ブレイブ22「ま・さ・か!デーボスふっかつ」

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 夏休みは視聴率低下の時期という事で、ここで前半のクライマックスを持ってくる順当な構成。

 真に「順当」であれば、プレズオンの一大登場編として盛り上げ、基本的に「強力怪人」あるいは「新幹部」、または「再生怪人軍団」といった要素で危機を煽る処ですが、何と今回は「ボス」の肩書を纏うデーボスを復活させるという掟破り!

 ただし、近年の戦隊ではこういった思い切った構成はあまり珍しくなくなってきています。「ゴセイジャー」では都合三つの組織が登場した為に、一応のボスキャラが三人+真ボス一人となっていましたし、「ゴーバスターズ」では、最終話のようなエピソードが複数回ありました(笑)。やや心配なのは、これらの試みの結果があまり芳しくない事でして、盛り上がった後のトーンダウンを巧く処理しきれず、今ひとつノれないという事が割と目立ってしまっていました。

 その辺りに着目すると、今回「キョウリュウジャー」の採用した処理は、結構巧いのではないかと思います。

 途中でボス級のキャラクターを登場させる手法は、前述の二作品の他に、「ターボレンジャー」で一旦既存の敵組織との決着を付けさせたり、「ジェットマン」で女帝ジューザを登場させたりといった前例がありますが、どれもテイストの異なるものでした。「ターボレンジャー」に関しては、流れ暴魔編をスタートさせる為に必要な措置という側面も強かったのに対し、「ジェットマン」では、敵組織の群像劇をより強く回転させる為の「当て馬」としての措置が前面に出ていました。「ゴセイジャー」の場合は、「真のボス」が色々な組織を渡り歩くという、敵キャラが主人公っぽい振る舞いをした結果であり、「ゴーバスターズ」に関しては、地味な世界観の上でどれだけ盛り上げるかという戦いが「消耗戦」のような様相を呈していました...。

 こうして見ると、シリーズがどのように4クールを乗り切る為の工夫を凝らしているか、よく分かります。今シーズンも例外ではないわけですが、何となく「キョウリュウジャー」にはこれらの作品にはない「余裕」が感じられはしないでしょうか。

 前例と状況を比較するならば、「ターボレンジャー」には時間帯移動という苦難があり、「ジェットマン」には戦隊シリーズ「背水の陣」の覚悟があり、「ゴセイジャー」には次作に「ゴーカイジャー」というあまりにも壮大なテコ入れが必要だったという「推して知るべし」な状況があり、「ゴーバスターズ」にはその「ゴーカイジャー」の後番組という「祭りの後」をどうするか苦慮するという状況がありました。

 ところが、「キョウリュウジャー」は当初から戦隊の王道をかっ飛ばすという作風が奏功し、その楽しい作風は中盤も衰えを見せておらず、マーチャンダイジング共々、状況としては盤石と言っても良い状況にあるようです。その状況の明るさは、今回のストーリーテリングにも少なからず影響を与えていると考えられます。

 まず、圧倒的に強いデーボスを出現させるまでの時間が割と長い事。

 敵側の作戦行動はほぼ完璧であり、デーボス復活とそれを阻止する攻防戦というよりは、敵側の作戦が完了するまでキョウリュウジャーは足止めを食っているという印象が強いのですが、それでもドゴルド部隊やデーボ・ウイルスンとのバトルは非常に魅力溢れるアクションで描かれていて、退屈させません。また、敵側の作戦が丁寧に描かれている為、デーボスの復活への流れがごく自然になっている上、幹部達は「復活後」に全く以て無頓着という味付けも新鮮で、「物凄い危機的状況なのに、何だかワクワクさせる」という不思議な雰囲気を纏っています。

 デーボスを出現させるまでの時間が長いという事は、「物凄い危機的状況」が短いという事であり、全編を危機のドン底とするような重苦しい作風からの脱却にも繋がります。しかも、その間弥生を中心にキャラクターを存分に動かしてドラマに厚みをもたらしており、それが爽やかな良い効果を生んでいます。危機のドン底を描く全編バトルも良いのですが、今回のように次回に引っ張るような構成だと、やっぱり観ていて苦しくなってくるわけで、「キョウリュウジャー」の作風には全くマッチしないのではないかと。

 続いて、敵側の作戦をあまり理解していない間のバトルが、結構呑気な雰囲気である事。

 これは主にアミィとイアンが原因なのですが、その発端は、弥生がダイゴに憧れている事に対し、イアンがショックを受け(笑)、アミィが原因不明の苛立ちを見せるというもの。アミィはダイゴが好きなのではと指摘する空蝉丸が余計に混乱に拍車をかけ、アミィは戦闘中にダイゴに対する感情を整理しようとするものの、よく分からないので吹っ切れる→ダイゴがその態度を気に入る→イアンがそんな二人を「バカップル」呼ばわりする...という、ホントに何とも呑気で微笑ましいシーンが登場しました。

 ターニングポイントとなる危機編で、このようなシーンを展開してしまえるのが本作たる所以。アミィに関する「まさか」な展開も興味を引く効果抜群で、最近あまり目立つ場面のないアミィにスポットが当てられたのは嬉しい処です。それにしても、イアンは毎回あの花をどこからか摘んできては落として、後から拾っている処を想像すると、可笑しくてたまりませんよね。

 そして、獣電竜達が恐怖で動けなくなるという衝撃のシーン。

 これは実に面白い措置だったと思います。というのも、危機的状況を煽る手段としてよく用いられるのが、ロボの一部が破壊されるとか、地割れに飲み込まれるとか、そういった類なので、今回の破壊を伴わないメンタルな危機は非常に新鮮かつ合理的だと感じました。ダイゴが恐怖に共感するというくだりも、キョウリュウグレーの一件を踏まえると実に理性的で、最も獣電竜との共感が深い人物としての面目躍如といった処でしょう。

 獣電竜はあくまでメカではなく、意志を持ったメカメカしい生き物という前提からすると、その「破壊を伴わない」というのは非常に有効で、ビジュアル的な痛々しさを意図的に避けた作風には、見るべきものがあると思います。確かに、これまでのシリーズでも、ファンタジー戦隊のロボは徹底的な破壊を避けている節があり、その辺りに制作側の理性が感じられるのも確かな事です。「キョウリュウジャー」もそれを踏襲しているというわけですね。

 さて、一方でプレズオン関連はなかなかサスペンスフルな展開を持ち込んでいました。

 弥生に迫るデーボ・コンピューターウイルスンの魔手。助けを呼ぼうにも無理な状況。この辺りのサスペンス描写は東映特撮TVドラマのお家芸の一つであり、「シャリバン」や「シャイダー」における戦闘母艦内でのパートナーの孤独な奮闘譚等、傑作は数多く存在します。今回も、それらの傑作に並ぶ充実振り。それまでの、ちょっとほのぼのした雰囲気から一転(しかもCMを挟む)させる構成の妙や、弥生がコンピューターウイルスンに直に首を絞められるという衝撃のシーンも相俟って、外よりも危機感に溢れています。

 しかも、最終回の定番である「基地破壊」まで織り込んでしまう凄さ。まぁ、本来の基地はスピリットベースですから少し違うシチュエーションではありますが、敵の無差別破壊で頭上から瓦礫が落ちてくる等、定番要素がしっかりと盛り込まれていました。デーボス戦を繰り広げるダイゴ達の危機と、この基地破壊が並行しており、しかもプレズオンを召喚出来ないという事象で両者をシンクロさせる事で、その危機感をより深めているのはさすがといった処でしょう。

 ちなみにここでは、ウイルスンの一部がイアンの靴にくっついて「基地潜入」が起こるという流れが使用されています。これは、「バトルフィーバー」における最終編で使われた、「爆発四散したヘッダー怪人の目玉が、バトルケニアにくっ付いて基地まで持ち込まれる」というくだりと同様で、その後、目玉からヘッダー怪人が再生して基地破壊の危機に陥るわけですが、この時は倉間鉄山の超人的な活躍で事なきを得ています。

 また、コンピューターウイルスンが死して基地の場所を教えるというくだりは、「ゴレンジャー」の最終編におけるゴールデン仮面大将軍が行った作戦と酷似しており、正に今回の基地破壊譚は、戦隊シリーズ黎明期の最終編を踏襲したものだったと言っても過言ではないわけです。

 というわけで、おっさん的には弥生とアミィの間にある何かが気になるわけですが(笑)、実に戦隊らしい要素をふんだんに湛えた、危機譚の良作だった事が分かります。しかも、明るさを失わないという類い稀な特徴をも備えて。

 では次回、「弥生とアミィの間にある何か」に何らかの解決がある事を期待しましょう(ってそこか)。