Space.47「救世主たちの約束」

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 やはり最終話の一歩手前は盛り上がりますね。多人数戦隊であることを存分に活かした「八犬伝」「聖闘士星矢」的な「犠牲を伴う突破劇」を展開しつつ、実はそれ自体が「全員が生還する」ための作戦だったという爽快さ。メンバー全員の関係性をコンパクトかつ明確に整理...など、安定の面白さを提示してくれました。

 ショウ・ロンポーもツルギも無事生還という流れには、昨今の戦隊が見せる「無難さ」への諦念を禁じ得ないものの、「キュウレンジャー」のアイコンたるラッキーのポリシーを一貫して描き続けて来た結果、そのポリシーに合致する展開になったことは素直に嬉しいものとして映りました。

集う救世主たち

 ショウ・ロンポーとツルギを欠いた時、やはりリーダーシップを発揮したのはラッキーでした。彼の中にはある作戦があり、それはメンバーの命を賭す必要のある、危険な「賭け」。それに乗るかどうかを各々に問うところから、今回は始まります。この時点では作戦内容は明かされず、クライマックスで全容が明らかになるのですが、スリリングな展開を支えるのに必要な「秘密」でしたね。

 ラッキーの作戦を支持するか否かについては、考える時間が与えられることになり、その間、各々の心情をコンパクトに、納得の行く形で提示して行きます。

 ハミィとガル。共にラッキーに対する第一印象が最悪(「大嫌い」というタームが凄いですね)だったという二人です。ガルはラッキーと拳で語り合い、ハミィはラッキーのひたむきさに心を打たれ、今の関係性が成立しています。惜しむらくは、ハミィというキャラクターが、あまりラッキーとの関わりを強調されないマスコット的なものから脱しておらず、コミカルなまでにラッキーの心酔者だったガルほどの感情移入ができないんですよね。何となく勿体なさを感じてしまいます。

 バランスとナーガ。この二人については何も語る必要がないほど、関係性としては完成されています。クライマックスの一大バトルでも、この二人の「最期」が美しいカットで描写され、またエンディングのダンスでもフィーチュアされているので、基本的にこの二人が今回のメインアクトと言っても過言ではないでしょう。ここでナーガの感情に「恐怖」が追加され、バランスがそれを「生きたいという欲求」の現れだと評するシーンも素晴らしかったですね。元々は危うい土台の上に成立していた二人の関係ですが、当然ながら既に不安要素は完全に払拭されていると分かります。

 スティンガー、チャンプ、小太郎。アントン博士の遺恨を巡り、キュウレンジャー内部で最も緊張した関係にあったスティンガーとチャンプ。子供が加入するという点で意見の対立があったスティンガーと小太郎。スコルピオの一件を経て、今では、スティンガーとチャンプは互いに「相棒」と呼び合う仲になり、小太郎はスティンガーを兄貴と慕うまでになりました。小太郎に至っては、いずれツルギを超える男になるとスティンガーに認められるまでに成長。多人数故に物語の単純化を図るためか、ラッキーをはじめとする大人の面々は精神的にも戦力的にも当初より危うさが少なく、いわゆる「成長するキャラクター」とはされませんでした。故に小太郎が一手にその役割を担った感もありました。その結果として、この三人が互いを認め合っている構図は胸に迫るものがあります。

 スパーダとラプター283。シェフと妄想好きなアンドロイド、元々戦闘向きでない二人は、キュウレンジャーのムードメーカー。戦闘向きではないと言いつつ、その能力に危うさが微塵も感じられなかったのはツッコミどころかも知れませんが(笑)。ムードメーカーという共通点はあるものの、この二人を括るような特筆すべきエピソードがなかったのは惜しいところ。今回はショウ・ロンポーを失って失意にあるラプターをスパーダが慰めるというシーンがあり、スパーダの大人の男としての包容力が存分に発揮されただけに、このような描写がもっとあれば良かったなあ...と感じました。ラプター的にはショウ・ロンポーとの関係性が最も高密度だったので、何となくスパーダとのペアリングが唐突に見えてしまったきらいはあります。それでも、前述の包容力、そしてBN団に匹敵する「最期」のシーンの美しさは、男女ペアという点が最も活かされたシーンとなりました。

 そして、ラッキーの元には、誰一人欠けることなく覚悟を決めた面々が集います。艦隊モノでは、リーダーが「強制はしない」と言うも、それでもフルメンバーが集うというシーンが数多く観られ、「スタートレック」なんかでは定番になっていますが、やはりこれを踏襲できるのは、この時点で10人を擁するキュウレンジャーならではだと言えます。5~7人くらいでは、全員一致団結が当然のようになってしまいますからね。

ラッキーの作戦

 結論から言えば、ラッキーの作戦はドン・アルマゲにメンバー全員を吸収させ、ラッキーも自らシシキュータマをドン・アルマゲに突っ込むことで、12のキュータマがすべてドン・アルマゲの体内に集合することを狙ったものです。

 12のキュータマが体内に取り込まれることは、即ち宇宙の終わりを意味することにもなりかねず、12のキュータマの集合によって発生するパワーが、取り込まれたメンバーを脱出させるか否かは全くの未知数。いわばラッキーは自らの幸運に賭け、全メンバーがラッキーの幸運を信じてそれに乗ったわけです。勿論、その賭けは見事にラッキーの勝ちとなり、ドン・アルマゲからツルギやショウ・ロンポーを含む全員が生還。ツルギに至っては、ドン・アルマゲ状態となっていた際にプラネジュームを吸収していたことで完全復活を遂げ、それまでの死亡フラグを払拭してしまいました(笑)。悲壮感を背負ったツルギですら、犠牲になることは許されない...それがラッキー流なんですね。

 一方、それに至るプロセスは、ラッキーとハミィをドン・アルマゲに到達させるための消耗戦として描かれました。作戦自体は明かされなかったため、それらは悲しさを伴うシーンとして演出され、視聴者もまんまと術中にハマるという仕掛けです。

 ジャークマターの物量は最終決戦とあって凄まじく、CGを駆使して人員増加が描写されるなど、総力戦に相応しい規模となっていました。モライマーズも大挙登場して巨大戦も展開。ラプターが「おじさま」と慕うオリオンバトラーを操縦するのも涙ぐましく、カジキボイジャーでそれを庇って被弾するスパーダも熱い。墜落して変身が解けるシーンまで、立体的な構図が違和感なく流れていくシーン設計は見事と言うほかありませんでした。

 そして、背中合わせで果てるBN団、互いの手を取り合うかのように倒れるスティンガー、チャンプ、小太郎、一人で絶望的な場面を迎える八「犬」士のようなガルなど、その「最期」は悲しくも美しいカットで彩られ、悲劇を伴う群像劇の美点をこれでもかと突きつけてきます。

 ドン・アルマゲたるツルギに到達したのは、ラッキーとハミィでした。ハミィがここでヒロインとしての心情を見せる...わけではなく、結構簡単に吸収されてしまうのはやや拍子抜けで、やはりマスコットを脱することができないのを見せつけられた感もありました。ここで恋愛要素を持ち込むのも浅薄だし、なかなか扱いが難しいですよね...。

ドン・アルマゲ

 ツルギの肉体を失ってどうなるかと思いきや、メカっぽい身体で実体を保っており、しかもあまねく星々のプラネジュームを吸収して完全体となります。クエルボもツルギも要らないじゃん...というツッコミはさておき、ウロボロスを背中に擁するなど、巧いデザインに目を奪われました。

 プラネジュームの吸収シーンでは、人々の形をしたエネルギーが吸い込まれるという結構グロテスクな描写もあって、その恐ろしさはなかなかのものです。ちゃんとホシ★ミナトたちが吸収されるカットも挿入され、チキュウのみで起こっている出来事ではないことがビジュアルで説明されました。まあ、それにしてはスケールが小さい(ドン・アルマゲも等身大ですし)のは否めませんけれども。

 果たして、「宇宙そのもの」を豪語するドン・アルマゲをどう攻略するのか...!?

次回は最終回!

 いよいよですね。全編バトルで完走するのか、それともエピローグに多くの尺を割いて別種の満足感を与えてくれるのか。色々想像は尽きませんが、どう転んでも楽しみです。