epic22 「オーバー・ザ・レインボー」

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 ゴセイナイトとゴセイジャーが、完全ではないものの護星天使としての絆を形成するというお話。

 物語の構造的にはよくまとまっており、それぞれの見所もしっかり押さえられていて、全体的な見応えはかなり高いものになっています。セリフでテーマを振りかざすというチープなシーンも殆どなく、アクションとシチュエーションで繋いで行く展開はドライヴ感たっぷり。2クール目も後半に入って、やっとキャラクターが転び始めた印象です。

 そして、前回懸念していた批判者としてのゴセイナイト消滅は、杞憂でした。

 一応、ゴセイナイトはゴセイジャー達の戦いに対する姿勢に疑問を持ちつつも、新世代の護星天使としてのポリシーを強く持ちながら行動する彼等が常に気になっているとされ、いきなり掌を返して仲間になるような陳腐な展開にならなかったのは好感触。それも、ゴセイジャーの戦い方(つまりアクションシーン)を見て徐々に納得していくという、このテのドラマならではのやり方が潔く、また説得力があります。

 全体的な構成としては、手放しで褒められるレベルなのですが、細かい部分は割と適当というか投げっぱなしというか…。こういう部分を徹底すると、「ゴセイジャー」はかなりいいシリーズになると思うんですがねぇ。

 ということで、その不徹底な部分と抜群の部分のコントラストを、続きの文章で出せたら…いいんですが。

 今回の幽魔獣は、ネッシーのウオボ渦(ウオボウズ)。遂に世界で最も有名なUMAの一つであるネッシーモチーフが登場です。ネーミングソースは、「ウォーター・ホース」という映画らしい。この映画、一応ネッシーが題材とのことで、モチーフの一致は完璧なのですが、この映画の事は今回初めて知りましたよ。なので、これ以上は語りません(笑)。

 このウオボ渦、膜インが丁寧語で話しかける程、由緒正しい幽魔獣らしいのですが、それもその筈。はるか昔、最強と謳われたグランディオン・ヘッダー(つまり後のゴセイナイト)ですら歯が立たなかった幽魔獣なのです。

 恐らくネッシーモチーフということで、このような特別扱いを受けているものと思われますが、実は特別扱いがかなり不徹底で、これが今回の最も不満な点。

 前回のエピローグに、その巨大な陰を見せつけていたウオボ渦でしたが、今回姿を現した途端、いきなり小さくなるのは何故…。ネッシーと言えば、プレシオサウルス説があった程の巨体。どうせなら、巨大な姿をデフォルトにして欲しかったし、その方が強大さをアピール出来たような気がします。等身大じゃ、結局偽写真の被写体がモチーフになってしまうではないですか。

 それから、影を奪うという特殊能力がスケールを著しく矮小化してます。街に潜んではせっせと影を吸い取るネッシーなんて、何とスケールの小さい…。人類を絶滅させるという、凄い展望を掲げているにも関わらず、その手段がちょっとずつ影をコレクトする事とは。何万年もかかりますな。そういう意味ではスケールが大きいか(笑)。

 というわけで、このウオボ渦はとってもスケールの小さい幽魔獣なのですが、ネッシーというモチーフを外して考えてみると、そうでもない。幽魔獣は元々スケールの小さいヤツが多いし、日常に忍び寄る怪物というイメージからすれば、今回のウオボ渦もやっぱり幽魔獣らしいのです。

 しかしながら、言動の奥ゆかしさや悠久の時間を思わせるバックボーンが、ヘタにウオボ渦のスケールを大きく見せようとしている為、スケールの大小によって、完全に引き裂かれてしまっているわけです。

 さて、このウオボ渦に因縁のあるゴセイナイトは、単独で決着を付けようとするのですが、ゴセイジャーがしゃしゃり出てくる(と、少なくともゴセイナイトは感じた筈)ので、なかなか攻略出来ません。

 この展開は、よくある展開なので見ていて安心感すら漂います。「ゴセイジャー」でも既にハイドがやってますしね。

 今回のいい処は、ゴセイナイトだけではウオボ渦に勝てないかもしれないということを、ちゃんと描いて見せている事。この「勝てないかも知れない」が重要で、逆にもしかしたら勝算はあるかも知れないという、微妙な線なのです。

 この微妙な線を守ることで、これまで執拗に描かれてきたゴセイナイトの強さ、いわば「ゴセイナイトのターン」になれば全てが解決するといったパワーを裏切ることなく、ゴセイジャーの活躍を描くことが出来るわけです。詳細なシーンで言えば、アラタが飛び込んでくることによって攻撃の機会を失ったり、逆に単独でウオボ渦に戦いを挑むも、精細を欠いてしまったりといったシーンが挙げられます。

 もう一つ、今回のとってもいい処は、ゴセイナイトが一旦ゴセイジャーを不要だと突き放した後、独白で自らの中に芽生えた反対の感情に気付く処ですね。そのゴセイナイトの心情をアラタだけが敏感に察知するあたりもいい感じ。アラタは一貫してゴセイナイトの理解者として描かれていましたから、正に適役だったわけです。

 ただ、アラタは相変わらず、諭すような口調と、戦いの際の激しい闘志を感じさせる口調のギャップが激しすぎて、今一つノれない感が残ります。今後の課題は、アラタという複雑なキャラクターをどのように転がしていくかでしょうね。

 クライマックスは、一人では倒せない状況に追い込まれた(かも知れない)ゴセイナイトを、ゴセイジャーが守りながら戦うという姿勢で盛り上がります。

 ゴセイナイトの持論は、仲間を守りながら戦えば、戦いに集中できないというもの。しかし、ゴセイジャーがこの時点でたどり着いているのは、仲間一人守れない護星天使が、人間ひいては地球を守ることなどできないという結論。この相反する二つのロジックが交わる瞬間こそ、ゴセイジャーがゴセイナイトを守りながら戦うシーンなのでした。

 しかも、ここではゴセイジャーはポリシー通りにゴセイナイトを守っているのに対し、ゴセイナイトもポリシー通り、ゴセイジャーの行動を好機としてウオボ渦を粉砕しています。その意味では、互いのポリシーが交わったというよりは、止揚された、あるいは昇華されたと言う事もできそうです。

 そのシンボルが、グランドゴセイグレート。圧倒的な強さは、彼等の結束の証としてその威容を見せつけました。特撮も良かったですしね。

 最後に、「まだ見習い」と評するゴセイナイトのクールさもいい。それをバカにされたと受け取ることのないゴセイジャー達もいい。こんな「ゴセイジャー」を待っていた。そんな印象ですね。

 ただ…。

 望の「逆さてるてる坊主」は、何の意味があったのか…。こういう処がイチイチ不徹底なんだよなぁ。

 この回は、スーパー戦隊シリーズ 天装戦隊ゴセイジャーVOL.6【DVD】
に収録。