第6話「ワイルドなプレゼント」

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 前回に続いて、ゴリラのジューマン・ラリーのお話。

 前回のラスト、瀕死の大和を助ける為に自らのジューマンパワーを与えたラリー。しかし、そんなラリーに異変が...というのが今回の骨子です。

 楽しいビジュアルと、異種交流譚ならではのドタバタで賑やかに展開して来た「ジュウオウジャー」ですが、今回はやや重めのテーマを扱う事となり、ちょっとしたターニングポイントになったのではないかと思います。

アザルド

 前回、ジュウオウゴリラに粉砕されたアザルドでしたが、何とキューブ状の身体の破片から、難なく元通りに再生出来るという設定で続投。無造作に転がったキューブが一箇所に集合していく画は、古典的な合体再生怪人のような演出も相俟って、実に不気味でした。

 ジューランドの造形物がキューブ状であるだけに、アザルドの身体を構成しているのがキューブ状の物体という処は、ちょっと気になってしまいますね。何か仕掛けがあるのかも知れません。

ガブリオ

 前回は良いとこなしでしたが、今回もやっぱりあまり良いとこなし(笑)。ただし、ビルを瞬時に食い荒らすという襲撃ビジュアルの鮮烈さは、インパクト大。今シーズンは、街の被害描写が割と大胆で、かつリアリズムを伴っているように思います。やはり徹底した悪の所業を強調しているのでしょう。

 最初は高木渉さんの声だと分からなかったのですが、コミカルな演技になるとやはり高木さんの真骨頂でした。真理夫役の寺島さん共々、「真田丸」のキャストですねー(数年振りに大河ドラマにハマっています)。

命のやり取り

 今回明らかになったのは、ジューマンパワーを人間に与えるという行為が、そのまま自らの寿命を縮める行為であるという事。

 という事は、イーグルのパワーを幼少期の大和に与えた例の鳥男に関しても同じ事が言えるわけで、その点についても劇中でちゃんと言及していました。鳥男がどのような経緯で大和を救った(?)のかは未だベールに包まれていますが、恐らくは大和と鳥男はラリーの件と同様に、異種でありながら互いに心を開いたという事でしょう。今回のラリーと、彼が助けた少女のように。

 人間に対して抱いていた絶望感を取り除くきっかけ、それを大和から与えられたラリーは、ジューマンパワーを与えるという行為によって大和の気持ちに応えた...という構図になっていますが、ラリー自身はそれが命を削る行為だとは思っていなかった筈です。しかしながら、「老いる」という結果を得る事になっても、ラリーはそれで良かったのだと感じたらしく、逆に自らの老いた姿を見せる事で、大和が後ろめたさを感じるわけにはいかないと考え、速やかに姿をくらましました。

 それだけ、大和との出会いは強烈かつ彼にとって救いであったと言えるでしょう。結局は、大和に再び見つかってしまい(ここは実にコミカルな語り口)、大和は大和でラリーの老いた姿にショックを受け(ここは逆に悲壮感溢れる語り口)、しかもジューマンパワーの返却が不可能と知る事になってしまうのですが、今度はラリーの方から温かく歩み寄る姿勢が見られ、ここで双方向性が確立されるに至ります。ラリーが助けた少女との交流が、ラリーの人間観を大いに氷解させたのも付記しておく必要があるでしょう。

 異種同士に双方向性が見られた時、一気に話にドライブがかかるというのは定番中の定番となりますが、今回もその例に倣い、一気に畳みかけるような展開が待っていました。

重いテーマ

 一気に畳みかけるクライマックスについては後回しとして、まずここでは「命のやり取り」に伴う重々しさについて触れておきたいと思います。

 前述の通り、ジューマンパワーを付与する行為は、自らの命を削る行為でした。そこから目を背ける事なく、直球での語り口をまず賞賛したい処。

 程度はありますが、他人に何かを為すという事は、即ち自分の時間を他人の為に割くという事に他ならないわけで、命を時間の尺度で測るとするならば、文字通り命の一部を他人の為に使用している事になります。

 勿論、メインターゲットの子供達にとっては、これからの人生時間の感覚は無限に等しいですから、時間の有限性については納得出来るものではないでしょう。そこで、「大和にパワーを与えたラリーが老いる」というビジュアルを用いる事で、その辺りの理屈を分かり易く示したわけです。そこには、ある程度の年齢に達した者ならば身に詰まされるような「痛み」があります。

 前シーズン「ニンニンジャー」でも、伊賀崎好天という人物を通して命の有限性を示す一幕がありましたが、今回はもっと直接的だったように思います。しかも、そこには「お涙頂戴」な筋運びが皆無(大和が苦悩するというシーンはありますが、そこまで重要なシーンではない)。感情で増幅されない分、非常にドライな感覚で「命の贈与」が議論されるという、ある意味異色な展開となったわけです。

 その議論の中で、ラリーは、大和に「(人間界で)生きるパワー」を取り戻してもらったと言います。それは単なる(便宜上「物体」のように扱われる)生命エネルギーとは違う、もっとメンタルなパワーとして表現しており、謂わば「生きる希望」といった処でしょうか。大和はフィジカルパワーをもらい、ラリーはメンタルパワーをもらう。その互いに不可逆なベクトルを持つパワーのやり取り、それが今回の命のやり取りの正体です。大和は命をラリーに与えていないように見えますが、実際には「ラリーを含めた」命を守る為に死を賭し、その姿がラリーの心に響いたのですから、大和もやはり命を削ってラリーに「希望を与えた」事になるわけです。

 このように、「ジュウオウジャー」には一気に重厚なテーマ性が付与される事となりました。簡潔に言えば、パワーは簡単に手に入るのではなく、誰かの、何らかの「犠牲」が伴うという事です。そこには、頑張ったり努力したりといった通り一遍のテーゼとは一風異なる、ややペシミスティックな感覚が漂います。

パワフルなバトル!

 恐らくはそういった寂寥感を吹き飛ばす意図があったのでしょう。

 クライマックスのバトルは、通常アクションから巨大戦まで、とにかくパワフル、爽快、怒濤といった雰囲気でまとめられました。

 戦いを見守るラリーにしても、既に自分の生命力が云々といった状況はどうでも良くなっており、ジュウオウジャーの快進撃に陽気な喝采を送るのみ。この切り返しがあるからこそ、見応えがあるというものです。

 初めからジュウオウゴリラに変身し、そのまま名乗りに突入するという驚きの演出から、いわゆるターザンアクションとプロレス技を中心としたパワフルなアクションを縦横無尽に展開。また、前回がジュウオウゴリラ単独の活躍シーンを前面に出していたのに対し、今回はコンビネーションもふんだんに取り入れられ、ジュウオウゴリラが特別扱いではないという事を示す等、「戦隊」としてのアイデンティティもしっかり描写していました。

 巨大戦では、初登場のキューブゴリラをフィーチュア。簡素な変形ギミックながら、ちゃんとゴリラに見える優れた設計。あの四角いゴリラに、やはりターザン系アクションをさせるという大胆さ。この時点でもガブリオに対して優勢なので、このまま決着かな...と思わせておいて、まさかのジュウオウワイルド登場!

 この出し惜しみナシの姿勢が素晴らしく、ジュウオウキングとはまた異なるアクションを見せるジュウオウワイルドの魅力が、これでもかと言わんばかりに描写されていました。展開されるアクション自体は楽しく荒唐無稽なものですが、オープン撮影カットが随所に入る等、その実在感を煽るシーン設計が抜群で、地上から声援を送るラリーとの地続きな感覚が、巨大戦をよりリアリティあるものにしていました。

次回

 恒例の「仮面ライダー」枠との合体スペシャルが、今シーズンも登場! ある意味「仮面ライダーゴースト」も異種交流譚に近いので、互いの親和性は高いか?

 どのように両者の世界観を融合させてくるか、楽しみですね。