ブレイブ45「うそだろオヤジ!シルバーのさいご」

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 徹底した絶望展開のお手本のような作風でした。

 今シリーズのキーパーソンであるダンテツを土壇場で敵側に回らせるという手法で、ありきたりな「手も足も出ない」というシチュエーションとは異なる絶望感を高揚させ、息子であるレッド=ダイゴの物語へと収斂させていく。レッド偏重と言われればそれまでですが、それでもなお、次回はイアンにスポットが当たる事を予感させる等、シリーズ構成もバランス重視で進んでおり、全体的に好感を持てるものとなっています。

 今回にしても、ダイゴ一辺倒というわけではなく、それぞれが尽力し、それぞれがダイゴと同じ絶望を共有するという描写が多く、戦隊が一心同体となって最終決戦に臨んでいる感覚が良く出ていると思います。

 まず、今回の衝撃の大部分を、ダンテツが担っている事は間違いないでしょう。故に、折角のデーボス最終形態が霞んでしまうというデメリットもありましたが(笑)。

 私自身は、キョウリュウシルバーに変身するのがダンテツだと当初予想していて、トリンが変身した事に衝撃を受けたのですが、結局は私の予想も当たってしまい、二度衝撃を受けた格好となりました。しかも、少なくとも今回においては敵として変身を果たすとは...。

 この、「師」に当たる人物が主人公と敵対する事になるパターンは、アニメでは割と導入が目立つもので、個人的に印象深いのは「Gガンダム」でしょうか。ダンテツの言う「真の地球のメロディ」が人類(とトリン)の滅亡を望んでいるというくだりは、「Gガンダム」における東方不敗の理想の最果てとよく似ています。両者は、結果的に地球自体が死の惑星となる事を拒む態度で一致しており、この事が、ダンテツの「裏切り」に強固な芯を与えているように思います。単に、デーボス打倒への道をダイゴに示す為の「芝居」という可能性を見せるよりも、常に我が道を直進し続けるダンテツの「らしさ」が巧く引き出されており、このように目的意識の強さが明確である方が、俄然物語の重みが増すというものです。

 さらに、このダンテツの行動にはダメ押しが用意されており、それはトリンを殺してしまうというものです。

 これまでもトリンは何度か死んでおり、その度に蘇ってきたわけですが、今回は砂状になって崩れ去るという衝撃的な描写と相俟って、「今度こそ死んでしまった」と思わせるに充分な状況。冒頭でソウジに自らの剣を託すという「死亡フラグ」もあざといまでに効果的で、しかもわざわざ「縁起でもない」「いや、縁起を担ぐんだ」というやり取りまで用意された徹底振り。これで死ななきゃウソという状況まで、空気を追い込んでいく辺りが鬼気迫る感覚です。

 わざわざという点では、このトリンの死にデーボスやカオスが理屈を添えている処も見逃せません。トリンが普通に死んでもスピリットとして現在の、あるいは次代の戦隊を導く存在となるに違いないとして、トリンが最も信頼する男であるダンテツに討たせる事により、大地の闇に堕とすのでした。この、戦隊を導く存在になるという話はキャンデリラにまで及び、結果的にアイガロンをも巻き込んで次回以降の引きとしてしまう辺り、何だか凄いと言わざるを得ません。

 こうして最終編への絶望的なお膳立てを眺めていると、「ダイレンジャー」で試みられた数々の野心的な手法を思い出します。

 「ダイレンジャー」では、後見人である道士・嘉挧が、地球滅亡の危機を脱する為にダイレンジャーから離脱し、敵側のゴーマに寝返る事で停戦を果たそうとする...というのが終盤への導入部となります。まず、嘉挧自体、出自はゴーマであり、この辺りはトリンに継承されています。そして、地球滅亡を回避する為の「寝返り」。これはダイレンジャーの変身能力を剥奪(停戦の実現とゴーマの信用を得る為の行為)した上での行動であり、ヒーローの味わう深い絶望感という面で、今回のダンテツとの密なリンクを示す設定でしょう。そして最終的に嘉挧は、ゴーマの王となってゴーマを平和路線に導こうとするのですが、結局道半ばに死を迎える事となります。師の道半ばの死という展開は、今回のトリンに通ずる処があると思います。

 「ダイレンジャー」とは、「ジェットマン」で導入されたパターン破りを、「ジュウレンジャー」にてファンタジー路線で戦隊の根底を覆す事で発展させ、それを少年マンガ的な「以下、次号ぉぉぉぉっっ!!」の精神で、よりエキセントリックな方向に持って行った戦隊だと言えるでしょう。今回はそのエキセントリックさを、ダンテツというエキセントリックなキャラクターを通して一話に凝縮したような作風だったと思います。

 ただ、「ダイレンジャー」は最後の最後までエキセントリックな手法で突っ走り、最終回では空前絶後の「答え」を提示して終了しましたが、「キョウリュウジャー」はそうはならないと思います。前作「ゴーバスターズ」で試みられたエクスキューズ重視の方向性が、今回のスピリット云々の辺りに色濃く残存しており、恐らくもっと理知的な終幕を迎えるだろうと予想出来るからです。しかしながら、想像もつかないようなエクスキューズが待っていると思われるので、一筋縄では行かないでしょうね。

 さて、そのダンテツの「裏切り」によって絶望の淵に叩き込まれたダイゴ達でしたが、他のメンバーが悲嘆に暮れる中、ダイゴだけは一旦深い混乱の闇にとらわれてはみたものの、ちゃんと自らの道を見つける辺りはさすが「キョウリュウジャー」といった処。何しろ、一話の中で、さっさとある程度決意を固めさせるのですから、その展開の速さ、出し惜しみのない精神たるや、相当なものです。

 これまで、父親を超えたと解釈可能なシーンが何度も挿入され、その度にダイゴ本人によって否定されてきた経緯がありますが、今回のどんでん返しによって、真に力の上でも精神的にも父親を超えなければならない状況に追い込まれる事になりました。父(師)と子(弟子)の物語では、最終局面に「父親(師匠)超え」を必然とさせる場合が多くありますが、それはソウジの件のように明るい結末を垣間見せる事もあり、また前述の嘉挧のような悲劇に終わる事もあります(ダイレンジャーの面々は己の力だけで変身能力を取り戻し、師匠の「枠」を超えて見せましたが、時既に遅し...という展開)。

 「キョウリュウジャー」の作風から言えば、ダンテツとダイゴの物語の落とし処は明るいものになるかも知れませんが、これまた前述の「Gガンダム」では、ぶっ飛んだ作風でありながら師弟の物語は建設的な悲劇へと収斂しており、雰囲気の似た今作は、一概に悲劇的結末を否定出来ません。何しろ、「Gガンダム」における師弟は、互いに同様の技能を持ち、互いに同様のロボットを持つが故に、対決する事のみを決着の手段とせざるを得なかったわけです。それは、親子であり、共にキョウリュウジャーに変身出来る二人は、対決という手段にしか打って出られないのではないかという予想へと、容易に辿り着くに充分な前例と言えます。

 うーむ、どうなるんでしょうねぇ!?

 最後に、目立ったトピックを整理しておきましょう。

 デーボスは人類の時代に相応しい等身大へと変化(このエクスキューズもまた気が利いています)。何故か蝶をあしらったデザインは美しくも不気味で、またシュールな感覚。巨大化も自在という辺り、露骨なキョウリュウジャーへの対抗意識が働いていて面白い処です。

 黒マントと白マントは、散々私が「異端」だと褒めちぎった処で、正体が「新・哀しみの戦騎アイスロンド」と「新・喜びの戦騎キルボレロ」という、「普通に派手な幹部」でした。「仮面ライダーストロンガー」の前半戦最終局面に登場した、奇怪人にしか見えない大幹部デッドライオンのような微妙さを感じさせつつも、一応は衝撃的でしたね(笑)。アイガロンが失脚する為のエクスキューズとしては、必要十分だったと思います。

 そして、キャンデリラに抹殺命令が下る事により、キャンデリラのポジションが確立。ラッキューロをキーとして、デーボス内部にも「裏切り」を発生させる事で、ストーリーの重層化を図っています。こちらもどうなるか楽しみな局面ですね。

 真打ちはダンテツのキョウリュウチェンジ。

 リズムに身をゆだねる際に、足で軽く拍を取っている描写が実に渋く、最後のターンだけが鮮烈に目立つ格好良さ! 山下さんが終始険しい表情でこなす姿には抜群の安定感が感じられました。大ベテランの役者さんにここまでやらせる番組のパワーと、山下さん自身の生来のパワーが合わさって、無類の格好良さを発揮していたと思います。御年62歳。他方では本郷猛本人が遂に復活するとの事で、こちらは御年67歳。これはやはり、特撮ヒーロードラマの熟成を現しているのではないでしょうか。

 次回はイアン編となりそう。それを考えると、今回はダイゴ編だったという事ですね。次回も楽しみです。