ブレイブ15「はらだたしいぜッ!ドゴルドのやぼう」

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 正統なるノブハル編。空蝉丸がある程度絡んでくるものの、それ以外のメンバーのシーンは非常に少なく、実質的にノブハル単独のドラマと言っても差し支えありません。

 ここ数回はギャグテイスト満載なエピソードが続いた為か、やや地味な雰囲気に見えてしまい、今ひとつ弾けていない感はあるものの、「キョウリュウジャー」の振り幅を感じさせるハートフルかつシリアスな好編でした。

 ノブハルの親友・中里を演じるは、渋江譲二さん。特撮ファンなら、タキシード仮面、そして仮面ライダー威吹鬼としてお馴染み。クールな見た目とは裏腹に、どこまでも優しい内面を持っていそうな独特の雰囲気を醸し出す俳優さんであり、そのキャラクターが却って中里の「棘」を際立たせています。

 そして、渋江さんのシリアスな雰囲気がドラマに充満している為か、ノブハルのオヤジギャグも演出を含め控え目。様々な面でギャグテイストとは対極に位置するエピソードとなりました。

 今回は、ノブハルの過去に触れられている事にまず注目。

 以前、妹・優子の夫である賢一の回想が描かれた際、ノブハルの妙にパリッとした服装が印象に残りましたが、実は「なんでも屋」を継承する前は一流商社マンだった事が判明(元々設定には記載されていたようですが、商社マンとして働いているシーンは今回が初登場)。現在のどことなく自由気ままな出で立ちとは異なり、スーツの着こなしも抜群。ノブハル役・金城さんの振り幅もまた、広いものである事が確認出来ました。

 一方で、一流商社マンであるかつてのノブハルと、現在のノブハルとでは、社会的なポジションこそ異なるものの、志は何一つ変わっていないとする辺りが心地良く、キャラクター造形の一貫性を感じさせます。また、ノブハルの不変性をツラツラとセリフで説明するのではなく、中里との絡みで段取り良く顕在化していくという、ストーリー運びと演出の良さが光っていて、中里のエキセントリックな考え方が浮き彫りになると同時に、ノブハルの文字通り必死の呼び掛けで正気を取り戻していく中里の描写が、感動的に映る事となります。

 なお、上記の中里とのやり取りの中で、少しだけ説教めいたテーマが織り込まれていました。

 それは、「職に貴賤無し」という理想論であり、穿った見方をすれば、昨今の就職状況等に一石を投じる意味合いがあったのかも知れません。実社会では、残念ながら「職に貴賤あり」である事は間違いなく、ランクが付いているからこそ「人材」という考え方が生じるわけですが、今回はそういったテーマをグサッと突き刺してしまう事はしていません。ランキング上位の職であっても、プライドや目的意識を失えばたちまち自分自身を失う事になるという警告が織り込まれており、それは表層上の「職の貴賤」ではなく、職に対するメンタリティという層における「貴賤」を描こうとしている部分があります。

 興味深いのは、怒りに取り憑かれている間の中里は、ノブハルの職である「なんでも屋」を徹底的にこき下ろすのに対し、正気に戻った中里は、「なんでも屋」のスピリットに深い理解を示している処です。ドゴルドの(精神的)敗北によって憑き物が落ちたと解釈出来る部分もありますが、やはりここは、ノブハルの「なんでも屋」に懸けるスピリットに、中里がかつての情熱を喚起させられたと解釈する方が自然でしょう。

 さて、今回のドゴルドの狙いは、ごく普通の悪の組織が実行しそうな、「人間製のロボットを奪取して戦力増強を図る」というパターンを「途中まで」踏襲しています。当初、狙いを把握しかねているキョウリュウジャーの描写がありますが、年季の入った特撮ファン辺りは、何でこんな簡単な狙いが分からんのだ...とヤキモキしたのではないでしょうか(笑)。戦隊では、人間のテクノロジーを侵略作戦に応用するというエピソードが沢山ありますし、ライダーシリーズでは、「○○の権威」がよく誘拐されては、新怪人の製造に加担させられるといったプロットが定番となっていました。

 当然の如く、ドゴルドは中里が作ったロボットを巨大化させる等して、キョウリュウジンを苦しめるのだろうと思っていたのですが、何と実は、ドゴルドの依代としてロボットを利用したかったという、見事な裏切り! これには驚くと共に、ドゴルドというキャラクターの維持がドラマのエッセンスとして成立し得るという点にも感心してしまいました。裏でカンブリ魔を定期的に取り替えている設定さえあれば、特にドゴルドの依代に関して言及する事なくドゴルドというキャラクターを継続運用出来るにも関わらずです。この辺りの手抜かりのなさは特筆に値しますね。

 また、ドゴルドのパワーアップ譚として非常に有用な設定のエピソードでありながら、敢えてノブハルと中里の友情や志の方にスポットを当てて、パワーアップ譚の可能性を完全に放棄してしまう思い切りの良さも凄い処。実際、中里の処置が間に合わず、ドゴルドが新たなボディを手に入れて大暴れするというストーリーでも、「中里がノブハルを助けようとした」というシーンさえ担保されていれば、中里の崇高な精神性の回復という意味は失われずに済むわけで。そして、パワーアップしたドゴルドに手を焼くキョウリュウジャーに、中里がロボットの弱点を教え、「覚えとけよ!」とドゴルドが退散するとか、まぁ、定番を踏襲すれば、いくらでもドゴルド自体のパワーアップ譚を構築出来たわけです。

 その辺りを敢えて潔く放棄し、鉄壁の一話完結でノブハルのキャラクター性を浮き彫りにする。これぞ「キョウリュウジャー」の思い切りの良さと、振り幅の広さを示していると思います。ロボットを依代にして荒ぶるドゴルドは格好良かったですけどね(笑)。

 他の見所としては、空蝉丸が初めて優子と顔を合わせるシーンで、優子が真面目そうだと一発で見抜いたり、ダイゴがキョウリュウレッドであると薄々感づいていたりと、鋭い優子による「正体バレのスリル」が準備されつつある事。いつかはノブハルがキョウリュウブルーである事がバレて、そこにドラマが生じるという展開が待っていると考えられますが、そこに至る段取りとして、コミカルである事と、スリルが盛り込まれている事が既に見て取れ、これはもう面白くなる事が約束されたようなものでしょう。やはりこういったドラマの定石といったものは、研鑽されて存在しているわけで、しかも、既にこれまでのエピソードで、それら「定石」の採用と応用の巧さを「キョウリュウジャー」は見せているわけですから。

 アクション面も振り返っておきましょう。

 ノブハルがメインとあって、他の面々のような華麗なアクションではなく、無骨で荒削りな、それでいてリアリティのある、正にノブハルというキャラクターに合致したアクションが見られます。特に生身アクションでは、掴みかかったり、はね飛ばされたりといったアクションが秀逸で、親友を守る為に我が身を投げ打つ「演技」として成立していました。この説得力あるアクションシーンがあるからこそ、中里の「改心」がリアリティを持ち、ノブハルの「一生懸命さ」が際立ってくるわけです。

 巨大戦では、「プテライデンオー アンキドン」が登場。ほぼ毎回新形態が登場してくるような印象すら抱かせるサービス振りですが、逆に印象が薄いのも否めない処で、今回などは、プテライデンオー アンキドンよりむしろ、キョウリュウジンの一刀両断の格好良さの方が際立っていたように思います。まぁ、獣電巨人のバリエーションは腕の換装が主なので、すべて網羅するにはこのような流れで披露していくしかないんですけどね。

 次回はイアン編。イアンもかなりギャグキャラにシフトしているので、どのように当初のクールさを取り戻すのか、これは見モノですね~。