第17駅「雨上がりの空に」

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 ほぼ例年のスケジュール通りとなる、追加戦士登場編です。

 前週は放送休止となっている為、「新章」開始に伴う仕切り直し感をも醸し出されて良い雰囲気となりました。ザラムの独特かつ極端なキャラクターも「トッキュウジャー」の中では違和感なく(意図された違和感は別として)存在する事が出来ていて、それまで突出して妙なキャラクター性を発揮していた主人公=ライトとの対比が巧く機能していました。

 一方で、追加戦士登場のセオリーを踏んでいたり踏み外していたりといった、仕掛けも様々に見受けられ、戦隊シリーズのファンにとっても新鮮味のある一編だったと思います。

 今回は、ザラムのポリシーが、「死に場所を探している」というかなり重苦しいものでありながら、全体的にコミカルな味付けによって陽性の空気を纏っています。多くの追加戦士登場編が、「一大危機から鮮烈の6人目登場!」といったパターンで描写されるのに対し、今回は割とユルい雰囲気のままなし崩し的にトッキュウ6号が登場するとあって、大変独特な感触です。

 まずは、そのザラムのキャラクター造形から見ていきましょう。

 彼の出自はシャドーラインにあり、劇中でも実際に怪人体に変身する等、その素性は分かり易く説明されています。雨を降らせる能力によって数々の行事を中止に追い込んできたという彼は、ある日虹を見て改心し、レインボーラインの保線作業員へと転身を遂げたとされています。シャドー怪人としてのその能力の「小物感」と、シュバルツと対等に渡り合う「大物感」が凄いギャップを呈していて、「悪になりきれなかった男」としてのザラムの存在感が遺憾なく設定されているのが見事です。

 また、「ザラム」という名前からして、「○○シャドー」というネーミングルールで統一されているシャドー怪人とは、一線を画す存在だった事も窺えます。シュバルツと烈車による支配を語り合ったというエピソードも披露され、シャドーラインにおける地位はネロ男爵ら幹部陣よりは下であろうものの、シュバルツとは同程度だったものと推測されます。

 この、「悪の幹部の転身」というパターンは、近作では前作の「キョウリュウジャー」における空蝉丸、その明確なオリジンとしての「ガオレンジャー」における大神月麿、元祖6人目たる「ジュウレンジャー」のブライ(彼は幹部というより用心棒的ですが)といった前例があり、それほど新味のある設定ではないと言えます。しかしながら、この前例三者はいずれも出自は戦隊と同じ種族でありながら、何らかの形で悪の力に囚われていた者達であり、今回のようにはっきりと悪の種族の出身者であるという設定には、新しい試みを見てとる事が出来ます。

 さて、レインボーラインに「再就職」したザラムは、ライト達が「乗客兼緊急時の運転手」という(ふと考えてみれば)特殊なポジションに座っているのに対し、はっきりとした「職」に就いている辺り、異質であると言えます(ちゃんと作業員としての描写がある処が素晴らしい!)。彼の異質さは、他の部分にも散りばめられていて、ライト達がヒーローの定番描写をことごとく排除しているのに対し、ザラムに関しては、彼の周囲だけ雨が降る(=歩いているヒーローに照明が当たる、あるいは戦闘員が避けていく)、ハーモニカで哀しげなメロディを奏でながら登場する(=ジロー、イチロー、早川健 etc...)、トッキュウ6号に変身した途端に晴天となって虹が出るといった、往時のヒーローを彷彿とさせる演出がこれでもかと付加されています。

 ただし、これらの演出はすこぶる格好良くはあるのですが、視点がややシニカルで、そこにコミカルさを求めている辺り、時代は確実に移ろっているわけです。

 彼の行動をよく見てみると、誘導棒を扱う仕草にガン捌きを、ヘルメットを整える仕草にテンガロンハットによる同様の仕草を見る事が出来ますが、これらは正に西部劇の様式美を踏襲したものであり、「死に場所を探している」という言葉にも、疲弊した時代を映している西部劇の雰囲気を感じ取る事が出来ます。

 それらの様式美をこれでもかとヒロイックに解釈したのは、前出の「快傑ズバット」こと早川健なのですが、既に当時においても、早川の見せる様式美はほんの少しの笑いを伴ったものとして扱われており、70年代後半辺りの空気の中にあって、西部劇のヒロイックな様式美は形骸化しつつあった事を伺わせます。これにちょっと遅れた80年代中頃から、いわゆるチャンバラとしての時代劇の形骸化が始まっています。続いて90年代の後半では刑事ドラマの様式美も形骸化する事となり、平成ライダーの始まった2000年代では、遂に特撮ヒーローのパターンをも覆す試みが行われる事となります。

 そんな中にあって、戦隊は割と様式美を重視したシリーズになっていますが、前作の「キョウリュウジャー」がその様式美をこれでもかと演出に取り入れてグイグイと視聴者を引っ張って行く作風だったのに対し、今作「トッキュウジャー」は様式美(ヒーロー、鉄道関係双方)を茶化して解体している傾向が見られます。そこにヒーロー演出の塊であるザラムを投入してきた事で、逆ベクトルの違和感を生み出す事に成功していると言えるでしょう。

 一方で、ザラムに興味を抱いて積極的に接近するライトは、「トッキュウジャー」の世界の代表として、異分子たるザラムとの調停役として活躍しようとします。ここでライトを抜擢したのは、レッドであるから当然の成り行きという側面もあるでしょうが、やはり本作の世界観を最も色濃く体現している人物であるという面が重要でしょう。特に何の障害もなくザラムを信用してしまうライトでしたが、彼の直感(≒イマジネーション)は、これまでも常に正の方向に作用し続けていた為に、今回も彼の行動は自然に映ります。

 ただし、今回ばかりはライト以外の面々が違和感を抱くという構図が導入されており、それがライトとザラムの存在感をより引き立たせ、また、1クールを経て完成していたトッキュウジャー内部の「右に倣え(ライトに倣え)」傾向を少しばかり崩す方向に作用しています。追加戦士の意義は正にマンネリ打破にあるわけで、その意義はビジュアル面だけでなく、ドラマにもちゃんと作用しそうですね。次回はヒカリとの対立構図がフィーチュアされるようなので、俄然楽しみになるというものです。

 トッキュウ6号については、珍しいオレンジ色のヒーローという事で、「バトルフィーバー」のバトルコサック以来のカラーリング。バトルフィーバーはコサック以外に黄色系統のメンバーが居ませんでしたが、トッキュウジャーは3号のパーソナルカラーがイエローなので、近似色のメンバーが加入した事になります。前作のシアンやグレー、バイオレットといった特殊なカラーもそうですが、これはやはりハイビジョン放送が当たり前となった現在ならでは。かつてのアナログ放送は、受像状態によっては本体側でカラーバランスを調整する必要もあったわけで、ヘタをすると同系統のカラーは見分けられないなんて事も。現在のデジタル放送では、受像器側のキャリブレーションの具合とかカラーバランスの調整機能こそあるものの、送り手側の意図した色はほぼ確実に届くようになっている為、このような微妙な差異を持つキャラクターを投入しやすくなったのは間違いありません。

 トッキュウ6号絡みでは、車掌さんお得意の構えからの変身!!...と思いきや、変身したのはチケット君だったというギャグシーンも。変身の可能性が当人の資格によるものではない(何しろ人形?が変身出来る!)という事まで如実に現したシーンでしたが、あまりにコミカルな為に劇中でもスルー気味だったのは惜しい処です(笑)。いつかは車掌さんにも変身して欲しいですなぁ。

 最後に、シャドーライン内部について。

 今回は本編にあまり関係ない巨大戦を設定する為に、ゼットの能力でクライナーを遠隔操作するというシーンが登場。やや影の薄いゼットの強大な能力を印象付けると共に、ゼットの興味があくまでトッキュウジャーの有する「キラキラ」にあるという事により、あれだけの強大な力を持ちながらも直接襲撃しては来ないという設定が生きており、今回冒頭の巨大戦もオマケ以上の意義を持っていました。しかも、そんなゼットの行動のおかげで、シュバルツが当面の間自由に動けるという段取りもなされ、今回のザラム絡みの因縁を描きやすくなっている辺り、構成の妙の素晴らしさに唸らざるを得ません。

 ネロ男爵とノア夫人に関しては、ボスに振り回される幹部の心中にある「くすぶり」といったものが感じられ、今後の展開への引きになっています。特にネロのクールなキャラクターから一転した戸惑いの叫びは鮮烈で、シャドーライン内部の荒れ模様がつぶさに観察出来るようになっています。

 次回は、前述の通りヒカリとの対立構造が繰り広げられそう。ザラムがどう引っ掻き回していくのか、楽しみですね。