Space.20「スティンガーVSスコルピオ」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 シリアス節全開! 一応ショウ・ロンポーのボケはあるものの、基本的にギャグは封印し、徹底的にサソリ座兄弟の因縁を描きます。

 一方、ここで小太郎を持ってくる匙加減は絶妙で、彼の持つイノセントな清涼感が、「針で突っつき合う毒々しさ」を軽減していて良かったですね。小太郎を良心の象徴に終始させず、解毒という役割を持たせて機能させる筋運びも見事でした。

兄弟

 ちょうど、「学年誌ウルトラ伝説」という雑誌を購入して読んでいたのですが、やはり当時(特に70年代)のトピックは「ウルトラ兄弟」に尽きます。この「兄弟」というワードは実に象徴的で、「本当の(血縁の)兄弟ではないけれど、強固な関係で結ばれており兄弟と称されている」というエクスキューズに熱さを感じ取れます。

 いきなり話が逸れてしまいましたが、本エピソードも血縁としての兄弟と、誓いで結ばれた兄弟が鮮やかな対比で描かれることになります。言うまでもなく、スティンガーとスコルピオが血縁としての兄弟であり、スティンガーと小太郎が誓いで結ばれた兄弟ですね。皮肉にも、血縁に裏切られたスティンガーは、誓いの弟によって救われることになるわけです。

 血縁よりも義理の方が強固ですらあるというテーゼは、割と多くの作品に散見されるものだと思います。実生活でそんな状況にならないに越したことはないですが、実感としてあるという方は意外に多いのではないでしょうか。幸いにも私自身にそのような事態は起こっていませんが、周囲に例が皆無かと問われれば、それは残念ながら「否」であり、その周囲の状況から実感してしまうという面はあります。故に、作品中で血縁の裏切りが頻繁に描かれても、容易に感情移入できてしまうという哀しさ。最も親しい者たちが、磁石の反発のように離れてしまう様子に、ドラマの盛り上がりを見てしまうのも致し方ありません。

 さて、かつての優しい弟思いの兄・スコルピオが、何故「力」を妄信するようなったかは、短い回想で効果的に示されました。それは弟を守るためであり、優しさの暴走が力への渇望を生んだ...という流れとなっています。スティンガーは自分の弱さが兄を変えてしまったのだと後悔しますが、彼の場合は周囲に恵まれたのが幸運(正にラッキーとの出会いが幸運)。自らの力を狂ったように高めていくのではなく、仲間によって強くなるという道を選択できたわけです。スコルピオは、力に溺れつつあった際に、運悪くジャークマターに引き込まれてしまうという悲運に見舞われたと言えます。

 ただし、スティンガーもスコルピオに似て危ういところがあるのも事実。この性格付けが血縁の兄弟たるを印象付けているあたりは実に巧いところです。チャンプの一件で「これ以上仲間を巻き込まない」と決意し、アルゴ船のキュータマを持ち出し、死と引き換えに力を得るアンタレスなる秘術でスコルピオに挑むといった行動は、「仲間を巻き込まない」どころか「仲間の信頼を裏切る」に近いものとなり、兄との決着を付けるためには手段を選ばないという点で、スコルピオとは紙一重であったと言っても良いでしょう。

 その紙一重だったスティンガーを救ったのが、血縁ではなく誓いによる兄弟でした。それは勿論、小太郎です。

 ここで小太郎を前面にフィーチュアする采配の素晴らしさは筆舌に尽くしがたいものがあります。集団ヒーロー内部の関係性となると、どうしても同年代の男同士の友情がクローズアップされることになり、それはそれで感動を生むのですが、例えばこの役割をラッキーで代替した場合、スティンガーを対等の目線で詰る構図になります。すると、スコルピオとスティンガーで傾斜しているラインがラッキーとでは水平になってしまい、関係性の対比という面では少々物足りなさを感じることになるでしょう。小太郎を持ってきたことで、スコルピオから小太郎までが鮮やかな傾斜になり、上方と下方の双方から受けるプレッシャーが見事にスティンガーの位置でぶつかることになりました。

 そして小太郎は「解毒」の役割を担うことになり、その奮闘ぶりが描かれます。小太郎の素面アクション、しかもスローモーションを多用したダンスのように流麗なアクションが見られる驚きを享受することができました。正に少年ヒーローの究極形とも言うべきシーンでしたね。スティンガーを目覚めさせるために挑む表情の険しさも素晴らしく、本当に格好良いです。どことなくマスコットキャラのような愛らしさで魅了してきたコグマスカイブルーですが、今回は完全にヒーローとしての存在感を確立していました。

 しかし、本当の小太郎の魅力はその後のシーンにあります。我に返ったスティンガーに抱きつくというシーンです。「弱い弟」が「強い弟」に救われた瞬間を鮮やかに描写しました。この「抱きつく」という行為、小太郎以外のキャラには絶対無理(...無理ではないが、小太郎ほど自然にはならない)なわけで、本当に良いシーンでしたよね。

 ラッキーと、自分を取り戻したスティンガーと共に、堂々とキュウレンジャーを名乗る小太郎! この三人体制がまた驚きでしたが、真の決着は次回へと持ち越しになりました。

チャンプ

 復活の兆しが見えたチャンプ。小太郎がオウシキュータマを持ち出してスティンガーの元へ向かうのが巧いところで、オウシキュータマを見て暴走するスティンガーがチャンプを思い出し、一瞬隙を見せるという絶妙な演出に繋がっています。

 元の性格や記憶を伴ってちゃんと復活するのか否かは、まだ予測できませんが、その帰還もまもなく果たされることになりそうです。

投げられる石

 スコルピオによってキュウレンジャーを差し出すよう要求され、キュウレンジャーを敵視するに至るチキュウの人々。ウルトラシリーズでは結構使われるシチュエーションであり、人間の暗部を描出するのに適した題材ということになるかと思います。

 その嚆矢は「ウルトラマンA」のヒッポリト星人の話。その後も「ウルトラマンレオ」で「レオさえいなければ円盤生物は襲来しない」という話があったり、新しいところでは「ウルトラマンメビウス」終盤...と、ヒーローの受難は繰り返し描かれることになります。ロボットアニメでは「ザンボット3」や「ダンバイン」といった富野監督作品でマレビトの排除を描いていたりして、保守的な人類が主人公たちを追い込むという構図は、後味の悪さも相俟って強く視聴者の心に傷跡を残すことになります。

 ただ、戦隊ではあまり見られません。カーレンジャーのように「石を投げられる」というシーン自体はありますが、突っ込んだテーマで描かれることは少ないように思います。ライトな作風が是とされる戦隊シリーズならではということでしょうか。類似するテーマをハイブロウに描いた「地球自体に排除されるフラッシュマン」くらいですかねぇ??

 今回はそんな戦隊において、珍しく極めて明確にこのテーマを扱いました。石が投げられ、ラッキーの顔に当たり赤くなるという地味ながら効果的でインパクトのある描写が素晴らしい。小太郎がチキュウ人として恥ずかしいと涙を溜め、ラッキーが「泣くな」と諭す一連の流れの重厚さ。今回の白眉たるシーンの一つでしょう。スパーダが投石からハミィの顔を守っているという細かい芝居も効いていて、ちょっと大人っぽい雰囲気になっていました。

 「キュウレンジャー」ならでは! と言えたのは、ラッキーが人々を「救ってやるから黙って隠れてろ」と一喝するところでしょう。ラッキーは宇宙を救うという巨視的ポリシーを持っているので、チキュウ人自体にシンパシーはないというのがかねてからの見方ですが、それが割と分かり易い形で現れたような気がします。このシーンには「情」の介入する余地がなく(その代わり、小太郎が恥じるというくだりが挿入される)、あくまでジャークマターからの解放の一環としてチキュウを救い、また、チキュウで石を投げられたからといって、そこで歩みを止める義理などないという意志が感じられるわけです。

 一般的に、こういったテーマが描かれる際は、石を投げる方に共感しないよう配慮され、それが却って人間の暗部を抉ることになるのですが、今回はラッキーたちが明確に余所者であるためか、チキュウの人々の気持ちにもある程度理解が及ぶようになっており、不思議な感覚を味わうことができました。「キュウレンジャー」のユニークな部分を垣間見たように思います。

次回

 遂にスティンガーとスコルピオの因縁に決着が付くようです。そして、まさかの追加戦士登場が予告され、大胆にCMでネタバレしまくっていました(笑)。

 もう一つ驚きのニュース。10月の改変により放映時間が移動するそうです。戦隊は9時30分からとなり、「メガレンジャー」半ば以来実に20年ぶりの移動! 定着していたニチアサの習慣が変わります。