第1話「星の降る町」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 「大怪獣バトル」を除けば、純粋なウルトラマンのテレビシリーズは「メビウス」以来。

 異例の長期オンエア番組となった「ウルトラマン列伝」にて、時折挟まれる編集回や「ウルトラゼロファイト」で多少の渇きは癒やされたものの、やはり物足りないものがあったのも確か。4クールのフルレングスシリーズとはいかなかったものの、ここにきて、「列伝」枠内で新作が見られようとは。

 ある意味、ウルトラへの「偏執的な拘り」は一連のウルトラマンゼロに関する作品で払拭されており...というより、ウルトラマンのフォーマット自体が、連発されるブランクで徐々に受け入れ土壌を失ってしまい、もはや防衛チームも、怪獣の出現する過程を描くドラマも、ATGのような突き刺さる前衛性も、懐古的な趣味と一括されてしまうような時代になってしまいました。

 故に、「大怪獣バトル」は、怪獣自体がレイオニクスと呼ばれる怪獣使いの使役する「戦いの道具」とされ(それを逆手に取り、主人公のレイは、道具を超えた関係性を築く事で最強のレイオニクスとなるのですが)、「ゼロファイト」でそこにあるのは、既に確立されたキャラクターが一定のシナリオに乗って動き回る仮面劇。そこに「怪獣の出現と対処が生み出すドラマ」は皆無なのです。

 「ウルトラマンギンガ」初回は、このような状況を踏まえた上で、ウルトラシリーズのフォーマットは敢えて形骸として捉える事により、新しい作風を確立しようという苦慮が垣間見られました。

 「ギンガ」の礎にあるのは、「仮面ライダーディケイド」や「海賊戦隊ゴーカイジャー」といった、過去作品をコレクション化する商品企画である事は明らかです。

 近年は、キャラクターものの商品サイクルが短く、1年弱である事が非常に顕著である為、4クールの間にコレクション性の高いトイを多売するという手法が好まれており、特に平成ライダーはそれが当たり前となっています。ウルトラは、過去のキャラクターのソフビ等が現行キャラクターと同等かあるいは上回る求心力を持った特異なシリーズではあるのですが、シリーズ自体の弱体化は否めず、思い切った(マーチャンダイジング的な)テコ入れとして、いわゆる「ゴーカイジャー商法」が導入されたのは、想像に難くありません。

 その「商法」についての是非は議論を避けるとして、問題はその「商法」を前提としたコンテンツ作りが結果としてどう出ているかです。

 結論から言ってしまえば、結果については、私は概ね満足です。

 まずは、「ゼロファイト」で顕著だった、オールスタジオ撮影+オールグリーンバック撮影に、ウルトラを制作する体力の低下をまざまざと見せつけられていた中で(CG否定派ではないですが、スタジオの狭さが透けて見えていたのは残念)、このようなロケを多用したドラマパートと、本格ミニチュア特撮による特撮パートが取り入れられた作品を見る事が出来た感動。

 それでもまだ、近年のスーパー戦隊シリーズのスケール感に比べると劣ってはいますが...。その辺りの違いについては後述。

 続いて、「ソフビで色々なウルトラマンや怪獣に変身出来る」という、この上なく荒唐無稽で二番煎じ的な設定を、新鮮に、そして説得力を持って描いていた事。

 先達のディケイドとゴーカイジャーの2大ヒーローは、基本形態があって、そこから二段変身で過去のヒーローに変身するという流れでしたが、今回は、まずギンガ以外のキャラクターに変身し、後からギンガにも変身するという流れになっています。次回以降はどういう流れになるか分かりませんが、とにかくあらゆる形態への変身能力をギンガの特殊能力としていないのです。

 また、変身の過程もソフビの足裏のマークをギンガスパークで読み取るという、先達以上に即物的な手順。これを、トイと全く同じプロセスでケレン味無く見せており、この辺りの、日常とのリアルな地続き感はウルトラっぽい感じがします。

 しかも、先達が絶対に為し得ないアドバンテージとして、いわゆる敵キャラクターである怪獣にまでチェンジ出来るという発想。ここもウルトラならではですね。怪獣をキャラクターとして大事にしてきたウルトラのブランド力、それの為せる技だと思います。

 一方、ドラマパートに関しては、近年の状況を踏まえた形で防衛チームを完全に撤廃。主人公とその周囲は生粋の一般人、しかも高校生がメインという、ウルトラでは初の試みとなっています。しかしながら、そこに違和感があまりないのは、「レオ」で防衛チーム全滅後にホームドラマをメインに据えた経験や、「80」で学校をメインの舞台にした経験がある事に加え、「ウルトラゾーン」ドラマ枠の延長線上にある感覚を見て取れるからでしょう。

 そう、「ギンガ」全体の日常性と非日常性の絶妙なバランス感覚、「日常」を体現するキャラクターのリアリティ、「非日常」を体現するキャラクターのコミカルさは、正に「ウルトラゾーン」の延長にあるのです。

 そこに気付いた途端、タロウのコミカルな言動は一気に腑に落ちます。タロウこそが、日常のヒカルを非日常に誘う重要なキャラクターであり、「ウルトラゾーン」で試みられ、一定の成功を収めた「非日常の在り方」といったものを体現していると言えます。バルキー星人の異様に珍妙な言動にしてもそうです。

 現在、タロウのDVD-BOXを入手したので見ているのですが、あのコミカルなキャラクターをやれるのは、タロウしかいないと確信します。勿論、「ギンガ」に登場するタロウは、「メビウス」以来のタロウであり、かつての東光太郎とはイメージが異なるキャラクターですが、オリジナルのタロウも怪獣と一緒になって踊ったり、餅つきをしたり、塩漬けをしたり、バケツで水をぶっかけたりといった、数あるウルトラヒーローの中でも突出してコミカルな戦いを繰り広げたキャラクターです。それでいて、決める処はバッチリ決める。そんな硬軟取り混ぜた随一の魅力を持つウルトラマンの筆頭は、タロウだと断言出来ます。

 ヒカルを初めとする高校生達も、なかなか個性が強くて魅力的です。女性キャラに関しては、ちゃんと「分かっている」感じの演出がなされているのもいいですね(笑)。高校生と対比される大人にも、津川雅彦さんや木野花さんといった、キャリア、知名度共に贅沢なキャスティングがされ、ドラマパートの空気感にリアリティが与えられています。それが廃校に設えられた仮説神社という突拍子もない舞台だったとしてもです。津川さんが出てくるだけで、その「場」を納得するしかなくなる凄さ。トイのプロップ化でしかない「御神体」へのリアリティ付加までが成し遂げられています。凄い。

 全体的にドラマパートには「緩さ」が漂っているのはご覧の通りですが、これも「ウルトラゾーン」の延長ではないかと思います。この「緩さ」が全てプラスの方向に働いているわけではないですが、初回を見る限り特撮パートのテンションとのコントラストは巧く作用している印象を受けました。

 さて、その特撮パートですが、久々に「現代日本の建造物のミニチュア」が登場し、ミニチュア自体もなかなか精巧。カメラワークも往年のノウハウを継承したかのようなものであるのに加え、怪獣やウルトラマンの巨大感を出す為、ローアングルの多用が見られます。この辺りも「ウルトラゾーン」の特撮パートを発展継承させた雰囲気。

 ただし、ややスタジオが手狭なのか、ミニチュアの爆発は「燃える」というより「弾ける」といった画でまとめられており、やや迫力に欠ける部分があったのは否めません。また、林の木々の飾り込みの巧みさや、地面の質感、ウルトラマンと怪獣の重量感と格闘のスピード感といった点は素晴らしいのですが、ホリゾント(背景)がグレー一辺倒で奥行きに欠けており、ここでもスタジオの狭さが露見しています。

 特に、ギンガサンダーボルトを放つシーンには周囲の山々が合成され、壮観な画作りが素晴らしかったので、余計に他のシーンにおけるグレーのホリゾントが強調されてしまったようでした(周りの山はどこへ行ったの?的な)。一つ一つの要素は「特撮的」で非常に完成度が高いのですが、手狭なスタジオでいかにそれらの要素を組み合わせてスケール感を出すか、といった部分に課題を残しているように見受けられます。ハイビジョン制作であるが故のアラと言うにはちょっと違うわけで、この辺りは次回以降に変化を期待したい処ですね。

 最後にサンダーダランビアについて。

 オリジナルは「ダイナ」のネオダランビアですが、実は「ギンガ」の新怪獣。「サンダーダランビア」という名前の怪獣は、「ギンガ」に初登場したわけです。まぁ、ネオダランビアとの差異が分かりにくいので、インパクトはやや薄かったですが...(笑)。

 それでも、過去の怪獣一辺倒でない姿勢は好感が持てますし、新しい物を作ろうという意気込みは如実に伝わってきます。関連トイの売れ行きも良いスタートを切ったようですし、11話で終わるのは勿体ないコンテンツなので、盛り上げていきたいものですね。