epic28 「おとうさんの宝物」

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 「ゴセイジャー」の「空気」と揶揄される天知親子にスポットを当てたお話。ようやく天知親子メインのお話が展開され、彼等が「ゴセイジャー」の中で果たすべきポジションを見せてくれ…なかったですね。

 私はシリーズ開始当初、天知博士に髭男爵のキャスティングがなされた事で、人間側から護星天使達を導く役割を、コミカルな面を備えつつ果たせるキャラクターとして期待しました。息子の望もしかりで、人間として成長途上にある望と、護星天使として成長途上にあるゴセイジャーの対比が、爽やかで鮮やかな成長物語を展開に寄与するものと期待していました。

 しかし、シリーズ中盤を過ぎた今も、天知親子の意義は、単に居候先の親子の域を脱することなく、わずかに望とアラタが友達であることを強調しているに過ぎません。また、アラタも望の良きお兄さんではなく、殆ど同年代の友達になってしまっており、私は見ていて苛立すら覚えてしまうのです(あまり言いたくはないですが、私はアラタというキャラクターが肌に合わないのかも)。

 その悪い処が一気に表面化してしまったのが今回。

 確かに、話の流れや筋運びの巧みさは、なかなかいい線行っていると思います。髭男爵のキャラクターに引っ掛けた小道具も面白いし、親子の絆が幽魔獣の術を破るくだりなど、感動モノに仕上がっています。ロケーションの選別も完璧。素直に感動物語として成立しています。

 ただし、これって天知親子である必要があったのか?

 何が言いたいかは続きの方で。

 今回登場の幽魔獣は、遮光器土偶のピカリ眼(ピカリメ)。

 遮光器土偶とか、もうUMAじゃないです。この時点でググーッとテンションが下がってしまったのですが、まぁMU的なチョイスという点で、許容しておきましょう。恐らく、遮光器土偶のモデルが宇宙人だというヨタ話が元になっており、宇宙人ではなくて実はUMAだったという、中途半端な設定付けが笑える幽魔獣です。ネーミングソースは「光る眼」という事らしいですが、映画の方は無知識なのでコメントは控えます。

 その体型から発想したのか、何故か柳原可奈子さんの持ちキャラをその口調に取り入れていて、その喋りがいちいち可愛らしい。沖佳苗さんというキャスティングはピッタリだったと思います。ニチアサの流れでプリキュアも見ているので、そのギャップを楽しめましたよ。ちなみに沖さん、結構特撮マニアらしいですね。

 このピカリ眼の特殊能力は、その特徴的な両眼をフラッシュさせ、その光を見た者を意のままに操るというもの。実際は、劇中にて大した命令をしていないので、単に感情を奪って言う事を聞きやすくするといった具合になっています。

 この術にかかってしまったのが、望。

 望は術にかかって無表情のまま帰ってくるなり、天知博士の「第三の宝物」であるワイングラスを割ってしまいます。謝ろうともせず、無言のまま部屋を出て行く望に、天知博士は失望。天知博士は自分に親としての資格があるかどうか苦悩していくのでした。

 その後、望は何故か集団飛び込みの先導者に選ばれます。それとは別に、武レドランの策略によってピカリ眼を援護すべく膜インが出現。幽魔獣対応に追われるゴセイジャーは、望を助ける事もままならず…といった具合に話が進んでいきます。

 結局、アラタは天知博士が望を止められるという自信に充ち溢れており、その通りに事は運んでいくわけですが、シーンの繋げ方やカット割の巧みさが功を奏していて、実にスリリングかつエモーショナル。ピカリ眼と膜インのコンビ、そしてゴセイジャーとゴセイナイトの共闘もそれぞれ有機的に機能していて、見応えがありました。

 特に、それまで照れ臭くて「一番の宝物」を開示出来なかった博士が、望こそ一番の宝物だと告白して望の感情を再び喚起するシーン、そしてゴセイナイトの「人の感情は理解出来ないが、幽魔獣の行為とは違って素晴らしいものだということは理解出来る」という言が素晴らしかったと思います。

 しかしですね、これが天知親子である必要は、必ずしもなかったような気がするのです。

 博士と望の関係は、ごく普通の親子よりも良好であり、術にかかった望を見て、突如悪い子になったと頭を抱えてしまう博士には違和感があります。勿論、アラタが博士をさしたる根拠なく全面的に信用するくだりがあるので、レギュラーキャラという面が奏功した部分もありますが、アラタが感覚的に行動するのはいつもの事なので、恐らく初対面の親子でも、同じ尺分の身の上話があれば、充分事足りたでしょう。

 他にも、ワイングラスの事は伏線にもならず、後半は完全に忘れ去られていたり。更に、望を説得する際にアラタ達の名前を持ち出す場面でも、そんなに深く付き合っている印象がないので、とって付けたような感じになってしまい、結局は、望が一番の宝物という言葉しか届いていないように見えます。しかも、宝物云々はアラタにしか通じないタームなんですよ。これは問題です。

 総じて、天知親子のように良好な家庭よりは、最近親子関係に悩みを生じている親子の方が適役だったというわけで。今回の違和感の正体は色々挙げられますが、最大の違和感は、普段の親子関係が良好過ぎるという処でしょう。この違和感の所為で、天知親子の存在意義すら問うてしまいそうになります。

 まぁ、一番の問題は、天知親子が「空気」であるという事か。これまでのエピソードでも、そして今回でも、大変有効にキャラクターが活用されたという印象はありません。「ゴセイジャー」には、敵組織が交代したり、ゴセイナイトが参戦したり、武レドランが暗躍したりと、なかなかセンセーショナルな仕掛けが一杯あるにも関わらず、今一つ乗れていないのは、「唯一の人間キャラクター(これ重要!)」である天知親子がストーリーから疎外されている為に、絵空事の感覚が強まってしまっているからでしょう。もっと、地に足が着いても良いのではないでしょうか。

 なお、前段でも触れたように、武レドランは今回、膜インを巧みに陥れます。筋グゴンと膜インの関係を引き裂いていて、今回は膜インを言葉巧みに戦場へと駆り立て、いざ膜インの危機になると、身を呈して庇ってみせる。この偽りの献身はウォースター編でも見られたものであり、武レドランの意図が伝わってきます。エルレイの匣を使って、武レドランは一体何をしようというのか。この流れが、現在最大の楽しみになっています。