Space.46「希望と絶望のはざまで」

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 今回を入れて残り3回。遂に...というか、やっと最終戦開始の様相を見せ始めた一編。

 ところが、早々にクエルボ=ドン・アルマゲは滅びてしまいます。そしてその次に恐ろしい展開が待っていたとは...。正直、これは予想外でした。これまでのドン・アルマゲのダメさ加減がここで活きてくるとは思いも寄らず。かなりの衝撃を伴う開幕戦となりました。

クエルボとの決戦

 クエルボの「小物感」には、恐らく誰もがラスボスとして納得していなかったのではないかと思われます。このままクエルボを倒すことが主たる目的となった場合、物語の矮小化は避けられないとさえ思っていました。ドン・アルマゲの意志が色濃く反映されていたとは言え、クエルボ本人の意志はツルギに対する妬みが占拠。ツルギの仲間意識を完全に裏返しに捉えており、正に再々確認しているアナキン・スカイウォーカーとの類似が。「物事をマイナスに考えすぎだ」という指摘がそのまま当てはまっています。

 しかし、今回提示されたのは、その「小物感」を利用したと言っても過言ではない結末でした。ドン・アルマゲは、クエルボの嫉妬や怨恨といった感情を、ツルギという最上の肉体を得るために利用したわけです。次々と分身や憑依を繰り返すドン・アルマゲは、その度にキュウレンジャーの手によって倒されてきましたが、その数々の憑依自体がツルギへと辿り着くためだった(クエルボに辿り着かせるまで時間稼ぎをして、ツルギの生命を縮めた)わけで、タネが分かれば納得できるというわけです。

 いや、納得できるかと言われれば、上記の時間稼ぎの件は私の拡大解釈なので、やはりちょっと微妙だと言わざるを得ませんが、とにかくクエルボ自体がラスボスとして扱われなかったのは、少なくともプラスに働いたと思います。

 一方、ドン・アルマゲとしての能力はちゃんと高い水準で描かれており、その戦闘力もさることながら、ラッキーに精神攻撃を仕掛けて滅ぼそうとするなど、その凄まじい狡猾さも存分に描かれました。幻覚の中でチキュウの滅びを目の当たりにさせ、その絶望の中、諦め=楽な道を選択させるというやり方は、古典的でありながら効果的な描写になっており、ラッキーの真の強さが浮き彫りにされました。

 幻覚の中での、メンバーの諦念に溢れた芝居が素晴らしく、最終決戦のテンションと真逆の芝居を要求されて、なかなかの困難を伴ったのではないかと思われますが、見事に絶望感を成立させていましたね。

 ただ、「精神攻撃」多過ぎですよね(笑)。特にラッキーに関しては頻度が高い。既にラッキーに対してはこんな攻撃は無効だと、視聴者の誰もが知っているので、スリルが全くないんですよね。単に、いつものラッキーの強さがダメ押しで確認できたに過ぎない...そんな印象です。何しろ、実の父と現実に対峙するといった壮絶な体験をしているラッキーですから、もう幻覚程度では心の折れようがないんですよ。むしろ、今回のクライマックスと言うべき「ドン・アルマゲの復活」に対する絶望感が、この顛末で薄まってしまったように思うわけです。

 まあ、このくだりがないと、さすがにツルギだけの話になってしまうので、ラッキーを前に立たせておかなければならないんですけど、もう少し何かが欲しかったですよね。

 さて、クエルボですが、彼の本心は残念ながらドン・アルマゲとして喋っていたものと同一であり、ツルギに対する友情といったものを取り戻すどころか、初めからそんなものはなかったということでした。いわばアナキンほどのドラマを背負えるはずもなく、彼に理想的な「救い」も訪れることはありません。ツルギはラッキーに同調してクエルボを救うと発言してはいましたが、彼なりの「救い」として、かつての大戦時に散った勇者としての名前だけは残してやった(それはクエルボ自身も望んだこと)のだと考えられます。表向き、何の躊躇もなくクエルボを斬り捨てて灰燼と化すシーンには、クエルボ自体あの時すでに死んでいたのだと、自分に言い聞かせるツルギの悲しみを強調する効果がありましたね。

ツルギとラッキー

 かつて、ツルギはラッキーに「俺様の盾となれ」と発言し、ラッキーの反感を買いましたが、今回は逆にツルギが望んでラッキーの盾となることを選択し、ドン・アルマゲの攻撃から庇うシーンが存在します。これが単なる立場の逆転でないことは周知の通り。むしろ、ツルギとラッキーは対等の「仲間」として現役の救世主をやっていると印象付ける、良いシーンでした。

 ツルギがラッキーに、戦いが終わっても「仲間」として認めてくれるかと確認するシーンもあり、とにかく「仲間」というキーワードが繰り返されます。後にスティンガーとナーガが合流した際にもこのキーワードは謳われ、あくまで個でしかないドン・アルマゲとの対比を強調していました。

 しかし、ツルギの真意を知ると、このキーワードが途端に「ラッキーに覚悟を強いる」呪縛へと変化することになります。

 最終決戦前の時期、ツルギはラッキーたちに再三覚悟のほどを尋ね、自らにも覚悟の在り方を自問している節がありました。今回、ツルギはドン・アルマゲの策略を知り、クエルボを滅ぼすことで自らをドン・アルマゲと化すという手段に出ました。それがツルギの「覚悟」であったわけですが、恐らくツルギには最後まで迷う要素があったのではないかと思います。それは、ラッキーたちが「仲間」として自分を斬ってくれるかというところでしょう。ここで、「仲間」というキーワードが、「最後(=ツルギの命が尽きる)まで仲間として共に戦い抜いてくれるか」という意味から、「敵になったとしても、ツルギという存在が仲間であったと認めてくれるか」という意味になってしまうのです。ツルギは覚悟はしたものの、かつてその強さ故に孤独だった自分に対等の仲間ができたという嬉しさ、それを捨てられないという点に、彼の悲哀を感じます。死地に赴くツルギが、一筋の精神的繋がりを担保しておきたかったとは、何とも悲しいではないですか。

 ところが、やはりラッキーはラッキーその人でした。かつて父親との対峙でも見せたように、ドン・アルマゲとなったツルギを「救う」と宣言します。旧世代の考える「犠牲」は新世代のラッキーには受容し難い。そのポリシーは一貫して不変であり、痛快そのものです。ここで、ラッキーとツルギのドラマは完全に合流し、両レッドが「キュウレンジャー」収束の先を担うことになりました。

 ちなみに、ツルギバージョンのドン・アルマゲは、プラネジュームを吸収して本来の不死身の肉体を取り戻し、ツルギの衣装とホウオウソルジャーの意匠を反映させた姿へと変化しました。基本的に、ノーマルなドン・アルマゲに派手なカラーリングを施したような感じになり、申し訳ないのですがちょっと笑ってしまったことを告白しておきます...。また、「不死身の肉体を取り戻した」ことで、ツルギ自身がちゃんと復活する可能性もグンと上がったことになり、悲劇的なドラマが若干緩和されましたが、これの善し悪しについては、まだ判断できかねるところです。

ショウ・ロンポー倒れる!

 ツルギの肉体を乗っ取ったドン・アルマゲは、一気に勝負をつけるべく光弾を放ち、キュウレンジャーを危機に陥れます。その盾となったのはショウ・ロンポー!

 彼も謂わば旧世代だが「仲間」だった男。ツルギと同様に盾となり倒れていきました。このタイミングで!? と驚きましたが、次回への引きとしては抜群の効果がありましたし、万に一つショウ・ロンポーらしい「ボケ」も期待されるところです。本当に退場だったらこれほど悲しいことはないのですが...。まあ、後見人キャラが最終決戦前、あるいは半ばで倒れる戦隊もあるにはありますが、「キュウレンジャー」をその例に加えて欲しくはないですね、正直。

次回

 残り2話。最終1話が大団円として、恐らく中編たる次回はかなりの流転が予想されます。何が起きるか読めなくなってきたので、楽しみですね!