その33「フレフレガッチリ!カンフー忠臣蔵」

 ラゲクの時裂波によって何処かへ飛ばされてしまったゲキレンジャーと理央・メレ。異空間の中で、理央は操獣刀の輝きに苛まれ、操獣刀を手放してしまう。ジャン達5人と理央達2人は離れ離れになり、辿り着いた先は何と江戸時代だった!

 江戸の町を彷徨うジャン達は、理央とメレ、そして操獣刀のことを思い出す。が、その時、男の叫び声が響いた。

 叫び声の主は毛利小平太。臨獣アングラーフィッシュ拳のムコウアがとり憑いた吉良上野介から何かを奪い取り、襲われていたのだ。ラゲクにゲキレンジャー達を元の世界に戻すなという命を受けて派遣されてきたムコウアは、毛利小平太を斬りつけて奪われた物を取り返し、再び吉良上野介に乗り移った。ゲキレンジャーはムコウアを迎撃しようとするが、逃げられてしまう。毛利小平太は瑤泉院に渡すべき血判状をランに託して気を失った。美希に瓜二つの瑤泉院の元へやって来たジャン達5人。血判状を手渡したランは、今起こっていることが「忠臣蔵」であることに気づく。ジャンはランの語る「忠臣蔵」の物語を聞き、赤穂浪士たちが仲間同士心を一つにして本懐を遂げようという気持ちを感じ取って「フレフレのガッチリ」と評した。ゴウは討ち入りの前に吉良上野介からムコウアを追い出さなければ、討ち入りが果たされないことに気付く。瑤泉院は吉良上野介を化け物から救い、赤穂浪士たちに本懐を遂げさせて欲しいと、ジャン達に頼み込んだ。討ち入り前にムコウアをたたく。ランは何かを思いつき、思わず笑みをこぼした。

 ランが大石内蔵助役をかって出たことに納得いかないジャンを筆頭に、ランを除く4人は江戸時代の風俗に則った格好にそれぞれ召し換えて町を歩く。ある長屋の前に来た4人は、亭主と思しき男に怒鳴られて追い出された女を見て驚いた。女はメレで「亭主」は理央だったのだ。理央が異空間に飛ばされた時のショックで記憶を無くしてしまった為、メレは江戸時代の「夫婦芝居」をノリノリで演じて身を潜めていたのだ。

 一方、ランはムコウアが毛利小平太から奪い取った物こそが、操獣刀だと直感していた。討ち入りで一石二鳥を狙う作戦。「各々方、討ち入りでござる」ランの一声で、ゲキレンジャーによる忠臣蔵が始まる。

 吉良邸の剣客相手に大立ち回りを繰り広げるゲキレンジャー達だが、慣れない刀での戦いに苦戦していた。やがてジャンを筆頭に刀を捨て始める。ゲキレンジャー流の「カンフー忠臣蔵」だ。得意の拳法で剣客を残らず伸してしまった5人だが、ムコウアを見つけることが出来ない。

 その頃、メレと理央の元にロンが現れ、操獣刀には元の力に戻す力が宿っていると告げる。その為、ラゲクは慌ててムコウアを遣わしたのだ。ロンは理央の記憶を戻すと、また消え去ってしまった。

 記憶の戻った理央は、メレと共に吉良邸に殴り込みにやって来た。ムコウアを倒して操獣刀を奪回するという目的が合致したゲキレンジャーと理央・メレは、共にムコウアを討つ。

 追い詰められたムコウアは操獣刀を飲み込み、巨大化した。理央はゲキレンジャーに共闘を申し入れる。獣拳の壁を越え、呉越同舟獣拳合体・ゲキリントージャの誕生だ。ゲキリントージャはムコウアを斬りつけ、江戸時代に繰り広げられた巨大戦は終わった。本当の赤穂浪士の討ち入り太鼓が、寒空に響くのだった。

 操獣刀により、元の世界に戻ってきた7人は、恐るべき光景を目の当たりにする。それは、炎上する獣源郷であった…。

監督・脚本
監督
中澤祥次郎
脚本
荒川稔久
解説

 戦隊シリーズ恒例の京都ロケ編。普段は時代劇と何ら接点のないキャラクター達が、時代劇の舞台と出で立ちでドタバタと活躍する一大娯楽編である。

 毎年、この京都ロケがどのように料理されるか楽しみなファンも多いことだろう。ゲキレンジャーでは、何とラゲクの力で江戸時代にタイムスリップさせるという荒業を披露。しかも操獣刀争奪戦を盛り込み、なおかつ忠臣蔵になぞらえて展開させるという、ストーリーの流れとエンタティメント性の両立をも成し遂げている。単なる番外編、夢オチ編に終わらない組み立てには、感心させられること請け合いだ。

 忠臣蔵という題材が、果たしてメインのターゲットである子供に有効かどうかは大いに疑問の残るところであるが、コミカルな吉良や、丁寧に語られる背景などで、最低限の情報は伝わるものと思われる。ただし、このエピソードは大人のファン向けである可能性が大いに高く、子供の視聴者にとっては「時代劇の世界でゲキレンジャーたちが大暴れする」という要素が伝われば良いのだという、相当に潔い姿勢を感じ取ることが出来る。

 「大人のファン向け」という部分に着目してみよう。

 まずは、「忠臣蔵」という題材。いわゆる大人のファンにとって、「忠臣蔵」はそれほど疎遠な題材でもないと思われる。年末大型時代劇などでは何度も取り上げられているし、パロディやコントも数多い。大石内蔵助と吉良上野介、浅野内匠頭といった名前は馴染み深い部類だ。中でも吉良は石井愃一氏の「怪演」によって、非常にコミカルに仕上げられていて面白い。この吉良像には賛否あると思うが、そもそもこの「忠臣蔵」が史実とは異なる物語であり(それをタイムトラベルもので扱って良いのかという指摘はあろうが)、あくまでキャラクターを時代劇で遊ばせるというのが趣旨であるから、批難するのは無粋というものであろう。またランが「忠臣蔵」に関して妙に詳しく、大石内蔵助役を率先して買って出るのは非常に微笑ましい。討ち入りの格好もサマになっていて、「根性~」と言いつつ(この言い回しも久々に聞いたような気がするが)太鼓を連打する様子が笑いを誘う。

 続いて、理央メレの夫婦芝居である。このくだりは明らかにファンサービスであり、特に大人のファンにアピールするものとなっている。記憶を一時的に失ったという設定の理央。メレは「ここぞとばかりに」理央の妻を演じ、長屋に住む。何故かメレには江戸時代の風俗習慣に関する豊富な知識があったようだ。「おメレ」「お前さん」と呼び合う二人は爆笑モノで、理央が理不尽に酒を要求したり、慎ましい妻をメレが演じたり(「着てはもらえぬ~」という口上が秀逸)と、何故か都はるみ的な世界が展開されて可笑しい。本エピソードはいわゆる特別編なので真に受けることはできないが、理央は酒好きな面の露呈も楽しいところだ。チャンスとばかり理央にキスしようとするメレも可愛い(その後だけに、直後のロンの行動はいい意味で非常に気色悪い…)。

 京都ロケならではのシーンも当たり前だが数多い。特に「ならでは」なのはクライマックスの大立ち回り。いわゆる「斬られ役」が大挙登場し、チャンバラを演じるのはやはり壮観だ。その大立ち回りでふと妙なリアリティを感じるのは、ジャン達の刀さばきが不慣れであること。そして不慣れな刀を捨てて「カンフー忠臣蔵」に転ずること。チャンバラの殺陣には相当な訓練を要する故に、レギュラー陣の殺陣がぎこちないことを逆手に取ったウマい演出だ。刀を捨ててからの水を得た魚のような動きにも注目。惜しまれるのは討ち入り装束と暗い照明の為に、各々の顔が見えにくく、誰が立ち回っているのか分かりにくいところだ。そして「5万回斬られた男」福本清三氏が登場。二刀流の清水一学を演じ、その圧倒的な「脇役の存在感」を見せ付けた。殴られただけなのに異常な「斬られっぷり」を披露するところなど、笑いと感動の奔流にさらされる。この味は大人でなければ分かるまい。

 巨大戦にはスペシャル編ならではのトピックが用意された。映画版限定的扱いだったゲキリントージャを登場させ、スペシャル感を煽る。「ネイネイホウホウ」という映画版でのキーワードもチラりと登場し、番外編の香りを色濃くしていた映画版も、TVシリーズと世界観を一にしていることが示された。

 ムコウア討伐が終わった後、討ち入りを知らずに眠りこける吉良が、何となく寂しさを感じさせる。これこそがタイムトラベルものの醍醐味であり、石井氏のとぼけた味わいが実力に裏打ちされたものであることを示す名場面であろう。

 エピローグでは、またもや次回への「引き」が用意される。獣源郷の炎上というショッキングなシーンは、次回への期待感を否が応にも高めた。ここにも、番外編に堕さない仕掛けが垣間見られる。京都ロケ編、もう1エピソードあっても良いと思わせる出来栄えであった。