ブレイブ38「らぶタッチ!うつくしすぎるゾーリま」

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 まさかの鉄砕編。まさかの出合さん二役。まさかのアミィ変装編。そしてまさかのラッキューロ...。

 要素だけピックアップすれば、スラップスティック・コメディの資格十分なのですが、実際はそれほどコミカルではなく、テーマをしっとりと描く好編として成立していました。

 アミィの漫画好きが前面にフィーチュアされる事で成されるキャラクターの掘り下げが見事。一方で、かつては同じ漫画のファンである事が、あくまで「ネタ」に過ぎなかったラッキューロに関しては、デーボス軍の一員であるという「当たり前」が、その漫画によって激しく揺さぶられるに至ります。

 この両者を繋ぐのが、鉄砕の子孫...かも知れない今回のゲスト・津古内真也なる漫画の作者。しかも、この津古内と鉄砕にももれなくドラマがあるという点で、今回の構成は非常に優れています。

 今回最大の関心事は、見終わってみればラッキューロの今後という事になるでしょう。

 元々愛嬌あるキャラクターとして「キョウリュウジャー」の世界観に陽性の種を蒔き続けて来たラッキューロですが、喜怒哀楽の幹部の中で唯一「戦騎」でない事から、ある程度独立して動けるキャラクターとして成立し、遂にはキョウリュウジャーをして「倒しにくい」と言わしめてしまいました。

 そんなラッキューロならではの展開として、今回の「萌芽」は妥当だったと言えるでしょう。漫画をきっかけに、人間の絶滅に対して疑問を抱くという流れは、ラッキューロのプリミティヴな欲求に沿ったものであるし、自らが面白いと感じる漫画を生み出す者は、たとえ人間でも尊敬と憧憬の対象と成り得るという感覚は、ラッキューロの「楽」を体現するものとして順当そのものです。

 エピローグで、ちょっと悪ぶったファンレターをしたためる様子には、ラッキューロの逡巡と、自らの欲求に実直であろうとする姿勢がにじみ出ており、好感の持てるものとなっていました。

 このパターンに印象を同じくするのは、「超時空要塞マクロス」ではないかと思います。

 「マクロス」では、地球人の文化が敵側に大きなショック(正にカルチャーショック)を与える事で、戦力面でのパワーバランスを著しく変化させていくという流れがフィーチュアされていますが、その「文化」にあたるのが、今回の「漫画」であると言えます。「マクロス」という作品の、真面目なのかギャグなのか紙一重で展開していく感覚にも、今回は近接した印象があります。

 ただ、今回は単なる「きっかけ」であって、疑問を抱いたままラッキューロは戦渦に埋没していく可能性もありますし、逆にラッキューロによってデーボス軍の弱体化が招かれ、キョウリュウジャーに「倒さない」という選択が与えられる事になるかも知れません。先は全く読めませんが、一筋の光として、ラッキューロの動向を見守るのも一興かと思います。

 過去の戦隊を振り返ってみると、ラッキューロのようなキャラクターはそれなりに存在しており、そのオリジンと思われるのは、「バイオマン」のジュウオウでしょう。ただ、ジュウオウは徹頭徹尾、幹部であるビッグスリーの一人・モンスターの部下として悪に徹していましたので、ジュウオウをきっかけに善悪の関係にうねりが生じるという事はありませんでした。

 続く「チェンジマン」に登場したゲーター航海士は、ラッキューロのオリジンとして認定すべきキャラクターです。顔のデザインはやや恐ろしげですが、体型や言動には愛嬌がありました。遂には元々有していた深い家族愛を揺さぶられて、所属する組織・ゴズマを裏切り、それがゴズマの反乱分子を結束させるに至ります。ある面では「チェンジマン」の主人公の一人として扱われていたと言っても過言ではないでしょう。

 その後、「ジュウレンジャー」において、悪の組織全員が愛嬌たっぷりに描かれる究極形を示した後、「ダイレンジャー」のゴーマ3ちゃんズを経て、「カーレンジャー」や「ゴーオンジャー」といったさらなる究極形を示した後は、さすがに途絶えていました。今回、ラッキューロがこの系譜に乗る事で、戦隊の一つの可能性をまた一つ見せてくれるのではないかと期待している処です。

 さて、今回は順当な鉄砕編でもある事は冒頭に掲げた通り。

 スピリットである鉄砕をどう立ち回らせるのかという命題を、あろう事か「そっくりさん」で解決してしまうパワフルさに、まず脱帽。そして、「そっくりさん」だけでなく、鉄砕自身も存分に立ち回り、鉄砕の頭の固さから生み出されるギャップの可笑しさでドラマを牽引していく様子は、さすがでした。

 また、津古内を鉄砕の子孫だと「断定」し、その上でキョウリュウグレーの後継者に指名しようとする等、一瞬ドキッとさせられる仕掛けも素晴らしく、結果的に「継承」は実現しませんでしたが、逆に津古内の見せるブレイブが鉄砕を奮起させ、キョウリュウグレー復活に繋がるという、正当派の熱血ヒーロードラマでありつつも、どこか変化球的な展開も見事でした。

 それにしても、このシーンに説得力を与える為なのか、津古内が元ラグビー部所属で絵が巧く、マネージャーに少女漫画風のイラストを描いて見せた事がきっかけで漫画家になったという設定が、誠に強引。実は、この強引な設定こそが今回の笑いのツボであり、全体的にスタティックな雰囲気を湛えて進行していく本編にあって、最もダイナミックな笑いを提供する要素だったように思います。

 そんな非常に特殊な設定の津古内を、出合さんは実に楽しそうに演じており、そこに絡む鉄砕も、これまでで最も生き生きして見えます。どことなく堤真一さんに雰囲気の似ている出合さんですが、やや強面な俳優さんは、コメディにこそ真価を発揮するという事なのかも知れません。

 他にも、アミィの漫画家風コスプレが妙な色気を放っていたり、IKKOさん風のビューティフルゾリー魔ーがやたらキャラ立ちしていたりと、本編に纏わる魅力は多数挙げられます。その中で、最も印象に残るのは、ラッキューロを諭すアミィでしょう。

 アミィは、武術派の戦闘スタイルを持ち、低い女子力を揶揄されながらも、「放っとけない」という台詞に代表されるように、その内面には深い母性本能が渦巻いています。今回のラッキューロに対する態度は、その最たるものだと言えるでしょう。既にデーボス軍に対する迷いを一切合切払拭したアミィにとって、ラッキューロをその場で倒す事は全く問題なく成し遂げられた筈。それをしなかったのは、同じ漫画を愛する者との種族を超えた相互理解という大義というよりは、「この漫画が好きならば悪い''子"ではない筈」といった、もっともっと皮膚感覚寄りの直感に基づいていたように見えました。

 私は、この措置は見事に正しいと思います。理屈を超えた感覚で分かり合う可能性こそ、特撮ドラマが得意とする語り口だと思うからです。これぞ、アミィの真骨頂というべきシーンに出会えて、溜飲の下がる思いでした。

 次回は、もっと温存するのではと思っていた「10人勢揃い」が果たされる...!