ブレイブ2「ガブリンチョ!カミツキがったい」

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 文句なし!

 以上!

 それで終わらせたいくらい面白かったと思います。分かり易いビジュアル、「迷いのないレッド」を囲む「迷うメンバー」、ビジュアルとは正反対のちょっと重いドラマ、マニア向け要素の挿入(笑)。

 これら全てがバランス良く配されていて、設定編を預かる第二話としても出色の出来でした。

 まず、分かり易いビジュアルですが、とにかく主人公達は皆生身でも強い!

 前作「ゴーバスターズ」でも、特殊能力の持ち主である事と、訓練された技術を持ったメンバーである事を体現すべく、変身前でも充分に戦闘に長けている様子が描かれていましたが、今回はそのような理屈を超越して、とにかく強さが存分に描かれるという感じになっており、素面アクションの充実度を確実に上げてきています。

 ダイゴには、木彫りの恐竜像を素手で作り上げてしまうという、何ともマンガチックながらも、分かり易い力強さを示すシーンが与えられていました。勿論、戦闘に関しても充実した見せ場が用意されていたのですが、今回の戦闘のメインはアミィだった事に、異論はないでしょう。

 ノブハルには、重量級の恐竜像を素手で持ち上げて投げつけるという、パワーファイターそのもののシーンが与えられました。ダイゴが器用さを伴う「総合的な強さ」を体現するならば、ノブハルは荒削りで力任せなファイティングスタイルを体現していると言えるでしょう。性格面での個性化は戦隊における常套句であり、勿論それがない限り戦隊としては成立しないのですが、「キョウリュウジャー」に至っては、戦闘スタイルの明確過ぎる個性化が目指されていると感じます。その為には、どのような危機的局面においても、その個性を失わない「強さ」が必要とされるので、これから先、どのようにドラマとアクションの両立を基盤として組み上げられていくか、実に楽しみですね。

 アミィには、ありがちな属性である「お嬢様」が与えられました。エレガントな衣装を身に纏いつつ、内面でくすぶる「強さ」を隠しきれなくなっているという、ある意味使い古された属性(特に近似しているのは「ドラクエ4」のアリーナ姫かな?)ではあるものの、ステロタイプ(気は強いが芯から上品なお嬢様など)を佳しとする戦隊では割と珍しいものに属すると思います。演じる今野さんの華麗な足技が炸裂しまくる画面作りは、いかにも坂本監督らしいと言えますが、それ以上に、「お嬢様」が最も忌避するであろう「足蹴」を得意技とする辺りが、このアミィというキャラクターのおおよそ全てを物語っていて興味深いです。

 さらには、わざわざ「本当は凄く強くて乱暴なの」というセリフ(!)まで用意する周到振り。「おしとやか」の対極である「乱暴」があまりにも衝撃的で、普通の人間なら引いてしまうような発言に苦笑はするものの、それに動じるどころか、目を輝かせて話に聞き入るダイゴと、何となく共感を得るノブハルの描写に、運命共同体の片鱗が滲み出ているようで、非常に細やかな演出が垣間見られます。それにしても、「根は乱暴なお嬢様」とか、あまりにも魅力的だと思いませんか(笑)。

 続いて、「迷いのないレッド」を囲む「迷うメンバー」の構図について。

 この図式は、「バトルフィーバー」のコサック交代劇における構図が嚆矢ですが、後に「デンジマン」や「バイオマン」といった作品で軽く試行され(いずれも一人の女性メンバーと、レッドを中心とする他のメンバーの見解の相違とされている)、「ライブマン」の追加戦士登場編を経た後、「ジェットマン」で明確に示される事となります。

 この「ジェットマン」、レッドだけは組織の人間という設定で、他は寄せ集めの素人ばかりという、初めから「職業的に迷いの許されないレッド」を囲む「好き勝手に行動するメンバー」の構図で進行します。そして、その構図は終盤でひっくり返されるまで何となく引っ張られるのですが、「キョウリュウジャー」の場合は、初期の結成編でその辺りをサラリと描く意図があるようで、はるかに爽やかな味わいです(笑)。

 実は、「迷いのないレッド」は、強力な存在でありつつも、単なる狂言回しに終始するデメリットを秘めており、それを回避すべく、レッド偏重なドラマが繰り広げられたりしてきたわけでして。しかしながら、まだ二話しか見ていないながらも、「キョウリュウジャー」ではダイゴという人物に謎めいた属性を付与し、その人物像自体に狂言回しとドラマの牽引者、両輪の役割を与えているのように見えるのは、特筆すべき点です。これには、キャラクターの簡略化という設定面の徹底が、少なからず好影響を与えた証だと思います。

 ダイゴに迷いが微塵も感じられないのは、彼の中に「物凄く強い父親」の像があるからではないか...と思わせるような、強力なメンタル面での設定があり、それが迷いのある仲間を惹き付けてやまない=狂言回しとして有効に機能しつつ、父親に関する謎解き要素でストーリーの牽引も果たすという、巧みなキャラクター設計には舌を巻きますね。

 さて、「ちょっと重いドラマ」は前段の「迷い」に関するもので、今回、迷いをより色濃く出していたのは、アミィよりもノブハルでした。アミィには執事が、ノブハルには家族(妹と姪)が登場しましたが、明らかに「重い」のは家族の方で、ノブハルの苦悩の重さが大きいのは、ある意味当然でしょう。

 面白いのは、天涯孤独(とされている)ダイゴに対し、「家族がハンデだ」とノブハルが宣言してしまう点で、これは従来の戦隊において散見される「家族の大切さを説教くさく語る」のとは正反対。勿論これは、ノブハルが家族を大切な存在だと強く感じているからこその発言ですが、「ヒーローとして戦うには家族がネックだ」と宣言してしまう辺り、非常にリアルな感覚だと思います。当然ながら、ダイゴがそのネガティヴ発言をひっくり返してポジティヴなベクトルへと仕向ける結末が待っているのですが、それ自体は「守るべきもの」という古い感覚ではなく、「力を生むもの」としての解釈が出されており、新しい感触を生み出す事に成功しています。

 ファンタジー戦隊は、そうでないものに比べて、エコロジーや人間関係(人にあらざる者との関係も含む)、命の大切さといったものを懇々と説く作風が似合っているのですが、現在のところ、「キョウリュウジャー」にそのような匂いは殆ど感じられません。それは恐らく、メンバー個人個人が抱えるものが全く異なり、更に、その「抱えるもの」が「力の源」、換言すれば「戦力の一部」と解釈されているからでしょう。「キョウリュウジャー」には、「戦う意味」が先行するのではなく、まず「戦い」があって、その為にどう行動すべきかという精神性がある為、そこに説教が入り込む余地がないとも言えます。

 最後に、「マニア向け要素の挿入」ですが、これはもう木下あゆ美さんの起用に尽きます。まぁ、これは完全に坂本監督の趣味だと思いますけど(笑)。ジャスミンも母親役かぁ...と思うと、何だか感慨深いものがありますね。

 あと、何かにつけて「戦隊」というタームが登場するのも興味深い処。しかも、限りなく普通名詞に近いニュアンスで使われており、これまでの、特定の「○○戦隊」を現すものとは明らかに異なる語感になっています。これが後々何か意味づけされるのか、それとも「そういう世界」なのかは判然としませんが、後者ならば「ゴーカイジャー」以来の「戦隊が居て当たり前な感覚」が横溢する事となり、よりマニアックになります。

 次回は、ソウジにスポットが当たります。何となく「シンケンジャー」っぽい世界観が彼の周囲を覆っていますが、何より春田純一さんの登場がっっっ!!

 楽しみでござるよ(笑)。