第十一幕「三巴大騒動」

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 何話かにわたって爽やかな成長物語を描いてきましたが、ここにきて突如重苦しい雰囲気のエピソードが登場。

 丈瑠の秘密を明かし、それに対する敵味方各々の反応をつまびらかに描き、それが折り重なっていくことで壮絶な戦いが生まれるという様子を重厚に描いていきます。


 一応メインを張るのは丈瑠。しかし、丈瑠の心情描写に関するセリフやモノローグといったものは一切なく、その心情は丈瑠の表情や行動から読み取るしかありません。

 メインに据えながら、視聴者との距離を一旦離して見せることにより、丈瑠の「殿」という特殊な存在としての苦悩や葛藤といったものを、より強調しています。これは巧い。


 また、今回は、重要な「志葉家の秘密」が明らかになり、先代シンケンジャーの戦いも少しだけ回想という形で描写されます。

 これが実に悲壮で悲惨。「シンケンジャー」のバックボーンは非常に重いドラマになっていますが、今回はそれがこれまでで最も活写されたと見ていいでしょう。


 後半は、丈瑠を狙うウシロブシと十臓を交え、サブタイトルどおり「三つ巴戦」に。

 この三つ巴アクションが本当に凄まじく、JAEアクションの新しい可能性を垣間見せた歴史的瞬間だと断言出来ます。勿論、アクションの内容自体は熟達したオーソドックスなアクションテクニックの組み合わせになっていますが、その組み合わせ方の巧さ、完璧に計算された三者の動きなど、見た目で戦いの意味を納得させるパワーが凄いのです。

 この三つ巴戦を見るだけでも、価値があります。


 では、見所満載の今回を整理してみましたので、どうぞ。

第十幕「大天空合体」

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 シンケンジャーで最も実力に後れを取っているという設定の千明。故に千明編は順当な成長物語として制作される為、その熱さや爽やかさも一際です。

 今回は、千明だけではなく彦馬にもスポットが当てられており、千明と彦馬の関係がクローズアップされてきます。


 物語も10話を数えてきた故か、既に千明の実力は相当なレベルへと達しており、決して一歩遅れているというわけではないことも描かれます。その陰に隠れた千明の努力にも触れられており、彼のキャラクターに大きな強さが備わり始めています。

 そんな千明のブレイクスルーに至る過程を、ダイテンクウと絡めて描くことで、人間ドラマと新メカのプロモーションを巧く融合させており、これまた完成度の高い一編に仕上がりました。


 今回の千明と彦馬の物語は、かなりスポ根モノの展開を踏襲しているように思います。

 とにかく根性根性のコーチと、なかなかスランプを抜け出せない選手。こんな感じの、スポ根モノの構図に当てはまるのです。この場合、スランプを抜け出す為にさらなる練習を積むパターンと、視点を変えることでスランプを突破するパターンとがあるわけですが、今回の千明は後者に該当すると言えます。

 視点を変えるというのは、例えばクサいところで言えば木の葉が舞い落ちる様子を見てヒントを得るとか、そんな感じなのですが、今回その役割は、丈瑠が担っています。といっても、実際には丈瑠の態度によって考えを変えてみた彦馬が、千明にヒントを与えるという展開です。この重層感が非常に良いのです。


 一方で、ダイテンクウの存在は冒頭から丈瑠の口より語られ、ダイテンクウを到達点とすることが明言されます。つまり今回は、紆余曲折ありつつもダイテンクウへの道が初めから厳然と通されており、文字通り一本筋の通った物語を形成しているわけです。

 当エピソードの完成度の高さは、そんな強固な物語構造からも伺えます。


 千明ファンのみならず、彦馬ファンも大満足の今回。

 千明と彦馬の見所を中心に振り返ってみました。

第九幕「虎反抗期」

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 流ノ介が操られてしまうという状況から、一見、流ノ介編に見えますが、実は完全に丈瑠編。丈瑠と流ノ介を対決させることで、丈瑠の強さは勿論のこと、流ノ介の実力の高さをも描写するというお題を、高次元で成立させています。

 丈瑠の強さは、シリーズ開始当初より何度も描かれてきましたが、ダメ押し的なものに堕さず、あえてラストにて内面を吐露させるという手法によって、その魅力を多面的なものにしているのも素晴らしい。また、新キャラである腑破十臓を、丈瑠の実力を解説できるキャラクターとして置いているのも面白い発想で、これにより、十臓の眼力や好敵手としての確実化を見事に描写しているのも特筆すべきところでしょう。


 茉子、千明、ことはの3人も、それぞれ丈瑠という人物のとらえ方を確立させてきており、特に千明が流ノ介と丈瑠の対決姿勢を非難するあたりには、彼の優しさを垣間見ることが出来ます。反面、彦馬に突っかかっていくあたりは全然改善されておらず、千明のキャラクター性を決定付ける良いアクセントになっています。


 操られた流ノ介は、シンケンブルーの姿のままで登場することにより、その表情が読めなくなり、余計な迷いが一切感じられない傀儡としての面を強調。それは徹底されており、操られている間は掛け声や叫び以外、セリフも殆ど喋りません。

 人格が変えられてしまうという話も面白いですが、今回の場合、丈瑠の心情や覚悟といった面にスポットが当てられている為、流ノ介に感情を持たせなかったのは正解でしょう。


 今回のもう一つの主要なトピックは、虎折神。

 10話に満たないうちから、既に折神が8体登場するという状況になったわけですが、それぞれ登場編の見せ方が巧い(物語と有機的に絡んでいる)為、次々と適当に出てきているという感覚は皆無。むしろ、個性的な動きで見せる折神達のアクションをも楽しめるようになっています。


 それでは、今回も見所を中心に追ってみたいと思います。

第八幕「花嫁神隠」

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 今回は誰がメインというわけでもなく、強いて言えば薄皮太夫がメインのお話。シンケンジャー5人が一致団結して事に当たるという、スパイチーム的趣向が目新しいですが、実はこれ、戦隊シリーズの原点を見つめなおしたかのような展開なのです。

 シンケンジャー目線から薄皮太夫目線に視聴者をシフトさせていくといった、スパイ物の定番を織り込みつつ、薄皮太夫の内面を垣間見せるなど、練度の高い展開が秀逸。また、茉子の花嫁姿、流ノ介の花嫁姿(!)というファンサービス的ビジュアル、腑破十臓の本格登場など、内容はてんこ盛りになっており、充実度は非常に高いものになっています。


 これまでのエピソードでは、割と重いテーマ性を各人の成長物語に絡めて描くという手法で展開されてきましたが、今回はさしたるテーマもなく、いわゆる娯楽編に徹しているのが「シンケンジャー」的には新鮮。アヤカシすら登場しない為、一種の異色編としても良いかと思います。

 テーマ性がないからといって、完成度が低いかと言えば、それはまるで違うと断言できる出来の今回。これは確か市川森一さんが仰ったと記憶してますが、シチュエーションだけでも(=テーマがなくても)ドラマは作れるといった、一つの主張の具現化です。それは、一般に「娯楽作品」と呼ばれる映画なりドラマに用いられる手法だと、私は認識しているのですが、互いが相手を欺く為に知恵を絞るというシチュエーションだけで、ほぼ突っ走る今回はまさにそれだと言えるでしょう。


 メンタルな部分を描かずとも、充分に成立させることが出来るという、「シンケンジャー」の懐の深さをも見せた今回は、ビジュアル的にも見せ場が沢山。

 吟味に吟味を重ねて、見所を抽出してみました。


 では、苦労の成果をどうぞ(笑)。

第七幕「舵木一本釣」

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 流ノ介メインで、舵木折神登場編。

 流ノ介の侍としての精神的な面は、かなり完成されている印象があったので、今回の展開はやや意外な印象。しかし、完璧にやるべきことを理解しているつもりでも、他人との交流によって、ふとした迷いが生じることがあるのも確か。今回の流ノ介の心情描写はとてもリアリティがありました。


 そして、朔太郎というキャラクターを登場させたことも、今回の重要なポイント。

 黒子の内情といった面にスポットを当てるエピソードが、そのうち作られるだろうと予想していましたが、こんなにシリアスにまとめてくるとは、正直全く予測していませんでした。

 黒子の描写は、時代錯誤だったり、ケレン味を支える存在だったりと、割とコミカルな面に集約されているので、黒子の内情描写はもっとコミカルに茶化されるものとばかり思っていたのです。


 ところが、黒子の皆さんも志葉家に仕える「人間」であり、日向の存在である丈瑠達シンケンジャーを、アイデンティティを消して影から支える存在であることが示されたのです。

 朔太郎が、ラストシーンで決意と共に己の顔を隠す描写は、この点を端的に表現していて実に素晴らしいものでした。


 朔太郎は、一度侍の世界を捨てて浮世に逃げた男であり、浮世を捨てて侍の世界に飛び込んだ流ノ介とは、対極にあります。

 対極にある者同士が出会った時、それぞれの心情にどのような変化が生じるのか。その対極が善悪のモノサシの上でのことではないだけに、今回のドラマは真に迫っています。

 侍、舵木折神といった状況は、どう視点を変えても「リアルなドラマ」ではありませんが、それぞれ社会における役割や、社会における目的に置換可能な要素として描写されているので、2人の心情や主張がよく伝わってきます。その意味では、充分リアルです。


 元々、侍としての主義主張に淀みない流ノ介は、出会いによって更なる高みへと達したと言えるでしょう。

 その高みは、頑張った末に手にしたものでなく、他者との出会いによってもたらされたもの。この場合の他者は、丈瑠であり、朔太郎です。


 「他者との関わり」を美しく描いていく「シンケンジャー」。早くも傑作シリーズの匂いに彩られています。


 今回もストーリーと見所をまとめてみました。

第六幕「悪口王」

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 千明とことはがメインを張ります。

 千明は単独メイン編を既に消化していた為か、サポート的な役割に。ことはに関しては、単独メイン編に匹敵する充実振りで見せてくれます。


 今回はズボシメシなるアヤカシが物語を牽引していきます。サブタイトルの「悪口王」も、このズボシメシそのものを示しており、その存在感は抜群です。


 悪役が目立つと、ヒーロー側が霞むのはよくあることですが、今回はそういったパターンに陥ることなく、ことはも千明もその存在感を遺憾なく発揮。キャラクターの内面描写も深く無駄なく成立しており、その完成度は非常に高いものとなっています。

 悪口がフィーチュアされる為、シンケンジャーの面の図星な部分を示しているのもポイント。

 これがまた絶妙で、各キャラクターの性質を端的に表現し、更には心の隙のなさそうな丈瑠にまで及ばせて、前回との繋がりをも示すといった、ある意味アクロバティックで、しかも実に効果的な演出が光ります。


 また、ことはの健気さが破壊的に可愛らしく、とっても強いのに守ってあげたい的な、もはや何を書いてるんだか分からない状態に追い込まれます(笑)。

 千明のキレキャラ振りも爽やかで、本当に演出が丁寧です。


 では、今回も見所を中心に追ってみます。

第五幕「兜折神」

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 丈瑠の内面やキャラクター性が精緻に描写されることを重視するならば、5話目にして初の丈瑠メイン編。

 第一幕から第四幕は、丈瑠=殿という孤高の存在に対する、「家臣達」の反応や考え方の違い等を描いたものであり、いわば丈瑠は「前提となる存在」であったわけです。

 しかし今回、その丈瑠の内面等を描き出すことで、「殿」自身の苦悩やポリシーを浮き彫りにし、また彦馬との絆にも触れることで爽やかな丈瑠像を活写しています。

 そして、この試みは成功しているように見受けられます。

 何故なら、絶対的な強さの裏側には、家臣にすら知られない場での凄まじい努力があることや、彦馬にだけふと見せる笑顔の意味等が、しっかり丈瑠の魅力を倍加しているからです。


 完全無欠なレッドは無味乾燥になりがちなので、ユーモア等でキャラの幅を広げるといった手段が講じられていく傾向があるのですが、丈瑠の場合、「殿」として果たさなければならない使命に向かって、人知れず努力する姿を描写していくという手法により、「若さ」や「未熟さ」をも描き出すという方針のようです。

 これは新しいレッド像であり、ドラマに見応えを生むにあたって非常に有効であると言えるでしょう。


 今回のトピックは、あまりヒネりのないサブタイトルが示すとおり、新しい折神である「兜折神」の登場。

 また、併せて兜折神の秘伝ディスクも登場し、数多くの秘伝ディスクが失われていることも明らかになりました。

 兜折神にはエンブレムモードがなく、統一感という意味では曖昧になってしまいましたが、逆に武装系の折神は秘伝ディスクから登場するというルール付けにもなったかと思います。


 そして、烈火大斬刀のモードチェンジも披露。

 5人全員で放つ必殺大砲ではなく、あくまでレッド単体が放つ必殺武器というところが凄い。

 他の4人は秘伝ディスクこそ貸しますが、レッドの後ろで見守るだけという、掟破りというか衝撃のパターン崩しというか、本当にビックリの武器でした。


 では、今回も見所を中心に見ていきたいと思います。

第四幕「夜話情涙川」

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 何か、サブタイトルのセンスが凄いんですけど。

 「夜話」「世は情け」「涙川」と、本編の要素をちゃんと紹介しています。


 「夜話」は、勿論、例の流ノ介と茉子の夜を徹しての張り込み。

 「世は情け」は、流ノ介が良太に、茉子が流ノ介に情けを持って接する様子。

 「涙川」は、今回の外道衆の作戦テーマが「涙」であることを表します。お見事。


 今回のメインは流ノ介と茉子。


 侍であることに対し、微塵の疑問も持たないと思われていた流ノ介が、歌舞伎を放ってきたことを気に病んでいたり、熱くもならず、かといって冷淡でもない、ちょっとクールなイメージの茉子の夢が「普通のお嫁さん」だったり。

 この2人をペアにして、ちょっと意外な面を引っ張り出し、キャラクター像を掘り下げていくという手法がとられています。

 前回の千明が直球だったのに対し、今回はやや変化球なのです。


 勿論、初期話にしてみれば、流ノ介と茉子の魅力の描出は充分高水準に達しています。


 そして、本編を見て「巧い!」と思わず膝を叩いた要素が一つ。


 それは、「百人の人間の涙より、たった一人が流す深~い悲しみの涙一滴の方が重い」という骨のシタリのセリフ。


 これによって、ゲストの子供少数が敵の被害に遭うという、「変身ヒーローモノ」におけるある種の矛盾が解決することになります。

 外道衆の目的はあくまで三途の川の増水にあり、目的達成の為には、被害者が1人であろうが大勢であろうが関係ない。

 この前提があることで、話のバラエティさを、リアリティを損なうことなく(シンケンジャー自体ファンタジーですが)広げることが出来るようになったわけです。

 設定が足枷になるのではなく、裾野を広げるのに役立つこともあるという、素晴らしい見本ですね。


 では、今回も見所を中心に追ってみます。

第三幕「腕退治腕比」

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 千明主役編。

 初回を丈瑠編、前回をことは編と、一応位置づけることはできますが、今回のようにはっきり一人のキャラクターを主人公に据えるのは初めて。

 一応、丈瑠とは対極の位置にある千明ですから、ドラマ的に盛り上がること必至なのです。


 今回のお話を強引にまとめると、ロクロネリの技への対策を、丈瑠と千明がそれぞれ立て、実行するというもの。

 本当にそれだけ。


 しかし、丈瑠がいかにも武士道を体得した者らしい対策であるのに対し、千明はゲームをヒントにしたトリッキーに戦術を取るなど、キャラクターに合致した戦い方を展開しており、豊かなイメージを構築してます。

 しかも、「シンケンジヤー」の根底に流れる重厚な侍のイデオロギーを、さらりと語って見せる軽妙な語り口というバランスの良さが光ります。


 また、千明は丈瑠を「殿」と呼び、事実上自分が家臣であることを認めたのですが、それによって千明が他のメンバーと全く同じ志を持ったのではなく、あくまで「殿」という言葉は、自分より上の実力を持つ丈瑠をリスペクトした千明の二人称に過ぎない、としたところが巧い。

 「殿」という記号は他のメンバーと同一としつつ、そのキーワードに込めた意思は、それぞれが異なるという、多面的な構造が広がりを生んでいます。

 千明の場合は、「殿」=「追い付き、追い越す存在」ということですね。


 この3話という早い時点で、千明を丈瑠に迎合させたということは、対立構造をズルズルと引っ張っていく必要がない程、色々な仕掛けがシリーズ設計の中に用意されている、ということの裏返しでもあるわけで。

 「シンケンジャー」、非常に楽しみになってきました。


 一方、外道衆の生命維持には、三途の川の水が欠かせないという設定を、今回初めて映像化。

 これにより、三途の川の水を人間界にも溢れさせるという、ちょっとピンと来ない外道衆の目的も至極真っ当に響くようになったし、敵の弱点を作ることで、ヒーローを追い詰めつつ見逃すという予定調和なシーンに説得力を持たせることも可能になりました。

 やっぱり無駄のなさが際立っています。


 では、今回も見所を中心に振り返ってみたいと思います。

第二幕「極付粋合体」

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 あまりに良く出来ていて、ツッコミどころが「時代劇なビジュアル」だけという凄まじさ。

 しかも、それは狙ってやっているわけで、面白がって見ている側は、完全に術中にハマっています。


 スーパー戦隊シリーズは、チームのメンバーそれぞれの個性が絡み合うという図式が根幹。勿論、そこにはぶつかり合いや友情というテーマが生まれます。

 対立構造という図式が明確化したのは、意外なことにシリーズ誕生からかなり時を経てのことで、15作目である「鳥人戦隊ジェットマン」が嚆矢。友情というテーマが全面に押し出されたのは、12作目の「超獣戦隊ライブマン」あたりだと記憶しています。

 その後、色々な要素を加えたり取り除いたりして、シリーズは制作され続けてきたわけですが、今回の「シンケンジャー」は、一味違う感覚でそれらのテーマを描いているように思えます。


 表現が非常に難しいのですが、友情というテーマは何となく当てはまりませんし、対立というテーマも、何か違う感じがするのです。

 「シンケンジャー」が特殊なのは、殿と家臣という図式。「忍者戦隊カクレンジャー」では姫と従者でしたが、彼らはワイワイガヤガヤやっている現代人といった印象であり、ここまで上下関係がはっきりしているのは初めてなのです(「ジャッカー電撃隊」のビッグワンは?というツッコミは無しの方向で)。

 これから先「友情」といった方向にシフトしていく可能性があるものの、現時点では「友情」というより「運命共同体」という感覚だし、絶対の信念を持つ「殿」である丈瑠に、まだ少しずつ迷いを覗かせる4人という対比構造には、素晴らしい魅力があります。

 その4人の「迷い」は、対立構造に近似した感覚をもたらし、ドラマを重厚にしていますが、かといって重苦しくはならず、爽やかな青春群像というスーパー戦隊シリーズの定番に落とし込んでいるところは、さすがです。


 さらに、5人それぞれのスタンスを表現することで、そのキャラクターを浮き彫りにすることにも成功。


  • 丈瑠 ... シンケンジャーの理念の絶対的体現者
  • 流ノ介 ... 古式ゆかしき侍の姿に固執する者
  • 茉子 ... 侍と現代人の間でゆれる者
  • 千明 ... しきたりへの反発者
  • ことは ... シンケンジャーに自分の活きる道を見出す者


 当然、完全対極にある流ノ介と千明は徹底的に衝突します。

 茉子とことはは同じような場にいるのですが、茉子がシンケンジャーであることに対して慎重になっているのに対し、ことはは殆ど無思慮にシンケンジャーであろうとしています。


 今回は、ことはのこの態度が皆の心を揺さぶっていくという流れになっており、キャラクターの巧い使い方には感服です。


 また、今回最大のトピックは、シンケンオーが登場すること。

 史上初(特殊な場合を除く、レギュラー設定としての史上初)の巨大戦闘員(大ナナシ連中)も登場し、「巨大チャンバラ戦」を演じてくれました。これは凄い。


 では、見所を中心に紹介していきます。