Mission 48「仕掛けられていた罠」

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 終盤の終盤に、突如シリーズ当初の雰囲気を取り戻したかのような、まるで「ジャッカー電撃隊」の最終編のような一編。

 縦糸として「ヒロムこそがメサイア」といった構図があり、前回こちらで言及したとおり、ヒロムの中にあるのは、バックアップというよりむしろ本体と言って良い感覚。つまり、ヒロムが消滅しない限り、メサイア(エンター)は消滅しないという、限りない絶望感に支配されていて、シリーズ当初の「肉親が助かる確率はほぼゼロ」に似た「見通しの暗さ」が復活しました。

 併せて、当初に存在した「もしかしたら肉親は生存しているかも」というわずかな希望に代わるものとして、ヒロムの中にあるナンバー13のカードのデータさえ特定出来れば、転送の過程で「濾過」する事により、それを取り除けるかも知れないという希望が示されました。この辺りのバランスは、「戦隊」である事を考慮しているように見え、バッドエンドを確実に回避する為のエクスキューズとして用意されたものでしょう。

 エスケイプの退場にも、エンターがデータとして得た「愛」が関わるという、なかなか興味深いエクスキューズが用意されており、全体的に「ゴーバスターズ」当初の主幹であった「エクスキューズ偏重主義」が、ここに来て明確に復活すると共に、巧みに活かされる事となりました。勿論、超強力な戦闘力を持ちながら、ヒロムを生かさず殺さずの状態に持って行こうとするエンターの行動にも、「ヒロムが消滅したら困る」というエクスキューズが与えられる事で、説得力が増したわけです。まぁ、ここは諸刃の剣なわけですが。

 「ゴーバスターズ」の世界観は、スパイアクション映画の雰囲気から拝借して組み立てられた部分が多かったわけですが、それは話数を経るに従って逓減し、かなり「普通の戦隊」の雰囲気になりました。しかし、SF的な設定の端々に、確実に影響し続けているコンテンツがあります。それは「スター・トレック」。陣のように転送途中のデータがバンクされていたりといったシーンで、設定の流用が見られます。

 今回は、最も「スター・トレック」的なエクスキューズが登場しました。それは勿論「転送」に関するもの。「ゴーバスターズ」における「転送」は、対象物をデータ化して受信側で再構成するという技術ですが、概ね「スター・トレック」の「転送」も同様の技術です(ただし、転送ビームを介すので送信、受信に関するガジェットは不要)。

 この「転送」、「ハエ男の恐怖」の「物質電送」のように古くから存在するものなので、表層だけでは「スター・トレック」の影響を見て取る事は出来ませんが、今回登場した「ヒロムの濾過(便宜上こう呼びます)」には明らかな影響が見られます。というのも、「スター・トレック」の劇中で、危険なウィルス等を転送の過程で除去するという話題が散見されるからです。

 ただ、今回の場合、ナンバー13のカードのデータを特定する事が出来ないので、過去のヒロムの転送データから推定する事しか出来ず、より処置は困難であり、陣の狼狽っぷりは納得出来るものとして映ります。人間の身体は刻一刻と変化していくものなので、ある時点のデータと照合しても、ヒロム本体の「単なる差分」なのか、メサイアカード由来の「重大な差分」なのか、判定するのは非常に難しいでしょう。ましてや、ヒロムの体内にカードが混入したのは、かなり前の事なのですから。

 それにしても、この辺りのやや難解な設定を、今回はサラリと平易に説明していたように思います。前回のエンターのセリフによる長々とした説明に類するものではなく、懸命に調査する過程で少しずつ分かってくる事柄を、ビジュアルを交えて説明する事で、状況の推移と設定説明とを巧く両立させていました。この辺りの手際の良さは、当初の雰囲気を取り戻すのに貢献していると思います。

 さて、語弊はあるものの、「ヒロムこそがメサイア」という図式が提示された事により、人間関係もヒロム&ニックとその他のメンバーで分断され、こちらも当初の雰囲気が戻ってきました。ヒロムは心中する覚悟でエンターに挑み、エンターを脅迫する事で自分の体内からカードを取り出させる(エンターがカードを取り出せるという描写が伏線として存在していた!)手段に打って出ます。つまり、ヒロムは単独行動を採るわけで、これはシリーズ当初の「自分がエースである」というプライドによる単独行動とはベクトルこそ異なるものの、「自分でなければやれない」という結果論を捉えれば、図式としては同一のものとして映ります。

 ここでは、一応勝算を持ってエンターに挑んでいる辺りに、ヒロムの策士としての成長振りが伺えると共に、身を焦がして敵を断つという「後がない」状態でもあり、実に高い悲壮感に覆われている感があります。成長した勇者が、最終的には自らの身を捨てる事で巨敵を滅ぼすという、悲劇的な英雄譚の引用が見られ、通常の戦隊におけるクライマックスである、世界崩壊のタイムリミットで示される危機感とは、完全に別種のパーソナルな決着が異色で、効果的、かつ衝撃的です。カタストロフィーを回避するカタルシスは望めませんが(いや、後二話の中に盛り込まれるかも知れませんが)、エンターという特異な魅力を持つ敵キャラを活かす方向性は、絶対にこれが正しいのではないかと思います。

 ただ、冒頭にも述べた通り、「ヒロムが消滅したら困る」というエクスキューズは諸刃の剣です。ヒロムは痛めつけられこそすれ、エンターに倒される事はないので、命の危険という極限状態には追い込まれない事が分かってしまい、凄惨な「生かさず殺さず」の拷問が待っている事になり、それは非常に暗く重苦しいテーマとなってしまいます。恐らく、エンターの画策する「ヒロムの最後」は、ヒロムがエンターそのものになってしまう事でしょうから、余計に凄惨ですよね。

 エンターと同様、抗しがたい魅力を放ったエスケイプの退場劇も、劇的に描かれました。

 エスケイプに関しても、「何度でも蘇る」という設定があるわけで、ある意味、どのように「蘇らないようにする」のかが焦点となったわけですが、エンター自らエスケイプを「死なせてやる」という決着に至るとは、考えもしませんでした。

 ここには、エンターが得た「愛」というタームに関するデータの影響で、いつしかオリジナルのエスケイプそのものを「愛してしまった」事により、従順で無垢なリプログラムド・エスケイプの存在を許容出来なくなったというエクスキューズが用意されました。「失いたくないんですよ」というかつてのセリフは、フェイクではなく本物だったわけで、パズルの断片が合わさるような感覚に身震いさせられましたね。簡単に言ってしまえば、「変わっちまった」エスケイプに「未練はない」という話でして、それをサイバーなタームで巧~く彩っていて、ドロドロとした男女関係を極めてドライな感覚に変換したのは、実に巧いと思います。

 そして、「捨てられた」エスケイプは、「いいものでありたい」本能の赴くまま(ヤケになって)、様々な生物や無機物を手当たり次第融合し(色んな男に手を出し)、遂に自ら巨大化し(自我が肥大化し)、因縁の相手であるリュウジ(愛憎半ばする過去の男)によって、最後を看取られる事になります。最後、安らかに消滅していくのを見ると、まるで昼ドラのような感覚...(笑)。エスケイプに関しては、演じた水崎綾女さんの魅力ある立ち振る舞いにインスパイアされた制作側が、ドロドロの男女関係を描いてしまったという事なのでは。巧みにSF設定を被せてはいますが、エスケイプの持つ「女」という要素が最大限に活かされる方向性として、そして大きなお友達を満足させる方向性として、やはりこれも正解だったと思います。

 短文ですが、今回はこれにて。次回は正当派のダークヒーロー登場となるか?!