その40「頭、バカーン!衝撃の事実」

 ジャンとゴウは山にキノコ狩りに来ていたのだが、いつの間にかはぐれてしまう。ジャンはふと、清涼な草笛の音を聞く。その音の主は幻獣キメラ拳のスウグであった。ジャンはスウグに「ゾワゾワ」を感じなかったことから、スウグへと近づいていった。スウグの胸に虎の顔が覗くことから、スウグを「トラピカ」と呼んで触れるジャン。すると、ジャンの胸が焼けるように痛んだ。そこへゴウが現れ、スウグを臨獣殿の一員と見做して攻撃を加える。その時スウグのとった構えに、ゴウは戦慄する…。

 ゴウはスクラッチに戻り、ゴウ、美希、理央の兄弟子・ダンの構えを持つスウグに出会ったことを報告する。ダンは才能、人柄全てを兼ね備えた素晴らしい人物だったという。だが、理央によって亡き者にされたというのだ。ダンは肉体こそ滅びたが、不滅の激気魂となった。しかしダンの激気魂はスウグの姿をとっている。ダンの激気魂が、幻獣拳の何らかの術によって操られているのかもしれないと、シャーフーは指摘する。

 理央はスウグの存在が気に入らないのだが、ロンは言う。理央にとっての強さの象徴であるダンの激気魂を持つスウグを従えてこそ、新たな高みに上れるのだと。主を求めて幻気の乱れたスウグは、巨大化して街を破壊し始めた。ゲキファイアーとゲキトージャウルフ、そしてサイダイオーで迎え撃つゲキレンジャーだったが、スウグの凄まじいパワーに圧倒される。逡巡するジャンとゴウは決意を固め、サイダイゲキファイアーで突撃する。スウグは巨大化を解き、そこに理央がやって来た。

 何故ダンにこだわり続けるのかと理央に問うシャーフー。理央が自ら手を下した日に、全ては終わったはずではなかったか。だが理央はそれを否定し、決着などついていないと答える。

 理央がダンに自ら手を下したその日…。

 理央は臨気を纏ってダンの前に現れた。ダンは兄弟子として理央を止めるべく、戦いを挑む。だが、理央の一手が決まり、ダンは倒れた。ところが、それは何者かが前夜に闇討ちを施したが故の結果であった。理央の胸の奥には、それ以来ダンが強さの象徴として居座っていた。そして今、ダンが示した息子の存在を確信した理央は、その息子を倒すことでダンを超えようと考えていた。ダンの息子とは、即ちジャンのことだという理央。

 シャーフーによれば、激獣拳使いの親子が触れ合った時には、身体に親子の絆の印が刻まれるという。ケンはそれを確かめるべく、ジャンの上着を脱がせた。そこには、確かに親子の絆の印が刻まれていた。ジャンは事実を受け入れることが出来ない。スウグはジャンに襲い掛かり、その場から逃げ去る。理央は、血盟の儀式を決心し、ロンにその旨を告げた。ロンは早速血盟の儀式を執行する。

 一方、スウグはジャンに襲い掛かり、止めようとするゲキレンジャーを蹴散らす。ジャンはスウグに掴みかかるものの、スウグは容赦なくジャンを痛めつける。ジャンは、仲間たちの家族の絆を見て、家族の存在を羨むようになっていた。だが、スウグに心はなく、そんなジャンの思いは届かない。

 そこへ、血盟を終えた理央が登場、幻獣王としての名乗りを上げ、その元に四幻将が集う。ゴウの怒りの突進を皮切りに、四幻将との戦いが始まるが、幻獣拳の力は圧倒的であった。理央は呆然とするジャンに勝負を挑む。だが、時期尚早だと感ずる理央は、ジャンが覚悟を決めて自分の前に現れた時、宿命の戦いに決着をつけようと提案する。ジャンは混乱にとらわれたまま、虚空に向かって叫ぶのだった。

監督・脚本
監督
中澤祥次郎
脚本
横手美智子
解説

 激動の最終章突入編。やはり戦隊の4クール目はかくあるべしといった趣で、前回までの明るい雰囲気から急転直下、善悪が背負う重苦しい宿命がクローズアップされる。しかしながら、冒頭に「何てこった、迷ったぜ~」というゴウの珍しいボケが配置されるなど、前回までの雰囲気からの連続性に配慮が見られ、うまくターンして見せるところは評価に値するだろう。

 さて、予想通り「白虎の拳士」ダンはジャンの父親であった。渇望されたと言っても過言ではないダン役・大葉健二氏の登場が、ジャンのドラマを盛り上げる。3クール後半で繰り返し描かれた「家族像」は、やはりこの展開への布石であり、今回はわざわざそれらのシーンを振り返って見せるという徹底振りである。スウグはダンの激気魂を用いて仕立て上げられた幻獣拳士であり、心を持たないという。よくあるパターンとして「ジャンの呼びかけによってダンの心を取り戻す」というものが予想されたが(今後登場する可能性は高い)、今回は心を持たない故の完璧なる冷徹さが表現されており、非常に緊張感が高い。草笛を吹いたり、激獣タイガー拳の構えを披露することから、ダンの激気魂自体がスウグの行動を支配していることは間違いない。だが、ダンそのものであるはずのスウグには、激獣拳何れの者の声も届かない。この空しさと絶望感が、ともすれば滑稽に描かれてきた幻獣拳の悪辣さを増幅し、宿敵としての価値を高めている。さすればこそ、ロンと血盟し、幻獣王となった理央の下に四幻将が集うシーンは、幻獣グリフォン拳の理央並びに四幻将のカッコ良さと相俟って鳥肌モノなのだ。

 ジャンは、誤解を恐れずに言えば、ニキニキあるいはワキワキといった感情で激獣拳使いのアイデンティティを保っていた。また理央に対しても、悪の獣拳だから滅ぼさなければならないという思いより、むしろ闘争心を掻き立てられるという思いの方が強かった。前者に関しては、新たな師(シャッキー)を得、過激気を得、新しい仲間と出会うことで仲間(この言葉は一般市民も含む)を守りたいという思いを強くしていくことで、単なる興味から使命感へと昇華させてきた。しかし後者に関しては、相手が強くなればそれを超えていくという、単純な動機から変化していなかった。それは、ジャンには初めから(物心ついたときから)家族など存在しなかった故に、何も失っていなかったからだ。

 ここでいきなり父親・ダンの存在を突きつけられ、肉親の存在確認と喪失とを同時に経験したジャンの心中はいかばかりであろうか。これについては、異常なほど巧いと思わせる場面が用意されている。ジャンが抱える筈の怒りを、ゴウが代弁するのだ。ジャンはひたすら呆然としているのである。ジャンは恐らく状況を把握できない。そんなジャンがここで急に怒りを燃やして突撃したところで、場の雰囲気はチープになるだけだろう。

 公式サイトによれば、ジャン役の鈴木氏はシナリオを読んで大変悩んだそうだが、悩み抜いただけことはある。理央を憎まなければならないことは頭で分かっているが、強い者を超えていきたいという本能は、まだ強く残っている。しかも、憎むことで相手を超えるのであれば、それは臨獣殿と何ら変わることはない。つまり、生粋の激獣拳の名手・ダンが今際の際に夢想した息子の勝利を、息子であるジャンは本能的に悟っているからこそ、その宿命の呪縛の前に「頭、バカーン」となってしまったのである。ジャンは「家族」という存在に「ホワホワ」「ヨカヨカ」「ギュギュー」を求めていた。ところが、ダンの存在は自分を「理央を倒す」という宿命に縛るものであり、しかも、まず自分を超えていけとばかりに(意思はないにしろ)敵として立ちはだかるのである。鈴木氏の演技は、そのあたりを熟慮した上でのものだと評価できる優れた演技であった。

 一方、理央が抱くダンに対する因縁も実に深い。

 一連の動きを一応整理しておくと、まず、ダンは幼い我が子(ジャン)の激気の素養を見出し、獣源郷にほど近い樹海にて育て始める(この時点では特段「野生児」として育てるつもりはなかった可能性が高い)。ある日、理央はダンに戦いを挑むが、その実力の違いを見せ付けられる。その後、理央はダンを超えるために臨獣拳に手を染める。ゴウが獣獣全身変を使って理央を止めようとしたのは、それからしばらく経過してからのこと。理央はゴウを倒し、自身を得てダンに勝負を挑む。理央はダンに勝利するものの、自分が手を下していない「闇討ち」により、ダンが深手を負っていた上での勝利と知り、愕然とする。…といったところだ。

 ※上記のうち、ジャンを樹海にて育てたとの記述は後に誤りであると判明。ジャンはダンと母親と共に、樹海の近くの村で平穏に暮らしていた。ダンが理央によって亡き者とされ、その直後村が土砂災害によって全滅したことで、一人生き残ったジャンはやむなく樹海で生き延びることを余儀なくされた。(2007/12/16追記)

 では、これはいつ頃の出来事だったか。ゴウが「10年以上」行方不明だったこと、ジャンが20歳前であろうこと、ジャンが日常会話程度ならば十分こなせることを考え合わせると、15年くらい前のことであろうと推測される。3~5歳くらいの間に姿を消した父親像ならば、記憶から失われていてもさして不思議はない。その後、理央は何らかの理由で年をとらないまま、臨獣殿の党首に君臨した。理央が年をとっていない理由は、いずれ明かされることだろう(あるいは、現在の姿が年を重ねた姿かもしれないが。美希もそれほど変わっていないし…)。

 理央が抱く最大の喪失感は、不本意な勝利によってダンを殺めてしまったことに起因する。ダンの激気魂が幻獣拳使い・スウグとして目前に現れた時、理央はその上に立つことでダンを超え、さらにダンの血を引くジャンを自らの手で討つことにより、この喪失感を埋めようとする。ジャンが弱いまま討ったのでは、かつての不本意な勝利と変わらない。それ故、幻獣王としての威厳を見せ付けた上で、ジャンの本能に働きかけたのである。しかし、ジャンは奮起しない。それもその筈、ジャンは喪失感を抱えてしまい、理央との戦いに価値を見出せなくなってしまっているからだ。

 ところで、短いシーンではあるが、待望の大葉「バトルケニア/デンジブルー/ギャバン」健二氏の登場である。大葉氏の経歴については、書けば熱くなってしまい、非常に長くなるので割愛する。ここでは、登場シーンから大葉氏の経歴を匂わせる部分を掬い取るという、マニアックな志向で話を進めて行きたい。

 まず、理央の襲撃を背中を見せつつ受け止めてみせるシーン。これは「宇宙刑事ギャバン」で見せた余裕ある殺陣を彷彿させる。大葉氏のアクションの特徴として、静から動へのダイナミックな展開が挙げられるが、まさにこのシーンはそれを示してみせる。「ギャバン」当時より格段に渋みを増し、威厳が加わった現在、静的な瞬間では沈黙が威嚇となり、次に繰り出される動的な瞬間では凄まじい体術のキレ(大葉氏の年齢を考慮するだけ野暮だが、やはり驚愕に値する)を披露し、そのオーラが刃物を思わせる。戦隊やメタルヒーローのオールドファンならば、永久保存版のシーンだ。一方セリフ回しに関しては、当時と変わらない声質が嬉しい。渋みを増したとは言え、喋りは優しい一条寺烈(=ギャバン)そのままなのが、何とも嬉しい限りだ。

 そして、臨獣拳士となった理央がダンを倒すシーン。ここでは、より本格的に大葉氏のアクションを楽しむことができる。激獣タイガー拳の構えには、一部ギャバンの「蒸着(ギャバンの変身コード)」ポーズが取り入れられており、オールドファンをニヤリとさせる。それにしても、キメの力強さを伴いつつ、あの激しい上下運動を伴うポージングをこなすとは流石だ。拳法的に洗練された動きはギャバンを、動物的な荒々しい動きはバトルケニアやデンジブルーを彷彿させ、久々の戦隊登場でハイブリッドな動きを堪能できる喜びに浸ること間違いなし。襲い掛かる理央がメインなのに、完全にダンが画面を支配してしまっている。やられっぷりも凄まじく、立ち回りの巧者ならではの動きで魅了する。苦悶の表情は、一条寺烈が死の境をさまよう際に見せたものそのままで、当時より大葉氏の演技力が高かったことを物語る。ダンの今際の際は、かつてギャバンで描かれた父・ボイサーの死を思わせ、またオールドファンの感慨を煽るのである。

 大葉氏自身、非常に多忙であるため、ゲキレンジャーへの登場の可能性は今後も少ないものと予想されるが、やはり再登場を求めたいところ。願わくば、美しいアクションをもっと見たい。

 エンディングにおける「キャラソン七番勝負」。今回はランの「Run」であった。このシリーズ、各員の名場面が的確かつコンパクトにまとめられており、完成度が高い。