お知らせ

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 いつもsirmiles.comをご覧いただき、誠にありがとうございます。

 この度、事情によりsirmiles.comを整頓する運びとなりました。つきましては、当面当ブログの更新を停止させていただき、特撮系の記事は、以下のブログにて気の向くまま継続いたします。なお、当ブログ自体はこのまま閲覧可能とします。


 「SirMilesのマニアックな日々

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 「仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010」に関する記事も、簡単ですが、こちらにアップいたしました。


 今後とも、sirmiles.comを宜しくお願いいたします。

最終話「世界の破壊者」

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 遂にテレビシリーズの最終回を迎えた「ディケイド」。2クール余りという珍しいシーズン展開に加え、平成ライダー総登場+αというお祭り要素を全面的に推進した「ディケイド」は、前代未聞の高密度を誇るシリーズとなりました。


 しかし、高密度で話題作ともなれば、様々な戦略が絡んでくるのも自明。夏の劇場版の大ヒットにも裏打ちされたことにより、テレビシリーズがある程度の犠牲を払わなければならなくなったことは、想像に難くありません。

 この辺りについては、最後にまとめて述べたいと思います。


 そして、今回はストーリーを追っていく過程に解説的な文言を挿入するのではなく、ストーリーはあくまでストーリーを追い、最後にまとめて解説的な文章を記したいと思います。というのも、この最終話自体が、冬に公開予定の劇場版に向けての、壮大な序章になっている為、解説を挟むと分かりにくくなると考えたからです。


 それでは、最終話の名場面集(?)と解説をどうぞ。

第30話「ライダー大戦・序章」

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 2クール余りという、80年代以降の特撮TVドラマでは極めて珍しいスパンで展開された「ディケイド」。いよいよお祭りシリーズもクライマックスです。

 数年前、「ディケイド」と類似したコンセプトの「ウルトラマンメビウス」が円谷プロダクション制作により放映され、人気を博しましたが(私も一生懸命ファンサイトを運営しました)、やはりこういったコンセプトのコンテンツは人気が高いようで、「ディケイド」も劇場版が大ヒットを記録するなど、色々と話題を事欠かない作品になりました。


 いきなりまとめ的なことを書いてしまいましたが、サービスたっぷりの割にちょっとした寂しさが漂っているのが、今回の特徴であり、それ故に「終わってしまう」感覚が湧き上がって来たわけです。


 そのサービスの面というのが、ワタル、カズマ、アスムといった、各世界の主役達が一挙に登場して来たというもの。そしてオリジナルの設定を大胆に流用・改変したユウキこと芳賀優里亜さん、謎の男でありながら剣崎一真という「完全にオリジナルと同一のキャラ」として登場した椿隆之さんの友情出演にあります。

 芳賀さんは「555」のレギュラーと「キバ」のセミレギュラーとして登場していますが、今回は「キバ」の鈴木深央(パールシェルファンガイア)を元にした役柄での出演になります。また、椿さんは言わずと知れた「剣(ブレイド)」の主演ですね。


 詳細に見て行くと、やはり前半で會川さんが脚本を降りてしまった影響があるのか、作品としての整合性を疑ってしまうような面もありますが、全体的にライダーの世界同士が対立するという退廃的な感覚に彩られた、ラストの導入部らしい一編になっています。それでは、見所をまとめてみましたので、ご覧下さい。

第29話「強くてハダカで強い奴」

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 アマゾン編の後編。アマゾンとマサヒコの関係をメインにフィーチュアし、最終的にはオリジナルのアマゾンにおける両者(つまりアマゾンとまさひこ)の関係に落ち着いていくのですが、何となくマサヒコの心情の変化が唐突であり、かなり予定調和に見えてしまいます。また、アポロガイストと十面鬼の扱いも中途半端で、十面鬼を最強の敵としつつも、あまり苦戦する場面が見られない等、その不徹底がストーリーの完成度にそれなりの悪影響を及ぼしています。


 一方、劇場版とのタイアップ的な展開による、大ショッカーの全面的アピールは、それなりに成功しています。骨戦闘員の活躍はコミカルだし、大ショッカーの本拠地たるタワーの出現はなかなか鮮烈です。しかし、如何せん「アマゾン」と「ショッカー」というタームがまるっきり繋がらないという問題が...。


 ちなみに、サブタイトルの「強くてハダカで強い奴」は、オリジナル・アマゾンの第3話「強くてハダカで速い奴!」のパロディです。でも、包帯姿ではあってもオリジナルのように完全な上半身「ハダカ」ではなく...。ここも中途半端な感じですね。


 あくまで私的な感想ですが、折角ラスト前を「南光太郎編」で盛り上げてくれたのに、何だかこのアマゾン編で大失速した感があり、結構テンションが下がってしまいました。なので、本編の紹介と感想もそれなりになってしまいました。とりあえず、ご覧頂ければということで。

第28話「アマゾン、トモダチ」

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 驚愕必至の南光太郎編に続き、またもや驚愕必至のアマゾン編。何故アマゾン!?と思わずのけぞってしまうようなセレクトですが、一応、アマゾンという異質なキャラクターを、士に重ね合わせる方向性で描かれており、本編を見た後は、初期昭和ライダーの中で順当なセレクトだったかも、と思わせられるのでした。

 ただ、大ショッカーというキーワードにかなり引き摺られてしまったか、いきなり昭和な雰囲気にシフトしてしまい、これまで巧く平成ライダーシリーズの美点を取り入れてきた「ディケイド」にあって、文字通り異色作になったのも確か。大ショッカーに支配され、ライダーを拒絶するという世界観も、「ネガの世界」や「ディエンドの世界」の二番煎じに映ってしまい、正直今一つな感は否めません。


 肝心のアマゾンですが、南光太郎の衝撃度がMAXだった為か、かなりトーンダウンした印象になってしまいました。確かに十面鬼は古代文明の力を感じさせて痺れる程のカッコ良さですし、ジャガーショックや大切断といった技も披露、変身も現代風のエフェクトで鮮烈度を増しています。が、何か物足りない。ギギの腕輪を奪われても平気とか、後半のアマゾンはもっと流暢だったぞとか、そういった些細なツッコミはいいのです。アマゾンライダーという、昭和の時代でしか出現し得なかったヒーローを、この平成ライダーシリーズで描くことへの違和感、これに尽きます。当時の「仮面ライダーアマゾン」という作品の、それこそ鮮血飛び散る程のテンションを持ち込むことは、まず不可能に近い。その為、今回のような、やや大人しいアマゾン像になってしまったのだと思います。


 勿論、昭和のアマゾン像を期待する方が間違いだという論も成立するわけで、その視点で見てみると、色々な発見があります。

 まず、エンリケさんという、エキゾチックな魅力を持つキャスティングを得て、アマゾン自身が異邦人的な要素を得ることに成功しています。元々オリジナルのアマゾンは山本大介というれっきとした日本人ですが、今回の物語では山本ダイスケといったキャラクターは存在せず、単に「日本人かどうか分からないアマゾン」として出現したわけで、よりアマゾンの異質さが際立っています。また、エンリケさんのブログによれば、流暢でないセリフ回しに関してかなり苦労されたようで、アマゾンライダー時のアフレコに若干の迫力不足はあるものの、純真なアマゾンのキャラクターをよく表現していたのではないでしょうか。


 アマゾンがオリジナルとかなり異なるキャラクターに仕上げられた一方で、岡村マサヒコとリツコの姉弟は、明確にオリジナルのパラレルキャラクターとなっています。オリジナルでは岡村まさひこ、岡村りつ子という表記であり、まさひこはアマゾンの初めての「トモダチ」、りつ子は当初アマゾンを目の敵にしているという、今回の設定に通ずるキャラクターでした。原典を知る者にとっては、マサヒコがアマゾンを徹底的に敵視する展開が衝撃的であり、また昭和の時代の原典を知るからこそ、最後の最後で改心するのではという期待を抱かせつつ、サラッと裏切って見せる処がより恐ろしく映るのです。このあたり、平成ライダーではやや当たり前の展開になっていますから、マサヒコの衝撃度は、昭和時代のヒーロー番組を知るか否かによって随分と変わってきます。


 では、色んな意味で衝撃的な今回の見所をまとめてみましたので、ご覧下さい。

第27話「BLACK×BLACK RX」

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 驚愕の「南光太郎編」後編。今回は「RXの世界編」ではなく、何と「BLACKの世界編」とも言うべき内容になっていた為、敢えて「南光太郎編」と呼ぶことにします。


 「南光太郎編」だけあって、光太郎関連の充実度は異様なまでに高く、正に蘇るBLACKといった趣になっています。中でも、「RX」の光太郎が、戦い続けることに対して微塵の疑問も感じていないのに対し、「BLACK」の光太郎は、戦いが続く事に対する苦悩を覗かせたり、大勢の仲間に恵まれた「RX」と対比される孤独な「BLACK」といった要素があったりと、とにかく両作品の差異を明確に取り上げているわけです。それは物語へ深みを与えると同時に、両作品を深く知る者にとってはパロディとしても映ります。当時、番組のタイトルが変わって光太郎の性格もガラリと変わってしまい、ある種の困惑を感じた当時のファンへ、パロディを届けようという意図が感じられます。


 物語の構造としては、RXの南光太郎に仲間の存在を示唆され、士が動き始めるという前回に対し、果てしない戦いに苦悩するBLACKの光太郎に、士がRXの光太郎の力強い決意を伝えることで、BLACKの光太郎の戦う決意を促すといった構造になっています。つまりは、他のライダーの世界に近似した流れを見せるわけですが、何とそれは前半に集約されており、後半は光太郎ダブル変身という一大イベントに向かって一気呵成に進んでいきます。この変則的な流れにより、劇場版への引きを作っているのはなかなか巧いところです。


 しかしながら、前半でBLACKの世界を脱したことにより、些かBLACKが軽視されたきらいもあり、その影響は、RXとの共闘がBLACK本人ではなく、ディエンドの「KAMEN RIDE」によるものになるなど、随所に表れています。また、霞のジョーが最後まで全く登場しなかったのも不自然。存在自体が色濃く匂わされてはいますが、どうもこれは小山力也さんへのオファーをギリギリまで粘っていたという事情があるものと推測出来ます。あくまで推測ですが、登場してもしなくても成立するよう、あのような措置に至ったのではないでしょうか。


 実際は夏海と士の物語も充実しているのですが、その辺りは本編の方で。今回はキャプ画大放出で進行します。何といっても、光太郎が二人居ますから。

第26話「RX!大ショッカー来襲」

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 いやはや、まさか平成ライダー10周年記念作品で、「元祖平成ライダー(要するに放映時期が昭和と平成をまたがっているということ)」が見られるとは。

 私の年代は、「スカイライダー」や「スーパー1」といった作品が洗礼期にあたり、「BLACK」シリーズは大きなお友達の一歩手前という時期の作品ですが、「仮面ライダー」への飢餓感が見事に「BLACK」シリーズへの興味に繋がり、正にリアルタイムで堪能した、初めてのライダーということになります。バトルホッパーやロードセクターのプラモを買ったりしたなぁ(笑)。


 もう20年以上前の作品になるわけですが、最新の映像技術での描写に微塵の違和感も感じさせないRXのスタイリング、フォームチェンジの元祖たる存在感、どれをとっても目の覚める完成度です。「RX」という作品は、当時も、そして現在も賛否両論に晒されていますが、こうしてみると、平成ライダーは「RX」なくして産まれ出ることはなかった(あるいはもっと遅かった)わけで、今更ながら「RX」の存在感を見せつけられました。


 そして、まさかの南光太郎、それも倉田てつをさんご本人の登場という、もう興奮必至のサービスに、全編鳥肌立ちっぱなし。変身ポーズのキレは当時以上の完成度ですし、年月を経て磨きのかかった、芝居のタメ等といった要素が、全てプラスに作用しているかのようです。明らかに狙った、昭和のヒーローらしい台詞まわしも嬉しいところ。

 更に、ラストでは「BLACK」の世界まで登場し、パラレルの南光太郎が二人登場するという驚愕の展開に。後に公開される劇場版でBLACKとRXが並び立っている理由が、ここで明かされることになるわけです。「BLACK」の方が明らかにダークトーンを狙っているのも、気が利いています。


 このように満足度は非常に高い一編なのですが、いわゆる「昭和ライダー」を未見の方に、果たしてこの話が分かるのかという疑問が。

 「霞のジョー」とは何者か、「怪魔ロボット」が何なのか、アポロガイストの衝撃度がいか程のものか、いきなり出てくる「ゴルゴム」というタームが何を現しているのか。こういったタームの羅列は実にマニアックであり、それ故にマニアでなければ面白さを理解出来ない...そんな気がします。

 こんなこと、「ウルトラマンメビウス」の時にも同様の指摘が出来た筈ですが、当時は全く気になりませんでした(笑)。私のブログも随分オープンになったものです。


 一応、分かりにくい部分に関しては、簡単な解説を盛り込んでいますので、ご参照の程を。昭和ライダーに関しては、私もかなりマニアな知識を有してますので...。


 では、本編の方をどうぞ。

第25話「外道ライダー、参る!」

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 シンケンジャーの世界後編は、二大ヒーローがグッと距離を縮めて活躍する一大娯楽編。

 凄いのは、全く異なる物語である両者の共通点を、栄次郎と彦馬に求めるというアクロバティックかつ自然な発想。劇中通り、「ヒーローの帰りを待つ者」という捉え方でこの二人を見ると、彦馬は納得出来るとして、栄次郎は果たしてどうなのかという部分は無きにしもあらずですが、それでも夏海を介することで「待つ者」を成立させているのは、お見事です。


 全体的な流れもスムーズで、飽きさせることが一切なく、それぞれの見所を押さえているのも特筆モノで、アクションの完成度も一級。シンケンジャー側は丈瑠が代表者となって前面にフィーチュアされ、他の面々の活躍はあまり見ることが出来ませんが、その分30分前の「シンケンジャー」本家でフォローされているのはさすがといったところでしょう。


 このように、「シンケンジャー」ファンにも「ディケイド」ファンにも満足度の高い一編に仕上がりましたが、特に押さえておきたいのは、鳴滝の言葉に丈瑠が踊らされないところ。「ヒーローはヒーローの本質を見抜く」というカッコ良さがたまりません。流ノ介達が士のカメラを爆弾と誤認して大騒ぎするのも良い対比となっており、丈瑠の心眼の確かさを堪能出来ます。この要素が、そのまま必殺武器交換というクライマックスに繋がっており、構成の確かさにも目を見張ります。

 丈瑠と士の対立構造が成立しないことにより、戦隊 VS ライダーという、いわば「夢の対決」は実現しないことになりましたが、その分、チノマナコ・ディエンド態をライダーそのものとして捉えること、そしてチノマナコ・ディエンド態が「KAMEN RIDE」でブレイドを召喚することにより、代替的に実現させています。


 では、大充実の本編をまとめてみましたので、ご覧下さい。

第24話「見参侍戦隊」

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 まさかの「侍戦隊シンケンジャー」とのコラボレーション!


 脚本は「電王編」での登板も印象深い小林靖子さん。「タイムレンジャー」あたりから、その脚本の巧さは光っていましたが、今年は「シンケンジャー」をそのビジュアルインパクトと反対側へ振り切るほどの迫力で描いており、その評価は実に高いものとなっています。今回の「シンケンジャー編」は、本家のメインライターが登板したということで、正にシンケンジャーの出張版になっており、シンケンジャー本編としても十分に楽しめるものに仕上がっています。

 まだ前半なので、「シンケンジャー」と「ディケイド」それぞれのストーリーが並行して進行している程度にとどまっており、完全に交差するところまでは来ていません。しかし、この軽いコラボ感により、「シンケンジャー」を未見の視聴者でもその世界観をある程度理解することが出来、いかに「ディケイド」とかけ離れたものなのかを味わうことが出来ます。一方で、外道衆を各世界の「怪物」に見立てたストーリー運びにより、いつもの「ディケイド」のパターンにちゃんと則っているのは秀逸。この絶妙の匙加減により、「シンケンジャー」の世界に士達が迷い込んだ感覚と、あくまで「ディケイド」の数々の世界の一つがシンケンジャーの世界だという感覚が同居しているのです。

 いわゆる「撮り方」も、戦隊の「東映チャンバラ映画」的アングルではなく、あくまで平成ライダーの「モダンムービー」的になっており、正に融合。一方で音楽は「ディケイド」のものだけを用いるのではなく、「シンケンジャー」の音楽が随所に使用され、一瞬「シンケンジャー」の本編そのものを見ている感覚に陥るところも巧い。


 前回でもちょっと触れましたが、あくまでライダーファン=戦隊ファンではないのは当たり前のことであり、人によってはその断絶の度合も深いものと思われますが、今回は「シンケンジャー」の世界観をちょっと笑っている感覚もあるので、戦隊ファンでない方でも楽しめるのではないでしょうか。

 「シンケンジャー」は「シンケンジャー」で、あくまでそのぶっ飛んだ世界観の中で大真面目に立ち回っているのですが、「ディケイド」にひとたび登場を果たすと、そのぶっ飛んだ世界観はユーモアの対象になって当然。このあたりを小林さんが書くことで、ユーモラスな感覚でとらえられたとしても「シンケンジャー」のファンは充分納得出来ると思います。


 なお、私は「シンケンジャー」のブログも並行して運営しているので、基本的に「シンケンジャー」側のキャラクターや世界観、ノリといった要素はそちらのブログとの連続を意識して記述します。

 「シンケンジャー」未見の方の為に、各キャラクターの紹介を。


  • シンケンレッド・志葉丈瑠 ... 「丈瑠」と表記
  • シンケンブルー・池波流ノ介 ... 「流ノ介」と表記
  • シンケンピンク・白石茉子 ... 「茉子」と表記
  • シンケングリーン・谷千明 ... 「千明」と表記
  • シンケンイエロー・花織ことは ... 「ことは」と表記
  • シンケンゴールド・梅盛源太 ... 「源太」と表記
  • 目付役(ジイ)・日下部彦馬 ... 「彦馬」と表記


 それでは、歴史的な出来事の目撃者になりましょう(笑)。

第23話「エンド・オブ・ディエンド」

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 ディエンドの世界後編。海東大樹の過去が明かされ、何故「お宝」に執着するようになったのかも、それとなく明かされます。


 ただし、海東の過去に関する描写は回想こそ充実していましたが、心情描写はあまり褒められたものではなく、殆どが士の長台詞に頼っており、その為、士自身も妙に早口になってしまい、何となく違和感がありました。台詞自体も説明台詞に終始しており、どうも登場人物に感情を感じられません。

 士に関して言えば、もはや「通りすがりの仮面ライダーだ!覚えておけ!」も何もあったものではなく、完全にお約束の数々はスポイルされており、私のようにパターンに納得してしまうような人間は、「何だかなぁ」という感想を持ってしまいます。


 また、この世界の特徴である「飼殺しの人間」という描写も、前編では折角充実していたのに、今回は殆ど見られないというのもマイナス。結局洗脳されて微笑んでいるのはユウスケと夏海だけでした。この為、フォーティーンの底知れない不気味さもスポイルされ、しかもコンプリートフォームにあっさり倒される(その上ディエンドの活躍の場はない)という展開も手伝って、何とも弱々しいボスになってしまったのでした。


 しかしながら、純一と海東の関係性を示す数々のシーンは、なかなか充実しており、特に純一の笑顔が象徴的に描かれたのは特筆に値します。結局、純一は洗脳を受けていたわけではなく、従順な笑顔自体も芝居だったことが判明するのですが、なるほど、それで目が笑っていないのかと納得させられます。即ち、笑顔の演技をしているという演技をしていたわけで、さすがは黒田さんです。

 純一自体がこれからどういう行動をとるのかは、視聴者の想像に任せられることになりましたが、やや希望を持たせる展開になっており、しかも純一を「完全には取り戻せなかった」ことで、海東の旅も続くという幕引きは巧くまとまっていると評価出来るでしょう。


 では、見所をまとめてみましたので、ご覧ください。