GP-25「母上サヨナラ」

 ヨゴシュタインは蛮機獣製造庫の中でヒラメキメデスを供養中。その為、ケガレシアとキタネイダスは蛮機獣を作れないという事態に。キタネイダスは「作れないなら見つける」と言いだし、ケガレシアと共に出かけて行った。

 走輔、早輝、範人、軍平の4人は、夏休みにどこかへ出かけたいと大騒ぎしている。連は何かを製作しており、その上金銭的にそんな余裕はないと反対するが、走輔達は連を「やりくり上手のオカン」と囃し立て、連の実家である旅館へと繰り出すのだった。予約が取れない程の人気老舗旅館である連の実家に到着すると、連は真っ先に父親のことを仲居に尋ねる。組合の会合で不在だと知るや、走輔達を部屋へと案内する連。その口調がいつもと違うことに、軍平が首をかしげた。

 ケガレシアとヨゴシュタインは風光明媚な場所へとやって来た。綺麗な場所から早く立ち去りたくて落ち着かないケガレシアに、キタネイダスは告げる。以前マシンワールドから突如姿を消したアレルンブラ家がヒューマンワールドに居る、と。露骨に嫌がるケガレシアを無理やり引きずりつつ、キタネイダスはアレルンブラ家の者を探し始めるのだった。

 温泉に豪華な料理、そして海水浴と、走輔達は旅館でのひと時を満喫していた。しかし、連は一人どこかへ行ってしまう。それに気付いた軍平は連の後を追った。軍平は連が急に「~っす」と言わなくなったことに違和感を感じていたのだ。連がやって来たとある洞穴には大量のゴミが投機されていた。軍平もすぐに辿り着く。連は「思い出の場所」を綺麗にすべく片付け始めるが、突如「いただき~」の声と共にゴミが消滅。そこには連が「お地蔵様」と呼ぶ像があった。「これが思い出か?」と尋ねる軍平に、連はうなずく。そこへキタネイダスとケガレシアがやって来た。キタネイダスが探していたのは、連の思い出の「お地蔵様」だったのだ。連と軍平はすぐに変身して立ち向かうが、二大臣の力の前に苦戦する。余裕綽綽と像を奪おうとするケガレシアの前になおも立ちはだかる連だったが、この像はガイアークの仲間だという二大臣の言葉に衝撃を受ける。そこに走輔達が合流、さらに大翔と美羽も合流する。ところが、大翔と美羽はウイングブースターの銃口をいきなり連に向けた。像を破壊するつもりなのだ。連は「お地蔵様」を抱えて絶叫しつつ無我夢中で逃走する。

 ガイアークのマシンワールドにおける反乱以前に起こったアレルンブラ家の乱。まだガンパード達が生まれる前の出来事である。彼らは暴れるだけ暴れて別の次元へ消えていったという。その別次元こそがヒューマンワールドだったのだ。綺麗な環境に置かれたアレルンブラ家の者は長い間仮死状態となっており、像のように見えた。ケガレシアとキタネイダスはそれを蘇らせるつもりなのである。走輔達や大翔達、そしてケガレシアとキタネイダスが連を探す中、連が像を庇う理由が何かあるはずだとにらんだ軍平は、独自に調査を開始。旅館の仲居の一人を「取調べ」して連の過去を聞き出す。一方の連は、オムレツを「お地蔵様」に捧げていた。「お地蔵様」はそれを吸収、連は「あの頃のままだ」と微笑む。

 連の元へ大翔がやって来た。そして、軍平もやって来た。軍平はいきなり大翔を殴り倒してしまう。軍平は連の大切な思い出を守りに来たのだ。

 連の母親は体が弱く、病気がちであった。幼い頃の連は母親を励まし笑わせる為に、「~っす」という口調を使い、そして母の好物であるオムレツを練習していた。そんな幼い連はオムレツづくりに失敗すると、洞穴の「お地蔵様」の元へ持って行った。ある日、「お地蔵様」がそれを吸収したのを見て、「食べてくれた」と解釈した連は、母が亡くなるまで毎日「お地蔵様」を拝みに行ったのだという。

 大翔は「戦士とはやりたい事をやっていいものじゃない」と連の姿勢を批判する。すると軍平は「俺も戦士じゃないな」と言い、ずっと正義のために戦いたいという目的を果たす為にゴーオンジャーをやっている自分を卑下してみせた。そして大翔も同様に才能を生かしたかっただけだろうと揶揄する軍平に、大翔は容赦なく挑みかかる。軍平は、連を評してイヤなことでも断れない優しい奴だと言い、今度は連がやりたい事をやる番だとして大翔と取っ組み合いを始めた。連は軍平と大翔の間に割って入るが、喧嘩は止まらない。その隙にケガレシアは像に汚水を浴びせ、その真の姿である害水機士ウズマキホーテを復活せしめた。ウズマキホーテは軍平と大翔に襲いかかるが、連はそれを必死に止めようとする。しかし、当然ながら聞く耳をもたないウズマキホーテは、手にした槍を連に突きつけた。ところが、ウズマキホーテは寸でのところで手を止めてしまう。顔面をスパークさせ苦しみ始めるウズマキホーテ。バスオンは汚れきった身体の一部だけに綺麗な場所があるのではと推理する。連が作って吸収させたオムレツの分だけ綺麗な部分が生じ、連を攻撃できなくなったのだ。

 苦しみさまようウズマキホーテに遭遇したのは走輔達であった。ウズマキホーテは本調子を取り戻し、走輔達4人を襲撃する。あらゆる攻撃を吸収するウズマキホーテになす術もない4人。その場に辿り着いた連は意を決して変身、やって来た軍平と大翔に「2人とも、喧嘩をやめるっす」と告げた。「~っす」の口調が戻ったことに驚く軍平に「オカンになる、それが俺のやりたい事っすから」と応える連。連は軍平と大翔の喧嘩を「兄弟喧嘩」と称してその場を収めた。軍平と大翔に的確な指示を与え、3人の連携でウズマキホーテを下す連。連はウズマキホーテの弱点を知っていた。母親が亡くなったことにショックを受けた幼い頃の連は、「お地蔵様」に石をぶつけて八つ当たりした。その時、「お地蔵様」の顔面にはひびが入り、そのままウズマキホーテの弱点となったのだ。

 倒れたウズマキホーテはケガレシアに、アレルンブラ家の王子ニゴールが近くの山に眠っていると告げる。またも露骨に嫌な顔をするケガレシア。ウズマキホーテの、ニゴールの楯とならんとする心意気を見込んだキタネイダスは、ウズマキホーテにビックリウムを与えて巨大化させた。

 走輔達はエンジンオー、ガンバルオー、セイクウオーで迎撃するが、ガンバルオーとセイクウオーがウズマキホーテにエネルギーを吸い取られ、危機に陥ってしまう。それを救ったのは、連が作っていたキューユソウルであった。キューユソウルによってエネルギーを充填されたガンバルオーとセイクウオーは、再び立ち上がる。オカンたる連の指示で、兄弟扱いされた大翔と軍平は、ガンバルオーとセイクウオーのエネルギーを一つに合わせ、エンジンオーと共に必殺技を放ってウズマキホーテを粉砕した。

 ゴーオンジャーの短い夏休みはこうして終わりを告げた。不満を口にする走輔達に、連は「家族と遊びにきたみたいで楽しかった」「最高の夏休みっす」と言う。

 「母さん。お地蔵様はなくなっちゃったけど...。今の俺の家族と、新しい思い出いっぱい作ってるっす」連はそう呟いて微笑んだ。

今回のアイキャッチ・レースのGRAND PRIX

 バスオン!

監督・脚本
監督
諸田敏
脚本
會川昇
解説

 前回の早輝編に続き、メンバー個人のプライベートが描かれる連メイン編。前回の早輝編がファンタジー色の強い怪奇コメディ編と正統ヒロイン編のハイブリッドだったのに続き、今回の連編は細かいギャグが散りばめられているものの、基本的にはちょっと物悲しく影があるという、「ゴーオンジャー」においてまたも異色作たる一編に数えられそうなエピソードに仕上がっている。

 演ずる片岡氏の個性や雰囲気によるものに相違ないと思うが、連というキャラクターは真っ直ぐで明るくありつつも、どこか影のあるものとして映る。そもそも「~っす」という語尾と「俺」という一人称に引き裂かれた、非常に掴みにくいキャラクターであり、常に温和というイメージの口調でありながらも、理屈に合わない折には声を荒げて激昂することもあって、演ずる側とすれば相当な苦労があったものと想像できる。他のメンバーが良い意味であらゆる方向に振り切れた(ステロタイプとも言う)キャラクターになっている中、連だけがその個性を爆発させていないのがずっと気になっていたのだが、今回はそんな連のキャラクターの正体の一面を説明することに一役買っている。というより、むしろ片岡氏(とゴーオンブルーを担当している押川善文氏)が大部分を作り上げたと言っても過言ではない連というキャラクターに、制作側が設定の面で応えた一編ではないだろうかとすら思えるのだ。

 連が元々老舗旅館の跡取りだったことは、以前少しだけ言及されたことがある(GP-13「侠気マンタン」 )。また、「ゴーオンジャーのオカン」という存在感は、早くから示されてもので(GP-05「時々オカン!?」 )、今回が2クール終盤に際しての、いわゆる連の設定に関する総括であったことも伺える。老舗旅館の設定に関しては、前述の回で本当にサラリと語られたのみなので、より詳細に描くという姿勢は当然であろう。しかし、まさか連の「オカン」たるルーツ、そして卵料理のルーツにまで言及が及ぶとは、ズバリ予想してなかったっすといったところだ。

 だが、旅館の件はともかく、「オカン」に関するトピックは「ゴーオンジャー」らしからぬ沈鬱なものとして映ることとなる。これまでの「ゴーオンジャー」は人の死に関するあらゆる事象を意図的に避けてきた傾向があった為、今回の連の母親に関するストーリーは異質だ。私など、「ゴーオンジャー」らしく「えっ? 何言ってるっすか? 母さんは、元気っす」などと言う連のセリフと共に、仲居さんを叱り飛ばす母親が登場というシーンを予想していたくらいだ。勿論、そんなシーンがあったならば本エピソードの雰囲気はぶち壊しになり、ウズマキホーテの「お地蔵様」に対する連の執着の意義も薄れてしまうので、結果的にはこれが正しい流れであろう。しかし、それにしても何かしらの心痛を生じさせた今回は、前回にも増して異色だと言える。

 そんな「ゴーオンジャー」としては少し重いテーマを持った今回であるが、連のイニシエーションとしての側面もあって侮れない。温和で達観気味の連にとって、イニシエーションのシチュエーションそのものが必要だったかどうかと言われれば、それは否として良いのだが、わざわざイニシエーションを描いたことで、連のキャラクターがグッと深みを増したことも否定しようのない事実だ。連もゴーオンジャーの一員であるから、他の面々と同様に喜んだり怒ったり、時には割と簡単に諦めてしまったりということもあった。だが、その奥には状況を冷静に見つめているような、醒めた目線も併せ持っていた(これは片岡氏の雰囲気によるところが大きい)。つまり、連は他の面々に比べ、少し大人のポジションにあり、「ゴーオンジャーのオカン」であるという特異なポジションも与えられていた。その連が、彼の一部分を母親の幻影に依存していたという事実。それは驚愕とまではいかないまでも、ちょっと仰け反る程度のインパクトを充分持っている。

 少しややこしいのは、「~っす」という語尾が、母親の幻影から独り立ちした連を象徴しているという描写があることだ。ファン諸氏も少しは感じていたことだろうが、「~っす」という喋り方はあまりリアルではない(逆に、走輔の大袈裟な「~だゼ!」は、そんなノリもアリだと思わせる)。これは片岡氏を大いに弁護しておきたいところで、どんなに演技が達者であろうと、リアルでないことに変わりはない。この点において連は少し浮いた存在になってしまっているのだ。それを捕まえ、わざわざ連の隠された面の象徴にしてしまったのは少々厳しいものと思える。実際、幼い連が「~っす」という言い回しを用いて母親を笑わせて励ますというシーンには、何ら起源も説得力もなく、かえって「~っす」がもたらす違和感を増幅してしまっている(寂寥感は抜群だったが)。私的感想故に反論も大いに結構だが、私は「仮面ライダークウガ」最大の弱点は「皆の笑顔を守る為に戦う」というセリフの頻出にあると思っている。このセリフは「仮面ライダークウガ」が目指したリアル志向の雰囲気とは、まるでマッチしておらず、非常に浮いたものという印象がある。最終的に主人公である五代雄介が仮面の下で泣いていたという最終回により、このテーマは完結を見た。故に「仮面ライダークウガ」は傑作たり得たのだと思うが、前述のセリフの違和感はやはり残存している。連の「~っす」には、この五代雄介のセリフと同質の違和感がある。勿論、五代雄介のセリフは自身のイデオロギーを現すものであり、「~っす」と一括りにして考えるわけにはいかないが、例えば今回が「~っす」にイデオロギーの影を与える役割を果たしたとしたらどうだろう。同種のランクの違和感になりはしないだろうか。今回は母親の幻影を爽やかに胸の内へとしまう行為を、「~っす」という語尾に象徴付けている。「~っす」が単なる口癖ではなく、連の心中のシンボライズにまで「高められてしまった」のである。そして、「~っす」という連一流の口調を聞く度に、本エピソードを視聴した者は少しの違和感と共に切なさをも感じとらされることになったのだ。前回の早輝の「スマイル、スマイル」は爽やかなファンタジー調の背景が加わることで、その魅力を増したが、こと連に至っては「母を失った悲しみを乗り越えた母性的な強さ」という、「ゴーオンジャー」に似つかわしくないキャラクター性を与えられてしまったことになる。

 イニシエーションの話に戻そう。

 連にとってのイニシエーションとは、旅館である実家に戻ってきたことで、母親の幻影に強く引き寄せられてしまった彼が、「お地蔵様」への未練を断ち切ることにより、「立派なゴーオンジャーのオカン」として再度奮起するというもの。こういった、心の底に眠る弱点の克服というシチュエーションは単純に感動を呼ぶものであり、様々な方面で重宝されてきた。さらに今回は、依存心の拠り所である「お地藏様」がウズマキホーテであったことにより、現実主義の大翔と、復活を目論むケガレシアとキタネイダスが絡んできて混迷の様相を呈す。この混迷を制するのが、連の克服劇であるというのは実に巧く計算されていると評価できよう。自らが「オカン」を名乗り、大翔と軍平を兄弟扱いするところなどは、見ていて少々むず痒さを否めないし、「母さん」と「オカン」の関連性は映像からあまり伝わってこないが、それでも自信家である大翔と軍平に「上から」的確な指示を与えて危機を回避していく連の姿は、充分にカッコいいヒーローとして映る。ウズマキホーテを撃つシーンでは、静かなミュージックボックス調のBGMが採用されており、情感もたっぷり。「ゴーオンジャー」らしさとは少々乖離しているが、文句なしの名シーンだ。

 ところで、全体的に暗い雰囲気に彩られた本エピソードだが、それは大翔と軍平の殺伐とした喧嘩シーンにも反映されている。洞穴内で諍うという絵的なものもしかりだが、ここで重要なのは、軍平が「正義の為に戦っている」と名言している点だ。それは軍平のやりたい事そのものであり、元警察官というキャリアの意味付けでもある。突飛な行動が多い軍平ではあるが、それは全て彼の中にあるモットーを貫く為に邁進した結果であり、軍平はゴーオンジャーとしての使命感以前にプリミティヴな正義感に突き動かされた人物であることが伺える。そんな軍平は、大翔のイデオロギーをも糾弾する。曰く、大翔は才能を生かしたいが為にゴーオンウイングスとして戦っているという主張だが、意外にも大翔はそれを指摘されて動揺しているのだ。ゴーオンジャーのみならず、ゴーオンウイングスもごく私的な集団であることを、如実に示しているのである。その後、「オカン」たる連によって「兄弟喧嘩」と見做されて収められる二人だが、このギャグがなければ「何のために戦うのか」を巡る陰鬱な展開に足を踏み入れかねない迫力であった。「ゴーオンジャー」たり得るバランス感覚が働くことで、陰鬱なイデオロギー戦は回避されたのである。

 「ゴーオンジャー」らしいギャグシーンは、数は控えめながらそれぞれインパクトの大きいものが用意されていた。冒頭、いきなりヨゴシュタインが「喪中」を掲げてヒラメキメデスを供養するシーンには、爆笑と共に切なさも。漢字で「喪中」とはインパクト充分で(「忌中」とか「還浄」等にならないのがある意味良心的)、ガイアークの文化的側面を垣間見られる一幕だ...いや、そんなわけはないのだが。軍平の「取調べ」シーンも実に馬鹿げていてイイ。「カツ丼食え」という、ある意味時代錯誤な発言もあり、本当に軍平が警察官だったのかどうか疑わしくなる...いや、これとて単なるギャグなのだが。にしても、久々の「怪しい軍平モード」全開の出で立ちが嬉しいのは確かだ。他にも、キタネイダスが、嫌がるケガレシアを引き摺ってウズマキホーテを探したり、アレルンブラ家を露骨に嫌がるケガレシアが可愛らしかったり、ガイアーク側の見所も多い。海水浴に興じるゴーオンジャーの面々も実に楽しそうだ。早輝の私服姿も実に麗しい。

 ただ、最後に一言。

 早輝と美羽の水着シーンがないのはどういうことですかっ!