第42話「この星の行方」

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 なんと年末までに幹部を一人退場させるとは...。

 そんな衝撃を伴った今回ですが、残るキャラクターを眺めて見ると、キューブで構成されたアザルドの謎を掲げてみせた以外、ジニスを頂点とする強固なチームとしてのデスガリアンが完成したことになり、いよいよ大和たちのドラマに注力していくものと思われます。

 クバルとの最終戦は、クバルのドラマを操のドラマに換言して、弱さとは何か、強さとは何かというテーマを描きます。操の成長も完成に至り、記念すべきエピソードとなりました。

クバル

 ジニスに対する恐怖に恐れおののくクバルの姿は、岩田さんの熱演もあって真に迫るものがありました。ここで、終わらない逃亡劇に入るのかと思いきや、なんと自らを白日の下にさらし強引にブラッドゲームを始めるという暴挙に出ました。この半ば自暴自棄となる行動に、クバルの弱さが表れています。「本当の弱虫が無茶をする」とは「帰ってきたウルトラマン」における名言の一つですが、正にそれを体現していましたね。

 そのゲームの内容は、日没までに地球の生命を根絶やしにするというものでしたが、都市破壊の描写こそ奮っていて素晴らしい恐怖感を演出していましたが、あのペースではとても地球規模の破壊など無理だったでしょうね(笑)。つまり、ゲームを始めた時点で既にクバルの負けは決定していたというわけです。恐らくジニスは、そのゲームの内容自体に面白さを見出したのではなく、クバルの滅び行く様を鑑賞したかっただけで、そのあたりにジニスの闇を垣間見ることができます。

 前回、大和たちの怒りを利用しようと画策したクバルは、結局そのゲームの目的によって大和たちの大きな怒りを買うことになり、自らを滅ぼすに至ります。この軽薄さもまたクバルの特徴であり、頭脳派を気取っていながらいつも空回りしている彼のダメな部分を、最後までアピールし続けることになりました。

 興味深いのは、怒りに震えつつも、故郷を滅ぼされたクバルに対して大和が同情を示したことです。しかし、クバルはすでにジニスへの恐怖で我を失っており、風前の灯たる自分の命にしか興味がない状態。結果、ジニスどころかジュウオウジャーに命の火を吹き消されることになろうとは、正に皮肉と言えるでしょう。ここで、クバルの故郷がどのような形で滅ぼされたのか、そしてクバルの心情についても描かれる機会は失われました。このあたりの書き込みが圧倒的に不足しているので、大和の同情もやや上滑りしてしまいました。今シーズンは、やはり敵側のドラマについて多くを望めないようですね。

 お情け(?)で巨大戦も繰り広げられましたが、ここは「病室からその戦いを目撃する操」という素晴らしいシーンの創出に一役買っていました。敢えて操を巨大戦で復活させるという手法が絶妙でしたね(コクピット名乗りも抜群の格好良さ!)。年末商戦もかなり意識されていたように思いますが(笑)。

 結局、幹部の退場としては、ややあっさり気味に処理されました。感情の入り込む余地のなさは、デスガリアン側にあまり感情移入をさせない制作方針が如実に表れている気もします。

セラとレオ、そしてナリア

 囚われの身をセラとレオに晒してしまうナリア。今回の見所の一つです。

 ある意味、予想通りの行動に出るレオが良い感じでしたね。丸腰の敵は斬らないという彼の理想は、ナリアに屈辱を与えたのか、それとも...。とは言え、そのあたりに深みを期待させないのが、やはりデスガリアン。解放されてすぐさまレオを羽交い締めにするという「反撃」に出ます。徹底した悪役振りに潔さを感じますね。

 その後、何のためらいもなくセラがレオの腹に蹴りを入れ、その衝撃でナリアをレオから引き離すという、素晴らしいシーンが用意されていました。セラがレオの体力と頑強さを熟知し、彼との信頼関係を築いているからこその一撃であり、しかも、レオの行動に少し腹を立てていたというのも加わって、実に巧いシーンでした。ナリアがその場を去ってから、レオを一喝するのも、セラの良さを余す事なく描き出していましたね。

 ナリアはクバルの企みに気付きながらも逆に利用されてしまったことで、ジニスに迷惑をかけてしまったとして、自らの存在意義を疑うわけですが、ジニスはむしろ楽しかったと言い放ち、さらにはクバルの巨大化まで指示。普通ならば、もう「ジニスのため」などとは考えなくなるようなシチュエーションでもあり、実際、クバルの「コンティニュー」は相当に気が乗らない様を見せましたが、そこはやはり忠実なナリア。愚痴をこぼしつつ怒りを込めてクバルにコインを投入していました。このシーンは可笑しさを誘ってもいましたね。

大和と景幸

 重傷を負った操を運び込んだ先は、大和の父が勤務する病院だった...。

 もっともっと謎を秘めた人物だと思われていた(いや、私が勝手に思っていた)大和の父・景幸は、実にあっさりと大和との再会を果たしました。この景幸にキャスティングされたのは、国広富之さん。私の年代だと「噂の刑事トミーとマツ」なのですが、年齢を重ねられても当時のイメージとあまり変わらないですね。国広さんがキャスティングされたことで、大和が思っているような冷血漢ではないと、半ば約束されてしまった感もあります。

 今回はあくまでクバルとの決着、そして操の復活にスポットが当てられているので、親子のわだかまりに関してはあまり尺がとられていません。ただし、母の死に際して景幸が姿を現さなかったことが、大和の心に刺さる棘となっていることは明確になりました。何でも分かっているように見える大和が、最も近い人物に対してある種の誤解を抱いている(かも知れない)という構図が、残りの話数で描かなくてはならない「大和の弱さ」を導く格好の材料となっていることは疑いようがありません。

 そして恐らくは、母の死に直面した際の心細さ、頼りにしたい父の不在というさらなる心細さが、大和の払拭しがたいトラウマになっているがために、操の抱える心細さに対して過剰に敏感になっているものと思われます。操の危機に忘我して周囲が見えなくなる取り乱し振りにも納得がいきました。このトラウマは、大人になっても大和の心に突き刺さったまま、父親への憎しみに似た感情に転化されてしまっていて、今回ラストの「(トラウマを克服した)操の方が自分より大人だ」という吐露に繋がってくるわけです。

 その歪な親子の関係に一筋の光明を与えるのが真理夫の存在。いつものぶっ飛び気味のテンションをググッと抑え、大和に「人には変わらない部分と変わる部分がある」と諭すのです。寺島さんの真骨頂たる抑制された演技に震えること必至。景幸も大和も時を経て互いの立場が分かるようになっているかも知れない...という以上の意味性が感じられるものでした。しかしながら、この真理夫の言からは、景幸にも相応の非があるように受け取れます。果たして本当は何があったのでしょうか?

復活の操

 病室で目を覚ました操は、病室から巨大戦を目撃するも、ジニスに対するトラウマに打ち震え、立ち上がることができません。ここまでヒーローのメンタルの弱さを浮き彫りにするのは珍しいことですが、操のキャラクターならば許容されるあたり、彼の描写の積み重ねに関する周到振りに改めて敬意を表したいところです。

 今回は久々に妄想ジューマントリオも登場。あくまで操の妄想扱いになっているようですが、既に彼らは操に宿った魂にしか見えず、折に触れて操を導く存在になっています。彼はずっとひとりぼっちでしたが、実は一人で居るときでも、ひとりぼっちではないというメッセージに見えますね。三人の後押しを受けて(操自身がすでに答えを知っているという導き方が感涙モノ)、操はトラウマを克服します。今度は「恐怖からの無茶」ではなく、「恐怖を克服した者の強さ」を体現するものとして、遂に立ち上がるわけです。これまで、プツンとキレて無類の強さを発揮してきた操が、遂に理性の支配下で自らを鼓舞できるまでに成長したということになります。

 ここでの「無茶」なクバルとの対比に、今シーズンが目指す強さに関するテーマの一端を垣間見る事ができます。もう一つ、操の弱さにシンクロするあまり半ば我を忘れて突き進んだ大和が、巨大戦で足止めを喰らうという象徴的な状況に追い込まれ、そんな大和より半歩先に進んだ操が、勝利への鍵を握っているという対比もささやかに盛り込まれました。ここで操は自身のヒーローとしての完成形を見せ、その後のドラマの牽引役を大和に譲ることとなりました(多分)。割と達観していて彼なりの完成形を示していた大和が、操に追い抜かれることで今度は成長の余地を顕在化させる。面白い趣向だと思います。

次回

 次回はクリスマス編。12月25日にオンエアされるという幸運を、存分に生かした回を期待します!