#25 再生 その2

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 続いては、ガンダムエクシア VS Oガンダムの対決。

 ある意味、ダブルオーライザーよりも「ガンダム00」の世界を象徴していると言えるガンダムエクシア。それをここで復活させることに関する劇中での意義は、実は殆どありません。

 勿論、大破したダブルオーガンダムの代替機という流れではありますが、この後のバトルが、オリジナルGNドライヴを1基ずつ搭載したガンダム同士の大喧嘩といった趣なので、別にダブルオーライザーとリボーンズガンダムの一騎打ちで終わらせても良かったわけです。


 まぁ、いわゆるファンサービスと、マーチャンダイジングの要請、ですね。


 Oガンダムは見ての通り、大河原先生によるRX-78ガンダムのリファインですから、アムロの声にあまりにもそっくりな(笑)リボンズに乗ってもらわなければならない。

 ならば、刹那は人気のあるガンダムエクシアに乗せてしまおう。R2ならバージョン違いでプラモも発売出来るぞ!


 といった思惑があったかどうかは分かりませんが、少なくとも、マーチャンダイジング方面の事情はあったものと推測されます。


 では、ひき続き見ていきましょう。

 リボンズはダブルオーライザーのGNドライヴ1基を入手。

リボーンズガンダム

 何だか大事そうに抱っこしていて、可愛らしいポーズに見えてしまいます。


「遂に手に入れた。オリジナルの太陽炉を。これさえあれば、僕はイオリア計画の体現者に。いや、それすらも超越した存在になる」

リボンズ

 やはり、リボンズはオリジナルGNドライヴの力による、自らの更なる進化を望んでいるようです。

 意気揚々のリボンズですが、リボーンズガンダムのダメージは大きく、これ以上の運用は不可能。

 手段を考えるリボンズの眼前に、かつて自らが駆ったOガンダムが!


「これは、運命だ!まだ僕は、戦える!」


 これもどっかで聞いたようなセリフですね。これを蒼月さんに言わせていいのか(笑)。

 しかも、主人公じゃなくて、敵のボスのセリフですよ、これ。嬉しいととるか、やり過ぎととるか、人それぞれでしょうねぇ、感じ方は。


 さて、Oガンダムを駆り、刹那を探すリボンズ。GNドライヴを欠いたダブルオーガンダムが浮遊しています。

ダブルオーガンダム

 自分が入手しなかった方のGNドライヴがないことで、リボンズは直感します。刹那が自分と同様、他のガンダムに乗り換えたと。


 その刹那が乗り換えた機体こそ、ガンダムエクシアR2!

ガンダムエクシアR2

 おーい!登場の仕方がΖガンダムのアイキャッチみたいだぞ。ファーストガンダム的でもあります。

 何だか、ここに来てパロディのオンパレードとは。笑わせる場面じゃないんですけど...。

 とりあえず、「嬉しい」と感じておきましょう。


「ガンダムエクシア、刹那・F・セイエイ!未来を切り開く!」

「人間風情が!」


 ここからは、壮絶なロボットプロレスが見られます。

 まさか、「ガンダム00」でGガンダムみたいな格闘戦が見られるとは思いもよりませんでした。


 こんなカットや、

Oガンダム

 こ~んなカット。

ガンダムエクシアR2 VS Oガンダム

 こんなカットもあり。

刹那

 とにかく、こんな高レベルの作画でGガンダムを見たいという気持ちにさせてくれました(何か違う?)。


 そして、互いの刃を突き刺し合い、2体のガンダムはその動きを止めるのでした。

Oガンダム

 Oガンダム「死」の瞬間。

 ガンダムエクシアにRX-78ガンダムが倒される感覚。何とも寂しいというか、「いいのかこれ」ってな感じでした。


 劇中の意義としては、第1世代のガンダムが、第3世代のガンダムと渡り合うだけのポテンシャルを持っていたということになるかと思います。


 Oガンダムの爆発に、ガンダムエクシアも巻き込まれ、刹那は気を失って浮遊。

刹那


 なお、この決戦の間、マリナの手紙がナレーション的にフィーチュアされました。

 マリナは、志を同じくしながら、決して交わることのない刹那への思いを手紙につづったのです。


「自分の中にある幸せを、他者と共有し、その輪を広げていくことが、本当の平和につながると、私は考えています。だから、どうかあなたも、あなたの幸せを掴んで下さい。刹那、あなたに幸せが訪れることを、私は祈っています」


 この手紙が刹那に届いたかどうかは不明ですが、シチュエーションとしては、ファースト・シーズン最終話の逆。既視感はそこから来ているものと思われます。

 結局、マリナはヒロインであったとは言い難いキャラクターになりましたが、主人公と同じ意志を持つ人物として、その存在をアピールしたわけです。



 さて、ここからはエピローグ。

 むしろ、ここからがメインと言ってもいい程、密度は濃いです。しかしながら、刹那とリボンズの対決こそが本来のメインであった為、やっぱり充実度的にはエピローグの延長です。

 それでも、色々な要素があって嬉しいです。



 マリナは地球連邦政府の支援を受け、アザディスタン再建を果たすことが出来ました。

マリナ

 連邦非参加国であるアザディスタンに、連邦政府が手を差し伸べたということで、リボンズが牛耳っていた頃の連邦政府とは毛色が違うことを強調。

 カタロンの子供達が、アザディスタンの王宮にいるのも微笑ましいですね。きっと、養子か何かの配慮をマリナは行ったのでしょう。


 あれ?アザディスタンにデヴァインが。

デヴァイン?

 左上にリボンズっぽい人も。

リボンズ?

 周囲の人々の髪の色が現実に近いものなので、目立ちます。わざと目立たせているとしか思えません。

 ティエリアが、穏健な目的を以って作り出したイノベイドか?


 ルイスは、細胞異常から完全に回復。沙慈が見守る中、療養しています。

沙慈とルイス

 左腕がどうなったかは触れられていませんが、義手が超高性能なので、完治の有無に関わらず、沙慈とは手を取り合って生きて行けるでしょう。


 新しい連邦大統領は女性。何となくヒラリー・クリントン女史を思わせる出で立ち。声はまさかの藤田淑子さん。

新地球連邦大統領

 実に貫禄ある台詞回しで、連邦大統領としての存在感を三割増くらいしてます。昔、一休さんとかキテレツだったのを知ってる人は、それ相応の年代の人ですね(笑)。

 え?月影先生?


 大統領は、アロウズ解体を宣言。非連邦参加国への援助と、連邦参加の推進を提言しています。

 ファースト・シーズン最終話でも宣言がありましたが、今回は武力ではなく、援助という形による地球の意思統一を企図しており、確実に世界は変わったわけです。真の地球連邦樹立が高らかに宣言されました。


 そのアロウズを指揮していたホーマー・カタギリは、切腹という末路を。

ホーマー・カタギリ

 彼はイノベイターの傀儡となって暴走したアロウズの咎を、全て自分の身に受けて自害したのでしょう。

 しかしこれは、やや虚無感を伴って描かれています。止め絵をスクロールさせるという傍観的描写で。

 ホーマーは、別の形で責任を果たすべきだったのではないかという疑問が、このような描写で伝えられたと考えていいと思います。


 あれ?アニュー?

アニュー?


 この大統領宣言の傍聴には、クラウスやシーリンも参加。

クラウスとシーリン

「これで、世界は変わるのね」

「ああ。だがまだ始まったばかりだ。互いが理解し合い、手を結べる平和な世界。言葉にするのは簡単だ。だが我々は、目指さなければならない。生まれ来る子供達の為にも」

「ええ。そうね、クラウス。私達から変わっていかなければ」

「ああ」


 クラウスは類稀なる楽観・理想主義者だと私は思っていますが、彼がそのような人物であるからこそ、カタロンという所謂ゲリラでありながら、こういった席にも参加できるのではないかと思います。

 勿論、ゲリラをも受け入れるという受容性を、新連邦政府が手に入れたという見方も出来ようかと思います。



 沙慈とルイスは、悲しく辛い経験を経て、世界についてもっと考えなければならないという決意を固めます。

 これが、彼等なりの、「未来のため」にすべきことでした。



 さて、カティは准将に昇進。

 ソレスタルビーイングを、腐敗したアロウズを叩いた功労者と認めつつも、武力放棄をするまで油断できないという立場を、一応崩しません。

 スメラギ=クジョウとの融和があるかとも思いましたが、このポジショニングの方がしっくり来ますね。


 そして、遂にパトリックとカティは結婚式を挙げます。

パトリックとカティ

「いやぁ、不死身のコーラサワー改め、幸せのコーラサワーになりましたぁ」

「やれやれ、全くだ」


 今回最大のサプライズはこれ。

 パトリックの階級はよく分かりませんが、カティは准将という高官ですから、まぁ、所謂格差婚ってやつですな(笑)。

 カティのブーケを、スメラギにキャッチして欲しかったとも思う私はヌルいですかね(笑)。



 アンドレイは父と母が目指した、市民を守り、平和を脅かす者と戦う軍人になることを決意。

アンドレイ

 このアンドレイ、最もイデオロギーをふらつかせていたキャラクターですが、これでようやく足元を固めたということになりそうです。

 勿論、ルイスのことは、もう諦めたでしょう(笑)。



 ビリーは、研究を続けていました。デスクには、クジョウと一緒に撮った写真が。

ビリーとクジョウ

 そして、その背後にはグラハムが。

ビリーとグラハム

 この2人、あらゆる歪みをソレスタルビーイングによって是正されたということになるわけで、これからは、真に平和の為に働いてくれることでしょう。

 スメラギとの仲が発展するかどうかは、まるで予測不可能ですが。



 ライルは、カタロンを離れ、この世界と向き合う為に、ガンダムマイスターとして生きる覚悟を決めました。

 ディランディ家の墓の隣には、アニューの墓も。

ロックオン

「たとえ世界から疎まれようと、その罰が下されるまで、戦い続ける。そっちへ行くのは、もう少し先だ。その時まで、待っててくれよな、アニュー」


 前回私は、ライル・ディランディが真のロックオン・ストラトスになったという点に言及しましたが、それが自身の口からはっきりと語られました。

 ライルの決意は、アニューがソレスタルビーイングの一員であったことと、無縁ではありません。恐らく、アニュー・リターナーの存在がなければ、ライルは迷わずカタロンに戻ったものと考えます。ライルが異種であるアニューと出会って、分かり合えたと実感したからこそ、ライルはソレスタルビーイングの理念に共感できたのですから。



 アレルヤはマリーと共に、巡礼の旅に。

アレルヤとマリー

「この世界は、矛盾に満ちていて、僕自身も矛盾していて...。でも、それを変えていかなくちゃいけない。見つけるんだ。僕達が生きる意味を、その答えを」


 色んな方面のネタを総合すると、アレルヤはソレスタルビーイングを抜けたわけではなさそうです。

 超兵である彼とマリーは、そのアイデンティティを戦闘においてのみ発揮できるという悲しき存在。それ故に、戦いのない世界で自分達が生きる意味を見出す必要があります。それを見つけた時、今度こそ一抹の迷いもなく、ソレスタルビーイングの戦いに舞い戻れるのだと思います。



 ティエリアは、ヴェーダの中に同化していきます。

ティエリア

「これで、未来は人類に委ねられた。僕はヴェーダの一部となり、君達を見守ることにしよう。来るべき対話の時まで、さようなら、みんな...」


 これは、来るべき対話の時が来れば、またティエリアが出現するということです。

 というわけで、劇場版をお楽しみに(笑)。



 そして、沙慈とルイスの会話が、物語を締め括ります。


「過去は変えられなくても、未来は変えられる。僕達が望む世界へ」

「もし、間違ってしまったら?」

「悲しいすれ違いが起きて、戦いになってしまったら、きっと、彼等が立ちあがる。すべての矛盾を抱え込んでも、きっと」


「行こう。俺達にはまだ、やることがある」

刹那

「うん。皆が命を引き換えにして変えた世界を、見続けなくちゃ」

フェルト

「そうね」

スメラギ

ロックオン

ラッセ

イアン、ミレイナ、リンダ


 俺達はソレスタルビーイング。戦争根絶を目指す者。世界から見放されようとも、俺達は、世界と対峙し続ける。武力を行使してでも、世界の抑止力となって生きる。だからこそ、俺達は存在し続けなければならない。未来の為に。



 ファースト・シーズン当初の理念へと、また帰結していきます。

 また「繰り返す」のか。

 多分それは違います。ソレスタルビーイングもまた、変わったのです。繰り返すように見えても、螺旋のように上昇していく筈です。


 罪とか咎というタームが一切失われてしまってますが、好意的に解釈するならば、まだ咎を受けるのは早い、ということでしょう。

 まだまだ、彼等がやらなければならないことは続くのです。



 彼らが目指すは、木星。

木星

 そして、「The Childhood of Humankind Ends」。

The Childhood of Humankind Ends

 その行く先は、劇場版にて。

劇場版予告


 一応補足説明。

 「The Childhood of Humankind Ends」は、「Childhood's End(幼年期の終り)」という、アーサー・C・クラークSFの傑作からの拝借。

 「人類の幼年期が終わる」という意味ですが、劇場版のキャッチコピー的な文言だと考えていいと思います。

 外宇宙で異種と交流することで、人類は次なるステージへとステップアップするということでしょうか。


 やっぱり、スター・トレック的な世界、はたまた、それこそクラーク的な世界を想定しているような気がしますね、これは。



 いかがでしたでしょうか。

 セカンド・シーズン後半は、何となく評価が低くなってしまったようですが、私としては綺麗にやや肯定寄りでまとめてみました。


 確かに、ご都合主義な面は多々ありましたが、私は我慢しなくても素直に見られましたし、逆に、批判が挙がるということは、それだけ見ている人も多いということで、少なくとも、何も語られず無視される作品ではなかったということが言えるでしょう。

 ごくごく私的な感想としては、「楽しませてもらった」になります。

 ファースト・シーズンとセカンド・シーズンの間はやきもきしましたし、刊行物をつい手にとってみたり。

 前作(SEEDシリーズ)で大いに挫折して、ガンダム・ムーブメントから外れてしまった私を引き戻してくれた作品ですから、思い入れもあります。



 というわけで、このブログも一旦お開きになりますが、ガンダム00関係のプラモを作ったりしたら、ここに載せようと思ってますので、気が向いたら覗いてみて下さい。

 これまで、色々と意見を下さった方々、また、定期的に訪れて下さった方々に感謝いたします。


 また、劇場版公開の頃に盛り上がれたら、と思います。