その20「ギチョギチョ!トライアングル対抗戦」

 過激気を習得すべく、修行を始めようとするジャン、ラン、レツの3人だが、限られた時間の中で何をすれば良いのか一向に分からない。そこへ、ゴリラ、ペンギン、ガゼルの姿をした3人の拳士が出現、ゲキレンジャーを襲う。手も足も出ないゲキレンジャーは、美希からの通信により、3人の拳士が「マスター・トライアングル」と呼ばれる心技体を極めた拳聖だと知る。スクラッチに戻ってきたジャン達は、3人の拳聖、ミシェル・ペング、ゴリー・イェン、ピョン・ピョウの紹介を受けた。ゴリーが差し出したスーパーゲキクローなるスペシャルアイテムは、過激気によってのみ作動するという。ジャン達は、すぐに過激気を身に付ける修行を志願するものの、マスター・トライアングルたちによって一笑に付されてしまった。過激気は教えられて身に付くものではない。

 美希が取り出した古い巻物に記される、過激気に到達する方法とは、「三山戦」を執り行うこと。3人の拳聖と心技体を競う試合である。それが過激気を得る資格の有無を決するという。心の拳聖ゴリー・イェンにはジャンが、技の拳聖ミシェル・ペングにはランが、体の拳聖ピョン・ピョウにはレツがあてられた。ゲキレンジャーそれぞれが最も苦手とする要素で試合をしなければならない。

 ゴリー・イェンとジャンの試合は、500円玉を縦に出来るだけ高く積み上げること。ジャンは「そんなの戦いじゃない」と反発。ゴリーは「戦いだよ。実にタフでハードな戦いだ」と言い放ち、黙々と500円玉を立てていく。強くなりたいというジャンに、理央と同じだと吐き捨てるゴリーは「意志なき激獣拳など存在する意味はない」と厳しい言葉を投げかける。1つの500円玉すら立てられないジャンは我慢の限界に達し、試合を放り出してしまった。レツは怒り狂ってジャンと取っ組み合いを始めてしまった。

 喧嘩をやめない2人に水をぶっ掛けたランは、壊れかけたトライアングルを立て直すべく、苦手な技勝負に挑む。ハーフパイプ、スケートボードの技比べだ。ミシェルはいきなり100点満点を出し、ランにプレッシャーをかける。ランの1本目は 0点。しかし、ランは勝利を信じて2本目に挑んだ。ジャンとレツはランの姿に何かを感じ始める。レツの「心の中に絵を描け」というアドバイスを受け、ランは見事100点満点を叩き出す。技勝負は引き分けに終わった。

 一方その頃、理央は囚われたマスター・シャーフーの独房に現れる。ランの気配を感じ取ったシャーフーは、3人の限界突破は意外に早いと理央に告げた。「仲間がおるという事は案外強いものじゃ」というシャーフーに、理央は嫉妬ともとれる怒りを燃やす。

 ピョン・ピョウとレツによる、体の勝負が始まった。互いの腕に巻いたバンダナを奪ったものが勝ちという試合である。レツはビースト・オンし、この過酷な試合に挑む。しかし、レツのファンタスティック・テクニックはピョンの屈強な体術を以って否定されていく。ジャンはビースト・オンの解けたレツに向かって「シュバシュバよりワキワキのドッカーンだ!」叫ぶ。それを聞いたレツはスマートさを捨て、泥臭い戦いに転じた。何度となく打ちのめされても立ち上がるレツ。いつの間にか夜も開け、レツはピョンに必死で掴みかかり、隙を見てバンダナを奪うことに成功した! 1勝1敗1引き分け。三山戦は引き分けとなり、3人は過激気を得る資格を認められた。応援する仲間がいることの心強さに感激した3人のトライアングルは、さらに強固な結束となった。

 ゴリーは「ここまでは理央も来たことがある」と告げる。理央も三山戦に挑んだ経験があり、3戦全勝の成績であった。一方の理央は3日の猶予との約定を覆し、すぐにでもゲキレンジャーを潰さんと出ていった。その気配を感じ取ったジャン達に、マスター・トライアングルはスーパーゲキクローを与えた。限界突破への道しるべを、ジャン、ラン、レツは既に手にしていると告げて…。

監督・脚本
監督
竹本昇
脚本
横手美智子
解説

 アバンタイトルにおける前回のハイライト部を除くと、激獣拳と臨獣拳が全く拳を交えないという異色編。勿論、前回より続く連続エピソードの一編でもある。

 「最も過酷」との言葉どおり、「暮らしの中に」「遊びの中に」「忘我の中に」という修行とは異なり、「対決」という形式をとった厳しいものとなった。とは言え、そこは激獣拳。500円玉を縦に積む対決、スケボーの技対決、バンダナ争奪対決といった、レクリエーションっぽさを前面に押し出したものが描かれる。「最も過酷」なる言葉の意味は、ジャン達の心技体のトライアングルを、苦手な方向へずらしたことによる過酷さ。即ち、これまで心技体それぞれの得意とする面を高めてきた3人が、新たな局面を開拓することにより、限界突破を狙うという意図だ。言い換えるならば、ジャン達が得意とする心技体の要素そのままで「三山戦」を試みれば、充分に敗戦なしの成績を収められたかも知れないのである。そういった面も踏まえて、「三山戦」を見ていこう。

 まずは、ゴリー・イェン VS 漢堂ジャン。500円玉を縦に高く積み上げるという、人間業とは到底言えない対決だ。ゴリーの知的なイメージが、この荒唐無稽な対決に不思議なリアリティを与える。ジャンは当然の如くこの「面白くない」作業を投げ出してしまうが、この反応もジャンらしくて微笑ましい。従来ならば、ここで何か逆転の発想が出てきたりするものだが、いきなりレツとの大喧嘩になり、容赦ない敗退宣告をされるという、殺伐とした雰囲気の展開となる。この微笑ましさを突き放した描写は、激獣拳側においては新鮮だ。ここでは、ランがジャンにさり気なくアドバイスをしている。ランには勝負の要を見抜いており、もしランがこの対決に参加したならば、集中力と正確さで拮抗していたに違いない。

 続いて、ミシェル・ペング VS 宇崎ラン。ハーフパイプによるスケボー対決だ。フルオート採点という部分に、スクラッチのスポーツメーカーとしての先進性が見えて興味深い。ランは根性で勝負に挑むのだが、それはひたむきさを見せることで、ジャンとレツに生じた亀裂を修復する作業でもあった。ここでミシェルはこれまた人間業ではないテクニックを披露。レツはそれを見てもまるで動じなかったことから、彼にとっては容易に到達可能なテクニックであったに違いない。ランのひたむきさに打たれたレツは、思わず的確なアドバイスを投げかける。ここで、今回の要となる人物がレツであることを確認できる。ジャンをなじり、ランの姿勢に打たれ、自らが勝利のカギを握る戦いを制する。この心理の流れが、見事にストーリーを動かしているのだ。

 話が前後したが、最後は、ピョン・ピョウ VS 深見レツ。心技体の「体」に関する対決であるが故、過酷さが最もクローズアップされた対決だ。互いの腕に巻いたバンダナを奪い合うという、シンプルながらバトル要素の高い内容で、レツがテクニックを否定されてからのヒートアップ振りが熱い。ジャンがスマートさを捨てるようアドバイスしたところを見ると、やはりジャンにはこの対決に挑んだ場合のビジョンが見えていたようである。スマートさを捨てたレツは、いつものクールな戦いぶりから逸脱し、泥臭いファイトに転ずる。ここからの時間経過の描写、カット割のウマさ、余裕のある者(すなわちピョン)が足元をすくわれる爽快さは、臨獣拳との対決が一切ないことを補って余りある迫力だ。ストーリー的にも、当然ここがハイライトとなる。

 「過激気」については、残念ながら矛盾点を指摘しなければならない。過激気自体の設定は、激気を超える究極の激気というもので、その境地に達した者が激獣拳の歴史上、一人もいないという。この設定自体はロマンティックで良いのだが、過激気への到達者が一人もいないということを前提にすると、他の幾つかの設定に問題が生じる。まず「三山戦」が過激気に至る道であると、誰が見出したのか。そして、スクラッチは過激気という曖昧な存在をどう見極めてスーパーゲキクローを製造したのか。理央が白い虎の男にかなわなかったのは、白い虎の男が過激気を習得していたからではないのか。

 これらを一気に解決する道は、現時点考え得るに唯一つ。白い虎の男が、かつて拳聖との「(まだ過激気の概念がない上での修行としての)三山戦」に挑み、過激気を習得(巻物の様態から、かなり古い時代の出来事か=白い虎の男はかなりの高齢か)。その際に過激気に関する詳細が記録され、後のスーパーゲキクロー設計に生かされた。しかし、その白い虎の男は、何らかの理由で激獣拳の門外漢となり、過激気の習得者は激獣拳の歴史から除外された…。想像に過ぎないが、いかがだろうか。

 なお、臨獣拳側は非常に大ハードな描かれ方をしている。マスター・シャーフーの言動は明らかに理央の心理を掻き乱すようなものであり、彼の策士の面を垣間見せる。理央とシャーフーのやり取りは、それこそ「老師と若造」といった雰囲気で、(三山戦を全勝した)相当な実力者である理央ですら、シャーフーの掌で転がされているかの如くだ。この絶妙なポジショニングこそが、敵味方を超えた獣拳の奥深さと言えるだろう。