epic20 「フォーリンラブ・ゴセイジャー」

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 やっぱり「ゴセイジャー」というか戦隊は、こういう話が似合う。

 恋心という身近な素材と、それを腐らせて喰うという荒唐無稽な怪人。その影響を受けそうなゲストに世話を焼き、世話を焼いたことが勝利へ何となくつながる。

 このユルさがよろしい。

 護星天使ならではのボケは少々弱めだったものの、根拠が的外れなアドバイスが意外に的確に響いたりと、淡めなギャグが織り込まれていて、ゴセイジャーのキャラクターを「天使」たらしめているのは好感触でした。

 ゴセイジャー達が「恋」の何たるかを知っているのかどうかは、途中から有耶無耶になってしまい、結局「恋」をめぐる反応は何が何だか分からなくなってしまっていて、そこら辺の完成度は著しく損なわれていますが、まぁこれだけユルい話ならば許容できる範囲でしょう。

 今回のゴセイナイトの使い方は、なかなか良かったと思います。

 相変わらず強すぎるキャラクターではあるのですが、ゴセイジャーが突っ立って見ているという、ナンセンスな構図が極力廃されています。モネが「氷の心」だと評するあたりも、ちゃんとゴセイナイトのポジションを確保しているからこそで、急にくだけて打ち解けるなんていう愚を犯さない処に、非常に安心感を覚えました。

 シャイな男子高校生・拓也と、アクティヴで可憐なイメージの女子高校生・みずきの対比は、それこそ一昔前のTVドラマのような状態ですけど、これはこれで時代錯誤な感じを覚えないのは、こういったテーマに普遍性があるからでしょう。というより、意外と最近の高校生事情はこんな感じなのかも知れませんね。私の周囲に高校生が居ないので、よく分かりませんけど。

 というわけで、メインの流れより挿話の方が俄然面白いという状態になっていますが、その辺りについて言及してみましょう。



 今回、幽魔獣の一団から遣わされたのは、ケサランパサランのペサラン挫(ペサランザ)。

 ケサランパサランってUMAだったのかい?という印象はありますけど、一応、正体不明の未確認生物に分類されているとのこと。「ちびまる子ちゃん」でも取り上げられ、視認出来るUMAとして最も有名なものの一つだと思います。

 関西における超人気番組「探偵ナイトスクープ」(朝日放送)でも取り上げられていて、真贋はともかく実際に映像として見ることが出来ましたが、いかにも日本の民間伝承的な「律」が多くて微笑ましいんですよね。例えば、1年に1回しか見てはいけないとか、無添加の白粉を与えなければならないとか。こうした微笑ましさが、今回のペサラン挫にも反映されていると思います。

 ペサラン挫のネーミングソースについてですが、どうにも分かりませんでした。Web上では「オペラ座の怪人」が元ネタなんていう話もありますが、アナグラムにしてもダジャレにしても、非常に強引というか、無理がある気がしますな。私はむしろ「スペランカー」の方が語感が近いと思ってしまいました。…それ、ゲームだって。

 さて、このペサラン挫、街に出現して毛玉をばら撒き、その毛玉が人々の耳から体内に侵入することで、その人の恋心をエスカレートさせていき、やがて腐らせてしまうという能力があります。

 発想としては面白いのですが、思うに理屈がかなりずさんで、「恋心が腐る」というのは何なのか画面からは殆ど分からないのが残念。あえて説明を付け加えるならば、恋の「負の面」としての独占欲だけが成長し、それが叶えられない事を認識すると、途端に恋自体に嫌悪を抱き始めるという流れでしょうか。恋に嫌悪を抱きつつも、結局恋の甘美な味からは逃れられず、それが爛熟に例えられるのだと考えられます。

 こんな難しい話、こういった類の番組で説明するのはほぼ不可能。したがって、映像的にはああならざるを得ないということですね。

 このペサラン挫の毛玉の侵入を許してしまう人物の一人に、前述の高校生・拓也がいました。

 拓也は同じ高校に通うみずきに憧れており、アタックの段取りを懸命に考えていたところ、たまたま知り合いの望に出くわして、「天使達」から恋の手ほどきを受けることになるわけです。

 ゴセイジャーは、恋の事はよく分かっておらず、天知博士の「恋は戦いだ」という迷言をヒントに、それぞれが拓也に対してアドバイスをします。

 このくだりでの注目は、まず天知博士。

 このキャラクター自体、制作側は使いあぐねているように見えます。折角お笑い芸人をキャスティングしたにも関わらず、ストーリー自体が「護星天使の使命」にスポットを当てることに集中していた為、見た目は爽快かつ明瞭でも、シリーズとしての印象がやや重苦しいものになってしまいました。つまり、この重苦しい世界観に、髭男爵のライトで(いい意味での)場違いな笑いは合致せず、天知博士はいつも空回りしていたわけです。

 しかし今回は、割とライトな作風だった為、天知博士のユニークなキャラクター性が巧く発揮されました。

 特に、レトロな回想シーンにおける、髭を生やした貫禄のある高校生の出で立ちは、これぞ「場違い」が生む可笑しさであり、これこそが彼のキャラクターの真骨頂ではないかと思います。これまで、護星天使達の正体に気づかないという部分をギャグとして仕立て上げようともがいている姿からは、些か窮屈感を感じていましたが、今回はそれを打破したように思えます。

 もう一つの注目は、「恋は戦いだ」に対するゴセイジャー達の反応。

 ゴセイジャーの面々は、さすがに2クールに突入していることもあって、個性の描き分けも足りてきたわけですが、やや動かし方に難があり、これまで、その個性の使い処に迷いが見られました。ところが今回、まるで憑き物でも落ちたかのように自由闊達。

 ハイドは、そのキャラクター性を活かして「恋は相手を分析するところから始まる」と説き、エリは「相手に尽くすこと」を説き、アグリは「ドーンと当たる」ことを旨とするよう、拓也に教えるのです。

 これらは、まんま彼等の戦いのセオリーを表しているのですが、これが「恋」にも(少なくも劇中では)丁度当てはまってしまうのが可笑しい。この時のゴセイジャー達の表情が実に生き生きしており、こういった「普段のどうでもいいこと」における力強い描写が、いかに非現実的な現象を主眼とするドラマにおいて大切かを、知らしめてくれるのです。

 かつて、「宇宙刑事シャイダー」が連続ストーリーの醍醐味を捨ててまで、バラエティに富んだエピソードを数多く展開しましたが、それは前作の「シャリバン」で大河的なうねりを徹底的に見せたが故の、「次なる展開」であったわけです。

 「ゴセイジャー」も「シンケンジャー」という完成度の高い大河的ドラマの後番組ということで、このバラエティ性を徹底的に狙う企画意図を感じる事が出来ますが、これまでは今一つ徹底されていなかったのではないでしょうか。今回は、その企画意図がそれなりに達成されたエピソードということで、素直に面白いと感じられるし、実際、劇中人物の言動も生き生きしていました。

 残念ながら、アラタは相変わらず窮屈でしたが…。

 今回はアクションも超軽快であることを狙って作られていて、流行のタンブリングを更にアクロバティックな動きにしたような動きが秀逸そのもの。ところどころコミカルな動きも取り入れて、今回の雰囲気を補なっています。アクション面は、もはや安心しつつも新鮮に見られますね。

 というわけで、「恋」というタームの連発は、やや照れ臭い上に陳腐ではありますが、窮屈感の払拭が果たされたエピソードとして、記念しておいて良いかも知れません。

 この回は、スーパー戦隊シリーズ 天装戦隊ゴセイジャー VOL.5【DVD】に収録。