第19駅「出発! ビルドダイオー」

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 新烈車・ビルドレッシャー、新ロボ・ビルドダイオー登場編。

 「トッキュウ6号専用烈車」という但し書き付きというビルドレッシャー、そして、「トッキュウ6号に乗り換えは必要ありませ~ん」というコメント付きのトッキュウ6号。しかし、両者とも他のメンバーの協力を得てシャドー怪人を粉砕していく様が痛快で、今回のテーマにも合致したものになっています。

 今回のメインは勿論明ですが、トカッチの記憶に関するトピックが前面に出てくる等、ドラマの中核を担うのはむしろトカッチであり、明という異分子が5人に作用していくプロトタイプを見る事が出来ます。

 まずはそのトカッチにスポットを。

 今回判明したのは、トカッチも当初は「異分子」だったという事。つまり、ある意味では明と同様の立場にあったわけです。トカッチの場合「転校生」だったのですが、ライトが何の障壁もなくスッとトカッチのテリトリーに侵入してきた事により、友達になれたという「記憶」が蘇りました。

 ライトのこの言動は、現在も変わらないものである事を示すシーン(今度は明相手に大食自慢)がわざわざ用意されていて、その子供っぽさを存分にアピールしています。ある意味、相手の領域にズカズカと土足で入り込んでくるタイプであり、現実世界では非常に鬱陶しい人物像であるとも言えますが(笑)、「子供達は放っておいても一緒に遊び始める」という原初の社会性を体現した上で、それがプラスに作用する事を示すポジティヴなテーマを擁していて、とても健全です。

 ただ、そこでライト至上主義になっていない処もまた健全。

 今回、明が心を開いた最大の要因は、トカッチが懸命に本音をぶつけ、その話(行動)を明が理解したという事であり、天賦の陽性でグイグイと押していくライトとは正反対の不器用さを、巧く表現していると思います。トカッチの良い処は、相手の気持ちをまず考慮する事で、悪い処はそれが過ぎてしまう処なのでしょう。当初、明への接近で見せる極端な不器用さは、そんな彼の長短の現れです。

 なお、本エピソードのトカッチ周りを観て特に感じたのは、結構「説明不足」だという点。そして、それが美点だという事です。

 安直に考えるならば、トカッチは明に対して仲間の大切さを切々と説くような展開を思いつくのですが、その部分はトカッチによる「下手な説明」として、さっさと否定されてしまうのです。明には「話が理解出来ない」と一蹴されてしまったトカッチ、今度は自らの怪我を顧みずに何とか危機に陥ったライト達を救おうとします。この行動は、明にとって理解しやすいものだったらしく、いわば「行動で示した」という事になり、あまり言葉に頼っていないのです。

 ここでは、トカッチが幼少期の(自分が仲間に入った時の)記憶を取り戻し、孤独だった自分を「仲間」にしてくれたライト達を絶対に見捨てられないという、至極正当派な展開を持ち込んでいるのですが、それはあくまでトカッチの胸中だけで繰り広げられた話で、明の「理解」には直接関係ありません。トカッチの大切な記憶が明にも伝播したようにも見える(実際に明は、自分たちの街へ帰るというトカッチ達の目的意識を守るものの一つに加えた)し、実はトカッチの極端な仲間重視の行動に感銘を受けただけのようにも見えます。

 つまり、感情移入し難い明の心の機微は、敢えて想像にお任せするという感覚なんですよね。さらにこの後、明がビルドレッシャーに施す驚愕の「調教」を描きますが、この辺りも全く説明不足なまま進行していき、更には「乗り換え不要」という部分もその根拠を全く説明しない。どうやら、明関連をしばらくミステリアスなままにしておこうという意図があるようです。

 振り返ると、「トッキュウジャー」には説明不足な処が多々あって、そこはストーリー上、謎にしておきたい部分なんですよね。ちょっと引っかかりを持たせておく=伏線を張るという手法が光っていると思います。

 さて、続いて明です。

 一匹狼という、追加戦士にはよくある設定ながら、その方向性がまるで前例とは異なる感覚の明。今回示されたその方向性は、理解出来たか否かという行動原理、そして、とにかく自分流。

 理解出来たか否かという行動原理については、前述のトカッチの節で述べましたが、付け加えて、明の思考回路が単純というわけではない事をはっきりさせておくべきでしょう。彼の行動を観ると、トカッチの当初の「説明」は自分の価値観には共鳴しないものだっただけであって、トカッチの言葉を論理的に理解出来なかったわけではないからです。

 自分流という面は、前述したようにビルドレッシャーの「調教」に現れています。ビルドレッシャーを「暴れ馬」と称し(これが無骨なデザインに見事マッチ!)、それを乗りこなすべく、スマートとはお世辞にも言い難い改造を施す姿は、根っからの作業員として頼もしくもあり、またコミカルです。レインボーラインの洗練された内装や装備とは全く趣を異にする運転席は、正に「作業車」としてのスパルタンな魅力を「内側から」醸し出していますね。

 巨大戦ともなると、あちこちにぶら下げたワイヤーを一人では処理しきれない為、ライト達に同乗してもらってワイヤーを引いて貰うというシーンが。ここではヒカリが機構を瞬時に理解してワイヤーを引いたりといった、キャラクター毎のイメージをちゃんと取り入れた演出が素晴らしく、コミカルな中にしっかりと「仲間」の在り方が描かれていて好感が持てます。

 その巨大戦、まずビルドレッシャーの機構的な魅力を量感たっぷりに描写している事もあって、そのアクチュアリティは抜群でした。いわゆる「はたらく車」は幼児層にガッツリアピールする筈で、ビルドレッシャーはそのアピールポイントをバッチリ備えていると思います。特に、埋没した烈車を救助するに当たって披露される重機の機構は、その描写が丁寧そのもので素晴らしいと思います。

 ビルドダイオーに変形してからは、絶妙なポイントでCGを使用しながら、ほぼシーン全編がオープンセットで展開され、手前に配置された木々と、背景にある山々とのスケール感が見事。重々しさを表現する数々のパイロテクニックも秀逸で、とかく新ロボ登場がインパクトを失いがちな昨今にあって、なかなか印象的なデビューを飾ったのではないかと思います。

 次回は思いっきりコメディに振り切るようですが、「明の感情」に早くも踏み込んで行くようですね。個人的には関根さんが何をなさるのかを期待して...待ちきれません(笑)。