色々と見逃せないシーンがありすぎる今回。当然ながら、外道衆側をメインにまとめることになってしまいましたが、ご覧下さい。

第三十九幕「救急緊急大至急」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 前回までで巧くまとまってきたシンケンジャー。最終決戦への段取りとしては順調そのものといった雰囲気でしたが...ここに来て、丈瑠の本当の意味での段取りがお膳立てされることに。


 巻き戻しとか蒸し返しとか、そういった言葉も脳裏に浮かんだものの、考えてみれば十臓はまだ虎視眈々と丈瑠との再戦を狙っているわけだし、例え丈瑠が彦馬に対する深い優しさを見せたとしても、丈瑠の根源が変化したわけではないということを、きちんと見せておきたい意図もよく分かります。これは、直線的で安心感のある展開を見せた前作「ゴーオンジャー」とは対照的で、テーマ性の確認を重層的に、かつ反復的に行う方向性を示唆しており、実に重厚です。かといって、戦隊シリーズに不可欠な、明朗快活な爽快感が失われているわけでもなく、そのあたりのバランス感覚は素晴らしいものがあります。


 今回を見終わると、十臓は丈瑠の一面を映し出す鏡になっていることが分かります。十臓は丈瑠の中にある「強さ至上主義」をえぐり出す存在であり、その「強さ至上主義」が丈瑠の中で薄くなることにより、逆に十臓の存在が脅かされるわけです。十臓の「つまらん」という一言が、それを端的に表現しているように思います。


 丈瑠の苦悩を表現する為に、茉子が配置されているのも巧いところで、少なくとも丈瑠と対等の(というより、丈瑠よりやや上の)精神性を有する茉子でなければ、丈瑠を含めた周囲を客観視出来ないでしょう。さらには、悩める者の気持ちに寄り添うことの出来る茉子ですらも、丈瑠の真意をはかりかねているという展開を持ち込むことで、より丈瑠の苦悩を強調しているのも巧みです。


 では、重い展開ながらもバトルシーンが数多く配された、今回の見所をまとめてみましたので、どうぞ。

第三十八幕「対決鉄砲隊」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 今回も新武器登場によるパワーアップ編ではあるのですが、そのあたりを抑え、彦馬をメインに据えるという構成により、爽やかな感動を呼ぶ娯楽編に仕上がっているエピソード。

 それでいて、モウギュウバズーカの扱いは、サムライハオー登場編のようなヤケッパチな処理ではなく、彦馬にちゃんと絡ませ、更には徹底してシンケンジャーのピンチを描くことによって、キッチリとインパクトを与えるようになっています。画面に出て来ないながらも榊原家に言及したりと、シリーズ構成的にもバッチリで、緻密かつ大胆な構成力が感じられます。


 今回の最大のポイントは、少々口うるさい指導者といったイメージの彦馬が、非常に優秀な人物であるということを示したことでしょう。さらには、志葉家に仕える身であるが故の苦悩をも描くことで、キャラクターの人間的造形の深みが大幅に増しています。シンケンジャー達は、それぞれの家族との関わり合いに特徴的なトピックを抱えていたわけですが、それは彦馬に関しても同様であることが描かれ、若き侍達とその後見人が同じフィールドに立っているという実感を補強しています。要するに、彦馬もシンケンジャーの一員だということが示されたと言っても過言ではないわけです。


 ストーリーは、日頃休みを取っていない人に、何とか休みを取らせる為、一同が奮闘する様子をコミカルに描くという王道のパターンに則っています。しかし、そのコメディ部分を存分に成立させた上で、彦馬の家族関係が静かな感動を呼ぶ辺りに、「シンケンジャー」ならではの「生真面目さ」を感じます。最後までドタバタで終わっても充分話は成立するのに、パワーアップ劇や悲壮感といった要素まで盛り込んでしまうとは、実に贅沢です。

 その贅沢さは、丁寧な演出にも現れています。緩急取り混ぜたテンポの良さの中に、丁寧な演出が光ることで、重層的な魅力を放っているのです。


 というわけで、贅沢なエピソードに相応しく、キャプの取捨選択に物凄く迷ってしまいました。普段よりちょっと大目でお届けします。

第三十七幕「接着大作戦」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 流ノ介と千明が両手を繋がれ、強制的に行動を共にしなければならなくなるという、シチュエーション重視のエピソード。こういった非現実的なシチュエーションを、楽しい雰囲気たっぷりに描くことが出来るのは、やはり戦隊シリーズならでは。その上、流ノ介と千明という、「シンケンジャー」における対極を為すキャラクターを配するという、面白くならないわけがない展開設計が、実に楽しいです。


 もし、このエピソードが「シンケンジャー」のシリーズ前半に配されていたら、一体どうなっていたか...。千明の腕が上がり、互いを分かり合いつつある現在だからこそ、今回のような展開が可能であったのは、もはや説明するまでもありません。戦いのない状況に至っても、流ノ介と千明の息がピッタリだという描写こそ、やや唐突に映りはするものの、これまでのエピソードの積み重ねの中、確実に両者の距離は縮んでおり、それを改めて認識させるにはうってつけだったと言えるでしょう。

 特に、両手を繋がれてしばらくは、互いが全く歩み寄らないのに対し、クライマックス直前では、互いの長所を認め合って息を合わせていくというくだりは、正にシリーズの縮図であり、二人の関係を端的に表現するに充分だったのではないでしょうか。その辺りは、本文の方で振り返ってみたいと思います。また、シチュエーションをアクションに生かすという、JAEならではの素晴らしい技を見ることが出来るのも、今回の楽しみの一つです。両手を繋がれたまま、アクロバティックなアクションを繰り広げる様子は、正にアクションで空間を演出するというJAEの伝統美。これには思わず主題歌どおり「拍手の嵐」ですね。


 では、本編の方をご覧下さい。

第三十六幕「加哩侍」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 「加哩侍」は「かれーさむらい」と読みます。源太とことはをメインに据えて、源太が自らの目標を再確認する様子が描かれます。


 ところで、カレーと戦隊シリーズは割と関係が深く、元祖「ゴレンジャー」ではキレンジャー・大岩大太の大好物とされ、そのあまりの好物振りに「キレンジャー=カレー好き」という図式が広く浸透する程でした。その後も、「サンバルカン」のバルパンサーのカレー好きだったり(キレンジャーを踏襲したと思われる)、「アバレンジャー」における「恐竜や」の名物メニューがカレーであったりと、そこかしこにカレーが姿を現します。

 カレーという食べ物は、非常に当たり障りの少ないポピュラーなものであり、小道具としても準備しやすいものであることから、シチュエーションとして多用されているものと思われますが、今回は特に源太が「寿司屋」であるという面から、最も縁遠いものの一つとして考えられるカレーが、採用されたと言っていいでしょう。奇しくも、シンケンイエローとキレンジャーに、「黄色」という共通項が見出せますが、特段ことはがカレー好きというわけでもなさそうなので、その辺りにオマージュ的な感情があるかどうかは分かりません。ただ、キレンジャーの存在を知る身からすれば、黄色=カレー好きという図式が否応なく想起されることでしょう。


 今回は、ことはがスーパーシンケンイエローになるというクライマックスこそ用意されていますが、ストーリーのメインにポジションを取っているのは源太であり、ことはは、源太の目標を再確認させるという位置を担っているだけです。ことはは図らずも源太を一度寿司から引き離し、再び源太の中に占める寿司の存在の大きさを確認させることで、源太の寿司屋としての目標をより強固にしました。そこにまるで他意がなく、また企図もないというのが、ことはの自然体の爽やかさを際立たせています。これを見ると、茉子とことはという二人のヒロインが、あれこれ考えてしまうタイプとそうでないタイプの代表になっていることが分かります。


 源太も、改めて寿司屋としてのアイデンティティを確立することにより、様々な迷いを払拭しました。これで、源太に関しても、最終戦に向けたプライベートな段取りを済ませたと言えるのではないでしょうか。


 それでは、本編のまとめをご覧ください。キャプはことはメインでいきたいと思います(笑)。

第三十五幕「十一折神全合体」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 サブタイトルがそのままサムライハオーの登場編であることを示していますが、そう一筋縄ではいかないのが特徴の今回。

 中身は完全に流ノ介メイン編であり、しかも流ノ介のアイデンティティの一つを確実に形成している「歌舞伎」が題材とあれば、これはもう完全に流ノ介の物語なのです。千明の父親登場、茉子の両親の登場といった、個人のプライバシーに踏み込んだ一連のエピソードの一つとして数えられるものと言えます。

 その証拠に、メインストーリーは流ノ介がかつて企画に携わったという、歌舞伎の若手公演が軸になっており、しかも、そのパートナーであった新太郎に舞を見せるというシーンが、事実上のクライマックスに仕立てられています。さらに、その舞を見せるという行為自体は、新太郎と流ノ介の間にあった溝や壁といったものを払拭する効果こそあれど、外道衆との戦いには殆ど関係しておらず、単に過去への未練が一旦スッキリしたことで、異様にテンションの上がった流ノ介が、とりあえず「その勢いだけで」勝利への道を作ったというだけに留まります。「シンケンジャー」らしいリスクヘッジを考慮した作戦は一切感じられず、流ノ介のノリだけで解決してしまうというのは、非常に異色に映りますし、残念ながら浅薄な印象を受けます。


 サブタイトルに掲げられているように、本来のメインはサムライハオーである筈が、何故このような構成になったのでしょうか。

 ここで必ず出てくるのは、スポンサーの要求が悪いといった論調なのですが、確かにそういった面こそあるものの、私が何度か指摘しているように、そこばかり取り上げるのは本来ナンセンスであり、全てはスポンサーの要求と視聴者の欲求の交差点をいかに高い次元で結ぶかということなのです。それが作り手の担う商売の方法であり、それを高次元で達成してきたのが、「シンケンジャー」。虎折神から始まる折神達しかり、インロウマルしかり、源太の繰り出す新アイテムしかり、牛折神しかりなのですが。


 しかし、どうも今回に限っては、そういった物語の止揚を探っている様子があまり感じられないのです。ここには、新要素を続々と登場させる必要に迫られている状況が、作家性を追い詰めてしまったという感が漂っています。いわば、作家性が発揮された流ノ介の物語と、スポンサーの意向に沿ったサムライハオーの登場。この間には大きな断絶があるのです。


 勿論、見所も多く存在しますので、その辺りも併せてまとめてみました。

第三十四幕「親心娘心」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 遂に、ベールに包まれていた茉子の家族が明らかになるエピソードです。しかも、両親が二人共登場するという徹底振りで、茉子の性格や性質、人となりの元となった要素が、それとなく、しかし深く感じられる、奥ゆかしい感触に仕上がっています。


 茉子の父・衛役は冨家規政さん。時代劇の出演も多い俳優さんですが、今回は侍という立場からは遠い役回りを、印象的に演じてみせてくれています。茉子のキャラクター設定から想像される人物像とは違った、意外性のあるキャラクター設計が見事で、むしろ千明の父親に近い雰囲気を持っているところが面白いです。

 茉子の母・響子には、「ゲキレンジャー」でのレギュラー以来の登場となる、伊藤かずえさんが起用されています。「ゲキレンジャー」での美希役が強烈な印象を残している為、茉子の母親にキャスティングされたという情報を得た時は、ふと「?」な感じを覚えましたが、ラストシーンで登場した際の雰囲気は正に茉子の母親!髪型を似せているということもありますが、醸し出す雰囲気まで似せてくるとはさすがの一言です。また、前述の美希役が、先代シンケンピンクという件の説得力を高めているようにも思います。いかにも戦えそうですから(笑)。


 茉子の両親の3クール半ばという地点での登場は、少々機を逸しているような気がしなくもないですが、薄皮太夫に対する同情心を払拭したかに見える茉子の、さらなる強化の為には必要な通過点だったのではないでしょうか。今回の茉子は本当に強く、これまで封印してきた弱さをカタルシスによって昇華されることにより、「強がっている強さ」から「真の強さ」へと進化している様子が容易に読み取れます。


 なお、茉子のこれまでの様々な行動様式(?)が、響子の影響であろうことを思わせているのですが、かなり薄く匂わせている感じになっており、注意深く画面から読み取って納得する必要があります。子供にはちょっと難しい要素ですが、大人が分かって子供に説明してくれればいいという潔さなのかも知れません。そう、これは親子の物語ですから。


 では、そのあたりも整理してみましたので、お付き合い下さい。

第三十三幕「猛牛大王」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 牛折神登場編の後編。パワーアップ劇の亜流である「脅威として登場した武器を味方につける」という展開は割とオーソドックスながら、そこに血脈と共に受け継がれた想いという、かの上原正三先生の十八番を彷彿させる要素を盛り込んで、一筋縄ではいかない作劇を披露してくれました。また、その流れに沿って、キーキャラである藤次の隠していた真意を露見させていくあたりも見事で、ヒロ中心の前回に対して、今回は藤次中心で回して行くことにより、コントラストを付けています。


 こうしたドラマ部分を充実させる一方で、見せ場の作り方も一流。十臓と薄皮太夫の再登板に伴うアクションの充実や、牛折神関連の、ミニチュアを多用した迫力ある特撮シーン、モウギュウダイオーの登場による、主な商品購買層へのアピール。どれをとっても良質の出来栄えです。


 では、多くの見所から注意深く抽出してみましたので、お付き合い下さい。

第三十二幕「牛折神」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 新たな折神の一大登場編。主役陣の中の特定の人物をメインに据えることなく、榊原家という外部のキャラクターを置くことで、単純なパワーアップ譚ではないエピソードに仕上げています。

 オーソドックスな線で行けば、強力な外道衆の登場に合わせて、シンケンジャーがパワーアップする為に必要となる新折神を登場させるという感じになるかと思いますが、今回は、その「強力な外道衆」を筋殻アクマロに当てることは出来るものの、基本的な「危機」を牛折神そのもの由来とすることで、大きな変化をつけています。オーソドックスな線自身は、既に海老折神あたりで用いられているので、この措置は至極妥当であると言えるでしょう。


 その牛折神、折神の元祖という設定になっており、牛車をモチーフにすることで、シンケンジャーの基本的なモチーフである江戸時代の、さらに前の時代を思わせるところが見事です。ただし、巨大メカ系の元祖という設定は、前作「ゴーオンジャー」でもキョウレツオーに用いられており、やや二番煎じ的な匂いは否定し難いところ。しかしながら、その辺りは緻密に構成されたストーリーでカバーされているので、些細な指摘事項としてスルー出来るでしょう。


 今回、最も強烈な印象を残すのは、榊原藤次なるキャラクター。

 志葉家縁の者としては、最も志葉家当主に敬意を払わない人物として描かれており、これまで割と志葉家を頂点とする世界を自然に描いてきた「シンケンジャー」における、一つのカンフル剤として評価出来ると思います。超頑固という性格も素晴らしく、しかも頑固であることの根拠は至極真っ当であるという、正に「鉄板な大人」。言い方に配慮しないならば、久々に骨太な「頑固ジジイ」を見た気がします。これは実に嬉しい。


 では、後半の長い尺を、殆ど牛折神大暴れに費やすという、特撮的にも見所たっぷりの今回をご覧下さい。

第三十一幕「恐竜折神」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 夏の劇場版で披露された「恐竜ディスク」、「クサレ外道衆」という要素を用いて、全く異なるエピソードを紡いで見せた名編です。

 劇場版の直接の後日譚ではありますが、極力劇場版とのストーリー的な関連性を持たせず、劇場版が未見であっても全く問題ない構成になっているのは、良い配慮だと言えるでしょう。一方で劇場版を見ていれば、ハイパーシンケンレッドやキョウリュウマルといった鮮烈なビジュアルの再来という楽しみがあり、尺が短めだった劇場版を補って余りあるエピソードとして映ります。


 志葉烈堂や志葉家の歴史といった要素に一切触れないという潔い方針は、逆に今回に深みを与えているように思います。卑怯極まりないクサレ外道衆に対抗すべく、初代シンケンレッドが再び丈瑠達に力を貸してくれる...そんな雰囲気が漂っており、完全に現代劇に絞ったからこそ、バックグラウンドに流れる志葉家の歴史を感じさせている面があるようです。それは、源太が語るシンケンジャーのポリシーにも表れており、時代を超えて「侍」の根底に流れる正義を示しているように見えます。


 では、見所たっぷりの今回をまとめてみましたので、お付き合い下さい。

第三十幕「操学園」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 秋のバラエティ編が続きます。今回はようやく源太関連から脱し、ことはと流ノ介をメインに据えた「学園侵入モノ」を展開。この「学園侵入モノ」の歴史は古く、戦隊シリーズでは「バトルフィーバー」で既にプロトタイプが登場しています。このパターンはコメディになる場合が多く、「バトルフィーバー」では女子寮に潜入するというネタで、隊員の女装が登場したりと、そのコミカル振りが際立っていました。

 しかしながら、コメディの一方でミステリーの要素が入るのも定番。前述の「バトルフィーバー」でも、ある事件の犯人探しが行われました。今回も、学園に救う外道衆の影を追うというミステリー調の展開を見せており、ちゃんとフェイクを交えた犯人探しシーンが盛り込まれています。


 今回の見所は、流ノ介の妙に熱血な教育実習生振りも印象的ですが、何といっても、高校生に扮したことはでしょう。ことは役の森田さんが現役高校生であることを考慮すると、その魅力は倍増(って、何だかいやらしいな...)。とにかく可愛らしいのです。


 では、魅力満載の今回をまとめてみましたので、ご覧下さい。