ブレイブ5「ドゴォーン!ムシバのアンキドン」

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 新戦士(?)ラミレス登場編。5話目にして、レギュラー外のメンバーが登場するのは、異例中の異例であり、本シリーズのスピード感が如実に顕れた感じがします。

 実際には、ラミレスがメインに据えられているわけではなく、あくまでイアンとソウジの話として成立。前回までのクールさはどこへやら(笑)、実はお調子者担当だったイアンと、それが気に入らないソウジの言動が縦軸になっています。

 このある種の対立劇が、このまましばらく引きずられる...のではなく、ダイゴの一言でハッと気付かされるソウジの歩み寄りで、一気に解決する辺りは「キョウリュウジャー」の「勢い」という美点の表出。細かい事にごちゃごちゃと拘るのではなく、何でもお見通しのダイゴ(!)が人間関係をズバッと解決していく辺りは、アクション面のカタルシスとドラマ面のカタルシスをガッツリ盛り込んでしまおうという、良い意味での貪欲さに溢れていて、気持ちが良いのです。

 イアンというキャラクターは、もしかするとまだ方向性が定まっていないのかも...と感じられる面はありましたが、今回示された「属性」は、あんまり多くを語らない(説明を面倒臭がる)、割と常にニコニコしている気障男だが、意外と戦略家の面が強いというもの。つまり、ゴーグルブラック辺りから強調され始めた「作戦参謀」のキャラクターが与えられました。

 ところが、イアンはいわゆる「C調」なので、その「作戦」は完全に自分の中で完結してしまい、そのおかげで他のメンバーは時折何の説明もなく「駒」にされてしまうという、別の側面が描かれています。そこで、「駒」にされたソウジが立腹するという段取りになっており、このパターンは、過去作で頻繁に見られたものの変形だと言えるでしょう。ダメ押し的に、定番では無愛想で朴念仁な男が担当する「参謀」役を、チャラ男にやらせているという構図が素晴らしく、逆に跳ねっ返りなキャラクターが「駒」である処を、生真面目なソウジに割り振るというポジショニングも絶妙でした。

 にしても、イアン単独変身におけるサンバのステップ、完全にプロモーションビデオのような撮り方でしたね(笑)。変身シーンで、しかも荒唐無稽なサンバステップで、あのような格好良さを前面に出した個性化を打ち出してくるとは、驚きです。

 一方、ラミレスがイアンとは全く異なる部類の、いわゆるムードメーカーに近い「お調子者」として描かれたが故に、ソウジがイアンとラミレスを重ねて捉えるという部分に、ちょっと分かりにくい部分が生じていたように思います。その後の、「イアンは幽霊だ」というダイゴの言葉に、ソウジがちょっと反省してしまうというくだりも、流し見では少々分かりにくい「行間」があって、この辺り、やっぱり尺が不足気味なのかなぁ...と感じてしまいました。ただ、(劇中では解決していても)何となく曖昧なまま進行するので、クライマックスでのコンビネーションの良さが際立ち、カタルシスを生んでいるのも確かなんですけどね。

 そのラミレスのキャラクターは、演じるロバート・ボールドウィンさんの魅力が炸裂しており、非常に親しみのある「大先輩」になっていました。

 ロバート・ボールドウィンさんは、「超星艦隊セイザーX」のゴルド役として、特撮ファンにはお馴染み。「変身しないメンバー」でしたが、顔出しアクション用のスーツが用意され、迫力の立ち回りを見せてくれた、印象的なキャラクターでした。ちなみに、「セイザーX」は、超星神シリーズの前二作で風呂敷を広げ過ぎた事への反動なのか、宇宙規模のバックボーンを持ちながら、敵も味方もやけに庶民的な、東映の「不思議コメディ」のような雰囲気が異色でしたね。キャラだけでどんどんストーリーを回していくという構造も、よく似ていたように思います。

 そのラミレスは、500年前のキョウリュウジャーだという設定。これまでも、先代ダイレンジャーや、「ガオレンジャー」の大神月麿といった、古代の先輩戦士といった面々は、シリーズに散見されましたが、そのまま追加戦士・ガオシルバーになった月麿を除けば、殆どが回想やイメージシーンといったものへの登場に過ぎず、今回のように正体(死してなお戦おうというスピリット)が明らかで、かつストーリーの根幹に関わり、しかも次回予告で見られたように変身までしてしまう者は、実に珍しいと言えるでしょう。しかも、5話目で!

 なお、ラミレスの獣電竜であるアンキドンが、ラミレスの言う事を聞かなくなっているという設定も、割と定番でして、それが解決した時に強い味方になるという展開と共に、一大イベントとしてシリーズの盛り上げに一役買ってきました。それが1クールの中盤でもう組み入れられているわけで、何だか、そんなに盛り沢山で大丈夫かいな、と思わなくもないんですよね...(笑)。

 さて、メンバー同士の対立劇というのは、古くからあるものですが、恐らく、それを前面に押し出してきた最初のコンテンツは、「帰ってきたウルトラマン」だと思います。

 主人公・郷秀樹は、ウルトラマンであるが故に、自らの超人性を持て余す訳ですが、それは他人から見れば、根拠のない妄言として捉えられます。それを特に厳しく詰るのが、防衛軍のサラブレッドであるエリート隊員の岸田文夫。押し出しの強い二枚目で、特撮ファンにも人気の高い西田健さんが演じるこのキャラクターは、それまでの二作のウルトラにおける、揺るぎないプロ集団という構図にメスを入れ、隊員同士の葛藤劇という、画期的な要素を導入しました。

 ただ、この要素によって、人間ドラマには高い水準をもたらしたものの、いわゆる子供向けの特撮TV番組としては、主人公の疎外感を強く感じさせる事となり、爽快感が著しくスポイルされた面も否定出来ません。よって、「帰マン」は途中より数々の強化策が打ち出されて、郷秀樹は悩めるヒーローの面を残しつつも、頼れる主人公像へと変化していきました。その変化の最初期に、岸田との相互理解を示すエピソードが用意されていたのは、象徴的だったと言えるでしょう。

 その後、「ウルトラマンA」で、北斗 VS 山中という同様の趣向が試みられたものの、ややステロタイプな人物像が先行して、山中隊員は岸田程の重厚感のない、やや滑稽なキャラクターになっていた印象があります(いや、山中隊員が怒鳴るシーンこそが「A」の魅力でもあるんですけどね)。

 以降、対立劇は、ウルトラでも殆ど扱われない要素となり、その潮流は集団ヒーローである戦隊に顕れる事になりました。

 しかしながら、戦隊シリーズは、明快さと爽快感を前面に押し出す作風で通してきた事もあり、対立劇は「ジェットマン」をピークとして、他は追加戦士との対立から和解といった「定型」に入っていく傾向が強く、ほぼ類型化してしまっています。平成ライダーが対立劇をやり過ぎて、近年の追加ライダーを「最初からいい人」にしているように、戦隊でも「対立劇」は食傷気味なのでしょう。

 従って、今回のようなアッサリ感は、適度な緊張と、充分なカタルシスを得るのに必要なものだったと思うわけです。何話も引っ張るのは、もはやクールじゃないとでも言いたげな、その制作姿勢。私は、なるべく一話完結のバラエティ感溢れるエピソード群を堪能したいので、大歓迎ですよ。

 次回は、キョウリュウシアンが登場!

 ラミレスもやっぱりサンバのステップを踏んでくれるのか!?